ミケ日記

2004年3月


3月29日 月曜日 晴れ

 昨日は金沢で桜開花宣言があった。山代ではもう咲いていたと工房のKちゃんがいって、桜餅を二個くれた。道明寺、桜の葉の香がなつかしい。

 オルカは風邪の具合がすっきりしないらしく、頭の中に漬物石が入っているようだそうだ。それでも言葉療法とか自称して、元気だ元気だと自分に言い聞かせている。全く人間というものは!言葉の網目で世界をとらえ、そこから零れるものに気付かない。例えば正義と名付ければ、人を殺してもいいのである。出入り口に子供や体の不自由な人が挟まれそうな回転ドアを設置しておいて、死んだら事故だった、痛ましいなどと言うのである。

 言葉とはもともと嘘をつくようにできているらしい。言語を憶えた時から一種の仮想現実の体系に嵌って行くのだ。マーヤーのヴェール。それが人間にとって生き安い世界なのか。動物達が人間を信用できないのは言葉のヴェールをかぶっているからである。


3月27日 土曜日 晴れ

 おるかの風邪もどうやらよくなったらしく、のんびり庭弄りをはじめた。いただきもののギボウシや山野草を小さな植木鉢に移している。成長という不思議なことをするまだ白い芽。デリケートな成長点を小さな芽の先端に、仔猫の牙のように剥き出して。弱弱しく、しかも果敢でいじらしい。

 遅日という季語そのままの、時のとまったような春の夕暮れ。向かいの山に夕日が差して杉木立を黄金色に染める。小鳥達もなきやんで静かだ。

   遅き日のつもりて遠き昔かな  蕪村

 この時分の黄昏の、奇妙なほど胸を締め付けるのはなぜだろう。この明るい夕暮れを遠い遠い昔にもこうして眺めていたことがあるような気がするのは。

 病後ということで仕事はせず、好き勝手な絵を描く。題して「狂乱のアルテミス」!


3月25日 木曜日 小雨

 出先から戻ると、おるかが風邪で寝込んでいた。我輩の春の抜け毛が気になるらしく、のろのろとシーツや布団カバーを替え、まくらもとの掃除をしている。普段はずぼらなのに具合が悪いと多少神経質になるらしい。もともと痩せぎすなのが一段とげっそりして目の周りだけが花粉症で赤い。だぶだぶのTシャツで口で息をしているところなどボッシュの愚者の船の乗員になれそうである。とんがり帽子でもかぶせてみたい。それでも寝込んでいる間に本は読んだらしい。

 「ポケットの中の野性」中沢新一のポケモン礼賛。解かりやすく書いてあるので子供でも読めるだろう。これで理論武装した子供に「ポケモン・グッズ買って」と言われたら、親はヤバイだろうな。

 「絵画の東方ーオリエンタリズムからジャポニズムへ」稲賀繁美著。力作、まだ半分までしかよんでいないが切実な問題である。ノートを取りつつ読む。面白いが、「それを現実にはどうしたらいいのか」というところから、こちらの問題は始まる。

 「森の神話学」金田久?(あきの字がでない)。はやく感想を書いてお借りしている本五冊と一緒に返さねばと気ばかり焦る。

 「琥珀捕り」 キアラン・カーソン著。琥珀が欲しくなった。体調のいい時に飲み物など用意して優雅に読みたかった。

 「二十世紀名句手帳5」斎藤慎爾編。この号には二句入っていた。たまたま手にして自分の句を発見したときは驚いたが、それ以後はついチェックしてしまう。卑しい。自分でも忘れていた句を取り上げていただけるのだからまさに”命うれしき撰集の沙汰”というところ。今回は名句云々というより「星月夜 Barthes Foucault Guattari 亡し」と横文字の並んだのが目新しい感じで取り上げてもらったのだろう。

 「日本の樹木2 桜」 満開の吉野山!あぁ

 「魔法の石版 ジョルジュ・ペロスの彼方へ」堀江敏幸著。ひさびさに読み応えある堀江敏幸。「熊の敷石」「雪沼とその周辺」等々は、賞をとってもいるけれど、私には小奇麗にまとまって箱庭的な小説に思えた。もちろん読む気にもならないという本が多い中で良く書けた小説にはちがいないのだけれど。

