ミケ日記

2003年11月11日〜12月31日


12月31日 水曜日

 雨になった。今年もあとわずか。おるかは庭の樒と縄や蜜柑でモダン正月飾りのようなものを作って玄関につけた。鏡餅も三方のうえに鎮座している。新しいカレンダーも用意された。家の中もこざっぱりとして、なんとなく気分が良い。

 来年こそはもう少し平和になってほしい。イラクの猫達はどんな夜を迎えているのだろう。我輩はイスラム文化には好意を持っている。なぜならモスレムにとって犬は不浄だが我ら猫族は一般に優遇されているからである。その昔エジプトでは神だった我ら。それ以来常に詩を愛する者達や芸術家と共に会った。猫を弾圧するものこそ野蛮なのである。

 ともあれ地には平和を、我輩にはもうすこし鰹節をとねがいつつ、行く年の雨垂れの音を聞いていよう。


12月30日 火曜日

 いよいよ押しつまってきた。歳の瀬はきらいである。大掃除の掃除機の音、スチームなんとかの音、まったく落ち着かない。そのうえ、我輩の居心地よくしつらえた押入れの秘密基地も撤去されてしまうのだ。

 しかたなく煤逃げに外に出れば、今度は遅れ馳せに庭木の雪吊りがはじまる。もちろん植木やさんのようにきちんした仕事はできるわけもない。適当にぐるぐる巻にしたり添え木を当てたりするだけで見栄えは全くしない!

 近年は雪が少なくなったとは言うもののいったん降れば、それで若い枝は折れてしまう。千両など木質がもろいらしく、ほんの少しの雪でも折れる。オルカの大事にしている招魂木(オガタマ)は若木の時に二度も折れて変な育ち方をしているから雪吊りをしないことにはもたない。オガタマの匂いは清清しい。たしかに香食身となったあかつきには堪えられないことだろう。なんだか落語の「反魂香」みたいだな。


12月27日 土曜日

 雪の日の静けさが世界を覆っている。山道を行く車もない。工房のお姉さん達は昨日で仕事納めになった。あの、枯葉よりもかすかな足音で遠慮がちにコンコンとドアをノックする音もしばらくは聞こえないわけだ。ちょっと淋しい気もするが孤独こそ猫の栖である。


12月26日 金曜日

 久しぶりで図書館に行ったオルカは「信号がすべて青で、駐車場も奇跡的に空いていた。今日はいい日だ」と機嫌がよい。ささいなことで一喜一憂しては自分でストレスをためこんでゆく。人間とはトホホな生き物である。歌を歌いながら洗濯もけっこうだが、エディット・ピアフのものまねはやめてくれ。

 午後からはイラストを描いている。「ヨーロッパ山猫と節分草」という妙な取り合わせの絵。「雪の中で、狩りをする姿凛々しい!」とか一人で悦に入っている。どうも夏のころの鬱状態から躁の方へ移ってきたかのようだ。といっても、有頂天から奈落の底に転げ落ちるのに嫌いな音楽一曲聞けばいいオルカのことである。この機嫌、夕方までもたない方に賭ける。

 イラストの締め切りが近づいているのに、借りてきた本を二冊(「葦と百合」と「ビリチスの歌」どちらも大冊)読了のうえ湯船の中でカタログを眺めて湯冷めするほど長湯している。明日は青くなって仕事する羽目になるのは解かりきっているのに。

 雪になった。外で遊べないので我輩も退屈だ。オルカがお茶を淹れに立ったすきに座布団を占領してやった。我輩のお気に入りの白ネズミの玩具で誘うがおいそれと席は譲れぬ。「気が長い奴だな!」とねを上げる顔が面白いのだ。


12月24日 水曜日

 朝からラジオはクリスマスソングばかりだ。オルカはミーハーだから風潮に乗せられて工房の二人にウサギとクマのぬいぐるみをプレゼントしていた。あげる方が楽しいのだそうである。我輩にはなんにもなし。

 午後から年賀葉書を仕上げていた。筆を持つのはさすがに慣れていると見え、サル百匹をあっという間に描く。畳の上で墨の乾くのを待つ猿軍団はなかなか壮観である。我輩が近づくと「踏むなー!触るなー!」と騒ぐ。むかっ腹がたったので畳で爪を研いでやった。

