ミケ日記

2003年4月1日〜4月30日


4月30日 水曜日

 花に浮かれているうちに四月も逝ってしまう。オルカは微熱があってきちんと仕事ができないせいか、悲観的になっている。

 そりゃね、焼き物が煮詰まれば「私には俳句がある。」と言い、俳句ができなければ「やっぱ、本業は焼き物だよね」という節操のなさがここへきて壁となって立ちふさがっているのだろう。

 それにしてもちょっといいことがあったり誉められたりするとたちまち有頂天で、うまくいかないと奈落の底という性格、少しどうにかならないものか。

 夕方散歩に出た。天使の服のような薄青の空に淡いサーモン・ピンクの雲が一面に流れている。谷いっぱいにシャガの花が咲いて、その白い花の顔にも夕焼け雲の茜色が落ちている。自然は美しい。誰に知られることもなく一つ一つの花はひたすらに咲いている。


4月27日 日曜日

 今日は素晴らしい青空。風は爽やかで優しく、日向はほこほこ暖かい。昨日までの雨でどの木の芽も鮮やかにほぐれだしている。緑の匂いがする。白山吹と利休梅が咲き出した。水木の花も硬質な白が陽にひときわ輝いている。

 午前中、塗り師のS氏夫妻が見えて、粉引きのぐい呑みをみせてくれた。そんな薄手の煎茶椀を作ってみたらとおっしゃる。

 樫の木の茶托を下さった。木目が不思議な花のようだ。例によってうちの焼き物と物々交換をする。我輩の毛の艷を誉めてくださった。手先をちらちらさせるので思わず飛びついて噛んでしまったが、漆の匂いがした。口がかぶれねば良いが。

 夕方になって歌人のO氏が御付きになった。一日、白山のふもとの桜の写真を撮っていたらしい。風狂の士というべきか。梢を見上げて蛇を踏んだそうだ。オルカと桜や薔薇について延々と語り合っていた。

 中井英夫も薔薇狂いだったが、歌人は薔薇好きが多いのだろうか。O氏も二千数百種に及ぶ、ときじくの薔薇園をネット上に開設する予定らしい。

 山菜天麩羅うどんを皆で食べる。コシアブラをさがして午後の間あちこちと探し回ったのだが、季節が終ったらしく、天麩羅は蕨とゼンマイだけだった。


4月26日 土曜日

 細かな静かな雨が降っている。部屋の中の苔玉を外に出して雨気を楽しませてやる。苔の緑も冬場よりずっと生き生きしてきた。

 オルカは顔も上げずに絵を描いている。小さなスケッチブックはお化けのような天使のようなものでいっぱいだ。


4月25日 金曜日
 

 小雨の中釣りに出かけたオットセイが隣村の堰堤で40cmのブラウン・トラウトを釣った。大きい!油が乗って美味そうである。濃い茶色の中に小さな水玉を飛ばした紋様は美しく、頑丈な顎が王者の獰猛さをしのばせる。

 オットセイは写真をとったり人に自慢したり嬉しそうだ。これほどの大物はそうないので、まぁ無理もない。が、ふとした隙にそのトラウトを外猫どもに盗られてしまった。なんてことだ!

 それにしても山水のジャブジャブ流れているバケツのなかに顔を突っ込んで取ったのだろうか。たいした根性だ。今夜は外猫のお祭になるにちがいない。

 あの味が忘れられぬと鬚舐めて卯月二十五トラウト記念日   ミケ


4月24日 木曜日

 今日もご遠方からお客様。日帰りというので忙しい。

 仕事の話になると、景気の悪いことや、職人さんが後継ぎが無いことなど寂しいことばかり。最後に「このところ七件のお葬式に出ました、七件ですよ!」とおっしゃった。

 そのあと午後のあいだじゅう、オルカは一言も口を利かず上絵を描いていた。夕方になって絵を描いたり手紙を書いたりしていた。黙っているのはいつものことだが、このところ、いやに重苦しい雰囲気だ。

 私もどうも食欲がなく一日眠りに眠った


4月20日 日曜日

 朝八時から一時間ほど、オルカは村の集会場の掃除に出かけた。自分のうちでもしないほど丁寧に床を拭いたそうだ。

 そのあと一日中図書館にも行かずブラブラしていた。どうも調子が良くないようだ。ストレスが溜まっているのか、もうだめだの煮詰まったのとこちらの寝ている耳元でぐちる。迷惑このうえない。

