ミケ日記

2005年 1月


1月29日 土曜日 朝晴

 私はおるか、人間です。旅行会社の人から、いろいろ注意をもらって、切符の束を手にし、いよいよイングランド名作と名陶の旅をすることになりました。

 乗り込む電車は観光用なのでしょう、アガサ・クリスティーの時代の列車そのままです。わくわくします。と、そこでバリバリと聞き覚えのある嫌な音。そうです。ミケが襖を引っ掻く音です。目が醒めてその残念なこと。「おい、今やっと電車に乗り込んだところだったんだぞ!」といったところで、どこ吹く風。部屋の戸は開いていて別に用があるのでもないらしく、ミケはそのまま丸くなります。「あー、なんなんだ」とうんざりしながら私も目をつぶると、うれしや夢の続きが始まるではありませんか。
 灰色のスコットランドの空、黄色の光が風吹き渡る原野におちます。ヒースの香りを嗅いで見たりしながら、このままずっと歩き続けたい、と、バリバリバリ。

 「えーい、またかー」と起き上がると、一階へ駆け下りてゆくミケ。台所の戸のまえにポッタリ座っている胸のあたりが明け方の薄闇にほのかに白い。戸をあけてやると一瞬考えたようなふうで、やがて闇の中へ流れるようにするりと入って行きました。

 日の出前の外気は冷たく、すっかり目が醒めた私は、「やれやれ、これではもう眠れないな」といいながら、布団に入った途端、旅行は続行されたのです。

 石造りの細い通りを廻ってパブにはいります。灰色のツィードのジャケットの人たちのなかで、一人だけ落ち着いた金褐色のとてもいいコートの老人がいます。「あのコート、ゼニアかな」とおもいながら、どこかで見た人のようで、パブの喧噪の中でその背中を目で追うのでした。

目が醒めたら、すっかり寝坊していました。まったく観光だけの夢というのも珍しかったし、一晩に三度つづけてみたのも珍しいので、書いて見ました。


1月28日 金曜日 晴

 お昼にO氏が歩いてくるのがみえた。誰かに似てるとおもった。船越桂の作品にありそうな感じ。

 「これ、なんだと思います?」とプラスチックのちいさな箱に入ったものを見せてくれた。鉱物か軽い骨片のような白っぽい小さなかたまり。触った指が匂う。乳香だった。「アフリカで?」「サウジアラビア。」

 たしかに樹脂臭だが、甘く官能的に柔らかな香り。「あちらでは、この香を焚くと今夜はOKよという意味だそうです。」とにこりともせずおっしゃる。

 樹脂のことから「巨樹の会」に 入って、先日「あさだ」というめずらしい木を見た等々木の話をいろいろ聞かせてくださった。

 午後の日が傾く頃、ダックスフンドをつれた、洒落た綺麗な女性が通った。ふだんは山の畑に行く農作業用のいでたちのおばあちゃんしか見かけない道なので、幻覚かとおもった。犬が、橋の手前で、猫がいるせいだろうか動かない。彼女はやさしく待っている。絵の具に水を足して顔を上げるともういなかった。


1月27日 木曜日 小雨

 冷たい雨だった。庭の蝋梅がよく香る。そろそろ花がおしまいなのだろう。闌れるころが一番強く香る。

 暗くなる頃、家に戻ると、おるかが、コタツで伸びていた。「今日はかなりの時間仕事した割りに、お湯のみが十二、三個しあがったただけだ」と聞かせるともなく言う。咽喉をごろごろしてもらうのは気持ちいいので、我慢してぼやきを聞く。「それぞれの絵の具を磨るのに時間がかかるから、個数が少ないと描くより磨る時間の方が多いみたいなんだよ」「調子が出たかなと思うと終わっちゃうし…」「それでも本焼きは綺麗にあがっていい色だった。焼物はなんたって焼き上がりだよねー」
 えんえんとしゃべりながら、首の後ろをつかんだりするので我輩、さすがにいらついて顔にパンチをいれてやった。「わー!なにすんだー!」とさわぐ。

 買い物から帰ったおっとせいが我輩を買い物籠に入れて遊ぶので、こんどはオットセイにもきつくパンチをいれてやらねばなるまい。足でも噛むか?


