ミケ日記

2005年 2月


2月28日 月曜日晴

 もう二月も去ってゆく。あぁなんだか此の頃だらけている。それでも天気がいいと自分のことのようにうれしい。雪解けの水が光ながら地面を漣立てて流れてゆく。眺めて飽きない。いつまででも見ていられる。ひよどりが二羽柿の木に黙ってぶっちがいにとまっている。木々の間の残雪が、巨大なナメクジのようだ。

 おるかは俳句誌「藍生」が届いたので、まず自分の句をチェック。どんな句を投句したか憶えていないのだ。「実につきなみだ。いわゆる俳句的なものの枠から一歩もでていない」と一人ごちる。

 我輩を抱いた写真を撮るために、眠っていたところを起された。不愉快である。暴れて逃げようとしたが、なかなかしつこい。十分ほどじたばたしたろうか。やっと「こんなもんか」と諦めて、プリントアウトしようとしたらプリンターが動かず写真やさんに行った。それも「藍生」に送るそうである。添付の200字エッセーは五分で 書き上げて、ぴったり200字になったと鼻高々である。字数より内容だろ!


2月27日 日曜日 雪晴

 昨夜の夢。

 夢の中も夜だった。街灯も月も無い、真っ黒な夜。住宅街の壁に囲まれた細い路地なのがわかる。黒猫の足が動いた。闇の中を猫の気配が移る。向うの路地を祭りの後らしい大きな団扇や何かを持った人間達が通る。こんな夜は危険だ。祭りの勢いで猫に石を投げたりする手合がいるから。獣道に入って、植え込みの間を抜ける。神戸のにしむら珈琲店のようなガラス戸の中で全員坊主頭の青年達が、塚本邦雄と車座になって話し込んでいるのが見えた。

 夢の中が真っ暗だと目覚めた後もなんとなく暗い気分だ。


2月25日 金曜日 くもり夜に入って雪

 勝手口から顔を出したら、クリントンさんちのソックス(もう憶えている人もいないだろうが、背中が黒くてお腹と足の白い前大統領の猫である)みたいなやつが走り過ぎた。おもわず追っかけてベランダの手すりに追い詰めると、声を聞きつけてシロが走ってきた。あいつは苦手なのだ。我輩がこんどはベランダの手すりに飛び上がる。そこにオットセイがでてきて、家に連れ帰ってくれた。

 ソックスもどきは工房にいれてもらい、皆に可愛がられて、ぬくぬくと満腹になり、椅子の上で空中モミモミをしていた。外猫タマの子だが、タマに嫌われて流浪の身の上らしい。村に一軒だけの料理やさんの近くで、ときどき目撃されている。夕方になって工房にいても落ち着かないのか、走り出ていってしまった。入れ替わりにタマとシロが乱入。傍若無人を四本足にしたような態度で、ストーブの周りを占拠した。あの二匹は似た者同士、排他的で食欲旺盛で喧嘩が強い凶悪コンビだ。

 夜になって雪。おるかは「疲れた早く寝る」といいながら、なにかと夜明けまで起きていた。


2月24日 木曜日 曇り後小雪

 我輩の夜明けの一騒ぎに、今朝のおるかは根気よく付き合ってくれた。そのまま起きて、フランス2をみながらパンをたべている。その後、ノートを開いて俳句をつくりだした。今日は午後から句会なのだ。しばらく、読みかけの本に 手を伸ばしたりぶらぶらしていたが、やがて集中して十句ほど作った。これが毎日出来たらいいのだが。

 そのあと掃除をして貝雛や土雛を飾り、親指の頭ほどの小さな輪華の鉢にこんぺいとうをあげていた。句会の部屋をひさしぶりに暖めたので、「鍵盤が冷たい」と敬遠していた隅のクラヴィノーヴァを弾く。ヘッドフォンで弾くのを、傍から見ると実に滑稽だ。

 やがて句友が集ってくる。最近絶好調のTさん、Nさん。U嬢はチャコールグレイのジャケットに襞スカート、とてもほっそりしている。今回から新入会員が一人増えた。新入といっても句歴の長いご年配の方なので、おるかは緊張している。賑やかな声がするので我輩も見に行ったが、テーブルいっぱいに紙やお菓子が広げられ、「席題締め切りあと五分!」などとやっているので、早々に退出。おるかは気を使いすぎて自分を見失っているようだった。年甲斐のないやつである。