 水仙の香りがどの部屋もいっぱいだ。我輩にはちょっと強すぎるくらいだが、オルカは「お正月まで保たせてみせる!」とせっせと水を替えている。


12月22日 月曜日

 ホームページの表紙更新。俳句を考えながら十分ほどで完成。大分なれてきた。

午後、金沢から海外交流員(?)の方々が見えた。九谷焼美術館がお休みだったので、こちらに寄ろうということになったらしい。焼き物に興味を持っているそうで、いろいろお話しして楽しかった。

 ハイチ出身の女性の薦めてくれた本は偶然にもちょうど読んだばかりの短編小説集の中で一番面白いと思った作家エドウィージ・ダンティカのBreath eyes memoriesとClic crak ! だった。

 中国からの交流員の女性は焼き物のデザインを誉めて下さった。宜コウ窯の近くで生まれた、と話してくれた。そこの紫泥は急須にいれたお茶が次ぎの日でも悪くならないという特別な土なのだそうである。

 帰られた後、今の日本の焼き物の状況について考えこんでしまった。いまだ過渡期といっていていいのだろうか。真に日本的なるデザインってなんだろう。手仕事つれづれのほうに書いてみようか。


12月21日 日曜日

 溜め込んだ手紙の返事を書こうとオルカは朝から部屋に篭もっている。巻紙に掻くと遅筆のいいわけになるのだろうか。人間の考えというものはわからぬ。ともあれ、我輩はオイル・ヒーターの裏でのんびりできるので、けっこうである。四人分書いたらしいが、本を五月から借りっぱなしのK氏への手紙が書けないらしい。「どう謝っていいかわからない」と言う。気持はわからないでもないが、遅くなればなるほど謝りようがなくなるぞ。

 部屋の外の柿の木にヒヨドリが来てさかんに食べている。小鳥達はヒヨドリがいると寄って来ない。鳥の世界はなかなかきびしい。


12月19日 金曜日

 朝から鰤起こしが鳴り渡り、霙、霰が交互に降る天気である。その中を大先輩の俳人N氏S氏はホテルから歩いてお見えになった。さすが風狂の士である。途中白山神社の軒を借りて霙宿りをなさっていたそうだ。お茶を出すのもそこそこに句会。硯と筆、墨もそれぞれに句を書くのはなかなか面白い。十五分ほどで五句。鋭い句があった。なにしろ他の句会では一晩に五十句七十句と作るというのだから、驚く。

 昨日は加賀の鴨池で熊鷹が雁を捕らえて食べるところを観察したとか。鴨やヒシクイや水鳥が、サーっと左手へいくので右岸に熊鷹がいるのかと思ったら、左岸で仲間が食われているのを一斉に見に行ったのだったそうだ。

 お昼頃お二人はさっさとおたちになって名残惜しかったが、午後からは本格的に雪になったので、早くたたれたのは正解だったかもしれない。しかし、常人ならそうでも風狂人には雪で足止めもまた一興かもしれないと思い返す。ともあれ徒然草にも「程好い時間」とあるほどの時間でさらさらと会って分かれるのも出会いの達人というものだろう。

  久闊の雨熊鷹のはなしなど    おるか


12月18日 木曜日

 パソコンが空かないので、なんとなくテレビを見てしまう。フランスのテレビ映画「バルザック」をやっていた。 ドパルデュー氏が主演。まったくフランスにはこの人しか俳優がいないのかと思うくらいだ。日本ならさしずめ西田敏行ってとこか。なぜそんなに人気が有るのかねー。ビヤ樽のごとき体型は巌窟王の囚人の役には冗談としかおもえなかった。

 ファニー・アルダンの歳の取り方はゴージャスでセクシー。若い時より素敵だった。それにくらべてジャンヌ・モローはすっかり小さくなって淋しい。豪華なコスチュームが悲しげだ。

