ミケ日記

2004年 12月


12月31日 金曜日 霙

 いよいよ今年も今日でおしまい。各地で雪になっているらしい。羽毛のように降りてくる雪を眺めていると我輩は目が廻る。ことにここは山に囲まれ、川がすぐ前にあるので、風が時には吹き上げたり複雑に舞う。二階の窓から見ているとなんだか空に昇ってゆくようだ。

 寒いので窓拭きはとりやめ。おるかはようやく玄関周りを掃除して、榊を挿し込んだ注連縄を飾った。鉢植えの笹を玄関の両脇に置いて門松がわりだ。自分で作った注連飾りに来年はいいことがありますようにと祈っている姿は我輩から見れば滑稽である。

 外猫がものほしそうに眺めている。ガレージの箱の中に古セーターをいれてもらって寒さをしのいでいる彼ら。ちょっと哀れである。タマははコロコロに太っている。シロは最近黒い毛がふえてシロと呼ぶのに違和感がある。奈良美智の描く子供のような三白眼で、我輩をみるなり唸る。最近ますます強くなって来た。頭の痛いことだ。

 猫には温暖化が嬉しかろうというものがいるが、我ら猫は、そのような了見の狭いことは思はぬ。我らは、地球に悪いことはしないのだ。だから神に祈ったりもしない。とはいえ来年は天災や人災が少ない事を願わないではいられない。スマトラ沖の大地震で、どれほどの猫が死んだことだろう。思うダニ心が痛む。ナンだこの変換は?!

 人間達は年越し蕎麦の準備を始めたようだ。雪の夜は静かに更けてゆく。来年は良いことがありますように。地には平和を、山の熊には木の実を、我輩にはカツヲブシを!これは祈りではない。言祝ぎである。


12月29日 水曜日 曇りときどき晴れ

 一年で我輩の最も嫌いな日、大掃除の日がはじまった。
どでかい音でストーンズのCDをかけながら掃除機をかける。都会なら近隣から苦情がでるところだ。
 なにか荷物がとどいた。毎年京都の料亭さんから京野菜、歌人の手焙煎のコーヒー、越前の杵つき餅、お隣のおじいちゃんからの冬の花と、戴き物で年を越すのである。今年は紀州の蜜柑もあったのだが、おるかがバカ食いをしたのでそれはもう底をついてしまった。ともかく有難いことである。

 見事な南天の実のそれも紅白なのをいけながら、おるかはしみじみ「ありがたいものだな。世の中のなんのお役にも立てないのに、こんな色々戴いちゃって。」と言った。と、やおら雲が切れて冬の日が花きり鋏に射して来る。まるで新派大悲劇(古っ!)。スポットがあたってここで長い独白になるか、と眺めていたが、がふいに台所へ立っていった。

 午後、オットセイの古い友人が碁を打ちに来た。煤逃げだろうか。うーむ季語が生きている。”季語の現場に立つ”という思いで我輩も煤逃げ。掃除機の音の聞こえない押入れに入る。しばらくして、ブチッと家中の電気が消えたと思ったら、稲光と雷鳴がほぼ同時にして家が揺れた。テロかと思うほどの冬の雷。そして沛然と霰が降ってきた。今年もいよいよ残りわずかだ。


12月27日 月曜日 朝雨のち晴れ

 工房の二人がめずらしく大掃除をしている。一列に並んだロクロのスペースの、オットセイの場所だけが依然として泥んこで、使用前使用後のようだ。明日から二人はお休み。

 ちょっと早いが、新年のお菓子の福梅をだして皆でお抹茶をいただく。いくら略式といっても薬缶からじかにお湯を注ぐという、あまりにも無風流な手前だった。

 おるかが年賀状を描いているのをのぞいた。蕪かとおもったら、コロコロに太った鶏だった。ちょっと興奮して畳で爪を研いでしまった。こんな一口鶏がいたらさぞ美味いことだろう。

 マレーシアで大地震があった。巨大な津波はアフリカにまで死者をだした。ニュースを見るたびにおそろしい。
 小泉首相はそれを知りながら観劇し料亭で会食し官邸にも行かなかったそうだ。これが一国の指導者の態度だろうか。ついこの間、マレーシアだったかインドネシアでニヤニヤ協力をうたってきたのではなかったっけ?