 テレビなどでみるとストレスは買物、長電話、美味しいものを食べる、等々で、発散させうるものらしいが、オルカはそのどれもしない。大声も出さず、もちろん茶碗を割りもしない。なにか良い発散法をはやくみつけてくれないと、こちらも、ゆっくり寝られもしない。


4月17日 木曜日

 薄桃色の花びらが地面に散り敷いている。見上げると山桜だろう、わずかに残った花をかくして葉が勢いよく広がりだしている。肉球に冷たく柔らかく花びらを踏む。

 昨日の猿はどこにいるのだろう。筆で毛描きした風合いの毛並みは日本画的な淡い色をしていた。食べ物が無くて人家に出てきたのかと思えば多少憐れである。

 木に登るのも下りるのも実にすばやかった。我々猫族は上るのはまぁまぁだが下りるのは、あぁはいかない。木の枝に坐ったところなど、オルカにじつによくにていた。

 こうしてみるとやはり人間と猫は一つ屋根の下にいても異類なのだろうか。天涯孤独という言葉がふと頭に浮ぶ。

 しかし私は猫である。獣の中の貴種と生まれたのであるから、孤高は運命としてあまんずるほかないのであろう。


4月16日 水曜日

 庭に猿がいた。楓の木の上でのんびりしている。見ているうちに尻尾の毛が逆立って来る。来たっと思った瞬間吾にもあらず奥の部屋にとびこんでしまった。野性の獣とは会話ができん!おるかは呑気に「お猿さーん」などと呼びかけている。野性の本当の姿を知らないものは気楽なものだ。


4月14日 月曜日

 ふかふかのお布団で一晩泊めてもらって、かつ通勤通学の満員電車に揺られる時間を最小限に抑えることのできたオルカは近江古跡探訪ツァーを満喫したようである。以下はオルカの話。

 バスは桂の並木の下にとまっていた。偶然にも日本文化研究センター研究員、民俗学会会員で森の詩人K氏の隣りの席にすわった。頂いた名刺のうらのランボーの絵がかわいい。いろいろ伺うことができて楽しかった。氏にとっては谷川健一氏と同行してよく知っている道らしかった。紫香楽宮跡の井戸の発見にも丁度立ち会ったとのこと。

 博物館の研究員の方ががかなりつっこんだ説明をしてくれたが、皆専門家揃いなのでやり難そう。

 神さびた飯道山の佇まいは忘れ難い。金勝山の山麓をぬけて、うつくしい繖形の近江富士、三上山が見えてくる。長命寺に行った折のことなど懐かしく思い出される。銅鐸美術館は月曜は休館日だが、特別に見学できた。満開の桜の下にハンカチを敷いてお弁当を食べた。

 時間が押してきて鬼室集しつの墓へ回れないと連絡があり、残念がっていると渡来人クラブの方だろう「田んぼの中にちいさな祠があるだけですよ」と慰めてくださる。周りの人も「そうそう」とさも気の毒そうに言う。

 苗村神社も湖東三山もみなパスだった。石塔寺では有名な朝鮮風の石塔をしばらく眺めた。黒田杏子氏に「ここは何十年もずっと来たいと思っていたのに今日、始めて来ることができました。」と言ったら、「わたしはもう何度もきてるわ。雪のときなんかそりゃもう…!」とおっしゃった。

 夕暮れがせまっていた。遠くの山波に桜がほつほつと白く浮んでいる。別れ際にK氏は紫香楽宮の出土瓦片を数個手渡して下さった。


4月13日 日曜日

 昨日の雨で庭の桃の花が開き始めた。白椿も珠のような蕾を次々と解く。山吹も連翹も満開、黄水仙は雨で弱ったようだ、すこし花弁が透きとおっている。

 貝母の花を切るととてもちいさな薄みどりの蜘蛛が音もなく垂れた。紅葉の枝に逃してやる。辛夷も一枝切って玄関に活ける。ほのかに香る。清香とはこんな香りのことか。

 遠来のお客様があった。仕事場など案内する。

 夕方になってオルカは急に思い立って電車に飛び乗って行った。出無精な者にかぎって出かけるとなると慌しい。

 初めてうかがうお宅に、突然押しかけて泊めてくれなんて学生同士だってなかなかやらない無礼だろう。なのに「玄関にいけてあった貝母があまり大きいので違う花かと思っちゃった!」などと、いたってのんびりしたことを言っている。夜中の十時に駅にむかえにきてもらって、夜食をいただき、おもうさま紅茶を飲んで、翌朝はご両親に挨拶もなく出かけるというのだから驚き入ったものである。


