ミケ日記

2005年 3月


3月31日 木曜日 晴れ

 うららかな日だった。片栗の蕾も大きくなった。雪折れの枝など切っていたら止まらなくなって春の園芸へ突入。前の庭に山野草を植えつける場所を作る。途中で急に具合が悪くなり、休む。目が醒めたら夜八時半だった。空しい一日。


3月30日 水曜日 晴れのち曇り

 吉野山への切符を旅行会社からもらってきた。これで橿原神宮までは座っていけるが、そのあと吉野線に乗り換えてからは、根性で行くしかないらしい。花時の吉野は、人を見に行くようなものといわれるが行かず済ますわけにも行かない地である。前登志夫の「吉野紀行」は読むたびに山の霊気に浸される思いがするが、何年か前の秋に金峰山から歩いたときもすっかり舗装された道は淋しかった。世界遺産にもなってしまってまたどんなに変わっていることだろう。

 午後、奈良県大宇陀のFさんから、山野草の小包が届いた。欲しかった花ばかりで天にも上る心地。地植えにしてみようかとおもったが、鉢で小さく育てるのも可愛らしい。オットセイは喜び勇んで植え替えようの鉢や土を買いに出かけた。


3月27日 日曜日 晴れ

 午前中、日差しは暖かく、ようやく春が来たようだった。

 水芭蕉の植え付けをする。家の裏の池とは名ばかりの雨水の通り道に、何年も前から水芭蕉が一株うえてある。毎年花を見せてくれるのだが、増えない。ふと、この水芭蕉淋しいのではないかとおもって、お友だちを買い足してみた。さぁ、増えてくれよ。いつの日か水芭蕉の群落が見られるだろうか。楽しみだ。

 午後からはまた雨になった。植え替えしたエビネも元気そうだ。春蘭の蕾が大きくなってきた。植え込みの間に片栗が蕾をつけている。


3月25日 金曜日 吹雪!

 悪天候の中、金沢の句会に出かけた。超結社で、肩書きの重々しい方々の居並ぶ句会である。主催者のM氏は、詩人でエッセイスト。純な性格で好きな方だ。

 今回は三行分かち書き句会ということで、面白そう。皆さん何度も読み返しては考えたとおっしゃるので、お気楽に作って投句したわたしは身が縮む気がした。

 結果的には三行に分けることで拡散してしまって、いわゆる現代詩的な常套が目に付いたといえるかもしれない。というか、俳人が現代詩的なるものと思っているものの姿がみえるということなのかもしれない。


3月24日 木曜日 晴れのち雪

 今日は句会。あさから電話で「風を引いて不参加」などのご連絡有り。何人集れるか不安だったが、結局三人。それでも楽しく充実していた。

 「今日の句会をのレジメを欠席の皆さんに送ることにしようか」というと他のお二人が口々に「いいよ、いいよ」「無理しないで」と言って下さる。「今までの句会の紙はなくしてないよね?」と聞かれたので「うん。箱に入れてる」というと「それでいいわよ」と、いかにも「あなたにしては上出来よ」という感じ。

 内心多少ほっとしながらも、己の実務能力の無さが、そこまで傍目に明らかに見て取れるのかと、あらためてしみじみしたのであった。

 雪が降り出した。二人に傘を貸したら、たまたま出かける用ができてお隣から傘を借りる羽目になってしまった。


3月23日 水曜日曇り

 鎌倉のお店の方が見えられて、さっさと仕事。その後本のはなし。イアン・マッキュアン「黒い犬」を下さった。ほんのプレゼントは何より嬉しい。

ごごから東京の店のためにぐい飲みなど上絵をいそいで仕上げて疲れた。


3月22日 火曜日 曇り

 朝一番に歯医者さんに行く。工事が始まる前だったので、車をどうにか通してもらえた。歯医者さんでは逆さづりの椅子の上で数分づつ空いた時間がある。少し前からその間に詩をよんでは、ガリガリされている間暗誦することにしている。おかげでかなりの詩篇を暗記した。ボードレールの「悪の花」丸暗記できる日が来るかと思えば、少し恐い。