1月26日 水曜日 曇りときどき雪

 昨夜から冷え込んできた。おるかは、トイレに行く前に我輩を撫で回す。さむいので手をあらう回数を減らすためらしい。無礼なやつだ。そのせいというわけでもないが、 明け方になってなんだか落ち着かず、ほぼ一時間毎に襖を引っかいたり鳴いたりした。「鳩時計か、おまえは!」と、おるかがぼやいていたが、自分でもわけも分からず興奮してしまった。

 午前中に東京ドームの出品のための写真撮りに人が来た。夕方にも加賀市紹介の小冊子用の写真撮影とインタビューがあった。監修は高田宏氏だとインタビュワーの女性が言っていた。


1月24日 月曜日 晴

 晴れて風さえも春めいている。裏の山から雪消のしたたりが 流れになって川へと走る。全く三月頃の山の気配だ。おるかも日差しに誘われてふらふらと出歩いている。梢に露が光るのをぼーっと眺めている。宮沢賢治の童話「ケンジュウ公園」の主人公、ケンジュウ(漢字が出ない)ようだ。もともと似たようなものなのかな、ケンジュウは幼くして死んじゃったけど。小さな杉の木の公園なんてのも花粉症のなかった時代の話かもしれない。


1月22日 土曜日 北国日和定めなし

今朝の夢

 箱根あたりだろうか、昔の”文士”風の人たちが、友人を迎えたり出向いたり、茶飲み話に日を暮している。私は近所の子供といった役どころで、台所にいって奥さん達が時間をかけて晩御飯の用意をしたり、蒸しパンをつくったりするのを眺めたりしている。縁側へ廻って、墨を磨らせてもらったりもする。

 男の人も着物で結城かなにか紬をきている。ときどきその上に胸の辺りまでのマントを羽織って散歩にでる。「紅茶にいれてハーブ・ティーする」とか何とかいって野草を摘んだり、議論に夢中になってそのハーブを汚れた下着のはいった籠にいれてしまったまま二階に本をとりに行ったり、のどかなものだ。ときには女流作家らしい人が「著作集のあそこのとこが、困りますこまります」と執拗に繰り返したりしている。

 しかし、どうやら、彼らはすでに死んだ人たちらしかった。「最近の碑文の石は安っぽいね」「あぁ、仰々しくて安っぽい」などと言う。

 ニュースでNHKと政治家の癒着疑惑報道疑惑について「(戦前も)こんなふうなことあったね」「ぁあ、、それを足場に一気に言論を弾圧しにかかるんだよ」「政治家と往き来してりゃ、朱に交われば赤くなるだよ」「火のないところに煙は立たずさ」と、やたらに格言が多い。「(NHKは)国民から金を取ってるだけ始末がわるいね」 。 「そのうち、<戦争が廊下の奥に立っていた>ってことになるのさ」「それ、誰の俳句だったっけ」

 そんなところで目が覚めたが、彼らの会話は頭の隅でつづいている。そこで質問してみた。

 「小子化が問題にされている時代に若者を大量に消費する戦争を起すでしょうか。」

 「甘いね」と返事。「ゲームに慣れた若いもんは後方で、兵卒には団塊の世代を使うのさ」「彼らはいい兵士になるかもしれんよ。我慢とか根性とかまだ知ってる世代だ」「年金を食うほうの世代を大幅に減らせたら、政治家にとっちゃ一挙両得よ」

 文士方は火鉢で餅を焼きだした。

 


1月21日 金曜日 午前中晴午後雪

 絵付けの部屋の東と南の角は窓が接しているので、90度に反射しあって空や山が複雑に入り組んで見える。東の空が明るいと南の山の中腹に雲が流れる。光によって家の北側も映り込んで、歩く猫さえ見える。立ち木や道も本物と反射した姿がが入り組んで、そのまま”記憶”とでも題して絵に描いてみたいくらいだ。何が幻想で何が本物か。わかりにくいものだ。

 内田樹著「他者と死者」読む。わかりやすく読みやすく書いてあった。レヴィナスとラカンが師であるといわれたら、素人はへへーと土下座するほかありませんよ。「終章 死者としての他者」はちょっと感動しちゃったけれど、こんなふうに「善性を基礎付けた」人物が身近にいたら、なんだか鬱陶しいような気がするのじゃないかと、わが心の深淵をのぞいてしまったのだった。そりゃ感動よ、こんな一節

