ミケ日記

2005年 4月


4月30日 土曜日晴れ

 昨日の雨に木々は新緑に着替えた。今年の四月も去ってゆく。大型連休だそうだが、この家ではだれもそんなこと考えていないらしい。工房のお姉さん達も遅くまで仕事している。

 夜の散歩にでた我輩をオットセイが自転車で迎えに来てくれた。家の周りを外猫たちが徘徊しているので、迎えがあるとちょっと嬉しい。塀の影から鳴いてみたが、自転車でドンドン行ってしまう。しかたなく鳴きながら追っかけたら、石垣のところで、戻ってきてくれた。自転車の買い物籠に入って帰宅。なんだかうれしくてオットセイの足にしばらくスリスリした。


 4月29日 金曜日 雨

 夜、レイ・チャールスの番組があった。昨年亡くなってから映画も出来たし特別番組もあるし、見るたびやはりすごいと思う。ただ、番組の始めや途中にさえも勿体らしく解説がつけてあるのがめざわりだ。目新しいことや聞くべきことを言うでもない。コンサートの雰囲気が中断するだけでなく、録画していると後でその部分を消すのが面倒なのだ。いらない解説だのおしゃべりをやめて人件費削減したらどうだと腹が立つ。解説は解説番組でやってくれと思う。たとえば漫画夜話みたいに。
 そういえば最近は若者に本を読ませようというご立派なお考えからか、古典の面白さを解説する番組も始まった。よっぽど解説したいらしい。タレントの女の子達が、NHKの想定する”馬鹿な女の子の反応”をキャーキャーと演じている。自然に可愛げに予想にぴったりの反応をしてみせるというのはおそろしい才能だ。NHKはどうも視聴者を馬鹿と想定してるようだ。だいたいその予算を国会に答申するというのも変だ。視聴者の払ったお金なのに。どうも胡散臭い。

 とはいえ、レイ・チャールスは感動的だった。逸話のなかに録音テープのピアノの音が一音違っているのを直すシーンがあった。プロだからビッグ・バンド全体の中の一音が違っているのに気付くのは、当然としても、そのものごしに感心させられた。「どうして、そうしたの?」と暖かく理由を聞いて、ピアニストがほとんど気付いていなくて「なんとなくやってしまった」と分かると、それならもとの通りに「歌いやすいようにしてくれよ」と優しく語り掛ける。高齢になると時間は貴重だ。気が短くなったりもするものだが、文句の一つも言わず、相手を思いやっていた。目に見えない、心がみえるのだな。だから虚飾など全く無いし、通用もしないんだ。「わが心のジョージア」はいつ聞いても泣ける。


4月28日 木曜日 晴れのちやや曇り

 「虎、虎」という声がして何事かと思ったら、油揚げを焼いているのだった。ダンダラ模様に焼き色がつくので、虎。アホらし。木の芽を山盛りに添えて巨大な”虎”が横たわっている。パリパリの皮は北京・ダックよりうまいなんぞと言っているが「長屋の花見」式レトリックだろう。

 おるかは執念深く植木屋さんにサンザシを見つけてもらったらしい。小さな鉢をならべ「赤いさんざし白いさんざし」と喜んでいる。白の法の根の張りがよくないので、もう一本づつ買おうかと思案している。さっさと行動しないとまた悔やむことになるぞ。


4月27日 水曜日 晴れ

 オットセイは福井県の川田町へ漆器を見に行った。以前から真塗りの折敷のようなものを探して山中町に行ったりしたが、そのたびに不機嫌になって戻るのだ。今回は本漆の炉蓋を買って、大いに気に入った様子である。

 しかし、ちいさな塗り物の町は去年の大水の爪あとがいまだ生々しく、川の中洲の木の高いところにゴミがかなり残っていたそうだ。不況に加えてその被害で廃業に追い込まれる所も多いらしい。高齢の塗り師さんにとって、道具からそろえて一から始めなければならないのは、随分つらいだろう。自然災害に加えて事故や事件や、騒然とした世の中である。何気ない日常に感謝しなければなるまい。それにはまず昼寝だ。


4月26日 火曜日 午前中大雷雨 午後晴れ

 午後から句会の予定だったがものすごい雷雨。「これでお見えになる方は、俳句への思いが並みじゃないって事がわかるね」と家で待ってるだけのおるかは気楽なことを言っている。お見えになったのはNさんお一人だったが、他の方々もお仕事や用事や大切なことがいろいろあるらしい。欠席投句もあったので、普通に句会して、柏餅を食べたりたのしそうだった。我輩もテーブルの下で聞いていた。俳句はなかなか面白いもののようである。
 空はすっかり晴れて、緑と黄金の夕べがやってきた。


