ミケ日記

2004年10月


10月30日 土曜日 曇り夜に入って時々雨

 茸の混ぜご飯を食べながら、おるかはテレビの旅行番組を見ている。食事中にテレビを見ないというマナーの一線は、炬燵が出ると同時に脆くも崩れ去ったのである。

 画面に映る旅館のお膳にずらりと並んだ名物料理をみても「器が悪いな」と言う。露天風呂に美人が入っていても「景色が見えん」という。なにが面白くてそんな番組を見ているのか分からない。ただ、うら寂れた温泉街の路地を猫がチラと、通ったりすると「あ、猫猫!」と異常に喜ぶ。

 夕方,K嬢が見えて、箸置きに呉須で水流と花を描く。なかなか面白い。集中力が持続するタイプらしく、60っ個ほどを一気に仕上げる勢いだった。

 八時過ぎに裏山の柿木になにかが来た。熊ではなく、猿かともおもった。が、懐中電灯の光の中に浮かび上がったのは、未確認夜行物体である。ニュージーランドの希少動物ポッサムに良く似ていた。むささびだろうか?よく太って毛のつやもよかった。

 闖入者のおかげで、箸置き製作は、そこまでとなり、おるかは一人で、今度は本を読みながら食事をしていた、やれやれ。律儀にご飯を一口食べてはおかずに箸を伸ばす。といっても小食なので、ご飯粒三つほどが箸にやっとくっついている。ここまでちびちびした食べ方も立派にマナー違反ではなかろうか。

 雨音が激しくなってきた。


10月27日 木曜日 曇り

 午後からロクロ場に行って、石油ストーブのぬくもりを楽しむ。おるかは我輩をモデルに、上を見上げた所、香箱を作ったところなど、二、三種のオーナメントを作った。筆置きやペイパー・ウェイトにもなるそうだ。ただし、モデルより数等バカな顔をしていることだけは言っておく。

 夕方、ニュースで、土砂に埋まった車から二歳の幼児が救出されたことを知った。地震発生以来、四日経っている。たいした子だ。「奇跡としか言いようがない」と医師も話していた。大きな余震のなか、黙々と作業するレスキュー隊もえらいものだと思った。こうしてみると人間もなかなかなもののような気がしてきた。

 その後のニュースで、被災者の家族の家に、「救出するにはお金がいる」などと電話サギあったという。やっぱり人間なんてそんなものか、と思う。

 真夜中を過ぎて、月光が何か話しかけるように明るい。青ざめて一人ぽっちの月。シッポで撫でれば掬い取れそうなサラサラの月光が、犬走りの上い落ちている。

まさに”疑うらくはこれ地上の霜かと”の詩句のごとし。寒い寒い。この秋一番の冷え込みというが、どんな思いでこの月を見ている人がいるかと思うと、ひとしお、身にしみる。


10月26日 火曜日 小雨

 雑巾がけされた床が肉球にひやひやする。寒冷前線が近づいているようだ。鎌倉から来客。以前は湘南の某店のコロッケなどがお土産だったが、最近はマニアックな本一冊になった。おるかが本なしに生きられないヤツだからだ。本をちらつかせれば文句なく食いつく。

 避難所の人たちをニュースで見ては暖かいお茶の一杯も自由にのめないなんて、本もなく座っているなんて、と自分にひきつけて気の毒がっている。

 それにしても地震が起きてからの対応が遅いとは思うが、ことに避難所がひどすぎはしないか?もっと設備の整った所に収容してもいいのじゃないか?新潟県内でも被害の少ない地域や隣県でも、さまざまな公共施設が建っている昨今である。こんなときこそ体育館などばかりじゃなく、何でも使えばいいではないか?

 小泉も神戸地震のときの村山さん(だったっけ?)より対応が遅い。自衛隊を海外に派遣するのだけはすばやいが、国内の対応は無策である。

 夜に入って冷たい雨が激しくなった。災害地の人たち猫たちを思うと、つらい。今夜は十三夜だった。無情だなお月様。


10月23日 土曜日 晴れ

 久しぶりで図書館に行ったおるかはエリック・ホッファーの本をまとめて予約してきたそうだ。行き帰りだけで肌がぴりぴりするほどの陽射しだと言っていた。不便なものよのう。毛皮を持たぬものは。

