ミケ日記

2004年2月


2月18日 土曜日 曇り

 午後から稲賀繁美講演「岡倉天心とインド」にゆく。天心の本は「茶の本」くらいしかまともに読んだことがない。他には「猫への手紙」くらい。そんなわけだから講演は非情に面白かったが質問のしようがなくて残念だった。それにしても天心の猫への手紙、当然受け取った〇夫人が読んだことだろうが、「なんてやさしくて可愛げのある人!」と思わずにはいられなかっただろう。まったく女性にかんしては「やるなー!」という天心である。


2月23日 月曜日

 風が吹いている。風の日は好きだ。竹薮が緑色の恐竜の腹のようにうねる。月曜日、新しい週が始まって、我輩自身も リフレッシュした気分である。月曜日も好きだ。

 銀座三越におくるお湯のみなどの期日がせまってきたらしく、オルカはいそがしそうである。

 夜、Mさんからメールで詩の原稿とどく。父と息子の美しく哀しい詩である。しかしリミックスして歌仙の形かなんかにするには短い。何かで延ばさなくてはならないだろう。能の弱法師はつかえるだろう。他にギリシャかローマ神話で逆エディプスのような物語あるかなー。おもいつかないので、鯛さんに電話してきいてみる。が、博覧強記の鯛さんにしてもこれという物語も人物も思いつかない。カリギュラもヘリオガバルスもそればかりは定かでない。どうやら父をひたすら愛する息子というのは最後の砦的タブーのようであるということになった。


2月21日 土曜日

 若狭神宮寺からお水送りのお知らせがとどいた。宛名の字も達筆。あの美僧の御住職の御手跡であろうか。ドキドキ。数年前お話を伺いにあがって一日じゅうお抹茶を点てていただきながら、それ以後何の連絡も差し上げずにいるのは心苦しいことだ。せめてホームページにでも書いておくことにしよう。雪深いお堂で修正会、修二会とお勤めあそばされていらっしゃるのだ。合掌。

 さくらのころにお伺いするのもいいな。たしか参道に桜の古木があった。三方五湖の回りも、染井吉野だが、あった。あの神子の山桜の盛りにはであっていないし。そうだ海のある奈良、古都小浜の桜もいいかもしれない。あぁ、夢をみるとはいやしいぞ。


2月20日金曜日 快晴

 夜も春めいてきた。外では恋の雄たけびを上げながら歩き回っているやつがいる。我輩もなんとなく落ち着かない。オルカも多少は察してくれたのかいつもより長く紐遊びをしてくれた。ペルーの色鮮やかな背負い紐を断末魔のシマヘビのようにのたうちまわらせる。我輩もつい興奮して棚の上に飛び上がったとたん、寝かせてあったR女史の作品を落っことしてしまった。またも頭をかかえるオルカ。おそるおそる包みを開くと幸い作品は無事だった。大きな純白の手漉き和紙の上に楮の繊維で乳首がついている。和紙の清浄さと太母的な乳首、聖なるものと性的なものの溶け合ったいい作品だと思う。

 そんな大事なものはやいとこ額装しておくがよい!


2月18日 水曜日

 庭の雪が消えて、惨状が現れ始めた。暖冬続きで植物も体がなまっていたのだろう。どんな小さな潅木も雪は見逃さず、やわらかな若枝から折っている。少女のように綺麗で残酷な雪だ。山芍薬の葡萄色の芽を発見。日本の誇る(でもないか、激減しているんだから)凄艶な原生種である。今年は花を見せてくれるだろうか。わくわく。

 午後からオルカはギャラリーに出かけ、詩人のMさんと落ち合った。以下はそのときの会話のあらましと我輩の透視したオルカの内心のささやきである。

「お久しぶり、元気?(心底うれしい)」
『もう、忙しくて。町内会の会長なんかで」
「んぐ(そういう実務能力もあるんだよね!わたしなんか無能なのが一目瞭然だから誰も頼まないけど)…今年は詩の朗読会しないの?」
『今年はしないの。そのかわりこの間、野村喜和夫さんよんで勉強会した。」
『勉強会!コワ〜」
「怖いのよ!合評だから。それに野村さん、いい詩が書けるのは十年だって、花の時は」
『…十年(それがいつ始まったか、自覚できるのかな)!」
「その点俳人はいいわね」
「そ、それは…。確かに形式や座の文学という点で自己表現だけに留まらない要素があるし、始めからそっち・集合的無意識みたいなほうを狙うとこがあるから。(前頭葉より海馬視床下部っつーか。個性化してない脳の部分使うというか)でも、ほんとに70代80代の俳句をやってる人はみんな凄く元気だね。朝っぱらから歩き回って吟行とか。」
「お元気よね。あの世代は歩いてるから」
「(?)…若い世代は化学物質や温室のなかで育ってるから…(若者が新種ヴィールスで絶滅し、大量の元気なお年よりだけが生き残るっていうSFが書けるかも)」
「そうね。詩人も高齢化してる。若い人はやめちゃうことが多いし、本読まないしね」
「本読まないらしいね。(若い世代にはそれぞれの関心事や心配があるのだろう、私のような自分の頭のハエも追えないような者がどうこういうことではない。Mさんちみたいな教育者・著述業のお宅では切実な問題なのだろうな)」
「詩人は目を悪くするひと多いね。読みすぎるからかな。あなたも注意しないとね」
「はい」