 4月25日 月曜日 晴れ

今朝、JR福知山線で、おそろしい事故があった。ニュースで見ると電車が線路沿いの建物に巻き付くようにめり込んでいる。乗客も多い時間帯のことだ、相当な被害だろう。気の毒で見ていられない。

 おるかは金曜に植木屋さんで見たサンザシがやはり欲しくて買いに行った。初めて「失われたときを求めて」を読んだときからあこがれていた潅木なのである。思えば気の長いことだ。そして泣き泣き帰ってきた。売れてしまっていたのである。


4月24日 日曜日 快晴

 きょうは九谷茶会におるかは出かけた。、加賀の茶人ならではの渋いようでゴージャスな御着物軍団に圧倒されたそうである。会場は公園近くの芭蕉の泊まった全昌寺など三箇所で、どこもお心入りのしつらいであったそうだが、皆、ほぼ一時間以上待ち、の万博会場並み。以前お稽古していた煎茶花月庵流の茶席だけで、他はあきらめたそうである。待合でひときわ上品で愛想の良い人がいたが、大先生らしかった。お茶事で鍛えられた立ち居はさすがに美しいものである。

 帰りに山代温泉の新しいお店に寄った。古い倉庫の建物を改築したなかに、がっしりした木のテーブルや飾りだなが配され山の花が活けてあった。


4月23日 土曜日 晴れ

 うっとりするような青空でる。我輩も窓から外を眺めては庭に出ようかと思うが、外猫が徘徊していてなかなか機会がない。おるかも落ち付かなく、シャベルを持って裏庭に廻ってみたり、鉢植えを移動させたりしている。色を磨る間に「グノーシスの薔薇」「イデアの洞窟」など、小説を二冊よみきった。読むのだけは早い。

 夕方、今日の好天を十二分に活用して桜の写真を心行くまで撮ったO氏が立ち寄られた。毎年の事ながら桜の話で盛り上がる。紫米の焼きおにぎりを七輪で焼いて皆で食べていた。香ばしい香りが磨ると思ったら、チキンの串焼きもある。
 やがて山の端にみずみずしい満月が昇ってきた。灯りを消して皆しばし無言になる。

 満月の夜は我輩の詩人の魂は彷徨を始める。緑の香りの闇に、我輩は泳ぎだす。「気をつけろよ」とおるかは心配そうに長いことドアをあけたまま見送っていた。


4月22日 金曜日 晴れ

 「なんか、やつれたな、ミケ」とおるかが不躾に言う。実は我輩はここのところ少々腹具合がわるく、朝の光があまり暖かで、われにもあらず座り込んでしまっていたのだ。そして、もう若くないようなほろ苦い気分をちょっとばかし味わっていたのだが、人間ごときに心弱りを見透かされたとあっては猫の沽券にかかわる。睨み返すと「なんだその顔は?!」とまた気楽な声で、「薔薇の騎士」かなんか歌いながら行ってしまった。

 そんな、ノウテンキかたまりのようなおるかも、夕方からきゅうに具合が悪くなったとかでげっそりしていた。早く寝ればいいものを、いつまでもぐずぐず本を読んでいた。


4月21日 木曜日 雨のち晴れ

 今日は普段より眠かった。一日眠って夕方、おるかのいる絵付けの部屋へ行った。おるかは十年一日のごとく机に向っていた。「肩がこった」といいながら桜小鉢の骨描きをしている。ときどき届いたカタログやパンフレットの類を読む。山里に住んでいるので、おるかは通販をよく利用する。最近はますます買い物に出るのも億劫なようだ。今日は旅行案内を眺めていた。夏休みのフランス旅行、夏期講座などが載っている。「この美術史講座、おもしろそうだなー。」「でも夏の最中にこのスケジュールじゃ私はパリで客死しちゃうね。」などと夢を見ている。[コプト美術講座はないかな」。そんな特異なものが日本のパンフレットに載る分けないだろ!大体一週間や二週間の講座では概論的なものになるに決まってるよね。


4月20日 水曜日 強風、時々雨

 裏山から吹き降ろす風が残んの花を吹きさっていった。風雨のふと静かになる折々に外へでてみると、木々はいっきに新緑へと変容している。一輪草が、ふっくらと花弁を閉じて風に耐えている。可憐!シラネアオイが弱々しげな姿で耐えている。けなげ!

