ミケ日記 2003年1月1日〜3月30日 |
3月30日 薄曇。春らしい日曜だ。 イラストにとりかかって平野寝覚という種類の桜を描こうとオルカは半日苦労していた。ボタニカル・アートのような正確さは必要ではないが、不自然ではおもしろくないし、「あぁ!」という感じがでないといけないそうだ。やっと仕上げたら夜になっていたが、そこで、五月号用のイラストだったことを思い出したのだった。オロカモノめ。 3月29日 昼寝していると、オルカが苔玉つくりをはじめた。山道で目に付く苔をあつめてはケト土のうえに貼ってゆく。湿気を好むもの、日が当たってもいいものとそれなりに按配している。 富貴蘭の株分けしたのも大分増えてきた。この頃絵付けの部屋の窓際はそんな小さな鉢植えが並んで、水やりのあとはかび臭いような匂いがする。オルカのいうことには自然の匂いなのだそうだ。 3月27日 春眠暁を覚えず。このところオットセイがボランティアで家を空けているので、安眠できる。あのものはまず足音が大きい。そのうえ夜でも昼でも電気ギターを鳴らす。あの音はヒゲがびりびりして大嫌いである。 オルカは人間のわりには足音が低い。なんでも子供のころ住んでいた二階の部屋は物音が階下にひびきやすくて、いつも両親に注意されたので、そのせいだろうとのこと。うーむ三つ子の魂百まで。 それでなくとも驚き易い性質らしい。仕事中に、鳥影が走っただけでビクッとする。この辺りは鳥も多いからしょっちゅうビクッとしている。 大きな音、飛行機の爆音や、車のドアのバタンと閉まる音でもビクッだ。だからクラヴィノーヴァも音量を絞って弾く。ときにはヘッドフォンをして弾いている。はたから眺めると音はなくて眼を瞑って頭を振っているのはおかしくてしょうがない。そのくせ、私は苦手な雷は好きらしく、窓に寄って長いこと見ているのだから、わからないものである。 3月25日 畳にゲロを吐いてしまった。が、しばらくして戻ってみると消えている!畳とはふし ぎなものであるな。嗅いで見たらオレンジの皮の洗剤の匂いが少しした。 そこへ桜見物の招待が相次いでいる。吉野山で句会、常勝光寺の九重桜。 行きたいらしいが、長いこと休んでいた上に自分だけ遊び歩くのが気が引けるらしく半分諦めている様子だ。あわれなものだ。不便な生物だな人間は。 3月23日 うららかな日曜日である。庭に出て見ると春はずかずか来ているようである。日向のイチリンソウはすでに闌れてしまった。山芍薬の芽が渋い海老茶色を覗かしている。 黄水仙の芽が落ち葉をつらぬいて刀身が鍔から伸びるように、すっくりとのびている。枯葉のような軽いものをどうしたら持ち上げずに突き抜けることができるのだろう。芽の先にはなにか魔法があるのだろうか。 植物はあやしいものだ。枝の中でなにかが誘うような気がして登って行くと、きゅうに足場を失うことがある。子猫の頃はそういう誘惑によくひっかかったものだ。 オオイヌフグリの一面に咲いている上で昼寝。花が小さな悲鳴をあげている。フフ。 3月22日 昼間、金森穣のダンス、夜にはローザンヌのダンスコンクールを見る。もちろんテレビで。 中国の少年少女の身体つきはとても綺麗だ。つま先に何かついているのではないかとおもうくらい軽やかに飛び跳ねて、不思議な繊細な生物のよう。 狩の動きは猫族の右に出るものはないが、自由な動きの巾は人間もなかなかやるものだと思った。 3月20日 ついにイラクへの武力行使がはじまったらしい。 おるかはただテレビをつけっぱなしにしている。人間の愚かさには言葉もない。 工房も今日は靜だ。山代温泉の「遊子五彩」に参加してディスプレイするためにみんな出かけたらしい。 オルカ一人テレビの前で咳き込んでいる。そうとう気分が悪そうだ。 3月19日 昼寝から覚めたら階下にお客のようである。料亭の若主人とのこと。調理人らしい、きりっとして清潔感のある人物だ。活きのいいお魚を想像してつい興奮してニャーニャーいってしまった。染付が好きだといろいろ手にとって御覧になっていった。 気候が良くなれば野外の食事もよいものだ。そろそろトカゲもでるころである。 3月16日 庭に見慣れない猫がきて鳴いている。