   春浅し木彫りの小鳥木にとめて  おるか


2月20日日曜日 雪

 また雪が降り出した。二週間ぶりで図書館に行く。隣の古九谷美術館でまたなにかイヴェントがあるのかアプローチのあたりまで車が置いてある。悪質な違法駐車の車はボコボコにしてもいい、という法律でもあるといいのにと思う。駐車場も車椅子マークのところまで普通の車(多分)が駐車している。運良く一台でていって、駐車することができた。まったくの僥倖という感じ。

、頭痛がしそうなので、本格的になる前に戻ろうとそそくさと十冊借りる。その後本やさんで俳句研究三月号など買う。夕方から頭痛。早く寝ようと思いながらアメリ・ノトンの「幽閉」と鹿島茂「妖人白山伯」を読了。そのままねむれなくなってとうとう徹夜してしまった。バカです。


2月18日 金曜日 曇りときどき晴

 おるかは、ここ数日風邪気味とかで、午後遅く蹌踉として起きだし、よろよろと上絵の色注しという単純作業をしている。夕方になると疲れて何も出来ず、ボーッとしている。我輩のこの日記にもおるかが風邪だの頭痛だのと書くことばかり多くて、全くいやになる。

 人間はホモ・サピエンスなどと自称しているが、風邪一つ治せない。我ら猫族は咽喉ゴロゴロの低周波療法で、体調を整え、免疫系で風邪などシャットアウトしている。これが進化の精粋というものである。人間とは本能が壊れて生まれてくる、本来、異常ないきものなのである。だから法律や制度がなくてはなにもできないのだ。あったところで、この程度だが。そのうえ鼻かぜさえ治せないのに万物の霊長とはちゃんちゃらおかしい。

 しかるにわが猫族の力を羨望するのか、漢方では虎の骨を珍重するという。なんという発想だろう。人間の行動パターンはバカの一つ覚えというのであろう。いつも同じだ。本能のかわりに制度、免疫系を進化させる代わりに薬、これを付け焼刃というのである。


2月16日 水曜日 

 おるかはシガレットパンツをはこうとしてお腹がきつくなっているのにショックを受けていた。もともと170センチ近い身長で50キロを切る痩せ型である。「これで、お腹だけ出たら餓鬼体形になっちゃうよ」とぼやいていたが、なるほどそれはおそろしい。やおら腹筋運動を始めたが、いつまでつづくことやら。

 我輩は顔がちっちゃく手足は長め、お腹はアッシリアの獅子の彫像のごとく引き締まっておる。外猫どもは、我輩と血筋がつながっているはずなのにコロコロで、タマなど、パンパンになるほど食べて地面に横になったときなど、まるでノミみたいである。


2月14日 月曜日 曇り

 バレンタインデー。工房のUちゃんによると最近は女の子同士で「友チョコ」をするそうだ。かわいらしいね。それを聞いたおるかは「学生の時にそれが、あったら男の子よりも、もらえたかもしれないな」とつまらないことを残念がっていた。オットセイはといえば「お菓子やさんの商業主義に煽動されて、おろかなことだ」とバカにしきっている。そんなわけでこの山里の工房では誰一人、リボンも花もチョコも無く、黙々と仕事するのであった。

 夕方になっておるかが、この時期でなくては手に入りにくい珍しいチョコや生チョコレートの安くなった所を漁って来て自分で食べていた。まったくロマンチックなハートのかけらもない。


2月13日 日曜日 曇りときどき雪

 デザインが浮かばないとき、おるかは「奥の手をだしてくる」といって、二階に上がって昼寝をする。本人の言う所によると、「寝ているのではない、デザインのアーカイヴとアクセスしているのだ」そうである。ありとあらゆる紋様やデザインの厖大な流れがあて、そのなかから「これ!」という図柄や器形をつかみ出す意識のすばやさは半仮睡状態でないとダメらしいのだ。

 最近は俳句を作るときもそうやって細切れに眠ってはガバと起き直って書く。そのアーカイヴとやらは本人の記憶なのだろうか?たしかに無意識的な記憶はかなり厖大なものだろうし、本人も普段の自分と思っているものとは違う印象をうけるだろう。