 オットセイは加賀茶会の菓子鉢をとどけにいった他は、ずっとパソコンに向っている。何をしているのだろう。夜になっても勢いはとまらない。おるかが、吉野山の 思い出を書いて送るのに小一時間ほど、替わっただけで、そのまま明け方まで突入だ。我輩も先に寝てしまったので、何時までやっていたのか知らないが、ネットに嵌るとはげに怖ろしいものである。


4月19日 火曜日 晴れ

 テレビをつけると実にくだらないことを人間達は飽きもせず繰り返している。同類のやっていることをみて学習するのだろうか。同じようなことを実際にやる。中国の半日デモが暴徒化するのを見て、 日本にある中国関連の施設などに同じようなことをことをする者がいるらしい。やれやれ。

 中国の反日デモの暴徒化も中国政府の動きの取れない弱みを利用して、対外政策で、日本側にボールが廻ってきたチャンスにかえることもできるのではないか。そのためには日本国内の仕返し的行動を政治家達はもっと声を大にして戒めるべきだと思う。


4月18日 月曜日 晴れ

 締め切りをすぎた原稿を書くというのに、おるかはブラブラ外へでたり読みかけの本をひらいたり、いっこう真剣さがみられない。「彩」というお題があって、それについてほんの四百時ほどかくだけなのだ。「この題に四百字はみじかすぎるよねー」とぼやいている。ともかく仕上げてイラストを十五分で仕上げ、速達にした。そのあと機嫌がよくなってあちこち電話したりしている。普段はよく知らない方への電話は緊張していやなのだそうだ。携帯電話で誰もが四六時中しゃべっている世の中に、まったく化石のようなやつである。


4月17日 日曜日 快晴

 今日は春の園芸大会である。といってもこの家の人間達だけのことだが。冬の間の雪折れやら徒長枝やらを片付けるだけで午前中は過ぎた。午後からおるかは植え付けやら植え替えやら、こまごまとやっている。どうも半分土いじりしたいためだけの仕事のようにもみえる。こうなると植物達もいい迷惑だ。

 なにかとうるさいので我輩は村の中の散歩にでかけた。真昼の村道は人の姿もなく、春の日に暖められた土は肉球にここちよい。若草の中に寝そべると、熊蜂の羽音に眠気を誘われる。

 我輩の留守に見知らぬ虎猫がきて外猫の餌を取ったと、おるかから報告があった。気になる。


4月16日 土曜日 快晴

 このところ家の人間達はなにかと出入りが忙しい。山代温泉に新しい店ができるとかで、見に行ったり、品物を搬入したりしている。その場所はというと師匠須田菁華氏のお住まいの辻向かいである。「緊張する」と言っているが無理もない。「あらや」という老舗旅館が店舗をしつらえてそこに置いて貰うだけなのだが、近くにお店ができるとさすがに嬉しいらしく「売れるかなー」と楽しみにしている。

 山代温泉は九谷焼窯跡展示館から須田菁華氏のお店、魯山人寓居の記念館まで、焼物ストリートという感じになるわけだ。工房のKちゃんUちゃんもそれぞれそちこちのお店に置いて貰っている。芭蕉も訪れた山中温泉は、渓流に臨んで景色がいいが、山代温泉はとりたてて見るべき風景もないから、焼物や塗り物など工芸をテーマにしてゆく意向なのだろう。ありがたいようなことではある。


4月15日 金曜日 晴

 いい陽気である。おるかは「庭弄りを始めるといつまででもしていたくなる」と昼休みに草むしり。突然ぎゃーッと悲鳴が聞こえたとおもったら「シロが鳥を獲ったー!」と駆け込んできた。窓から見るとかなり大きな渋い灰色の鳥だ。シロは変に甘い声で鳴きながらタマを探している。獲物を見せるつもりらしい。怖ろしく凶暴なくせに母親離れしていない異常な猫である。

 「シロって引っ掻くと痛いんだよね。傷が深いのよ。こっちが草むしりしてるだけなのに突然引っ掻くの」と、おるか。

 「一見、素朴な猫に見えるから、お客様がなでようとすると心配なのよ」「首から<危険>って下げとかないといけないね。」「猛獣注意って玄関に貼ろうか?」

 なんでもやってくれ! たしかに我輩も外でシロとは遭遇したくないのだ。あいつケンかはものすごく強いのだ。


4月14日 木曜日 晴

 うららかな日だ。今、春は酣。裏山の桜が桃の花の向こうに真っ白く咲いている。川の向こうの桜も葉勝ちになった。枝垂桜も去年よりは桜らしくなってきた。この木が見ごろになるにはあとどのくらいかかるのだろう。猫である我輩にはその花に合うのはとても無理だ。辛夷も満開、白椿ももうすっかり疲れ果てた風情だ。大きな八重の椿の落花は、踏むと、しっとり冷たくすべすべでやわらかい。こんな猫がいたら恋してしまいそうだ。