 二十世紀名句手帳に思いがけずオルカの句が五句載っていた。句集に入れなかった句もある。「見てくださっている方がいらっしゃるのだなー」とうれしそうだ。、自分でも発表したまま忘れ去っていたらしく、これが本当に私の句だろうかなどとぼやいている,やれやれ。


12月16日 火曜日

 歯医者さんに行く途中田舎道があっちもこっちも工事中だ。予算がないないと言いながら、この国は、道路工事費だけは潤沢らしい。

 クリニックにいくと歯のお掃除をされて、今回はこれでお仕舞いとなった。女医さんが奥歯に虫歯があるとおっしゃったが、今日の先生はまだ大丈夫という判断をなさったのだ。同じ病院でセカンド・オピニオンを聞けるとは稀有の環境である。無罪放免の気分で花屋さんで人に花を贈り、越前水仙を両腕で抱えるほど買って帰る。

 水仙を大壺に投げ入れて玄関の平皿に山茶花の花首だけ盛り上げてみる。本二冊届く。俳句関係。


12月14日 日曜日

 日が差すかと思えばパラパラと時雨れる北陸の冬らしいひよりである。オルカはまた頭痛だそうだ。人中に出ると必ずなにか引き込んでもどるのだ。まだまだ修行がたりないとみた。

 村の有線放送で、先日来行方不明の神経サナトリウムの患者さんの捜索願いがあった。ここ数日、比較的暖かいとはいえ、夜は霙も降った。心配なことである。ふと歩き出して帰り道を忘れてしまうのだろうか、悲しい。

 テレビをつけると「お茶紀行」という数分間の番組が始まった。雲南省プーラン族の村とテロップがでる。たたなわる青垣、やま籠れる靄、桃源郷のような風景がひろがる。

 うぶすなの道、そんな朝靄の山懐に、こけら葺そっくりな入母屋の小家がつづいている。
茶ノ木の上で女たちは紅紫の不思議な鳥のようにささめき合い笑い合う。

 むっちりした膝をついて茶の葉の料理を作る。

 豊かな黒髪を束ねた女達の食卓。翁が一人焙じたてのお茶のカップを覗き込んでいる。
幸福なんて言葉も必要なさそうだった。

 お茶の木がときじくの新芽をふふむその村では。


12月13日 土曜日

 黒田先生の講演会に行く。早めに出たつもりだったが土曜日の金沢の道は混んでいて会場についたのは一時を少し過ぎていた。

 講演はいつもどおり、話題が溢れかえらんばかり楽しい。、地元の作家たち俳人達の思い出の豊かさも、出会いの絶景を求める心の深さがあればこそだろう。肩のこらない、それでいて心励まされるお話だった。サイン会の本も完売!

 ホテルでお茶のあと夕食をご一緒させていただいた。石川県在住の藍生会員が一堂に会するのも始めてである。その間も先生のお話は尽きず、田辺聖子さんのお話など笑い転げてしまった。まわりのテーブルの方にはちょっと賑やかだったろうか。帰り道雲の間にとても大きな冬の月が見えた。


12月12日 金曜日

 お昼のフランス語講座を聞く。週末の二日は中級講座で今はエメ・セゼールの詩を読んでいる。詩も感動的だが、なんといっても朗読者の声がいい。アフリカ系の人の声は、どこか我が猫族のronronnerにも似て心地よく、我輩も思わず喉を鳴らしてしまう。

 最近のフランス映画はスラングが多くてよくわからない。それに口の中でもごもごして。昔の俳優は訓練されていて、囁きでもちゃんとききとれたものだ。フランス語の明晰はどこにいってしまったかと嘆かわしい。何処の国でも言葉の乱れは問題にされているようだ。しかし「敬愛する○○様」なんて表現しか許されないよりは、ましなのかもしれない。


12月11日 木曜日

 イラクへの自衛隊派遣を決めた首相の演説は、憲法の前文を都合よく切り取ったものだった。あれで説明したことになるなら、なんだって説明できることになる。これは危険なことではないのかね。と、おもっていたら、今度はアメリカが、イラク復興事業の受注はアメリカに協力的な国にしたいとか言い出している。これがあるからそそくさと派兵を決めたのか?やれやれ人間というものは!