12月24日金曜日 曇りときどき晴れ

 イブである。テレビもラジオもクリスマス・ソングばかりだ。おるかは工房の二人とつつましくケーキを食べた。Uちゃんが、タイヤキを買ってきてくれたので、それも食べた。錦窯の余熱でぱりぱりに暖められたタイヤキは、「今まで食べたタイヤキの中で最も美味しかったと断言できる」そうだ。

 フランス2でフランスの田舎のクリスマス風景を見る。子供達がかわいらしい。「いい子にしてたからプレゼントもらえるんだ。サンタさん、いい子にしてたよ!」と幼い声をはりあげる。あまり嬉しそうで、聞いているだけでちょっとほろりとしてしまった。都会の雑踏も賑やかだが、どこか落ち着いていて、やはりクリスマスはキリスト者のものだよなとあったりまえのことをしみじみ感じた。国営放送(?)だからか「キリスト教信者もそうでない人も…」と宗教に寛容な態度をにじませた表現を選んでいるようだった。

暗くなってから、Hさんが結婚式の写真を見せにきてくれた。新郎新婦ともお着物が、よく似合っている。Hさんの黒地に鶴の衣装は非常に洗練されていて、さすが、加賀友禅!

 錦釜を今夜も焚く。かなり疲れた。


12月23日 木曜日 雨

 霙が黒い瓦の縁を一つ一つ彩っている。昨夜から急に寒くなった。毎年のことだが、その冬初めての寒波が来た日は、おるかは頭痛をおこす。それでも夜には今年最後の錦窯を焚く予定なので着膨れながら絵付けをしている。京都の料亭さんの注文のの小皿といつもの湯のみの小に銘を入れたり、細かなものをあれやこれやと仕上げる。

 、頭痛がする日は気分を奮い立たせようと音楽をかけたりお茶にお菓子を奮発したり,傍から見ると妙に陽気に見える。それというのも、おるかは、自分が楽しくなければ、いい仕事にならないと思い込んでいるからだ。快楽主義なのか精神主義というべきか分かりにくいやつである。結局、単に気分屋というだけのことか?

 マックG4は、机の上で、蛍火のように脈打ちながらスリープしている。おるかはそれを愛しげに眺めて飽きないらしい。しかしインターネットに接続してもらえないので、もっぱらワープロとして使っているだけだ。まさに豚に真珠、おるかにチタニウムである。


12月20日 月曜日 雨

 月曜日なので、午前中ホームページの表紙を更新。ここのブラウザでは柚子湯のお湯の色がモネの睡蓮の池の水色とおんなじに見えるのだが、他所のではどうなのだろう。

 午後から句会。小雨の中、連中三人が歩いて見えられた。我輩が出て行くと気が散るらしいので、二階のお布団で階下の気配に耳を澄ます。当期雑詠五句、席題三句。お菓子もいっぱいで、和気藹々と楽しそうである。

   冬木の芽赤くて桂信子なし  おるか

   二つ目の夢にも流れ冬の川  おるか

席題 日向ぼこ 風邪

   身ほとりの反古や古着や日向ぼこ  おるか

   竹林のゆれてあふれて風邪の目に  おるか


12月17日金曜日 晴れ

 家の人間達は大寝坊してお昼ごろ起きてきた。起きたかと思ったらそれぞれパソコンにかじりついて、オットセイはカフェの掲示板、おるかはもらったばかりのマックG4に夢日記を書いている。

 長い夢で、緑の草原の向うに雪を頂いた神々しい山脈を眺めたそうだ。「徐々に夢体力をつけて、あの山々にのぼりたい!」と言う。現実の高山に登る体力がないのは分かるが、夢でもすぐに飛んでいけないとは、なさけないものである。

 ややあって、神妙な顔で「死夢ならむ」と、明恵上人の夢日記の言葉を臆面もなく引用する。明恵上人様だって修行一筋の人生の終わり近くで見た夢にそういう意味を見出したのに。二三日夢日記つけたからって、そんな重要な夢がすぐみられるかい!それこそ徐々に夢力をつける必要があろうというものだ。


