ミケ日記

2004年1月


1月31日 土曜日

 広島からお客様がいらした。とても感じのいいご夫婦だった。我輩を「かわいい」といってくれた。焼き物の店をしていらっしゃるそうだが、広島には長い付き合いのお店があるのでお取引を願うわけにもいかない。縁というものは難しい。

 二月の展示会の追い込みで家の者たちは夜も仕事だ。我輩は雪で外に出られない毎日で、少々退屈である。ふすまをバリバリやると以前ならオルカが飛んできたものだが、最近は諦めたのか無視するので面白くない。

 そのオルカだが風邪気味だの頭が痛いのとここ数日こぼしている。不規則な生活、偏食、運動不足、と三拍子そろった不健康生活だから、それでピンピンしていたら不思議なくらいだ。目が疲れたを言わなくなったと思ったら、サプリメントが利いたそうだ。栄養失調ギリギリのラインにいるから、少量のサプリで劇的に効果があるのだろう。けっこうなんだか嘆かわしいんだか。


1月24日 土曜日

 いやはやよく降る。除雪車も何度も来た。人間たちは家の周りや軒の雪を飽くことなく川へ運んでいる。小鳥達の干し柿争奪戦も熾烈の度を加えている。夜に、降りつのる雪明りの遠くで燐の火のようにか細い犬の遠吠えを聞いた。

 内田樹教授のサイトで「文化資本」ということが語られていた。文化資本なんて、なんだか違和感のある言葉だとおもっていたが、かなり戦略的に、というか挑発的に使っているらしい。教育者っていうのはこれだから・・・。

 文化的階層社会になってしまうのを避けるために、「文化資本がないと困りますよ」と吹き込んで「教養』へと人を向わせれば、結果的に、文化を資本として利用しようとするような俗な考えを拒否するようになるであろう。という戦略らしい。基本的な考えはわかるつもりだが、こういうもって廻ったやりかたは性に合わない。文化資本なんて言葉を言い出したら、それが一人歩きし始めないとも限らない。  われら猫族の文化的なるものにたいする基本姿勢は太古から変らない。「そんなもん、ほっとけ」である。

 内田教授はお能を嗜まれるそうだが、世阿弥は当時の社会では「かやうなものを堂上させるとは」と眉を顰める人もいた出自だ。そういう文化資本家階層の外縁にいたからこそ、その文化を見通して、先行するテクストを綴れの錦に織り成して批評的に集大成することが出来たのだろう。まぁ、飛びぬけた天才を例に持ち出してもしょうがないかもしれない。社会は自由なほうがいいに決まっている。四条河原の戯れ詠の「自由狼藉世界也」のほうが。

 世阿弥や西行の中世において出家や芸能の世界はアジールだったろう。それは今も意外に変っていないかもしれない。芸能界をめざす子供たちは無意識に文化資本階層を飛び越えようとしているのではないか。だったら、未来の世阿弥。阿国かもしれない活きの良いバンドの追っかけでもしたほうが、「文化資本に欠けますと、ハイソな世界に入れませんよ」なんて言ってるより我輩は好きである。


1月22日 木曜日

 朝起きたら雪雪雪だ。ヴェランダも雪でいっぱい。雪で覆われてなにもかもたっぷりした曲面を為している。一晩でこんなに降ったのは我輩は初めて見た。常緑の木は枝を垂らしてつらそうだ。竹も撓るだけ撓って耐えている。小鳥達が流れの近くや雪を開けた地面をさがしてはらはらと彷徨っている。新雪はふわふわと暖かそうに見えるが踏むと肉球に冷たさが染みとおる。

 突然外猫の白が雪の木に駆け上った。犬が裏手からひょっこり現れたのだ。雪のせいで音が聞こえないから随分驚いたらしい。しばらく木の股の雪にまみれておびえていた。我輩も思いっきり大きな声で唸ってやった。後で考えると大人げなかったかも知れぬ。良く見れば素朴な顔の犬であった。雪に浮かれてふと足をのばしただけのことだったのだろう。

 犬どもが小動物の敵であるという歴史的事実の下で我と彼は邂逅したのであるが、一方的に唸った我輩は暴力的ではなかったろうか。しかし我輩のうなりは自然の摂理の中で発せられるべくして発せられたのであるから、いわば仏教的因縁の音と謂うべきものである。それは原因と結果の綯い混ぜになったこの世を宿縁の相の下に見ることになる。ならば、暴力はどこにあるのだろうか。


