ミケ日記

2002年10月26日〜12月31日


12月31日

 これで今年も終わり。師走はさすがに忙しかった。来年はもうすこしゆっくりとものをかんがえるようにしたいものだ。

 大晦日の何のといっても猫には実のところ昨日とおなじ一日にすぎないのではあるが、ともあれ気分を一新するのはいいことだ。来年が良い年となって、良いことがありますように。


12月6日

 おるかの残念帳をみた。今年できなかったことがいっぱい書いてある。西国三十三ヶ所の残りの寺を回れなかったのがよほどくやしいらしい。どれ私がひとつ巡礼らしく回文で西国をまわってやろう。

 まずは後白河院の熊野詣など思いつつ

  熊野路の岸にふと訪ふ錦地の幕 

  来たのちなにか寿司でも持てしすかに那智の滝

 濁点は古式に則ってつけない。


12月5日

 百人一首の通信販売を見た。白描風に印刷された絵に各々色を塗るらしい。綺麗な色をひたすら塗るのはたしかに気持が休まるかもしれない。人間とはストレスを貯めてはそれを解消するために、又手の込んだことをする。

 喉を鳴らすことを知らない生き物はかわいそうだ。

   鼻先に冬来るらし白妙の仔猫欲しけり雨を嗅ぐまま  ミケ

 本歌取りといえるだろうか


12月4日

 このところ、この家の人間達はとても忙しそうだ。今日は部屋中に広がったお皿や鉢を一つ一つ紙に包んでは、真っ白な箱に詰めている。

 紙のカサカサいう音を聞くとかやみくもに紙束の中に飛び込んでおもいきり齧ったり蹴ったりしたくなってしまう。じぶんでもなぜかわからない。

 彼らは夜も仕事なので、電気炬燵を独占できる。電気炬燵こそ人間の最良の発明ではなかろうか。昔々、炭火で炬燵をしていた時は酸欠になる猫もいたそうだ。おそろしい。

   電気炬燵カチリと鳴りて照り曇る吾よりしらぬ喉の乾きよ  ミケ


11月14日

 湖東永源寺に紅葉狩りにでかける。北陸は霙交じりの天気だったが、八日市のインターを降りるころには青空が見えた。

 干上がった沼の底のような土地の気配。日差しがまあるく降って来る。

 永源寺につくと平日なのにかなりの人出だ。知り合いの陶芸家の工房の前に車を停めさせてもらって、林の中を歩いて寺へと向う。赤松の幹にびっしり巻きついた蔦紅葉。長靴下のピッピの靴下のようだ。地面にごろごろしている岩の乾いた白が枯れ草の中に目立つ。

 愛知川の橋の上でしばらく上流をながめた。両岸の暗い紅葉を分けて静かに蛇行する藍色の流れは、なにかを思い出させる、がなにかわからない。
 
 参道へと、支流を渡る小さな橋の脇にひときわ紅葉の濃い楓の大木があった。その木に触れたかったが御土産物やなどが櫛比しているので、あきらめた。柱状摂理のはっきり見える石段は歩きやすかった。火成岩は好きだ。温かみがあって、清潔で。

 山門の紅葉明かりに出ると、皆、紅葉に感動したくてたまらないから口々に「おお!」とか「ああ!」とか言う。愛知川の水面が随分下のほうに見える。水鳥が数羽、はっきりわからないが鴛鴦のようだった。

 瑞石山と額のかかった本堂の葦葺きの屋根は巨大な生き物のようだ。その向こうの山は骨のように白く枯れた木が多い。どの紅葉の下でも人が写真を撮っている。

 湧水があって「甘露水」と看板がある。火成岩の中から湧く水は美味しいだろう。三井寺の井戸、醍醐寺の醍醐水、、近江は水の国、石の国だ。

 境内の奥に「不許入門」とかかれた建物があった。修行の場らしく気持がいい。その萱葺き屋根の上に紅葉がひときわ細やかだ。板塀の下からちいさな菜園に葱など植えてあるのが覗く。お坊様も夜食にお蕎麦などあがられるのだろうか。

 永源寺町の細い道に面して、お盆や碗など木地製品を並べている古い家が有ったので入ってみた。愛知川の上流には木地資料館や惟喬親王を祀る神社などあって、木地師発祥の地だそうだ。しかし昔ながらの刳り物も電気ロクロでさっさとしあげたのではうぶなあじわいには乏しくなりがちなものだ。

 軋む箱階段二階へ上って窓による。ささやかな冬菜畑の向うに、遠く竜王山か雨乞山だろうか辰砂の色に染まっている。昔はこの道を三重へと往き来する人たちが通ったのだろう。夕日だけは昔日と変わらず路の上に落ちている。町のスーパーで日野菜と永源寺コンニャクを買って帰路についた。