 無秩序な世界、善が勝利に至らない世界における犠牲者の立場、それが受苦である。受苦が神を打ち立てる。救援のためのいかなる顕現をも断念し、十全に有責である人間の成熟をこそ求める神を。Levinas ,Difficil Liberte' 1963/76

 美しいけど病気にになりそう。超 vulne'rable !ヴュルネラビリテは傷つきやすさとふつう訳されるけれど、犯罪誘発性と訳される場合もあるね。右の頬叩かれる前に左の頬を自分で殴っちゃうみたいな感じ安い人もたしかにいるね。聖人だと思う。レヴィナスなんか確かに聖人の雰囲気。

 そんな受苦に頭を垂れた聖人たちがそぞろあるくのに、どうしてこの世はこんなに美しいのかな。雪の中に蝋梅の花が咲いていい匂い。霜に縁取られた越冬葉がブローチみたい。雲の中から星が生まれては消える。


1月20日 木曜日 雪霰そして時折黄金の日差し

 きょうは大寒。たしかに寒い。雷三連発の後霰。そのあと霙。屋根の上で盛大に炒め物でもしているような音がする。

 オットセイは近くの小学校の卒業製作を見てやりに行った。毎年のことだが、騒ぎまくる子、できないできないという子、没入する子に、遊びながら面白いたものを作る子、とさまざまで、「子供は面白いよ」といいながらも、どっと疲れが出たらしく、 戻ったら夕寝してしまった。

 我輩は道祖神の招きにあって、漂泊の旅にでた。我輩の歩いたあとには雪の上に梅の花の模様がつづくのである。行きつけの物置小屋で、まずは一服。変わったことがないかあたりの空気を嗅いでいるうちに、うとうとしてくる。農家の物置の、藁や古いカボチャの匂いは妙に眠気を誘うものである。

   寒雷や傘と脱穀機が出会う  ミケ


 

1月19日 水曜日 晴

北村太郎の「全詩」を読む。いいなー。詩集「犬の時代」で、すきになったが、後年の詩、こっちが年のせいなのか、しみる。すっかりはまって、このところ朝ともなれば


コップがひかる
水がこぼれる
バターをパンに塗る
「コーヒーいい匂い           (五月の朝 詩集笑いの成功)

「いい匂い」と、口に出してしまう。「新年のための詩を」ひらいて

「来年はもっともっと勉強しましょう
徹底的に無愛想になろう
他人も自分も燻してみよう(ヒヨのように陽気に)
病葉積まねば芽は生ぜずだぞ」

の行をみてニヤ二やうなづく。

「9時だ「悪の華」だ
この安藤元雄訳を午前に読む習慣はなんたる快楽!」

本当にそうだなー。ボードレールの「悪の花」ポケット版がもう三冊か四冊目だ。それでも午前中にチラッと読むと震えるもんね。こっちの進歩がないというより、ボード−レールが凄いんだ。北村太郎はつづける

「どこかにあった一行<いとしい女(ひと)は裸体だった
しかも私の心を知りぬいて>
コーヒーいい匂い
ヤバいおもい
さんさんと日は昇りつつある
いかなる情念にとりこまれようともゆるせ
かなたにひかる海よ」

この詩を書いた日は○ソだったのだろうな(日録という詩の注に○ウは鬱、○ソは躁 かく日録に略記するは余が年来の習慣也 とある)。ほんとに光がきれいな詩だな。

北村太郎のエッセーも好きだ。猫について書き写したくなるようなエッセーがあった。犬についての名エッセーっていうのはあまり知らない。犬の好きな人間はおおむね単純である。猫を愛するもののように、畢竟、世界はわからないものなのだという認識がないのだろう。

犬の世界は、強いか弱いかだけである。権力の犬どもである。権力に尾を振り、靴を舐めるのである。あぁ犬なんか嫌いだぁー!


1月18日 曇り

 人間とは死に取り付かれた生き物のようだ。ヴィトゲンシュタインが、「語ることの出来ないものについては、沈黙することだ」とごくまともなことを書いた。が、チョムスキーの変形生成文法の枠を超えた違う発想の言語ならひょっとして語りうることもあるんじゃないか、などと考えたりするやつがいる。

 死者について考え、彼ら他者の中の他者への責任や義務を考え続けるのは、人間だけの特徴だろう。我ら猫族の言えるのは、あの世がもしあるとするなら、ともかく昼寝するだろうということぐらいだ。