 なんだか書き出しているうちに疲れてきた。


3月23日 火曜日 曇り時々薄日

 詩誌「部分」の校正原稿が速達で届いた。きちんと切手を貼った返信用封筒も速達になっている。それならと、いそいで目を通して郵便局へ持って行った。帰りに書店で俳句研究と「二十世紀名句手帳6」を購入。 スケッチブックも2冊。

 それにしても、もう 少しいい紙のスケッチブックはないのだろうか。魯山人が書道の上達の秘訣はと聞かれて「いい紙、いい墨、いい筆云々」とこたえたそうだが、たしかに紙と墨が上等ならこぼしただけでも、結構さまになる。手漉きの越前和紙に紀州のあの墨で書くとじぶんが突然天才にでもなったような気がする。日本中にはまだ知らないいい紙や墨がたくさんあるのだろうな。描いてみたい。しかし描いたものも溜まるばかりだ。額縁がまた高価でいやになる。簡単なパネルのようなものでもなぜこんなものがこの値段なのかと不思議なほど高い。やれやれぐちばかりの自分がまたいやになる。

 帰ると金沢からお客様だった。お茶道具にご意見が伺えて嬉しい。川の傍のすがれはじめた白山イチゲや山葵の蕾をみつけてとても楽しそうに摘んでみたりなさっていた。

 夕方から急にのどがいたくなった。白ワインで消毒して早く寝る。夢の中で、田邊元の哲学とペインティングというひどく有難い講義をうけたのだが、 眼を醒ましたら全く思い出せなかった。


3月22日 月曜日 雨

 明け方から音もなく風景をけぶらせて雨が降っている。窓から眺める我輩の髭も雨気に静かにくなりと下がる。オルカが布団からこっちを見ている。布団に乗れば「重い!」と言うくせに、我輩が一人物思いに耽っていれば邪魔をしたがる。人間とはなんと身勝手な生物だろう。どうやら、あちらも春雨に何か思い出していたようだ。今朝の雨のしめやかさが祖母の故郷の萩を旅した時を甦らせたらしい。丘の間の道の淋しい湾曲を一人、傘をささずに辿っていたイメージ。しかし本当は二人で旅行していたはずだ。古い記憶には夢と同じ様に、検閲が入るらしい。消されてしまった彼女のほうはその記憶を今も保っているのだろうか。


3月21日 日曜日 晴れ

 寒い。一昨日はベランダの大鉢に薄氷が張っていたが、今朝も同じくらい寒い。植えたばかりの大山蓮華が心配だ。昼近く少し気温も上がってきたので、オルカはユキザサを鉢に植えたり、苔盆栽を作ったりしはじめた。が、日がかげるとみるみる真っ青になって炬燵にもぐりこむ。きのうは日本中寒かったらしいが、北陸は今日も本当に寒い。

 午後銀色のアウディで福井県のお寺の御住職様夫妻が見えられた。お茶碗を探していらっしゃるとのこと。染付雲鶴の煎茶茶碗を買って下さった。瀟洒なご趣味である。お話しによると「門徒管理」というPCソフトがあるそうで、それぞれ百回忌まで対応とか・・・凄い。声明で鍛えた声で、オペラの合掌部分にひっぱりだこという多才な御住職であった。



3月20日 土曜日 曇りのち晴れ 

 朝八時、オルカの布団の上で熟睡していた我輩はFちゃんの手で暖かな寝床から引き離されてしまった。

 今日も轆轤体験、その後絵付け体験の予定らしい。午後になって射して来た光に白山イチゲの花も開いた。夕方、草花の写真、外猫たちの写真、山仕事をしていたおじさんからもらった椎茸などをお土産に、Fちゃんは帰っていった。明るく元気に振る舞っているが感じやすく神経質な少女であった。もう少し長く滞在してくれれば、我輩の猫生哲学を開示してあげられたものを。まずはその一<「昼寝している間に解決しない問題はない。