春なのだ。恋を捜して声を嗄らしている。高い窓から見下ろしているとあさはかにも見える。が、この一抹の寂しさはなんだろう。 私は雨の多い国の王のよう。リッチで無力、若く、とはいえひどく老いて…。 この家の女王として君臨する私の毛並みは老いを寄せ付けない艶に覆われている。しかし春が疎ましくなったのはいつごろからだったろう。食事や暖かい寝床とひきかえに私はなにを失ったのであろうか。 樹皮を割き痛くほぐれるタラの芽よボッシュは一枚の聖母も描かず 3月14日 春らしいのどかな日だった。鶺鴒の声が朝から降ってくる。まだ蜥蜴や虫などが少なくて玩具が無いがそれも良し。ひさびさに外で昼寝。 というのも、オルカが仕事しながらジェーン・バーキンのCDと一緒に歌うのがどうにもうるさいからだ。テレビやCDの音はそんなに気にならないが生の声というのは妙に気になる。ジェーンのほか ”悲劇的な眼”のシャーロット・ランプリングがオルカのアイドルらしい。両者ともガリガリ度が本人と似ている。 3月13日 今日も寒い。が、少し明るくなって、雲の間にヴェネチア派風のブルーが覗く。窓に坐ってうつろう光を眺めていると自然に頭が重くなってくる・・・。 パチパチという音で目醒めた。オルカが爪を切っている。人間という者はやらなければならない(と思い込んでいる)ことが実に多い。歯磨きもそうだ。オルカはなにか食べた後磨くから日に何度も口を泡だらけにしている。この頃はついでに舌も磨くのでときどきブラシを突っ込みすぎてオエッとやっている。実に滑稽だ。風呂に入るのもそう。人間はそんなに汚れ易い生物なのか?しかもそのために、バス・グッヅとやらを様々にそろえる。 かくのごとく日常の些事を自分で作り出してはそれに振り回されいそがしい忙しいと言いたがる。忙しいことが充実して生きていることの証であるかのごとく。 哀れな生物よ、時間を細切れに消費して未来から目を背けようというのだな。 3月10日 ピチャピチャ外は雪ピチャピチャ炬燵を出た後の水はうまいピチャピチャ・・・。 気の長い呑み方だねー」とオルカ。「一度でいいからグビグビーッと呑んでみたいだろ?」とさも同情したふうに言う。「そっちこそそんなにお茶ばかり飲んでいるから中身が薄まってしまうんだ」と思うが聞き流す。私は大人だ。 オルカは一日にマグカップ五六杯は紅茶を飲む。人間の70だか80パーセントは水分だそうだがオルカはそのほとんどが紅茶だろう。 3月8日 俳句またもや速達で投句。昨夜遅く、友人との長電話で発奮したオルカは一日五句をめざすつもりだそうだが、どうせ三日坊主にきまっている。 天気は下り坂のようだ。片栗の花芽がやっと膨らんできたというのに。 3月5日 今年になってからオルカは本業の焼き物も趣味の俳句もスランプだそうだ。そのせいかどうかしらないがやけに絵ばかり描いている。イラストを発送して、そのままコンテで絵を描いている。さして上手くも無く、首が凝るなどといいながらも描く。人間というのは自足というものを知らないらしい。今度の絵は「春・一角獣は迷子になった」。この間の「巣箱の木」のほうが面白いな。 フキサチーフがこの町では売っていないと嘆いている。 3月3日 原稿のファックスが漸く届いて締め切りはすぐだ。風邪で休んでいたオルカはイラストにかかった。やれば仕事できるじゃん。内容はハード・ボイルドな食事風景!?スケッチのためにゆで卵をつくっている。なんてイメージが貧困なんだ! 3月2日 きょうはお水送りの日だ。今年は神宮寺御住職から丁寧なご案内を頂いたので、参詣はできないながら今ごろは山八神事、今ごろはなになにと想像して無聊を慰めた。おだやかな日よりとなったが、小浜のあたりはまだ残雪も深いことだろう。 2月22日 正午から金沢で句会。j句歴の長い方、もの書き歴の長い方と同席。批評的言説の華麗さに目が回る。愉快愉快。 一句の観賞も微にいり細を穿つ。「中陰の席に沈みて」という表現があった。猫にとっては「沈む」のは席に身を沈めることであると同時に気持も沈むことである。心理と身体は相互にフィードバックしあう。パスカルが真空に惹かれたのは内的空虚感があったからと「皮膚−自我」に書いてあったぞ。