4月11日 金曜日

  見た見た見たー!川沿いに飛んでゆくヤマセミ!美しい!なんともいえずいいトーンの灰色と白のウルトラ・シックな姿。

 カワセミは飛ぶ宝石といわれるが、こちらはプラチナの耀きだ。そしてあの冠毛!色見を抑えた華やぎ。造化の神もヤマセミを作った時は「やった!」とお思いになったにちがいないデザインである。

 あの鳴き声はヤマセミだったのだ。孤高の存在の心にもあらず洩らす忍び音という声だなー。あぁ今日は美しいものを見た。


4月10日 木曜日

 締め切りの投句を速達で出す。日付を一日間違えていたとは、暢気というかなんというか。自営業ならではだろう。

 昨日まで一句もできなかったというのに小一時間で書き上げている。締め切りこそがインスピレーションの源らしい。その後ほっとしたのかぶらぶらと仕事、桜の大皿、三角小付けの上絵付けをしている。最近のオルカは集中力が散漫の様子だ。一個しあげてはお茶をのんだり外を眺めたりしている。窓のまん前に辛夷の花が今年はたくさん咲いている。辛夷は同じ木蓮科の朴の花とよく似たいい匂いがする。朴より淡くてもっとスース―した匂いだ。


4月9日 水曜日

 宅急便で山本山の海苔が届いた。海苔は大好きである。ほのかな磯の香りがなんともいえず食欲を刺激する。いつも刻み海苔をキャット・フードの上にかけていただくのだが、たまに切らしたときなど今日届いたような厚みのある海苔を手でちぎってもらう。香りも味もずっといいが、ときどき上顎に貼り付いてとれないことがある。耳が痒い時は平気で後ろ足を耳に突っ込んで掻きまくる私だが、口の中に足はいれたことがない。そのうち本当に息がつまるようでケーッケーッと吐こうとするが海苔というのは、そんな時、ゴムに変ったようで往生する。海苔も魔物である。


4月6日 日曜日

 うららかで原稿も送って、ウキウキの日曜日だ。公園を通って図書館に行く。川沿いのさくらはちらほら咲きだ。

 年度が改まったからか、新刊がたくさん入っていた。八冊かりだした。「遠近法の精神史」面白そうだ、若桑みどり、中村雄二郎他著。「社寺絵図を読み解く・神と仏のいる風景」こういうのはすこし頭痛ノする日によむと気がまぎれる。「火山に恋して」スーザン・ソンダーク女史小説も書くらしい。「白川靜・文字講話U」興味津々。予約していたエリック・ホッファ―「魂の錬金術」もあったうれしい。そして辻仁成「オキーフの恋人 オズワルドの追憶」。ほくほくで美術館のテー・ルームによる。

 「オキーフの…」はジョージア・オキーフの話かと思ったら彼女のファンの男の編集者とその担当の失踪した作家の新作オズワルド云々の物語が劇中劇風に絡み合った小説だった。すぐ読了。よみやすかった。

 庭で金柑の植え替えや庭弄りの準備作業を暗くなるまでしていい気分になった。頭痛も忘れていた。


4月5日 土曜日

 昨日は窯焚きだったので、今朝はかなり遅く迄寝ていた。

 千字足らずの原稿くらい一時間で書けるなどと豪語していた罰が当たったらしく頭痛。それなのに突然大洗濯などはじめるのは、どうしてなのだ?ようやく夜になって炬燵の上でノートをひらいている。が、案の定イラク戦争のニュースを呆然と眺めている。原稿にとりかかったのは夜も更けてから。明け方までかかって清書していた。


4月3日

 夜になって、編集のF氏から電話。芭蕉についての短文、一人だけ浮いているから書き換えて欲しいらしい。やっぱりね。予期したとおりである。「誰でも知ってるようなことを書いても仕方ないでしょ」などとオルカは不満らしいが結局今週中に書き換えると安請け合いしていた。

 根っから感覚的な人間なのに時々異常に理屈っぽくなるのはその反動なのだろうか。子供が大人から見ると理由のわからないような細かいことにこだわるように、生齧りのテクニカル・タームを玩ぶ。素人の理屈など客観的にみたら一番つまらないものだろうくらい、いいかげん 自覚したらどうだい。


4月1日

 昨夜ついたH嬢がもう御発ちになるというので、オルカはあわてて昼御飯にしたが、茶碗蒸は鬆が立っているし水ギョーザは茹ですぎである。紅茶は桜フレイバーのお茶も、マリナ・ド・ブルボンも苦過ぎた。駅まで送っていこうとすれば道を間違える。やれやれどうしちゃったんだい、オルカ。


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