4月13日 水曜日 晴

 空がうっとりするほど青い。おるかは吉野詣での気分から醒めず、いつにもましてぼんやりしている。絵にも描けず、句にもできない美しさだったそうである。やれやれ。 

 ラジオをつけたらアルプスについての話をしていた。聞くともなく聞いていると「日本アルプスという名前は日本人が勝手に自称したのではなく、当時、ラスキンの影響で自然の美を発見したウェストンなどヨーロッパ人が剣岳やその周囲の山々が小さいながらも実際にアルプスの山々を思わせると言うので、つけてくださった名前である」とありがたいことのように話されていた。

 もとよりゆかしい名前のあった山々をナントカアルプスと呼ぶなどいかがなものかと思うのは、我輩だけであろうか。


4月12日 火曜日雨

 さすがに少しつかれたのか、おるかはぶらぶらと仕事をしている。我輩も絵付け場の窓でしばしのんびり雨を眺めた。ここ数日で春は歩みを速め、花に追いついた。川に向った枝垂桜はとぼしい花だが満開だ。辛夷の花も今日あたりが見ごろだろう。利休梅のつぼみが上がってきた。.庭梅も淋しい花を淋しいなりにつけている。俗に言う猫の額ほどの庭ではあるが、春は怠り無く仕事を進めている。

 櫻にホオジロが来た。花鳥画風に枝につかまってどこかを眺めるポーズで、一瞬静止する。絵の中に小鳥がいて嬉しいのは色や形もさることながら、鳥に心を寄せて、ふっと自分も鳥の目になってその枝を感じられるからだ。鳥達はそろそろ恋のシーズンになる。


4月11日 月曜日 雨

 夜遅く、おるかが戻ってきた。二泊三日の、俳句と櫻三昧の旅。「水分神社の枝垂桜見た!」「雨の山桜、絶品!」と興奮している。お土産の櫻漬をだして「櫻湯は酔い醒ましには最高なんだよ」という。よほど印象的なことがあったらしい。

 紅茶をがぶ飲みしながら「吉野は猫のすくないところだ」という本当だろうか。観光客で騒がしい通りにわざわざ顔を出したりするわけ無いじゃないかと思うが、おるかは「魚が貴重なところだからかな」「そういえば赤尾兜子に,吉野での<蝦蟆美味とせしこの里や鐘供養>があったな」などと真剣に考えこんでいた。


4月8日 金曜日 晴

うららかな日だった。おるかは明日から吉野山行きなので図書館日本を返しにでかけた。「万が一事故に出会って、返却日におくれるといけないから」だそうだ。律儀なものだ。

 公園の桜は一気に咲きだして五部咲きといったところ。芝生の上であざらしのように人が寝ている。古九谷美術館に寄る。特別展「古九谷と中国陶磁」はこじんまりしているがなかなか面白い展示だった。「個人蔵」とあるもののうち須田菁華さんのものがかなりあるような気がした。

上絵も仕上げたし、来週の表紙も作ったし、鉢植えもかたずけ、持って行く文庫本までえらんで、なにか忘れているような気がする。「なんだろう?」と我輩に聞くが、わかるわけもないわい!我輩まで落ち着かない気分になってしまった。気分転換に夜の散歩にでる。少し雲があるが、春の星がきれいだ。

 テレビは一日中法王ヨハネ・パウロ二世の葬儀に関したニュースを流していた。各国の首脳が参列している。日本は元外務大臣が参列しただけ。小泉さん行くべきだったんじゃないのかしら。郵政民営化しか目に入らないようじゃしょうがないね。


4月7日 木曜日 晴

 昨日今日、おるかは風邪をひいたらしい。おまけに親指に怪我をして絆創膏の上に指サックで仕事している。心が吉野山に飛んで、隙ができたのだろう。大人気ないやつである。

 「吉野山開花、下千本の満開予想は10日ごろ」とあるのをみて、「それなら、宿のお風呂からほぼ満開の桜が眺められるのではないか?!」と極楽花見を想像して陶然としている。我輩が顔の前でシッポを振って見ても反応なし。やれやれ


4月5日 火曜日 張れ

 吉野山の桜はまだ開花しない。おるかは心ここにあらずと云った様子でそわそわしている。

今日は名古屋からのお客様がいらっしゃった。料亭をなさっているそうだ。修行中の若い人達が五六人一緒で、他にもまだ三人も働いているとか。修行に入りたい人がそれほど多いとは、よほどいいお店なのだろう。いかにも頭も包丁も切れそうな若主人だった。