ニンゲンだって切り離せないと思うのだが。どうもそうでもないらしいのである。事物を離れて打ち立てるのが象牙の塔というものなのか?人間というのはそれほど抽象と事物との間にひらきをかんじる生物なのか?開きを感じているように感じていると気付くのはいいけれど(なんとまだるっこしいんだ)。 2月14日 チョコレートをもらった。イタリアのとベルギーかどっかの。何年ぶりだろう。随分ひさしぶりだ。紅茶をいれてもくもくとたべる。鶺鴒だろうか、鳥の声がする。 2月13日 ネットで知り合った三人が集団自殺というニュース。全員わりに若い人たちだ。わたしも若いときは死ぬのが楽におもえた。いまでは別に自殺しなくても、と思う。 雨でバスを待っている時、ある程度ながく待っていると、「せっかくここまで待ったんだから」と意地になってくる。列も長くなっている。並び始めたばかりの人のほうがかえってアッサリ列を離れて雨の中へ出て行くのだ。 2月1日 金沢で詩の朗読会。大雪のうえインフルエンザが流行っているので、なるべく人中に出たくない。が、会いたい人が二人も朗読会にいる。そんなことはめったにないからでかける。金沢市民文化村とかいう施設は何棟もあって敷地もひろく、二十四時間受け付けでとても面白いシステムだ。なにかやってあそんでもいいな。 朗読会の会場はそのなかの里山何とか言う山村の家を移築したらしい建物だ。昔の家だから梁や床は立派だが寒い。楽屋をみせてもらったが、あれでは着替えは大変だったろう。 詩の方はちょっぴりナルシスチックなのからナルちゃんもあそこまでやればご立派なのまでさまざま。とても真摯だけれど飛ばない詩は苦手だ。しんみりと食い込んでくるものもあった。 会いたかった二人の詩は白眉でしたね。おひねり投げたかったっす。 反省会兼懇親会はポトラッチのごとく、シチューから散らし寿司、おでん、大量の御馳走と差し入れのお酒。ブラマンジェがおいしかった。「電車のじかんだ!」とまた食い逃げしてしまった。 1月20日 「ホトトギス文学選」など言うものを読む。さすがに執筆者は多彩だ。寺田寅彦のエッセイはなかでも文章がうまい。野の花に寄せて女性の思い出を淡くからめるあたり浪漫チックというものだろうか。 もちろんあの「我輩は猫である」も初出の通りの文で載っていた。とうじは猫といえども文語文が実に巧みである。 1月12日 寒い日が続いている。雪のせいで鳥達がわずかな柿の実を争うのも熾烈さを増しているようだ。 窓に坐っていると、四十雀にヤマガラの混じった小さな群が向うの木こちらの木とわたってくるのが見える。はかなげなこえでしきりに鳴き交わしている。そのあとに空飛ぶ鶯餅のような目白がいつも番いで来る。ヒヨドリがいかにも強欲な様子で小鳥を蹴散らし、べつのヒヨドリが来ようものなら、しつこくおいかけてゆく。山鳩、も電線にとまっている。 山鳩の首から胸へかけての曲線はなんともいえない。おもわずニャニャ、ニャニャと声がでてしまう。「それじゃ狩はできないよ」とおるかは馬鹿にしたようにいうが、あえて言おう。食べたくて声を漏らすのではない。狩る者と狩られる者との間には恋のようなものがあるのである。 1月5日 きょうから仕事始め。これでまた炬燵をひとりじめできることになった。しかし炬燵のまわりの本の山をかたずける様子はない。重そうな本ばかりで、いつ崩れてくるかとこちらは気が気ではない。それほど熱心に読んでいるようにも見えないのだが。 開いた頁の上に坐るとおるかはあわてて追い払おうとするが、しばらくゴロゴロいってやるとすぐ一緒にうたたねしてしまうのだからたわいもないものだ。 2003年元日である 暖かく珠のような冬麗の日。まさに天からのお年玉のようなお天気である。おるかは絵付けの部屋で年賀状を書き足している。オットセイは大晦日に飲み過ぎたとかでお粥を炊いている。ゆえに初日に融けゆく霜の微かな声を聞いているのは私だけである。まさに天地玄黄。悠々としてとどまらず。 しかしその淑気もしらぬげに、車は大気を汚し、テレビは騒々しく、人間のすることこれかへりみるにダニ、ニャホあさはかにして、シラミゆく空を仰ぎて嘆息するノミ |