ミケ日記

2004年4月


4月30日 金曜日 晴れ

 もう四月も終わり、夕方、山道を散歩していると卯の花がさいていた。季節は残酷なほど正確にその歩みを刻んでいる。筒鳥の声がほのかに杉林の中に響く。暗くなってから蝋燭を点してバーベキューをした。シシカバブのようなもの、チキンのトマトとパプリカ風味など。猫のデリケートな舌にはちょっとスパイスが効きすぎている。オルカも「辛い」とねをあげていた。蝋燭の明かりはちらちら揺れていい感じだが、焼け具合が見えないので、バーベキューは夜するものではないようだ。

 イラクで誘拐されていた人たちが記者会見して謝っていた。なぜ彼らが謝らねばならないのか分からない。人道援助をしようとしていたのに。「反日分子」と言った政治家ががいたそうだ。驚いた。 自己責任と言う言葉もお役所仕事している連中に言われたくないね。自分の払うべき年金さえうっかり忘れていましたなんていう連中に。そんな政治家が年金改革を自分の問題として考えてなんぞいないことは明らかだ。

 大体、状況判断が甘いのなんのと政治家が言っているが、それなら、ブッシュさんの戦争終結宣言の尻馬に乗って、殺された二人の外交官、あの実に立派な人たちを、みすみす死地に派遣した政府の状況判断は甘くないとでもいうのだろうか。猫でも腹が立つ。


4月25日 日曜日 晴れ

 今日も初夏のような美しい日だった。オルカは頭痛がするとかで一日ブラブラしていた。山芍薬がまだ花をつけている。花びらのほのかな皺がライチーの果肉を思わせて、いろっぽい。白根葵は四片の花びらの一片を失ったのにもう三日も咲いている。平然としたものだ。正岡子規は「草花はわが命なり」と日記に書いているが、確かに植物は眺めているだけでしみじみうれしい。

 二台目のパソコンが届いたので、机の上を掃除して位置を按配してみる。薄い!古いパソコンの巨大な後頭部はなんだったんだ!古いほうを北窓に向いたテーブルに移す。裏山の緑が良く見えて落ち着く。しかし窓ガラスの汚れがひどい。黄鶺鴒が工房の屋根を伝っていくのが見える。窯の煙突のステンレスに自分の影が映るので興奮している。テリトリーの侵入者と思うのだろうか。明日は窯たきだ。火傷しないように気をつけろよ。


4月24日土曜日晴れのち雨

 目を醒ますと、一年にそうない素晴らしい日であった。空気は秋のようにさわやかで、新緑の向うのラピスラズリの空は初夏の若さである。こんなときなにをしたらいいのだろう。ともあれ毛繕い。足の先まで舐めてリラックス。あぁ、猫の幸せ!ふと気が付くと、となりでオルカもボーっと空を眺めていた。

 庭に出ると昨日の風雨を耐えた山芍薬がぽっかり白い花を開いていた。一日で儚く散ってしまう花だが、こんな日に出会ったのだ、「おめでとう!」と声をかける。

 久しぶりでオルカは図書館にいってNさんが[気が滅入った」とメールをくれた「素粒子」など借り出した。なかなか面白そうである。それからこれも、ある人お奨めの恩田陸「黄昏の百合の骨」を探したがない。題名からして耽美。欲求不満になって、帰り道書店で恩田陸の別の本を買ってしまった。オルカは仕事以外にすることのほとんどは読書で、でかけるのは図書館か美術館か書店という世界の狭い人間である。買った本も書名がたっぷり出てきて喜んでいる。未読の本を片手でチェック。やれやれ。

 夕方から雨になった。美しいときは長くは続かない。


4月23日金曜日 小雨

 柔らかな雨のなかで鳥達が鳴いている。鋭いの、うっとりするの、ざらざらしたの、濡れたようなの。新緑の上に声があざやかな色糸のように流れる。鳥達は恋の季節だ。

 日記を書くのも一週間ぶりだ。なかなかパソコンが空かない。オットセイは神経質で細かい性質なので、パソコンを弄ったりチャットしたりするのが大好きらしい。オルカはもともとのんびりした性格だが、このところふてくされて部屋で落書きばかりしている。山菜採りに出かけて頭にコブを作った上に漆にでもかぶれたのか顔が一寸腫れている。おかげで小皺が全くなくなったそうである。