 それをアーラヤ識だなどとおもうとオカルトがかってくる。語り得ないことについては黙らねばなるまい。唯識で、よく分からないのはその辺だ。

 リン・マクタガート著「 フィールド・響きあう生命・意識・宇宙」 野中浩一訳も面白そうだ。

 内田樹教授のホームページでみたが、その本によると「直感知は私たちが現在理解しているよりもずっと広くて深い能力を持っていることをほのめかしている。」「それは私たちの個別性ー私たちは孤立した存在だという感覚そのものの境界線をぼやけさせることにもなった。もし生き物の究極の姿が、フィールドと相互作用をしながら量子情報を交換する荷電粒子だというなら、どこまでがじぶんで、どこからが外界になるのだろう」(同書148頁〜9)と、あるそうだ。

 これは唯識の世界観そのものに思える。イヤ全く70年代の」ニューエイジ文化を思い出しますよ。量子物理学や生理学を仏教の教えと照合したりしたものですよねー。
 私という存在がたまたまそこにむすぼれている分子の密度の高さであり、人間の自己同一性というのが、「ネットワークの効果」だというのは、なんとなくわかる。これぞまさに唯識ですよ。そこで、アーラヤ識というか知のアーカイヴみたいなもんは、どうなるんでしょうか、だれか教えて欲しい。


2月12日 土曜日 朝日の中に風花が舞う

 このところ毎晩、おるかの布団の上で眠ることにしている。「けっこう重いんだよ」とおるかはこぼすが、なんといっても温かい。今朝も「足がしびれてるよ」といいながらも、我輩が「ムニャ?」と一言言えばすぐでれでれになって、ボードレールの猫の詩など誦すのである。

 背中を撫でながら夢の話をする。なんとも言えず美しい広々した湖水や山山を見はるかす楼台の欄干で昼寝をしていると、ふと影が落ちて、周りの美しい人たちもいなくなってしまったのだそうだ。我輩がおもうに、それは昨日えがいた盃の絵の世界だろう。洗って描きなおせといわれるのを恐れながらも諦めるために、そんな夢を見たのだろう。

 それにしても中国の綺譚風な掌編にでもなりそうなストーリーだ。傑作を描こうと心を砕く職人が、あるとき午睡の夢にその世界に入り、美々しい世界に酔いながらも、その奥の、自身の欲望の恐ろしさに気付いて、目が醒めて、その盃の絵を洗い流す。
 なかなか。


2月11日 金曜日 またも雪

 テレビでルーブルの名画百選みたいなのをやっていて、ついお昼過ぎくらいまで見てしまった。綺麗な色は見るだけで何か嬉しい。午後、日当たりのいい絵付けの部屋から外を眺める。外猫たちが雪のなかをあちこちしているので、我輩の家猫のステイタスを見せ付けるべくひとしきり唸ってやった。

 おるかは盃に細かな風景を描いている。前に描いたのより、手の込んだ図に仕上げだ。やっとできた所でオットセイがやてきて「それは赤玉にするはずだろ」という。「前に言ったろ、すぐわすれるんだから」とさんざんに言いまくるオットセイ。がっくり気落ちするおるか。それにしても、五個かそこら別の模様の盃を作ったってかまわないじゃないか。


2月9日 水曜日

 午前中、おるかは俳句を考えて、午後速達で投句。これじゃ、たいした句は作れませんよ。午後から7時まで仕事、そのあと「花」についての四百時ほどの原稿を考えていた。「四百字ではなーんにも書けない」とこぼす。そのくせ読書感想文を夜遅く書いていた。UPしてしまってから、「つまらなかったって感想なんか書くもんじゃなかったな」と反省していた。遅い!初めてなわけじゃあるまいし。

糸山(ほんとは糸が二つの)秋子「袋小路の男」さらさら読んだ。なにも起こらない小説というと吉田健一とか古井由吉とかけっこう好きな作家が多い。が、おこらなさでは、この「袋小路の男」は極北という感じ。なにしろ高校生のときから十何年つきあって、手も握らない男女の話である。一生、それでいくらしい気配だ。そこまでゆくとなにもないということの凄みみたいなものがひしひしとただよう。


2月6日 日曜日 雪

 さすがに図書館の駐車場もきょうは空きがあった。いつも公園の中を抜けて歩くのが楽しいのだが、あまりにも寒い。ラビットファーの上にヘビーデゥーティーの コートを着込んでぱんぱんになってもまだ寒い。てあたりしだい10冊借り出してそそくさと帰る。