3月19日 金曜日 晴れ

 朝、姪のFちゃんが遊びに来た(8時59分早っ!)。轆轤体験、絵付け体験など一日熱心にこなしていた。四月から高校生という元気な年頃だから風邪気味か花粉症か、吸呼が苦しそうなのにもかかわらず明るく振る舞っている。

 猫がめずらしいらしく、眠っている我輩を何度も抱き起こしては撫でてくれる。終いには「眠らせてくれー!」と言いたくなった。猫は寝不足に弱いのだ。それなのに、靴下のスニーカーの匂いに引き寄せられてついスリスリしてしまう自分が哀しい。

 夜になって星明り観賞ツァーとやらに揃って出かけていった。全く明かりのない山道でオリオン座やアルデバランやシリウスを見て喜んでいる。懐中電灯に浮かび上がった谷川は戦う生物のように激しく渦巻いていた。それでも人間は道から逸れることができないようだ。我輩は夜の闇の奥の奥を走り抜けて行ける。小さな生物が必死に身を隠しているもっとも暗い地点まで。


3月16日 火曜日 晴

 テレビにモルジブの海がうつっていた。青い海は美しい。その青いスカートのレースのひだ飾りのようにふるえて次々くだける波打ち際が我輩は好きである。動き止まない境界は猫を魅了する。じゃれてみたくなる。我輩は猫である。しかも家猫である。人間の周辺で人間をながめる。彼らの生活の縁が我らの居場所である。彼らにはもっとも単調な繰り帰しに見えるところにわれらはじゃれて遊ぶのである。水平線のはるかな青に彼らは永遠だの無限だのを夢想するが、足元の渚もまた無限なのを知らないかのようである。


3月14日 日曜日 晴れ

 静かな春の日。しみじみと掃除洗濯などルーティン・ワークをする。

 午後金沢のI氏御夫妻がお見えに成った。展示会期間中、お忙しかったそうで、わざわざこちらまでキンカ糖をおみやげに見にきてくださったのだ。うれしい。I氏はマグロも割くことができるそうだ。どことなく一心太助ふうな雰囲気がなくもない。バイ貝はこのあたりでも取れるがほとんどは壱岐の島産だ等々、お魚のことなら何でも聞けば深い答えが返って来る。奥様はお料理がお上手らしく、器にも一家言あっていろいろ選んで行かれた。


3月13日 土曜日 晴れ

 器の写真をとるため、無難な色調の板など探しにでる。山里をでれば世は春、園芸店の店先に並べられた苗木が呼びかけてくる。「私は辛夷、ほらこんなに蕾がついてるわ!」「姫りんごと申します。花は清楚、実は可憐で甘いのです。」「外国生れで泣き虫の私はハンカチの木」、もーみんな欲しい!

 その後スーパーを三軒廻って帰る。バゲット、ベーグル、など久しぶりに買った。田舎暮らしでちょっとつまらないのは美味しいパン屋さんが近くにないことだ。加賀温泉駅付近から眺めた景色が黄砂のせいかうるんでいた。

 庭で甘草の芽をとってワンタンスープにし、写真をとって再来週のホームページの表紙もできた。甘草は懐石料理などに使うにはすでに伸びすぎていたが、野菜のようにあつかうのもちょっと珍しい感じだ。

 オルカは桃形鉢を描いている。桃の中に桃の木に登って桃を持っている猿という入れ子のような図柄。ニホンザルどいうよりキンシコウのような猿だ。孫悟空なのかもしれない。桃は西王母の採り物だ。不老不死の天人顆の象徴だろう。赤ん坊の桃太郎がなぜ桃の中に入っていたかは故の無いことではないのだ。


3月11日 木曜日 雨

 庭で白山イチゲの芽を発見。野性だが青色のだけをえらんである。芽だちの幼い葉の、錆朱色とバロック的な唐草状の形は、可憐な花に似つかわしくないくらい魔的なものがある。それが美しく見えるのは、そのなかにあの霊魂色の蒼が通っているとおもうからだろうか。
 