 だから、おるかが死について考えるのが多い方なのかどうかは良く分からない。我輩の顔をみては「おまえがいる間は死ねんのぅ」といつも言う.オガタマの木を見上げては、「この木の花は眺められまい」という。桜をみれば、「下品だといわれてもソメイヨシノにでもすればよかった。枝垂れでは寿命が長い分、木の盛りのときがおそいからなー」と悔やむ。

 おるかの、見残すと化けてでちゃいそうなもの一覧をのぞいたら、「イグアスの瀧の月の虹」といったレア物は皆無で、案外その気になって出かけさえすれば見られるようなつつましいものばかりだった。化けて出たくはないものとみえる。


1月13日木曜日 

 またもや内田教授ののホームページで拝見したネタ。いぜん水族館でも話題になった「オニババ化する女たち」の三砂先生へのバッシングがすごいのだそうである。

 「それで30代の若いフェミニストの教条的なやり方(5,6人はいたかな、みんな同じことをい
うので個体識別できない)に疲れました。」という三砂先生の言葉が引用されていた。でも、独身の女性が個性もへったくれもなくオニババという怪物になるといってるのはご本人なんだから、「個人の顔が見えない」と文句言うのも妙な気がした。その設定がそういう反応を生むのではないのかシラン。

 エリザベス・A・ボールズが「美学とジェンダー」でメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」のあの怪物は、当時の男性社会に居場所のない、怪物あつかいであったといえる女性の立場の象徴と分析していたが、よく似ているね。三砂先生いうところのオニババも男性中心社会の価値観にまつろわぬ女性性を怪物として排除してしまおうとしているようにみえる。ビクトリア朝のブルジョワ紳士方には三砂先生のご意見は多くの賛同者を見出すのではなかろうか。


1月12日 水曜日

 内田樹教授のホームページで今日は「性的マイノリティと性の言説化」についてかいてあった。

 内田先生は「私は同性愛そのものを「社会的イッシュー」として論じることには興味がない。」とお書きになっていて、なんとなくジョージア・オキーフを思い出したj。彼女は当時(今もかな)最も成功した女性画家だったが、ある女性解放運動の活動家がインタビューに行って女権拡張に意見を求めた時「何でそんなことせんなんのん?」という態度だったそうである。たしかにオキーフのように、砂漠に一人で住み、ひたすら絵を描いて暮す、驚異的に独立独行の人物には、解放運動の必要はないだろう。

 といってもオキーフは後に女性画学生達に「男の子達が議論してるあいだにしっかり仕事して静かに追い抜いていけ」というような話もしているからジェンダー的意識がないわけではないのだ。

 性的マイノリティには西欧型の社会でも別の社会でも現実にさまざまな差別があることは事実なんだから、不当だと訴えたい人がいても不思議ではない。ほんとに社会的イッシューとして論じることが意味のないような世界は、ありうるのだろうかと思った。

 ともあれ、しっかり仕事して、静かに先人達の域に追いつき、できたら多少とも越えてゆきたいものだ。仕事、仕事。


1月5日 水曜日 朝雪午後になって晴

 雪国風景満喫。仕事はじめに先駆けて、おるかが足が痛いというので、絵付けの部屋、テレビ周りなど模様替えをした。ありあわせの机や椅子を按配して椅子式に。何一つ捨てず足さずなのだが、機能的になった分、整頓されたような印象だ。

 これはインテリア・コーディネイトのコツではないだろうか。同じ量のモノがあっても、”機能的”な印象をあたえれば整頓されたようにみえる!例えば台所のシンクに食器がたまっていれば顰蹙もんだが、それをベルトコンベアー状にならべて「スイッチがはいれば片付くところです!」という顔をさせておくとか?!

 夜、「夏目家の食卓」をザッピングしながら見る。上がり框の黒猫の衝立が気に入った。「食卓」と銘打ってあるだけに、床下の漬物桶や薪のカマドの煙の匂い、魚を焼く匂いなど、豊かな匂い生活が偲ばれる映像があった。匂いの濃いじだいだったのだろう。それに比べると現代は芳香剤の匂いばっかり、人工の「○○の匂い」なんて薄っぺらで、鼻について、やすっぽいものだ。生活感情もやっぱり安っぽくなっているのかもしれないにゃー。


一月4日 火曜日曇り

 外に出ると空気が柔らかだ。春めいているとさえ言える感じ。これでいいのか?庭の蝋梅が咲いている。越前水仙とてもよく似た香り。ガラス細工のように半透明に透き通って見える花を一枝活けておくと、女の人が立ち去った後のような仄かな香りが部屋の隅に漂う。