 勉強のためにあちこち食べ歩きをなさっているらしい。「自分でこれでいいと思っても、それだけでなく常に時流や新しい傾向を見ていないといけない」とおっしゃった。料亭は毎日がお客様との勝負である。きびしい仕事だと思った。


4月4日 月曜日 晴

 朝、山代温泉のホテルから「お客様がそちらに行かれるのでよろしく」と電話があった。まだ肌寒い時節だからと、部屋にストーブをつけて待ったが、結局だれも現れなかった。別に取り立てて何をすると言うわけでもないが、なんとなく散歩にでるのを控えたりもするし、気持ちのどこかに、いつ連絡があるかもしれないという引っ掛かりが一日残った。

 おるかはこのところ元気が無い。何もしないですごしてしまったといっては悔やみ、忙しければ、こぼす。仕事が上手く行かないと「私には俳句がある」と言い、句ができなければ「本業は焼物だ」という。我輩が日向に寝転んでは”今を生きる”手本を示してやっていると言うのに、現在以外の時間に捕らわれてばかりだ。過去を悔やみ、未来を恐れて今を味わえないとは、なんとおろかなやつであろう。


4月3日 日曜日 曇

 我輩はミケ。猫である。我輩がテリトリーの見回りから戻るとおるかは「どこまで行ったんだい?心配したぞ」と言いながら、「ミケッチや、ミニョンチや」と妙な呼び方をしながら足の裏を拭いたり毛を梳いたりする。

 「チ」はオオナムチ神の「チ」に通じる魂の意だそうである。か、と思えば「ミケッチってセルビア系の名前の響きだねー」とわけのわからんことをいう。「ミニョン」はフランス語のカワイイということらしいが「鳴き声と似てるから猫としても呼ばれて違和感ないだろ〜?」と舐めんばかりにデレデレする。

 「ふふ、こやつ我輩にメロメロだな」と思っていると「アー、いっぺん真っ黒猫か灰色猫飼ってみたいなー」と突然言う。あぁ、人間とはなんと浮気な生き物であろう。「もう名前も決めてるんだー。」うぬぬなんと!「黒はミニュイ、灰色はニャンビュス、ね、違和感ない響きでしょ?」。えーいそれならミケッチっていうのはどうなんだ?!無性に腹が立ってきたので腕をつかまえて猫キックを存分にいれてやった。


4月2日 土曜日 晴れのち曇り、夜になって大雷雨

 M先生のお葬式に黒田主宰が送られた悼辞と句をファクスで送っていただいた。しばし、しんみり読みふけった後、おるかはやたらに猛然とギボウシの植え替えをしていた。

 前の小庭に山野草を植えることにしようと取り掛かったが、オットセイからクレームがついた。オットセイは良く言えば慎重、悪く言えば優柔不断である。思い切った模様替えなどは好まないらしく、結局、植物を鉢から鉢へ移し変えただけに終わった。

 夕方から人間達は仕事にかかったので、我輩は二階で、ぐっすり眠った。本が城砦のように半円形をなして積み上げられているところはおるかの巣で、座布団や紙切れもあって、ちょっと落ち着くのだが、地震が起こったらとおもうと恐い。ピーター・ゲイの「フロイト」に当たったら痛そうである。イアン・マッキュアンの「黒い犬」題名からしていけ好かん。塚本邦雄全集の布装の表紙は魅力的でいっぺんあれで爪を研いで見たいものだとおもうが、落ちてこられたら重症になりそうだ。おるかは本雪崩に埋まって死んだら本望だなどとアホな事を言っているが経験したことも無い事象について分かった風なことを言うものではなかろう。


4月1日 金曜日 晴れ

 我輩はミケ。猫である。しばらく漂泊の旅にでていたが、また山中の拙宅に戻ることにした。戻ってみればやはり落ち着く。沈丁花や黄水仙がさきはじめてうらうらといい陽気である。新鮮な草が生えだして、ゲロを吐くにはもってこいだ。今日もカリカリ餌の、茶色やサーモン・ピンクのなかに鮮やかな緑のラインが走った、絵のようなゲロを吐いた。我ながら、「見渡せば柳桜をこき混ぜて都ぞ春の錦なりける」の古歌を思わせる美麗なゲロであるなとしばらく眺めておったが、おるかがギャーギャーいいながら片付けてしまった。風流というものを解せぬ輩というのは、しょうのないものである。


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