 と、炬燵でおるかは話してくれた。ちょうどその時テレビにシベリアの大森林と、氷点下の壮烈なまでに赤い紅葉が映った。息を呑む美しさ。

 しばし無言の後おるかはこう続けた「人間のいない風景は綺麗だね。透きとおってる。これに比べたら日本の紅葉は箱庭かもしれないね、でも過ぎ去った帰り来ぬ時間、先人たちの思いとかが錆付いている、ちょっと寂びた味がなんともいえないんだよね」。そしてお土産のコンニャクを食べた。永源寺コンニャクは芋の味がして美味しかった。


11月13日

 今日も寒く霰がときおり窓を打つ。外猫どもが五匹みんなで餅のように丸くなってボンネットの上にいるのがみえる。

 家族というぬくいもの、わたしにも経験はある。仔猫をうんで育てたあのころ。この毛並みがぼさぼさになるのもかまわず家をでて、物置小屋や廃屋ですごした流離の日々。おっと湿っぽくなってしまった。

   父違ふ仔猫五匹に湿りゆくダンボール箱しみじみかなし  ミケ


11月12日

 テレビで「使う器」ということで、工房などが紹介された。「焼物は綺麗に映っていたからいいんだけど・・・」とおるか。

 ”ナルシシズムほど万人に平等にゆきわたった悪徳はない”とはげに本当である。
 それでも、メールや電話をもらっておるかもオットセイもうれしそうだ。私だってうれしい。

 鰹節でも奮発しようという気になってくれればもっとうれしいのだが。


11月11日

 日だまりに投げだされた白いセーター。おもわず顔をうずめてチューチューしてしまう。「目が据わってるよ、不気味だねぇ」とおるか。なんとでも言え。

 私は母親を知らない。兄弟も一匹もいない。あの情けないほどうすっぺらなプラスチックの哺乳瓶で育てられたのだ。泣き言はいうまい。セーターをいくらチューチューしても心の渇きの治まるはずのないのはわかっている。実際、チューチューしたあとはやたらに喉が渇く。

   たらちねのその胸の熱しらねどもセーターやはりカシミヤが良し  ミケ


11月10日

 勝手口で外猫シロと遭遇。顔をそむけながらとんでもない大声をだして寄ってくる。いけ好かないやつだ。

 炬燵に戻って背中を舐める。ついつい尻尾の先まで舐めまくってしまった。.心地よいものうさにつつまれて一眠りすれば、「この世はすべて良し!」というきぶんである。

 今日はランボーの忌日らしい。おるかが ランボーを読んでいる。「忌を修す」とかいってはその人物の本を読む。だれかの忌日でない日などないだろうにご苦労なことだ。


11月8日

 おるかは「やっと投句した」、と上機嫌だ。毎月締め切り直前になって慌てている。もう少し経験から学んだらどうかと思うが、性格というのは治らないものらしい。蟻とキリギリスならば、典型的なキリギリスタイプだろう。


11月7日

 あけがたに子鼠を獲る。秋の木の実を食べて育ったらしく、美味し。

 おるかはこのごろ新しい皿のデザインを紙にやたらに描いているが、わたしのに勝るものはないだろう。なぜなら地球が私の皿だからだ。なんと、素晴らしい器ではないか!

   遠ざかる足音のごと木の実降る今年最後のねずみと思へば   ミケ

 感動をこめて字余りとする。


11月6日

 このところ夜遊びしている。雷雲はわたしのなかに何かを呼び起こすらしい。11月の夜気は 身が引き締まる。足の裏に伝わる土の冷たさに電流がはしる。夜は目醒めている。

 われわれ猫は詩を書くことをひつようとしない。なぜなら、それを生きているからだ、ちょっと言い過ぎたかな。
 
 それにしてもおるかは寝起きが悪い。養育係のくせして足に 擦りついてやるだけでは目を覚まそうとしない。夜行性という高貴な性質を知っているのに怠慢である。そこで枕もとのふすまを思い切りガリガリ引掻いてやるとようやくブツブツいいながら起き出して、私のためにベランダに降りるガラス戸をあけるのである。

 庭草を駆け抜けて夜道にでたところで振り返ると、まだ戸を開けたまま、こちらを見送っている様子である。人間というどうしようもなく怠惰な生き物も、さすがに夜の気配には何かを感じるらしい。雲が星をつぎつぎに飲み込んでいる。


2002年10月26日

 わたしはミケ、猫である。

 養育係二人とともに、この山中の家に住んで、はや五年になる。取り立てて言うほどのこともおきない毎日ではあるが心に浮かぶよしなしごとをここに書き付けてのちの思い出のよすがとしようと思うものである。


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