 オットセイは近くの小学校の陶芸クラブ顧問をボランティアでしているので、今日は朝から卒業制作の手伝いにいった。今年の卒業生は十二人くらいという小さな小学校だ。そのせいか先生も生徒もみな親密で楽しそうに見える。詩の暗誦を特別に力をいれてやっているらしい。いいことだな。あの時期に覚えたことは忘れない。オルカは小学校当時は入院したり自宅療養したりしていたので、暇に任せて新古今集だのT・S・エリオットの荒地だのを憶えた。いまでも英語で朗唱できるのはそれとブレイクの詩篇くらいだ。ちょうどロマン・ロランやヘッセ経由で神秘的なるインド思想に驚いた時期とかさなるので「雷の教え」など、インド風ダンス(と勝手に思い込んでいる)の振りをしながら嘯いてみたりしたのだった。笑える。


3月9日 火曜日 晴れ

 先週の土曜日が月暦の西行忌だった。忘れていた。日曜の夜の春雪の上に照り渡る満月はいいようもないほど玲瓏。好きな作家のご命日にはなにか一節でも読んで忌を修すことにしているのに、山家集を開くのをわすれるとは。

 先日来の雪も大分消えて地面の出ているところをキジバトがのこのこ歩いている。胸の張り切った丸みがかわいい。かとおもうとバタバタと飛立って二羽で対岸の銀杏の枝にとまる。もう恋の季節なのだろうか。鳥の恋は fidel である。ということは恐竜達もそうだったのだろうか。一夫一妻を堅持してひたすらに子育てしたのだろうか。あぁジュラ紀の純愛!

 オルカは祥瑞の皿にダミをしてようやく五枚仕上げた。しきりに目薬を差し、熱っぽいとうったえるのは花粉症の時期になったのだろう。リミックスを一応書き終えたが、まだ時間があるのだろうか。さっさと発送して解放されたい気持ちが半分、もっと書き込みたい気持ちが半分といったところらしい。


3月8日 晴れ

 雪晴れの空は子供を産んだばかりのうら若い母親のよう。少し影が薄くなって一入清らかに見える。イラスト発送。ホームページの表紙更新。写真は先週のうちに確保してあったので文字だけなのに、十五分くらいかかってしまった。いつも使っている文字が突然奇妙な変換になるのは一体なぜなんだ!そんなに特殊な語彙は持っていないつもりなのに出ない漢字が多すぎる。広辞苑を入れれば少しはましなんだろうか。これ以上重くなるのも避けたい気もするし。もっと高速に作業できるといいのに。今のままでは画面が出るまでの無駄な時間が塵も積もれば山となって、二度と返らぬ時間を無駄に浪費しているような気がする。


3月7日 日曜日 雪晴れ

 うまい具合に朝八時ごろ、除雪車が来て、みんな起きだした。雲のあいだに天使のような青空がのぞく。新雪に装われた山の姿が可憐なほど新鮮だ。パンとサラダ・スープに果物のコンチネンタルスタイルの朝食。三人を仕事場など案内する。我輩が二階で爆睡している間に楽しそうに次の目的地へ発ったそうだ。オルカは永平寺までの道は雪が深いだろうと心配していた。
午後からオルカはまたイラストにかかった。我輩にポーズを取らせようとうるさい。猫は自由なの!


3月6日 土曜日 雪

 昨日から雪。春の雪というにはシリアスすぎる降りだ。時折通る車の轍が見る見る白く塗り篭められてゆく。若い句友三人が一昨日から奥の細道の加賀路をまわっている。今日は那谷寺、全昌寺などの後、拙宅で句会の予定。Tさんのボルボに先導されて三時頃元気にご到着。挨拶もそこそこに句会。特選逆選ありの五句出句,五句選。Tさんが最高点を獲得してお帰りになった。

 夕食は春の雪を眺めもせずヤマブシタケの鍋他加賀の食材いろいろでにぎやかに、かつ大量に飲み食いして楽しかった。地酒天狗舞はすらりとした美女T嬢がほぼ一人でお開けになった。Oくんは食後のコーヒーの豆を挽くのが非常に早い。それぞれブルースギターやピアノ演奏でいやがうえにも盛り上がった後、連句。若い三人は初めてだったので、初折りの表は多少ぎこちなかったが、恋句で俄然興がのったらしく、半歌仙を巻き終えた。Iくんははじめてとはおもえないくらい七七の付けがうまい。いつもと全く違うタイプの連句になって楽しかった。三人がかりで我輩のシルクカシミヤの毛並みをなでるので、まんざらでもないような、おちつかないような複雑なきぶんであった。T嬢は我輩の緑金の瞳に見とれ、「キャッツ・アイねー」言った。そのとおり我輩は猫である。とても仲の良い三人だ。これほど気の合う友人がみつかるなんてなかなかないことだろうと思うくらいだ。