 よく残酷なことをした人間に「けだもののような」とか言うが、馬鹿も休み休み言ってほしい。人間以外のどんなけだものが、同類をここまで殺し苦しめるというのか。


12月10日 水曜日

 日本橋三越の展示会を終えてUちゃんが帰ってきた。一日じゅう立ちっぱなしだったこと、最後の日のものすごい勢いの片付けに呆然としたことなど話してくれた。、いろいろとシビアな経験をつんできたらしい。おみやげにしっかり持ち重りのする薩摩芋とリンゴのパイをくれた。

 俳人Tさんも写真に添える文章をわざわざ持ってきてくださった。やはり大きなアップルパイをおみやげに。

 週末の講演会のことや時事問題、「石川県にまともなジャーナリズムは存在しない」などとおるかと二人で憂国の士のような顔をして嘆きあっていた。

 格言をひとつ

  深みは深みを呼び、パイはパイを呼ぶ。    ミケ


12月7日 日曜日

 久しぶりに図書館に行って、10冊借りてきた。そのあと書店に廻って、二十世紀俳句手帳というシリーズを注文。差出人の書いてない封筒で送られてきたパンフレットの本だ。江戸川区のスタンプがあった。どなたでしょうねー差出人。しかし編集が斎藤慎爾なので読んでみたくなった。とても美しい本を作る人だから。

 ついでに文庫本を3冊買って帰ってお茶を飲んでいると、アマゾンから二冊とどいた。中沢新一の「精霊の王」と「Rise Ye Sea Slugs !]。精霊の王はさくさく読めて愉しい。「浮け海鼠」は力作である。しかし面白い。未読本がいっぱいあるって幸せだ。

 白菜の漬物をたべていて若冲の弟百歳の辞世の句を思い出した。

  つらいつらい花も紅葉もなきぞよき

絵を描きたい兄に家督をゆずられて、一家を支えなければならなくなったのはどういう気分だったろう。

 京都の美術館で解説の人が若冲の絵を「旦那芸の極致」といっていたが、極地にもほどがあろうよ。だいたい晩年には火事で焼け出され、弟も先に亡くして画筆で食べていたのだし。

  大雅妻北斎娘若冲は妹絵具磨りてゐたるか     ミケ


12月6日 土曜日

 オルカと伊藤若冲の画集をみる。虫も魚も飛びつきたい衝動にさそわれる。そして極めつけの鶏。人間的なもののかけらもない間抜けさと酷さが瞳のなかに同居している。克明に描いたものも墨だけで一気に描いたのも、鶏そのものである。真正面を向いた象の絵、竜もどこかユーモラスだ。存在のおかしみというか。

 動植綵絵の溢れんばかりの豊かさに、かえって色即是空を感じてしまうのは、我輩ばかりではなかろう。

 若冲ってほんとに人間だったのか?野菜涅槃図などはたしかに八百屋さんだったらしくもあるが。そういえばあの絵に白菜あったかな。弟の号が百歳、白菜のもじりだったらしい。

 石刷りなどもみごとなものだ。一人でできる仕事ではない。よほど気のあった助手がいたのだろう。犬の絵も残念ながらかわいい。ねこを描かなかったのは何故なんだ!

 「洛南の石峰寺を訪れたのは随分昔の亊になるな」とオルカ。「あの斜面から湧き出したような石仏群は異様だけど自然だった。矛盾した表現だけど」。

 ひたすらに描きつづけた85(87とも)年はあっという間だったにちがいない。


12月5日 金曜日

 暗くなって、鼠を獲った。後ろ足の妙に長い変な奴だ。オルカにみせてやろうと炬燵まで持っていくと、驚きと感動の叫びを上げていた。が、オットセイがすぐどこかに持って行ってしまった。その後、鼠の毛がすこしばかりいがらっぽくて、踊り場でもどしてしまった。オルカの雄たけびが聞こえたようだったが、心地よい達成感に包まれて眠りについた。