 麻酔で唇が痺れたまま図書館により、予約図書など十冊借り出す。

 鹿島茂著「子供より古書が大事と思いたい」おもしろうてやがて悲しきビブリオマニーの世界。

 斉藤環「文学の徴候」この方の文体、理由もなく嫌い。

 日野啓三「流砂の声」 懐かしいような、「わかる」としみじみ言いたいような。でも本当は異質な声。

 他は軽めの本ばかり白洲正子「十一面観音巡礼」文庫で持ってるけれど、写真が綺麗。「ウィリアム・モリスの楽園へ」など写真の綺麗な本。アンソロジーなどなど。

 


3月20日 日曜日 雪

 悪天候のなか、図書館に行く。予約図書がとどきましたのお知らせがあったので、一週間以内に取りに行かないと、なかったことにされてしまうのだ。しかも村の中の道が工事中のため日曜日でないとでられない。切迫した思いで出かけたのに、なんと図書館はお休み!連休中はお休みだそうである。それなら勤労者はいつ図書館に出かければいいというのか。不条理である。臍を噛んだのが悪かったのか、奥歯の詰め物が取れてしまった。よくよく運の悪い日だった。


3月19日 土曜日 晴

 谷川賢作のコンサートに行く。開演に少し時間があったので、会場のすぐ裏手の海岸の遊歩道を少し歩いた。日本海に夕陽が沈んでいく所だった。

 谷川俊太郎さんはいらっしゃらなくて少し残念だった。ディーヴァのときより、ジャズィー。久しぶりの生演奏をこっちが恥ずかしくなるくらい、すぐ近くで聞けて堪能した。、楽しかった。

帰り道は真っ暗、星が異様に明るかった。


3月15日 火曜日

 きょうはネット句会。お題は「芽」。5時で仕事をやめてうぐぐと考える。「芽」というものに付いても、さすがにこの歳になると飲み込まれそうなほど思い出がある。木の芽が美しかった山道、はじめて採ったタラの芽。芭蕉が敦賀への道でこえた木の芽峠。琵琶湖を見下ろす栃の木峠では歌人にして樵の連歌宗匠のお宅を訪ねたこともあった。そのときのお話から思いついた小話。

樵の達人と都会から来た若者の会話

達人「この辺りの動物は純朴だから、弁当食べてるとリスが覗きに来たりするよ。」
若者「まじっすか!」
達人「少しづつ餌をやると一ヶ月もすると肩に乗って食べるようになるよ」
若者「うそっ!」
達人「嘘なもんか。かもしかもときどきいるよ。弁当食ってると」
若者「ほんとっすか!」
達人「あぁ。少しづつ餌をやると、一ヶ月もすると肩に乗って食べるようになるよ」
若者「…」


3月13日 日曜日 雪

寒い!雪の降り方を見ても、春の雪なんて甘いものではなく、真顔の降りである。

 「フロイト 1・2」ピーター・ゲイ著を読む。

 著者は文化史全体に深い造詣があり、この本も三浦雅士が誉めていたように、深いだけでなく抜群に面白い読み物になっている。実に真っ当で、目配りもよく、明晰で、つまり名著である。

 名著というのはかならず欠点がある。それは、その本を読むと、なにか分かったような気になるということである。もちろん一冊の本で(それがいかに大冊だろうと)フロイトが分かったと思う人もないだろうが、それでもなにがしかは分かったような気になる。そんな風に”分かる”のは大したことではない。むしろ分からないことのほうが、自分に呑みこめないもの、自分の枠組みに組み込めないものとぶかっているので、そのガツンという体験こそが、なにかの始まりになりうるのだろう。

 これほどすっきりとまとめられた書物を読んで、納得してしまったら、ピリオドが打たれたようなものである。
 あるいは、わたしは、自分でも意外だが、まだフロイトにピリオドを打ってしまいたくなくて、他の書物に感じる以上に名著の罠に神経質になっているのだろうか。