4月13日 火曜日 晴れ後曇り

 辻邦生の「ある晩年」を読む。死をまえにして、実直一点張りに生きてきた人生に悩むファン・スターデンという老弁護士の話。身につまされる。虚しさに苛まれる日々のなかで彼はプルーストの特権的瞬間にも似た強い喜びの感情に刺し貫かれる。<彼はこの世界の事柄が、一人一人の人が新しい表情で、新しい装いで建ち顕われてくるような気がした。彼と世界は一つだった。>そんな体験。

 そして早春の公園で、草花に慰められ、噴水を眺める詩人の言葉に耳を傾ける。噴水の水の無限の無意味な反復、その水の一滴のような虚しい自分の存在も噴水という普遍的な意志をを表現している。噴水と一体となって各瞬間に完璧なのだと知ると自分の恣意や偶然から自由になれる、という。

 若いころ、この噴水の寓話を呼んで、分ったつもりだった。人生の悲哀も人間の孤独も分っているつもりだった。頭だけで考えて出来過ぎた物語だと思っていた。今読み返すと草や木や水の輝きの教えてくれるものが実感として響いて来る。この老人の胸を絞るような孤独がよくわかる。この寂しさがこれからの私の友になるのだろう。昨日公園を散歩して、この世界に誰も自分を理解してくれない思いに胸蓋がったが、その締め付けられる感じが結構好きなのかも知れなかった。


4月11日 日曜日 晴れ

 おるかが原種の鉄線が欲しいというので、植木屋さん、苗屋さんを廻る。そろそろさくら祭なのか鄙びた街路に、藁縄がはられ四手が風にゆれている。その下のバス停の椅子に、地母神のような堂々たるお婆さんが坐っていた。

 結局何も買わずに帰って、むっつりと庭を弄っている。枝垂れ桜の周りの草を、すこしむしっては木に話し掛けている。木はすでに葉桜。まだまだ若木だから、この木の本当の盛りを、おるかは見ることはできないのだ。黄鶺鴒が一羽河原の石をつたっている。昨日我輩が取った鳥の番いだろうか。ものあわれである。

 今日はあの人の誕生日。何もしないし、写真もないが心の中でおめでとうを言う。人を愛せない性格だなどとご自身では書いていたが、愛からでもなく他者の幸せを祈れるというのも、それなりに良いことなのではなかろうか。


4月10日 土曜日 晴れ

 風もなくあたたかな日。家中に活けられた黄水仙や貝母の花白玉椿も開きだした。東京からお客様、幼稚園の園長先生だ。小さな子供たちの話を伺うと自分の子供のころのことなどが思い出せて楽しい。

 お昼は一緒に初物の筍御飯、ワラビとコシアブラ、タラの芽の天ぷら、姫皮のお味噌汁など、取り立て山菜料理。筍をくださったお隣りのおばぁちゃんによると、猪が多くて筍はほとんど食べられてしまっていたそうだ。山中の漆職人の方も、今年は猪が多いと話されていた。昔は見なかった猿も頻繁に出没するし、山の奥で何か起こっているのだろうか。

 さて人間たちが話し込んでいる間に我輩は小鳥を取った。黄色い腹のスズメくらいの大きさの鳥である。遠来のお客様にせめてものもてなしにと持っていったら、おるかのやつ、ぎゃーぎゃー騒いで見苦しい。お客様の方が「見せに来てくれたのね」とちゃんと分ってくれるのである。

 夜中過ぎ、イラクで人質になっていた、三人が解放されるという情報があった。良かった。なにがあってもおかしくない戦闘状態のなかで一筋の明るい光のようだ。しかし誘拐されているのは、この三人ばかりではない。無辜の犠牲者は増えつづけている状態だ。この戦争をはじめたことそのもがおかしいのだ。


4月7日 水曜日 晴れ

 裏山の桜は満開の極に達している、明日はもう散っているだろう。庭では辛夷、桃、枝垂れ桜が今を盛りと咲いている。木の下も川沿いも黄水仙と蔓ニチニチソウの青い花でいっぱいだ。日影には春蘭の花。工房のKちゃんが今日は髪をアップにして、枝垂れ桜の枝の間に少女のように細い首を傾けて橋へ歩いていくのが見える。春たけなわである。