 それからしばらく眼の病気の話になり、そのあと川端隆之の詩のリミックスのことで盛り上がってわかれた。楽しいひとときだった。


2月15日 日曜日

 我輩はミケ、猫である。猫であるから爪を研ぐ。二階の八畳間のふすまは、我輩がものごころついて以来日々爪を研いでいるので、現代美術のような奥行きと迫力をかもしている。まさに、小さな傷を残して過ぎ去る時間というものの肖像である。その歳月の重みの見事な造形を前にしてわれながら感動すら覚える。

 それなのにオルカは「あぁ」と頭を抱えるばかりである。り・ウーファンの作品なら高いお金をだしても買おうとするくせに、猫への偏見のせいで目の前のものが見えていない。作者にこだわるブルジョワ的な芸術観に囚われているようでは、ホンモノは解からないぞ。

 「ア・オー」と声がした。窓に走っていってみると、川下の家のペルシャのようである。もう恋の季節になったのだろうか。しかし、あいつも年をとったな。毛並みがすっかり灰色だ。ガンダルフみたい。

   髪に雪の花を咲かせて坂にありきその若き日に抱かざりし友  ミケ


2月14日 土曜日

 春一番が吹いた。なんとなく花を待つ気分である。オルカが家の中の整理整頓をはじめたので、おちおち昼寝もしていられない。工房は日暮れ頃から女の子たちが仕事に来た。二人ともヴバレンタインデーも忘れて仕事一筋のようだ。オルカは昔よくチョコレートをもらったらしい。誰からのかも確かめずにただ食べていたという。ひどいやつだ。虫歯になったのはたたりというものだろう。


2月13日 金曜日

 13日の金曜日である。といっても古代エジプトの時代から我らが猫族の神は偉大なるバスト神であるから我らには何の関係もないことである。しかし、かなりの数の人間が不吉なことがあると考えれば自ずと気持ちがそっちに向いて、その結果災厄を招かないということもない。気をつけよう。

 我輩が外に出歩けなくてうずうずするのと同様、オルカもどこかに行きたいらしい。外国の街並みを”夢で見て”絵に描いている。デジャ・ヴュ画だそうである。濁音の多い響きがいかにも雑駁な雰囲気を良く伝えている。


2月12日 木曜日

 晴れて暖かく、春めいてきたと感じさせる一日だった。雪もだいぶ溶け、地面が其処ここに顔をだしている。夕方になって逆に放射冷却現象できりきりと冷え込んできた。大雪で家に閉じ込められて随分長くなる。そろそろ夜回りをしないでは野性がなまってしまう。夜の帳の下りてきたコンクリートの上はすでに霜か氷か肉球にひりつくが、走り出せば寒さも一体となり、我輩の魂は夜を滑空する。いや夜が夜の中を走るというべきだろうか。雪解けの雫は我輩の毛の上にヨタカの星のように蒼く燃えるのだ。


2月11日 水曜日

 我輩はミケ、猫である。明るい日、オルカは金沢へ句会にでかけた。家の中はいつにもまして静かで、雪解雫の音の中香箱を作ってぬくぬくと自足する。

 句会は18人で席題が二つだったそうだ。夜になって帰ってきてから、オルカは自分の言葉の稚拙さを何かと反省していた。会の後、高名な画家の描いた絵に句を書くという楽しい試みに誘われたそうだ。」主催者の友情で、非常にお値打ちなのだが、表具したりなんやらでやはりそこそこの金額になるので諦めた、数万円が払えないのは悲しい」、とぼやいていた。それでもスケッチブックに俳画を描いてみていたので、それなりに得るところもあったのだろう。


2月8日 日曜日

 雪、ふったりやんだり。ときどき磨きぬかれたような日が雲の間から射す。展示会も、東京ドームのテーブルセッティング・フェアも恙無く始まり、久しぶりの休日だ。オルカは何週間ぶりかで図書館に行き9冊借り出した。森内俊男「まなかなの記」これは二度目だ。矢川澄子「いづくへか」「宗左近詩集」民俗学関係で曽我孝司「白山信仰と能面」「宮本常一を読む」金田久あき氏の「森の神々と民俗」頂いたコアな本よりこっちのほうが楽しく読める。その他、山猫さんがファンだという綾辻行人の「眼球譚」これはちょっと蒼ざめた。そのあと書店で2冊注文。多田智満子の「封をといて」。アマゾンでは既になくなっていたので、北陸の本屋さんに眠っているのがないかと儚い望みをかけたのだ。それと青幻社の「言葉は京ではじまった」楽しそうな本のようだ。たくさん本を抱えてほくほくして家に帰るとアマゾンから「多田智満子詩集」と「川のほとりで」がとどいた。多田智満子のエッセーなどはほぼ入手困難になっているようだ。なくなられてもう一年。早いものだ。詩集をすぐ読むのが惜しくて「ヘリオガバルス」をまた読む。素晴らしい翻訳だ。


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