12月15日 水曜日曇り

 Uちゃんが銀座三越の展示会から戻った。なかなか売れないそうだ。

「景気が上向きなんて何処の国のことだろうねー」と工房でストーブを囲みながらおるかも言う。「でも、お客様に明るく話しかけてどんどん売る人もいました」と、Uちゃん。「うーん、才能だねー。もうちょっと、そういう才能、ほしいねー」とみんなじっと手を見る。

 UちゃんTちゃん、そしておるかも、そうしたプレゼンテーションは全くの苦手だ。 黙ってこつこつ仕事しているのが好きなだけではやっていけない御時勢のようである。


12月14日火曜日 曇りときどき陽射あたたか

 午後、O氏がピアノを弾きにきた。発表会が近づくと,舞台度胸をつけるために他人に聞かせに来るのである。サンサーンスの「白鳥」とメンデルスゾーンの「歌の翼に」をガシガシお弾きになる。

 たまたま、お歳暮を発注にいらしていたM夫人とおるかは声を合わせて歌っていた。真珠のネックレスもうるわしい見知らぬご夫人がいたせいか、O氏ははかばかしく演奏できず、傷ついて帰ってしまった。意外にシャイなのだった。

 解剖学者養老先生の「死の壁」を読む。「バカの壁」同様、あまりにあたりまえなんだけど、あたりまえが珍しい(矛盾だねー)昨今なのだろう。先生は昆虫少年だったそうだから蝶好きのヘッセの近代文明批判の本、「荒野の狼」とか当然読んでいるのだろう。批判の矛先は似てるが、ヘッセの珠のごとくいだいている魂というものを養老先生は完全に抜きにしている。至極真っ当であるが、奥ゆかしさはない。


 12月13日 月曜日

 ワットーの絵そのままの美貌のマダムからパリ土産のカマンベール・チーズがとどいた。クッサーイ!おるかはなぜか突然フランス語になって、「熟成シテルハネ」「 カナリ塩気ガキツイ」などと言いながら一切れ切っては食べる。この辺にも、能登の小糠鰯はじめ匂う食べ物はいろいろあるが、なんというか臭さの濃厚さが違う。

 オットセイは毒をもって毒を制すという作戦か、ニンニクたっぷりペペロンチーノ・ゴーダチーズを作ったので、部屋の空気は一気にねっとりしてくる。

 おるかは我輩を抱き上げると顔を近づけて、「フランスノ離婚率ガ20パーセントナノハヴィオロンノヒタブルニウラ悲イセイデアル」とか何とか意味不明な例文ををしゃべりまくる。その臭さかぎりなし!思い切り蹴りを入れて逃げ出す。なにが「オー・ララ!」じゃい!


12月11日 土曜日

 夜、なんとなく「指輪物語」をみてしまった。8時から11時半、長っ!その間、コマーシャルの多いこと。「この会社の製品絶対買わないぞ」といいながら見る。

 昔読んだときには気にならなかったが、映像で見るとあまりにも戦争を美化しているように感じる。敵が悪の手先の怪物というのが、特に戦争が打ち続く昨今になると単純すぎると思われる。

 森の精霊(?)のエントたちが自然破壊に怒って戦うところは印象的だった。
そういえば「ギルガメッシュ叙事詩」で怪物扱いの女神は森の太母神だった。彼女を倒した”文化英雄”は森林の破壊によるユーフラテス河の氾濫などで、冥界に降るのではなかったっけ。古代文明のあった土地はみな自然破壊で荒地になっている。現在の文明が終わったとき、どんな地球が残されているのだろう。
 木々の間を美しいエルフたちが戦に荒廃した人間の国から、しずかに去って行くすがたが忘れられない。


12月8日水曜日 曇り

 窯焚き。寝坊して、十時ごろ火をつけたが、温度が順調に上がって思ったより早く終わった。冬になるとなぜか窯の温度が早く上がる。今回は、詰め具合が比較的ゆるかったこともあって火の回りがよかったのだろう。とはいえさまざまな条件が絡み合っているので、何度焚いてもなかなか、完璧というわけにいかない。神頼みはしたくないが。

 昨日見た乾山と古代アメリカ文明の展示品とを考える。乾山の器の遊び心は機能からの逸脱ともいえるが、それが逆に刺激になって、食欲ばかりでなく、気持ちを活気付かせてくれる。人間というのは、逸脱とか過剰とかが心底好きな生き物であるらしい。