1月21日 水曜日

 毎年のことだが、一月は二十日くらいまでは長くかんじる。なにかと行事があるせいだろうか。それともお正月休みで気持ちがのんびりしたおかげだろうか。しかしそれから後はあっという間だ。時間とは不思議なものだ。『それ(時間)を意識していない時私はよく知っている。が、それを考える時私はなにも知らない』と言ったのは誰だっけ、フランスの哲学者だっけ、それともトマス・アクィナス?ぁぁ、なんでも忘れてしまうものだ。これでは何処かへいって懐かしい気持ちがしてもデジャ・ヴュかどうかわからない。

 階段の窓から、外猫のタマが池のそばでなにか食べているのが見える。食べることには知恵のまわる奴である。オルカはタマが鼠捕りを発明しても驚かないと言っていたが、分ってないな。鼠はとることが面白いの。ま、人間には狩という貴族の楽しみはわかるまい。

 家の人間たちは、二月の展示会の準備でなにかと気ぜわしくしている。花瓶の花の水を替え忘れるので水仙もすっかりげっそりしている。


1月20日 火曜日

 めずらしくオルカが針仕事をしている。コートのポケッの修繕。いつもポケットにものをいっぱいいれているのですぐ穴を開ける。石ころを拾うのでポケットはいつもボロボロだ。子供のころ、遠足で河原や海岸に行くとポケットはもちろん鞄も石でいっぱいにして引きずるように帰ったものだ。いまでもちょっと綺麗な石を見ると触らずに入られないらしい。だいたい荷物を持つのが嫌いだから、コートのポケットにペットボトルまで入れている。かわいそうな働き者のポケット。だからオルカはポケットが大きくて沢山ある服が好きだ。古いコートのポケット散歩をして美術館の切符や木の実を見つけては喜んでいる。


1月17日 土曜日

 オルカは風邪。美しい一日を寝てすごした。三時過ぎに絵付け室の机のカキドオシの葉の水を替えていた。

カキドオシの葉二枚 1月なのにみどり色
自分の小さな盃に山水を張って
冬の日影があまり静かだ。

 写真をとって、絵に描いた。何かが足りないとカキドオシの丸っぽい葉に薄墨を塗ってスケッチブックに押して見た。それでも足りないととうとうほんとに泣き出した。

 おろかなやつ、それは 日暮れの時間が止められないと泣くようなもの。

 人の目にはかくされているものが盃を覗きに来たのならそっとしておけばいい。

 カキドオシの葉にナメクジの跡が見えるね。


1月13日 火曜日

 今朝の雷は凄かった。一度眠ったらそうそう目を覚まさない我輩であるが、閉じた目の底が白く光ったと思ったとたんにバリバリという轟音とともに家中の柱が震えた。音が遠ざかったかと思うまもなく目の底にまた光。オルカも頭を上げて「パソコンのスイッチきろうかな…」と呟いたようだったが、聞き取れるはずもない。どのくらい、そうしていたろう。ふと、あたりが静かになって雷雲は去っていた。

 窓に座って見ると、驚いたことに、昨日と変らぬ景色がそこにある。てっきり山も川も月面のようにボコボコに違いないと思ったのに。風景そのものが幻影のように思われる。


1月10日 土曜日
 
 寒い寒い。一日じゅう家の中の一番暖かいところを捜し歩く。オルカは寒さしのぎに体操をして壁に手をぶつけて青あざを作った。なんと、どつま(石川弁、不器用で間が悪いなど)な!

 午前中珍しくパソコンが空いていたので、今福龍太のサイトを見る。このバリバリ文化人類学的思考と中沢新一の「精霊の王」の民俗学風味のテクストとをくらべるとその学問の枠組の取り扱い方の違いがおもしろい。中沢新一なら「だって文化人類学の後戸なんだもーん」というのかな。

 去年の夏、鶴見俊輔氏と話をしたとき、我輩の素人の哲学的な質問に、氏の答えは常に社会学的な視点から為されていた。つくづく自分の非社会性に気付かされたが、だって猫なんだもーん。


1月7日 水曜日

 外から戻って、さて昼寝しようとしてギョッとした。オルカの布団にぬいぐるみが寝ている。枕を当て、あごまで毛布をかけて寝かしつけてある。

 以前からオルカが襤褸のようなものを抱き上げてはなにか話したりしていたが、これだったのか。我輩というものがありながら…。

 人間とは妙な生物である.。たんなる布キレを意思あるもののように扱って、だんだん本当にその気になれるらしい。理性の権化のようなデカルトでさえ愛嬢を亡くした後、人形を連れ歩いていたというから、フロイトの云う快不快原則のまにまに生きているオルカなど、まぁ、そんなものかもしれないが…。我輩から見れば布キレに慰められるなんて立派に倒錯としか思えぬ。

 しかし、なぜ今日になってぬいぐるみを意識したのだろう。しょっちゅう話し掛けたりしていると魂のマーキングのようなことが起こって、気配を発して来るのだろうか。

 匂いをかいで見ようと顔をよせると、随分柔らかい。おぉっ、前足がわれにもなくモミモミしはじめている!ぬいぐるみは魔物だーっ!