12月4日 木曜日

 久しぶりのうっとりするような小春日である。日差しの中で毛づくろいをすれば甘いけだるさに我が翠玉の瞳に金毛の帳がたれてくるのである。あぁ、よくぞ猫に生れけり。

 突然、騒音が響く。オットセイが古いロックンロールを流しながら写真撮影を始めたのだ。数葉撮ってはパタゴンのような足音で階段を二段抜かしに駆け上がってパソコンでチェックをする。オルカは絵付け室の戸を閉めて避難している様子だ。我輩も静寂を求めて御布団を出ねばなるまい。

 絵付け室の窓も日当たりがよく、外猫の観察にも便利である。今日は外猫タマもシロものんびりと空の植木鉢にはいって餅のように寝ている。

 オルカも仕事をせずに届いたばかりの春の園芸カタログを眺めている。「西洋種ばっかりだ」「 レオノチチス・レオヌルス、コレオプシス・カリプソバリエガータ、なんだこりゃ」と毎年のことながらこぼす。花そのものは、どちらも素朴な花だ。英語ラテン語重箱読みとか日本語英語カタカナ書きとかはやめてくれんかな。

 野菜の名前は和名が多く、親しまれてきた年月の長さを物語っている。たとえば里芋。大野、石川早生などこのあたりのスーパーでよく見かけるものから赤芽大吉、八つ子、などいかにもその通りの名前。傑作は土垂れ(どだれ)。なんというかもっちりしていそうだなー。


12月3日 水曜日

 朝一番に歯医者さんへ行く。歯の型を取る間も文庫本をよんでいるので呆れられているらしい。内田樹の「ためりん」は短い文章ばかり集めてあるから待合室で「有事法制について」、型の固まる間に「当為と権能の語法」と読みやすいのである。椅子にひっくり返って眺める冬空が綺麗だ。

 午後から時雨の晴間を縫って山代温泉の足湯などを撮りに出かける。俳誌藍生の各地のたよりコーナーのためだ。俳人Tさんと二人、付近が工事中で寒寒とした足湯に足をいれたところ、旅館「あらや」の玄関付近の温泉の湧き口で手を洗うところなど写真をとる。「熱い!」と騒いでいると「あらや」ではちょうどテレビの撮影中で、注意されてしまった。

 その後、那谷寺にまわり芭蕉句碑や冬紅葉などデジカメに収める。いつきてみても、いいお寺だ。山門に注連縄があるのも、仏教以前の巨岩信仰をうかがわせて面白い。考えてみると紅葉の名所なのに紅葉の盛りに来たことがない。落ち葉を掃除する人たちが、シジフォスのように黙々と働いていた。伽藍の付近の松や桜に雪吊りの作業が音もなくすすめられている。

 家に帰るとKさんから唐黍餅が届いていた。さっそくひとつ焼いてみたが、その香ばしさそこはかとない甘味、なんとも言えず美味しい。唐黍も手ずからお採りになったそうだ。味加減はもちろん、きれいに切りそろえられた餅のととのった形といい、神経が行き届いている。感心してしまった。


12月2日 火曜日

 イラスト仕上げて午前中に金沢へ送る。もう少し自由な絵にしたかった。次回こそ。

 忙しかった反動か、漫画「ヒカルの碁」などみて小一時間もすごしてしまった。午後から急須の残りを仕上げる。何度か電話があって、グループ展に出品したものの値段の質問だった。「高くて手が出ない」などと言われると申し訳ないような気がしてしまう。確かに日常の器としては安くはないかもしれない。しかし生産を続けていけないようでは困るし、手間隙を惜しまずに仕事をして、このくらいでないと、という処で値段を設定しているつもりなのだが。辛い気持になってしまった。

 久しぶりでジョージア・オキーフの絵を見た。勿論画集だ。「コップと桃」がしみじみ美しい。目が洗われるとはこういうことかと思う。桃の赤は、彼女の心臓そのもののようにみずみずしく、圧倒的に生々しくそこにある。無駄なものが全くなく決然と美しい。

 美しいものを作りたい。値段なんかどうでもいい。


12月1日 月曜日

 もう師走。一年のめぐりのなんと早いこと。思えば今年はこれといったことを何もせずに過ごしてしまった。いやまだ一月あるのだから、せめて残りの数え日をきちんと記憶にのこそう。おやおや我にもあらず猫離れした生真面目な感懐を抱いてしまった。