 精神分析学者でも心理学者でもなくて、フロイト云々するのもおこがましいきがするが、素人だからこそ気楽に何でもいえるのだ。

 焼物でも、趣味で作っていらっしゃる人たちの仕事は、、常識的な発想にこだわらず楽しんで作られたものが、見ていて面白い。だから、書評も,素人ならではの言いたい放題を、思い切り書こうとあらためて思った。「西田幾多郎はへボ筋にはいっちゃってるねー」とか。 


3月12日 土曜日雪

 せっかくクロッカスが咲き始めたのに、また雪だ。ふと見ればしんしんと降りしきっている。床の冷たさが肉球に染透る。おるかは 先日までのの欝状態を脱したのか、飽きたのか、大人しく仕事をしている。「世の中が無意味だと思えば思うほど猫がかわいい!」とか言って、やおら抱きつくので、まったく迷惑だ。

 鹿島茂の本を最近読んでいる。「子供より古書が大事と思いたい」、さすが書狂の言や重し。「妖人白山伯」、ここに描かれた19世紀の世紀末の日本とフランスの人物絵巻の華やかなこと。 パリの万博は当時の、そして現在までも作家達芸術家達に大きな影響を残した。薩摩藩と幕府のパビリオンが並び立つという椿事をもたらした維新前夜の日本にも。

 愛・地球博が、どのくらいの間話題に残るか、思えば寥々たるものがある。それでも世界最大の骨格標本スーは、ちょっと見たい気もするけど。ミーハーだな。


3月10日 木曜日 晴

 今日は久しぶりにいい天気だ。黄金色に晴れてあたたかい。おるかは、花粉症で、目を泣き腫らしている。我輩も陽気に浮かれてふんわり勝手口から外に出たら、タマとシロに退路を断たれるかたちではさまれてしまった。一瞬パニック。声を聞きつけておるかが、餌で連中を遠くへ誘導してくれたので助かった。興奮がおさまらないので、おるかの腕(分厚く着込んでいる)に噛み付いてキックをいれたが、さすがに我輩の気持ちを理解しているらしく、しばらくそのままにさせてくれた。

 谷川俊太郎と賢作のバンドのコンサート「魂のいちばんおいしいところ」の切符がとどいた。ディーヴァは解散したらしく残念だけれど、新しいメンバーもすごいらしい。楽しみだ。

 古井由吉の短編「三人幽霊」をよむ。落語の題名みたいだ。語り口からしてもけっこう落語好きな作家なのかも知れない。話がそれるが、落語も最近面白い噺家がいませんねー。やっぱりこちらも知ってる古典落語を、聴かしてくれるのは、噺家の人間性ですよね。あぁ、「らくだ」や「だくだく」最近だれかやってますかねー。


3月6日 日曜日 寒い

 なんだかんだいっても結局、日常というものの力は強い。片付けておかねばならないことをするうちに、やっておかなければならないことが、やってみたいことに続いてゆく。庭の残雪の間に小さな花が咲いているのに気付く。地上の花々は、なにか大きなものからの、無償のプレゼントのようだ。見ているだけで胸の中の重い黒いものがほどけてゆく気がする。

 図書館にいって、返却と予約図書を受け取る。公園のベンチでしばらく枯れ果てた芝生の向うの濁った流れをみた。風花がコートの袖に飛びついてあッという間に消える。


3月3日 木曜日 

 仕事のことで家の中はかなり険悪なムードだ。おるかはものも食べずに絵付け場に閉じこもっている。その部屋の前の辛夷の枝を見て、「ベランダの端から飛び降りれば、丁度いいけど、すぐ発見されてしまいそうだな」などと考えている。まぁ、首をつるにも紐の色合いを気にするようなやつである。どうせなら辛夷の花が満開になるまで、待つことにしたらどうだ?

 懐かしい方の訃報が届いて、おるかは、泣き泣き手紙を書いていた。いい人や惜しい人はつぎつぎ逝ってしまわれる。世の中が淋しくなった。淋しい春がもうすぐ来る。


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