4月6日 火曜日 晴れ

 外猫たちが隣りのおじいちゃんに甘えている。タマ以外は。タマは性格がきついので、猫の神様のようなおじいちゃんにまでも嫌われている。家の者達も戸や窓のつっかい棒をはずして闖入してくるタマには辟易している。あわれタマ!賢く力があり、本能がしっかりきつい、立派な猫なのである。ただ人間の都合にあわないだけなのだ。

 ジャネット・ウィンターソン読了。なんというか、やれやれな小説。


4月4日 日曜日 薄曇

 花冷えというのだろうか寒い。オルカは炬燵で小冊子の封筒の宛名書きをしていた。といっても例によってブラブラ庭弄りをしたりピアノを弾いたりしながらだから、やっと二十人分ほどである。一日の仕事としては寥々たるものである。このブラブラ病が治らない限り大成は難しかろう。

 アマゾンから本3冊届く

Jeanette Winterson [written on the Body]
Mircea Eliade[ Le mythe de l'eternel retour]
Mircea Eliade [ Mythes,reves et mysteres ]


4月1日 木曜日 晴れ

 お天気がいいので、家の者達は若狭まで桜を見に出かけた。我輩は裏庭で昼寝しておったが首尾がどうだったかはテレパシーでわかる。以下はそのあらましである。

 敦賀で高速道路を下りる。若狭方面へのバイパスができて三方町まではすぐだった。久々子湖の遊覧船乗り場辺りの染井吉野は八分咲きというところ。船の丁度出るところに間に合った。ジェット船は軽いエンジン音で風景を流してゆく。カイツブリやキンクロハジロだろうか水鳥たちが慣れた様子で舳先を逃げてゆく。蔦の絡まった廃屋の窓から、ブチ猫がめんどくさそうにこちらを眺めていた。長閑な日よりである。水月湖に通じる水路は巾が狭く、切立った両岸から菫が水面を覗き込んでいる。菅湖は鳥の保護地域で青鷺が何羽も一定の距離で岸辺に打ち込まれた杭のようにじっと立っている。鳥達は自分のすべきことをよく知っている。人間だけが自分に欠けている何かに悩む。これがホモ・サピエンス(知恵ある者)なのだろうか。湖から湖へと廻り、三十分ほどの快適なクルージングだったが、もうすこし俳句でも作りながらゆらゆらと揺られていたい気もした。

 汽水と淡水の湖のいりくんだ三方五湖と外海の間の道を走る。桜の写真を撮りに車を降りると親子らしい野猿がこちらをうかがっていた。水平線は仄かに霞んで、潮騒の音もはるかである。のぞきこんだ入り江は文字通りエメラルド・グリーンだ。

 常神半島の山桜を見に行く。ここも新しい道が切り開かれていた。山桜はすでに残花で、数も少し減った印象だ。便利になるとそのかわり必ず何かが失われる。言い古されたことではあるが。

 水月湖の周りは福井梅の産地である。梅干の看板が櫛比している。梅林に残んの花がほつほつと眺められた。食べ合わせのようだが、このあたりはまた鰻が美味しい。焼きたての天然青鰻は絶品。

 帰り道、三方石観音の枝垂れ桜を見に寄る。弘法大師が一夜で彫り上げたが右手首を余したというどこかで聞いたようなものがたりのあるところ。手足の病気にご利益があるという。西国三十三ヶ所の松尾寺から竹生島の道筋でもあるから、巡礼の人々にとって、足の痛みを癒してくれるとあれば嬉しかったことだろう。松葉杖がたくさん奉納(?)してあった。

 境内の、すでに夕影の落ちている一角に若狭神社が鎮まっている。取り残されたような佇まいに、古来からの磐座信仰が、観音信仰へ組み込まれてゆく時代の流れが思われた。ダンプカーが山奥への道を走ってゆく。その流れは、今もたゆみなく若狭の奥の小さな神々の隠れ家も飲み込んで行くようだ。

 枝垂れ桜はまだ蕾だった。参道の石灯籠や石組みの上に小鳥のいたずらだろうか桜の花が蕚のまま落ちている。ようよう西に傾いた日が石段の上に影を長く置いている。白っぽく、大人しい表情の若狭の石だった。


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