 オルカも納期の迫った仕事に追われてカリカリしているようだ。ピアノを弾く速度がやたらに速くなっている。素人のジャカジャカ弾きは耳障りだ。映画の「ベニスに死す」で、エッシェンバッハのいった娼館で女が弾いていたエリーゼのためには泣かせた。下手くそに弾くと味のある曲なのだな。

 夕方庭遊びから戻るとオルカがセーターのまま横になっていた。mieux と言ってくれと言う。フランス映画の、名前は忘れたが若くして病死してしまう修道女の物語で、親しいやはり年若い修道女に抱きしめてもらいながら主人公は「苦しいわ」と言ったら「良かったわね!」と言ってくれと頼む。「je soufre!][Tant mieux!][je soufre][Tant mieux!]と泣きながら繰り返す、パセティックなシーンだった。それ以来オルカは苦しい時ひとりで「je soufre! Tant mieux」をやるのである。しかたなく我輩もしばらく付き合ってやった.mieux mieux mieux!


11月30日

 今年の紅葉は遅い。庭の紅葉の明るい橙色が植え込みをすっかり覆っている。裏山の紅葉は暗い紅色。

   ふたもとの紅葉に遅速愛すかな  ミケブソン

 中旬に京都に行った時は紅葉はまだ散ってはいなかった。冴えた紅葉ではなかったが嵐山の、近くは雲の影に鎮まり遠くの山波は日に錆朱の襞を畳んでいた。

   遠山に日のあたりたる紅葉かな  ミケキョシ

 京都への途中、湖西線の窓から稲刈りの済んだ田んぼに猿の群れがいるのをみた。初めてのことだ。かなりの群れだった。

   大猿の十四五匹もをりぬべし  ミケシキ

 オルカは今朝がたの夢で、随分久しぶりに妹のことを見たという。いつのまにか焼き物を始めていて轆轤の前で同僚と話している。オルカが顔を出すと、禅問答のようななぞなぞをふっかけてきたそうだ。

 彼女はオルカの数少ない情報源の一人だ。夜中に突然「東方の三博士の名前なんだっけ」などと電話してくる。動物占いは確実に五年は早く教えてもらった。あちらの情報源を知りたいものだ。


11月16日 日曜日

 雨が降っている。K氏の「柿木問答・詩と民俗学」を聞きに行きたかったのだが、どうにも頭が痛い。ずっとお借りしている本もこの機会に返そうと思っていたのに。

 牡蠣の美味しくなる季節は風邪の季節でもある。熊川宿で買った葛湯でもして大人しくひだる神の去ってくれるのを待とう。ネット句会の感想も書かねば。
 
 選挙とやらが終って、人間の世界は静かになったようだ。町のネコたちはあのうるさい車にはまいると随分こぼしていた。結果は二大政党化にむかう途上という感じらしい。マニフェストも二大政党も議会制民主主義を標榜するならとっくにあたりまえのはずのことではないか。権力というものは腐敗する。政党がお互いに批判し悪いところをつつき会ってもらうのが民主主義の健康にはいいことだ。

 それにしても人間は危険を察知する能力がにぶい。群れで生きる動物の甘さだろう。多数の中にぬくぬくとして、同じ方へ走れば安全だと頭から信じている。われわれ猫族の髭の敏感さ、寝ていても異変をちゃんと捉える耳を彼らはもっていないのだから、仕方ないのではあるが。


11月11日

 急に寒くなった。久しぶりに日記が書ける。なにしろこの半年近くパソコンの空いている時がなかった。日記を書かないからといって、我輩に生活がなかったわけではない。夏の間は短歌を作ったのだが、その記憶はトカゲと一緒にどこかへ消えてしまった。秋の月を見ては独吟半歌仙をこころみた。そっちの記憶も残る虫の声のごとく切れ切れである。あぁ、もう一台パソコン買ってくれ。

 オルカもどうやら元気になってきたようだ。夏の間仕事に集中できないの、何見ても面白くないのとぼやいていたので、中年鬱病かと思ったが、どうやら単なる夏ばてだったらしい。


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