1月6日 火曜日

 午後おそく絵付け場に行く。誰もいない。ほのかに香の匂いがした。橙色の日がさして部屋の土色の壁に木々の陰が描いたようにくっきりうつっていた。柚子の梢の葉の一枚一枚さえ見分けられるほどだ。なんだか百年くらいそこに坐っていたような気がする。今回生れる前にも何度も何度もこうしていたような、懐かしいようなほの暗い思い。午後の悲しみが、我輩の個を超えてすべての猫の頭を重くするかのような、時が蛇行してずっと古い時間に思いがけず接近したような、奇妙な夕暮れのひととき。

 窓の外に辛夷があって、花芽がビロードのような艶をみせている。その枝の間を焚き火の煙がうすうすと青く流れ、遠くの山は早くも夕映えの光を受けている。ラジオの入りが急に良くなって、にゃんと中原中也の「山羊の歌」の朗読が聞こえてきた。「逝く夏の歌」

   山の端は、澄んで済んで、
   金魚や娘の口の中を清くする。
   飛んでくるあの飛行機には
   昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

 にゃんなんだこの悲しさは!二階に駆け上がって、箪笥や机の上を闇雲にかけまわらずにはいられなかった。


1月4日 日曜日

 うっとりするほどあたたかな日だ。臘梅が咲き出ている。透き通った黄色の花弁に水仙とフリージアを混ぜたような香り。枝ぶりが直線的で多少風情にかけるが、花の少ない季節に咲いてくれる嬉しい花だ。

 お正月休みも最後の日曜でオルカはのんびり本を読んだり句を案じたりしている。保坂高志「カンバセーション・ピース」、堀江敏幸「雪沼とその周辺」堀田善衛「空の空なればこそ」北村薫「詩歌の待ち伏せ」等を一緒くたに読む。脱力系が多いので和む。それと「ものと人間の文化誌」シリーズの「道」、折口信夫の歌をちらちらと眺め、合い間に七草歌の沓冠連句をつくる。テレビでは世界の名画100選をながしている。目に胼胝ができるほど有名な絵ばっかりだが、きれいは綺麗。解説みたいなものさえなければビデオにとって壁の絵のように映しておけるのに。


1月3日 土曜日

 明け方なんとなく寂しくなってパソコン・デスクの下や本棚の間で鳴いてみる。しばらくするとオルカが起きてきた。時計を見て「三時半だよ、まったく〜」といいながら餌に鰹節をかけてくれた。好物だからついちょっと食べるが、もとより我輩の苦悩は食うことではなあい。「外に出たいのか」とベランダの戸を開けるので、しばらく昧爽の風の匂いを嗅いで見るが、違う。「トイレもきれいよー」というのでのってみるが、違う。「なんなんだ〜」とぼやいているが、我輩にもこの寂しさのもとはわからない。ヴェルレーヌの詩にもあった「・・・わが心、なにに悩むか知らぬこそ、我が一番の悩みなれ…」。かくのごとき詩的悩みを生理現象としか思わぬとはなんという俗物!

   存在に病んで枯野を駆け巡る  ミケ


 ぶつくさいいながら布団に戻ったオルカの胸の上に乗ると「息してるだけでカワイイの〜♪」とディーヴァの歌を歌ってくれた。


1月2日 金曜日

 雨も上がって春のようなあたたかな日である。オルカは初夢にジャングルの木の上からイグアスの瀧を眺めたそうである。縁起がいいのかなんだかわからない。夢の中で小さな子供になっていて膜のようなものに包まれて濡れなかったとか。そのあと畳二三十分はありそうなその辺りの地質の模型の上を歩いてみた。玄武岩の色が三色に塗り分けられているので質の違いだろうとオルカは話していたが、我輩が思うに、それはイグアスの瀧の過去現在未来なのではないだろうか。


1月1日 木曜日

 2004年元旦、雨。静かな日だ。掲示板でも家の外でもおめでとうをいいあっている。にぎにぎしくて悪くない。

 折口信夫は学生がおめでとうというと「若い人が旧弊をうのみにして!」と怒ったという。それもまた一見識である。

 それにしてもテレビのうるさいこと!がまんできずに外へ出る。冬草が青青としている。木々の冬芽も大きくなった。土佐水木は花芽がもう随分大きい。あたたかなのは我輩にはまんざらでもないが、温暖化の所為かと思えば複雑な気分だ。我輩は煩ければ近くに空家でもなんでも避難所があるが、天地自然は汚染から逃げられないのである。

   天地に逃げ場所もなし去年今年  ミケ


inserted by FC2 system