 と、ふとおるかの顔をみてギョッとした。濃いのである。なんでも通販のおまけにもらった化粧品でメーキャップしてみたらしい。もともと青ざめた顔色に、死相をプラスしたような具合である。毛皮を持たぬもののやることとは全く不可思議である。

 赤を磨るガラス板の隣に本を開いて、ゴシゴシやりながら本を読んでいる。とんだ二ノ宮金次郎だ。いやいや二宮尊徳なら、ひょっとすると本をべっとり血糊状のもので汚してしまうような所では開かぬであろう。やはりまがいものは底が浅い。

 夕方、新潟で地震があった。かなり大きいらしい。報道はされないが、わが同胞はどうしているかと気がかりである。


10月22日 金曜日 晴れ時々小雨

 我輩が家を空けているいだに、布団カバーやシーツが綺麗に洗濯されていた。よしよし。洗い立てに、足で梅鉢の紋章をつけるのは愉快だ。おや、セーターも洗ってある。さっそくチューチューして良く揉んでおいた。黒いセーターについた我輩の白い抜け毛をしみじみと見る。秋である。

 九谷茶会用のお茶道具を搬入したオットセイはそれで疲れたとかで、後は一日パソコンで遊んでいた。おるかもデザインが決まらないらしく、いらいらしている。全く人間というものは奇妙な生き物だ。自分で自分を追いたてては、疲れている。

 月が大分太ってきた。二十五日くらいが満月のはずだ。今年は台風にたたられて中秋の名月も見られなかった。栗名月は静かに眺めたいものだ。


10月21日 木曜日 小雨

 台風のニュースを眺めては、おるかは「おぉ!」とか「あー!」とか言っている。各地にここ数年間で最悪の被害を出して、台風23号は千葉沖へと去った。

 雨が小降りになって、オットセイは高枝切り鋏を利用して、排水溝に詰まっていた長靴を救い出した。こういうことはおかしなくらいに器用である。我輩が思うに、器用さというものは馬鹿なことをやるのと比例するのではなかろうか。我等猫族は、馬鹿なことなどしないから、指先を発達させる必要がないわけである。缶を開けたり、戸をあけたりは、使用人どもの仕事である。われらにはなにもあくせくする理由がない。

 西遊記の三蔵法師は、全くの無能に見えるが、天竺へお経を取りに行く他の事はしないだけなのだ。なかなか小人にできることではない。天皇家がこれだけ続いているのも無為だったからである。後鳥羽の院みたいなのが、次々出たら、「やっぱ邪魔だわ」と早晩ほろぼされていたことだろう。

 偉大なるかな無為無能。しかし、無為にも、高品質の無為と悪い無為があることを知らねばならない。

 かぎりなく逸楽的で優雅なる無為はわれら猫族にのみゆるされているのである。


10月20日 水曜日 台風

 朝から降り続いた雨が午後になって激しさを増してきた。台風23号が、四国を横切って近畿地方へと北上している。彦根あたりから西国三十三ヶ所の札所谷汲寺にお参りしたい様子だ。

 家の前の川があっという間に茶色になって水位が上がってくる。見ていて気持ちのいいものではない。深夜、台風が最も近づいた頃、家の人間達やお隣が辺りを見廻っていた。川下の低い土地の人たちは既に避難しているという。排水溝に足を突っ込んだオットセイは、あっというまに長靴を水に持っていかれた。

 外猫たちは車庫の奥で澄ましている。我輩も眠ろうと思うが川音が耳についてなかなか安眠できなかった。


10月16日 土曜日 快晴

 うっとりするような晴天。杉の木の上の空がほれぼれするほど青い。我輩もちょっと外に出ては庭を見廻る。秋草の淋しげな花の淋しい匂いを嗅ぐ。弱った蟷螂や飛蝗は捕まえてもあまり面白くはないものだ。外猫たちは赤とんぼをスナックにしているようだが、我輩はそんないやしいまねはしない。

 家の者たちは里芋を煮て来週のホームページの表紙にしようという魂胆らしい。が、鉄鍋で煮たせいか色が悪くなって、いい写真にならなかったそうだ。大量の里芋を朝夕ひたすら食べるはめになった。

 福井県大野の里芋は品質がいいと評判で、この当たりでも買える。里芋は古くから日本人(多分南方系?)が食料として、特別に、大切にしてきたものだ。南の島(何処だか忘れたが)では里芋を盛り上げた上に飾りものをしてお祭りする風習があるそうだ。