 正月休みに読んだ本

「人類の地平から」川田順三、読みやすかった。

「西安の石榴」茅野由城子 短編それぞれが、果物とかみ合わせてある。今っぽく色っぽく、読者に「読んで御損はさせません」というプロ根性のある書き手。

「テースト・オブ・苦虫」町田康 らもさん亡きあとはこの人しかいない。わははわはは。

「アラビアン・ナイトメア」ロバート・アーウィン 悪酔いしそう。

「江戸女流文学の発見」門玲子 江戸時代は江馬細紅はじめ漢詩人、儒者もちろん和歌、俳諧にも多くの女性の書き手がいた。学神とまでいわれた井上通女、本居宣長と論争した荒木田麗女、只野真葛。俳諧はもちろん加賀の千代女、田捨女他大勢の女性が名前を残している。それなりの文化的成熟のあった社会だったのだろう。

「装飾の美術文明史」鶴岡真弓 ついて行きます鶴岡先生!

そして、今年の読み染めは古井由吉三冊

「野川」「白髪の唄」「ひととせの」 いつも読み初めは催馬楽か今様か、それなりに賑々しいものを選んだものなのだが、古井由吉の書いているのは、もうまさに、生老病死苦。自分でも何が面白いのか分からない。けれど好きで良く読む作家なのですよ。文体がすきなのかしらね。作家が年をとるにつれて面白くなってくる。一昨年書いたもの「フン翁(フンの字漢字がでない)より去年書いたものがすき。「神秘の人びと」というエッセーで若い頃、クリシュナムルティやインドの宗教化に惹かれたことなど書いてあってなんとなく,ふにおちるものがあった。意識と無意識、この世と彼の世の境界の おぼろにうち混じる世界。書くことの縁に居る作家だと思う。

アナイス・ニン「ヘンリー&ジューン」私でも辞書無で読める簡単な英語だが、切迫してくるものがある。映画でジューンを演じたユマ・サーマンは最高だった。

「母への手紙、ボードレールからサンテクジュペリまで」 あのボードレールも頭が上がらないんだね。

その他拾い読みいろいろ。

ビデオ、わたしの永遠のアイドル、シャーロット・ランプリングの「スィミング・プール」を見たかったがなかった。まだでてないのかな?


1月2日 日曜日 晴れ

 雪晴れ。光が木々の間を嬉しそうに滑ってくる。

昨年末は惜しい人たちがバタバタと逝かれた。よく出来た人は早々にこの世を去るのか。

 地球四十六億年の歴史をテレビでみたが、強いものは滅び、偶然もあるが案外に弱いものが生き延びている。まさに盛者必衰のことわり絵巻であった。祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。あぁ去年の雪いまいずこ。

 さて、それなら最近見かける「もしも地球が百人の村だったら?」という問いの答えは明白だ。すぐに絶滅!

 家の人間達は、初詣にでかけた。大聖寺の菅生石部神社、愛宕神社、大原神社と廻る。二日なので静かで、愛宕神社の甘酒のテントも焚き火の跡だけになっていた。遠く白山山系の雪の山並みが、午後の日に輝いて、ゆっくり蛇行する大聖寺川もそれなりに青く見えた。寂れた町の細い路地、以前お茶の稽古に通った辺りは人影もなく、冬の日だけが色あせた格子窓を覗き込んでいる。骨董屋のショウ・ウインドウに越前水仙が似合いすぎていた。

 帰り道の其処ここの白山が見えるスポットで首を伸ばしてみたが、今日は、菊理姫は雪雲の中から、顔を出しては下さらなかったそうだ。

   夕雲のややに流るる二日かな  ミケ


1月1日 土曜日 曇りときどき雪

 あけましておめでとうございます。折口信夫は「何の疑問もなくめでたいなどというな」と怒ったそうだが、我輩はお正月気分はすきである。家の中は片付いてキレイだし、お雑煮の出汁の匂いもいいし、新しい座布団カバーに足跡をつけるのも面白いし。

 外は霙と雪でビチャビチャの初景色だ。それでもおるかはベランダで雲の中の初日に手を合わせていた。年賀状の海外向けを書き足す。晴れたら初詣に行きたいが、どうもまた雪になりそうだ。


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