 古代アメリカ文明展に、オルメカのものが、かなりあって面白かった。寿老人の集団のよう。頭蓋骨の変形がオシャレだったのか。展示品はほぼ全て儀式用、つまり非日常用であるらしかった。その表現の強度は、美を越えた美だった。宗教と芸術の関係はあまりに大きな問題だが、考えこまずにはいられない。


12月7日 火曜日 北陸は雨、滋賀県は晴れ 乾山を見にミホ美術館へ

 北陸トンネルを抜けるあたりから晴れて来た。冬紅葉がレンガ色に連なる湖北の山々。伊吹山の大きくえぐれた辺りがみえる。神聖な神の息吹きの山をこうも無残にけずるとはとなげかわしいが、奈良に都が出来る以前から伊吹山の木を切り出していて、森が失われ地崩れが起こっていたというから、年季の入った自然破壊の姿である。

 栗東インターで高速道路を下り,信楽方面へ向かう。音に聞く金勝山の急な坂道である。どのへんに磨崖仏はあるのだろう。第二名神の工事の車だろうか、ダンプカーがしょっちゅう通るのでおちおち景色も眺められない。

 乾山の書状と香合の数々をたどる先に光琳の寿老図六角皿がある。かなり暗い照明だが、おもったより薄く、焼成温度が低いだけに角もきっちりして、ゆがみもない。手取りはかなり軽そうにみえる。焼き味より描画優先という印象だ。
 次の部屋、抹茶茶碗がこれだけ一堂に集められていると壮観だ。おもったより小ぶりで底の丸みがいとおしい。汁注ぎの丸みも手の中の触覚の愉しみがつたわってくる。器は味覚も加わって五感を楽しませてくれる。

 乾山の絵を天衣無縫と言うことがある。叔父が光悦、兄が光琳という環境で、自分に何が出来るかと問わずにはいられないだろう。光琳の錆絵に讃を書きながら、自分にはこうは描けぬと思ったろう。その後の、閑雅、自在の画境なのだ、と思う。

 王朝趣味は琳派の大きな流れだが、乾山にはことに文人趣味が強いことも考えていた以上だった。若くして「陶隠」と号した隠逸への嗜好も惹かれる。

 自分用に乾山写しを作って密かに楽しもう。あれと、これと、などとにやにやしながら帰路に着いた。


12月5日 日曜日 雨

 台風並みの雨風だ。各地で被害もでているらしい。家の前の川も水底がすっかり洗われてあおみどりがかった岩の色がよく見える。カワガラスが流れに洗われる岩の上にひょいととまる。よく流されてしまわないものだ。彼らにとってはこのくらいの荒れた流れは全く気にならないらしく、気軽に身づくろいなどしている。

 晴れ間に、散歩にでた。濡れた地面に銀杏の葉が笄の形に金蒔絵のようだ。古いものは土に吸われて半ば透き通っている。

 おるかは足が痛いせいで運動不足らしく機嫌が悪い。やたらお茶を飲んで、ぐずぐずしている。


12月3日 金曜日晴れ

 うっとりするほどの小春日だ。ミホ美術館へ行く予定だったが、どうも流れるらしい。おるかは、「こんなドライブ日和を寝てすごすとは、本当は、行きたくないのだろうか。そう言ってくれれば一人で行くのに」とか気をもんでいるが、オットセイは理由があってどうこうするというのではなく、眠いときは寝るだけなのだ。


12月1日 水曜日 晴れときどき時雨

 村の中で工事が始まった。我輩がときどき見回りに行く、村の集会場の前辺りが、二十日まで通行止めになる。

 おるかは歯医者さんに行くのに、やっとの事で細い裏道を抜けた。明日からはこの道も工事関係車以外通行止めになるそうだ。そんなわけで村の外の仕事を一気に終えようと思ったらしく、図書館と本屋さんをまわって大荷物をかかえて足を引きずって帰ってきた。

 工事のおかげで、家の前の山道はひときわ静かになった。時折、村のお婆さんたちが山の畑まで自転車を押して行く。銀杏の落ち葉が一徹な黄色で道を覆っていく。その木の下でキジトラのヨモギにおるかが餌をやっている。おるかの餌だけを楽しみに生きている一匹猫だ。日がかげると山里の寂しさが滲みてくる。


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