 大野名産には他にも赤カブがある。両足をそろえて立つことが出来ないような急勾配の畑地で、少し前まで焼畑で作っていた。蕪と焼畑の関係を研究して、それまで東北地方の蕪は後から入った物と考えられてきたのを、焼き畑農業と共に古くからあったことを証明した先生がいた。

 たしかに各地にそれぞれ独特の品種があるのも、古来から蕪を作り続けてきた証拠だろう。稲作が入って、焼畑・里芋・蕪の農業者たちは大野のような山深い土地へと移動していったのだろうか。

 山奥にそんな源郷を夢見る心情は、「山人」を考える柳田國男のような人びとを惹きつける。柳田國男も「神隠しにあうようなタイプ」の少年だった。折口信夫の

   葛の花踏みしだかれて色あたらし この山道を行ける人あり

の歌の「山道を行ける人」は、ただの人というより、そういう山中他界の住人の姿なきことぶれのようにも思われる。


10月14日 木曜日 時々どしゃぶり

 さっと夏の終わりのような黄色の日が射すかと思うと、夕立のような土砂降り。しばらくは洗濯物を入れたり出したりしていたおるかもやがてあきらめて二階に干し始めた。北国日和定めなし。これからこういう季節になるのだな。

 絵付けの部屋中に本やスケッチ・ブックを広げておるかはデザインを考えている。紙のかさかさいう音をきくとどうにもむずむずして、飛び込んでおもいきり噛んだり蹴ったりしたくなる。くしゃくしゃにした和紙は暖かそうだ。根がケチなおるかは和紙のきれっぱしにも手習いをしたり、蕪村や乾山風の絵など練習している。ビリビリ噛み千切りながら見ると、中国人の画家の真似などは実に器用である。蕪村の書のでろりとした線は好みで無いらしい。斉白石の真似は、勿論紙や墨など別にしてだが、かなりそっくりに見える。この小器用さを乗り越えられるかどうかが、課題であろうにゃ。

 余談だが、おるかは左手で鏡に映したような文字を書いたりもする。回文作りがすきなのと、どこか通ずるものがあるのだろうか。


10月12日 火曜日 晴れ

 秋らしい美しい日だ。Uちゃんは家の裏で、フクロウの雛をみつけたそうである。怪我をしていて、そのまま抱きかかえて病院連れていったら、「普通タオルかなにかで包むものだが」と感心されとか。動物好きのUちゃんらしい。「羽毛がすっごくふわふわで指がスッと入る」と話していた。フクロウのオーナメントをつくろうとしていたおるかは、これもシンクロニシティだと独り決めしていた。

 今日もあちこちで熊が撃たれた。お隣のおじいちゃんも近くで熊をみかけたそうだ。「じっと見ていると、何もしないとわかって何処かへ行った」と言っていた。さすがに落ち着いたものである。


10月10日 日曜日 晴れ夜に入って雨

 夕方から家のものが、夜の動物園探検にいった。明かりの消えた真っ暗な園内を二つのグループに分かれて探索する。丘陵地帯にある動物園なので熊が迷い込んだりしないものかと思ったが、、係員の話だと、なぜか熊は動物園には近寄らないそうである。ただならぬ気配を感じるのだろうか。

 動物の目に優しい赤いセロファンを貼ったとはいえ懐中電灯に照らされて動物たちもいい迷惑だと思う。小心者の象は不機嫌そうにうろうろし、キリンはもの静かに奥の部屋へ歩み去ったという。さすがにわが猫族は人間どもがざわざわしようが、歯牙にもかけず骨をしゃぶっていたそうである。トラの口ひげが一本猫舎の入り口につるしてあって、しっかり触ったおるかは「ミケのひげと非常に良く似ていた」と言った。あたりまえだ。

 途中雨に降られたものの結構楽しんだようであった。夜行性のアライグマは時ならずお魚がもらえて喜んだかもしれない。「フクロウがかわいかった。今度は白磁のフクロウ・オーナメントをつくりたい」とおるかはいっていた。


10月6日 水曜日 小雨

 夜、山の葉茂みのざわめきに耳を澄ましていると、それが段々近づいてくる。窯場の裏でその音はいよいよ大きくなる。二階の窓によって目を凝らすと、闇の中、ざわざわと山の音が闇より黒い塊になって、柿の木に登ってゆく。熊だ。