3月4日 木曜日 雪

 一日静かに仕事。心が休まる。雪が降り積もる。
お花見の宿の予約おもうにまかせず。もう遅いのかな。

 桜のことをあれこれ考える。源氏物語で紫の上のことを樺桜にたとえていたが、それはどんな桜だったのだろう。現在、樺桜と呼ばれている江戸彼岸と山桜の交配種は当時はなかったはずだ。すくなくとも関西には。江戸時代の桜花図譜などでは御衣香の一重に樺桜と名が記されているそうだが、それも確定てきではないらしい。しかし花弁が薄黄緑から桜色にグラデーションのかかった御衣香は「今めかしい」雰囲気の紫の上のイメージに似合う気がする。


3月3日 水曜日 曇り時々雪

 今日もお客様。弘前で30年も開いているお店だそうだ。いらしたのは不思議な魅力のある女性でびっくりするほどお買い付けになった。よほど大きなお店なのかな。

 ふと気がつくとお雛様の日だった。ここのところ仕事の締め切りや来客ですっかりわすれていた。ちらちらと降って来る雪を眺めながら「あーかーりーをつけましょ、ぼんぼりにー」と歌っているオルカの後姿にやつれがめだつ。週末は句友がお泊りに来てくれて句会の予定だ。猫好きだといいが。三月は人の移動するシーズンなのだろうか。

 あるサイトで「須く」は「べし」とむすんでほしいとまた書いてしまったら丁寧な説明があり、「語感のちがい」とおへんじがあった。「当然」という意味で使うならすべからく「須くは」と言うべしと頭の中で声がするが、シーラカンスの囁きなのだろう。

 それでも我輩は絶滅の道をたどる言葉たちのみかたである。だから「何気に」も使わないし、「ら」ぬきもしない。「へ〜」と言って机をたたいたりもしない。そして滅びてゆくのだな。ナウマン象のごとく。


3月2日 火曜日 曇りのち雪

 寒い寒い、今年の春はどうしちゃったんだろう。外猫たちもエアコンの室外機の上でまるくなっている。一輪草もみな花を閉じて耐えている様子だ。

 お昼頃お客様がみえて、たくさんお買物をしてくださった。ご夫婦揃って焼き物がお好きらしい。一年程前から焼き物のお店をはじめられたそうだ。誠実な印象を受けた。お二人が車でおかえりになってから、雪が降り始めた。スノータイヤ履いてるかなと心配。

 春の雪なのにひたひたと風景を白く塗り替えてゆく。オルカは頭痛がするとかいっていたが夕食のあとドカッとデザートを食べたら なおったそうだ。昼食を食べそびれて血糖値が下がってよろけていたらしい。夜になって実験用の窯でお茶碗を十個焼く。

 この夜、鵜ノ瀬では大護摩が焚かれ、対岸に松明が並び、送水会が行われているのだ。小浜もきっと雪だろう。その水が10日で奈良の東大寺、若狭井にとどく。そのラインの先には遠く玉置神社がある。秘儀の島日本。


3月1日 晴れ

 三月という字はうっすら桃色に見える。

 祥瑞の皿を描き始めてオルカはご機嫌だ。文様をひたすら描きに描く単純作業は神経がやすまるらしい。線を引くのがまず楽しい。込み入った文様をフリーハンドで描く快感。ウィリアム・モリスの重なり合った柳の葉や込み入った花鳥の文様をみるとモリスも文様を描いて我を忘れられる人だというのがわかる。ケルトの血かな。ケルトと日本、西の端と東の端で豊かな装飾文様がときどき不思議なほどよく似た表情をみせる。ケルトの文様にはどこか血の匂いがするけどね。


inserted by FC2 system