 俳句もエッセーも書けず、夢で見た風景を何枚か描く。


2月4日 金曜日 雪

 デグランゴレと音がして、屋根雪がすべり落ちる。その度に家が揺れ、棟木のアバラがきしむアバランシュ。我輩もおちおちねむれない。例年の水っぽい雪より遠くまでとぶので、庭の白山吹が折れてしまった。崖際のクロモジも見えなくなって心配だ。雪は美しいが、溶けた後の惨状は毎年ながらいちいち驚かされる。夜、竹の折れる音を聞くのはいやなものだ。おや、また降ってきた.よく降るにゃー。

   雪折れの杉踏めば香のしつこさよ いつかマストになりたかったと  ミケ

 外の空気を吸いに勝手口からでたら、シロとクロ、にらみ合いの真ん中で、驚いた。飛んで帰ったが階段でから足を踏んでしまった。イタタ。

   雪という巨き白猫あそびおをりあそびていつか追い詰められて  ミケ


2月2日 水曜日 大雪

 ゴーンと音がした。なんだろうとおもって居間へ入ると。ガラス戸に小鳥が激突して目を廻している。「おお!」と食いつこうかとおもったが、すぐ息を吹き返して飛んで行った。
 ふと見るとベランダの戸袋の脇におとなりのクロがいる。クロも呆然として鳥を見送ったが、すぐ妙に甘い声を出してぶらぶらと歩き出した。恋に盲目で小鳥など見向きもしないという演技なのか、しんそこそうなのかは、分からない。

 そういえば、昨夜もどこかの猫が恋の歌を歌っていた。大雪の中で。若いのぅ。明け方に散歩に出ようかとおもった我輩は雪と氷の地表に肉球がかあいそうになって、やめたのだった。我輩も、なまったものだ。
 しかし、そのすぐあとに除雪車がガロガロと氷まで剥いで除雪していったから、道になど出ていたら大変なことになるところだったのだ。フム結局、やせ我慢などしないほうがいいってわけだ。寒ければ丸くなり、暑ければだらりと長くなるのが良し。それが猫族のあるべきすがたでもあろう。明恵上人がおかきになった「あるべきやうは」は、凡俗の考える「○○らしさ」などではない。

   捨て犬の足跡雪の山へ向く明恵のクロとどこか似ていた  ミケ


2月1日 火曜日 大雪

 もう二月、そして久々の大雪だ。ヤマガラが雪に酔ったのか絵付けの部屋の窓をふらふらと覗き込む。、シジュウカラは軒下をからから走る。ちいさな氷柱の砕けるような軽い音。柿の木にぶら下げた蜜柑をつついて見ようかどうしようかとヒヨドリが悩んでいる。

 外猫たちもロクロ場に入れてもらって、それぞれストーブの周りの椅子にのっている。外を歩くときは前の猫の足跡に几帳面に足を入れて歩く。前足の跡に後ろ足をきちんと入れる。チビタマは足が短いのでそれでもお腹が 雪をこする。
 ふわふわになったり粉になったり雪は一日中木々と戯れて止まない。

 おるかはマグ・カップを描いている。原種チューリップとヒヤシンスがカラフルなペルシア風の絵柄だ。永遠に枯れない花々。雪明りが磁器の肌に仄蒼く映る。
 オリエントの焼物には不思議に惹かれる。ラスターの輝き、なによりあの青。水晶のちいさな猫もわすれられない。 岡山のオリエント美術館にもう一度行って見たい。

 お昼はターメリック炊き込みご飯にトマトのカレー。ご飯はモチモチとしておいしい。
夕ご飯は、おやつばかり食べてお腹がいっぱいで、たべなかった。それで夜中過ぎてから夜食にうどん。太りたい人の食生活だ。

 夜になると、おるかはマックのG4に、二千年 以後の句を書き込んでいる。俳句のページを作りたいらしい。光学マウスは扱いが難しいとこぼしている。かきこんだところでアップできないのだからシジフォスのごとき虚しい作業だ。本人はなぜか嬉々として単純作業をしている。「心が疲れたとき、手を動かして単純作業をするのはやすまる」というが、一日中、手作業しているんだから。それでやすまりたらないほど疲れているというのだろうか。我輩には、かなりマイペースでノンビリ作業しているように見えるのだが。


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