 おるかとオットセイも興奮して窓に駆け寄る。懐中電灯の光の中でツキノワグマの瞳が一瞬きらりとこちらを見た。
 我輩は思わずテーブルの下に駆け込んだ。足が吾にもあらず動いて止まらない。奥のおるかの部屋タンスの陰に入って、やっとひといきついた。心臓がバクバクする。

 枯れ枝を踏むピシッ、ピシッという音が遠ざかってゆく。固唾を呑んで見送ったおるかが「いやー、みちゃったねー」「黒いねー」などと馬鹿なことを言っている。そのすぐあとで、火の用心の夜回りの人がカチカチと拍子木を打ちながら通っていった。こんな熊がしょっちゅう出る時期はしなくてもいいのじゃないかと思う。「お隣に知らせた方がいいかな」「出るのは知ってるから 大丈夫じゃない?」と二人が話す声を聞きながら、とりあえず寝る。

 熊だって別に人に合いたいわけではないから、こちらが気をつけて山に入るときは音を立ててゆけば向うで避けてくれる。山里に住んでいるものには、熊と共存するそれなりの知識がある。猪の方が、畑を荒らす被害は格段に大きい。

 それなのになぜ熊を撃つのだろう。檻に捉えられたものまで撃つとはひどすぎる。大体、山に熊がいるのは普通ではないか。人間が熊のテリトリーを侵しているのである。あの、ざわめく山の息吹きのような美しい生き物の。


10月4日月曜日 曇り

 松任名物といえば「えん八のあんころ」だが、隠れた味、知る人ぞ知る「桶和のきび団子」というのがある。一個六十五円。おるかのもらってきたのを見るとたしかにふっくらして旨そうである。しかし猫に餅は天敵なので、おるかの食べるのを眺めるだけにする。 仕事場のUちゃんTちゃんにもあげようと思っていたらしいが、二人とも来ない。明日も金沢のデパートの展示会の搬出のために出かけるとかで、結局おるか一人できび団子十個を食べてしまった。そのほかにあんころも食べた。甘党とはおそろしい。


10月3日 日曜日 小雨

 肌寒い一日だった。おるかは朝から松任の俳句大会にでかけた。化粧っけのないジーンズ姿で、ゴージャスな他の参加者の皆様方のなかで浮いていたそうである。おまけに賞状を忘れてきたとか。いつまでたっても年甲斐も無くやれやれなやつである。

 最近このあたりは。熊の話でもちきりである。今日はどこそこの畑、このあいだはゴルフ場のちかくで、と連日のように目撃情報がある。台風が山の木の実を落として、食料がないせいらしい。

 熊もかわいそうである。食べ物を探しに出れば撃たれる。といって食べなければ冬を越せない。座して死を待つよりは、と人里に出てくるのだろう。その状況は察するにあまりある。人間なんていい加減なものである。ニッポニア・ニッポン、日本の朱鷺は絶滅した。その後で保護センターで中国の朱鷺を腫れ物に触るように育てている。ツキノワグマが絶滅した暁には、どこかの剥製からクローンでも作ってみようなどと言い出すかも知れぬ。


10月2日 土曜日 曇り

 午後からおるかは松任市の「加賀の千代女全国俳句大会」に行った。と、思ったら、電車に乗り遅れたと泣きついてきた。急遽オットセイが車で会場まで送っていった。どうにか間に合ったらしい。

 ついでにそろって千代女の遺墨や愛用の品々の展示館のある聖興寺をまわり、黒田杏子先生と写真を撮らせてもらって,オットセイは帰ってきた。松任名物あんころ餅を買って。猫である我輩には、餅は先輩が食べて死んだ恐ろしい曰くのあるものであるから、竹の皮の包みを遠くからながめるだけで、ちょっと怖い。

 その後、おるかは大会の吟行で金沢城址まで行き、松任にもどってパーティーで海老やお刺し身をよほど食べたと見える。普段の草食獣的体臭とは多少匂いが違っていた。


10月1日金曜日 晴れ

 秋らしいうららかな日である。外猫たちも、どことなく和やかにベランダをブラブラしている。家の中に日も奥まで差し込む。爪とぎ板の上で我輩もついうつらうつらしてしまうのだ。

 外に出ると桜紅葉がほどほどに散っている。桜の匂いがする。落ち葉にはそれぞれの木の匂いが忘れられない記憶のように籠もっている。


inserted by FC2 system