ミケ日記

2005年5月


 5月31日 火曜日 曇りのち晴れ

 お天気が持つようなので、散歩にでる。朝五時半である。爽やかで気持ちいい。裏庭のシャガの花を抜けてさてどこに行こう。杉の木の影で外猫タマが巨大な蛇とにらみあっている。竜虎の対決だ。中国では竜虎鍋というと猫と蛇の鍋物だそうだ。このあいだから玄関の辺りをうろついている蛇、かなり大きく発育のいい蛇だ。さすがにタマも唸り声も出さず睨むだけのようだ。
 麗しの五月最後の緑と黄金に輝く朝だ。歩かないでどうする。

 朝のワールド・ニュース、ヨーロッパはフランスの国民投票がEU憲法にNON!で持ちきりである。右翼のル・ペンがニコニコ顔だった。日本のニュースは元日本兵発見と元大関貴乃花死去のニュースばかり。内向きだねー。


5月30日 月曜日 晴れのち曇り

 午前十時半ごろホームページの表紙を更新しようとして、用意していた写真が秋の季語だったことに気付く。急遽取り直し。そのあと思いついたことをあれこれ書いてようやくお昼ごろ更新完了。来週はもう六月だ。早い。今年ももう半分になってしまったのだ!あぁ、わが身ひとつはもとのみにして…。

 午後、山代温泉のはづちお楽堂のYさん来る。ギャラリー・スペースの改築の予定についてのお話だったが、山代は「あらや」さんのお店があるから、それほど出品するわけにも行かないだろうと思う。


5月29日 日曜日 晴れ

 窓の緑が美しい。明方、ほととぎすが鳴いた。そのあと夏ウグイスが軒にいるのじゃないかと思うほど大きな声で鳴いていた。黄セキレイの声もする。黄セキレイはほんとに屋根のどこかに巣をつくっているかもしれない。二階の窓からのぞくとおるかにさえも攻撃してくる。勇敢である。

 小鳥たちは子育ての季節だ。数日前、庭にシジュウカラかなにか小鳥がきてゴソゴソやっている。嘴いっぱいに猫の白い抜け毛をくわえているのだ。我輩たちは、夏毛にはえかわるので抜け毛の季節だ。おるかはさもめいわくそうにしているが、その抜け毛を利用するもんがいるとは驚いた。自然の摂理である。天網恢恢である(意味不明)。

 おるかはドラッグ・ストアにいってシャンプー、リンスなど買ううちに調子付いて、歯間ブラシ,歯磨きガム、アミノ飲料、虫刺され、足用スクラブ、髪用UVカット美容液等々、こまかいものをいろいろ買い物籠に入れた。全部で六千円ほど。塵も積もれば山となる


5月28日 土曜日 晴れ

 庭に水やりをしようとしたら、山水が涸れていた。このところ晴天が続いているから無理もない。水芭蕉にジョウロで水をやるが、大丈夫だろうか。おるかはひどく気を揉んでいる。裏庭の細い遣り水を水芭蕉の川にしようともくろんでいるのだ。流れの底が干上がって不気味なボチボチがある。「あれ、オタマジャクシの屍骸かな?!」と言う顔が歪んでいる。

 朴の木と桜の木を煤病から守るべく薬品を撒いた。ごく薄くしたとはいえ、嫌な臭いだ。撒いているうちに後悔したが、まさに覆水盆に帰らず。


5月27日 金曜日 晴れ

 午後から句会。壷の青楓だけが、おもてなし。四人集って欠席投句が一人。清記を廻し、合評してにぎやかである。席題をそれぞれ出す。「枇杷、青嵐、夏野、鴉の子」どれも季語だ。「難しい。」「できない」と言いながら見てきたようなハイパー・リアルな句があった。人間の想像力とはいじめられるほど勢いづくものらしい。


5月26日 木曜日 晴れ

 絵の具を磨りながら引き込まれるように本を読んでいる。福原泰平「ラカン 鏡像段階」.講談社の現代思想の冒険者達のシリーズの一冊だ。新宮一成の「ラカン」もイッキ読みしていたが、おるかはラカンが好きらしい。精神分析や心理学関係の本を小学校のときのフロイトの「夢判断」以来いやというほど読んでいるが、それで、精神的に安定するでもなし、己を理解するでもない。「そんなに興味があるなら、なんで専攻しなかったんだ?」とおもって顔をみると「私に他人様を治療するなんてとうてい無理だとわかってるからだ」と言った。なるほど。


5月25日 水曜日 晴れ

 金沢の21世紀美術館に「川端康成・文豪の愛した美術展」を見に行った。というより「東雲篩雪図」に会いに行った。我輩も感心する髭の持ち主、浦上玉堂の傑作である。筆致はむしろ素人っぽさを残しているが、なにかがのりうつったような絵である。美術館のカフェでモンブラン540円を食べた。甘さ控えめでねっとり濃厚、悦楽的美味。

 帰りの電車で、乗り合わせた女の子達が二人で手話の練習をしている。向かいの席の女の子は川端康成コレクションの弥生時代の埴輪の頭部そっくりだ。小さいが実に整った端正な鼻梁、アーモンド・アイ。電車を下りたら弥生時代になっていても、なんの違和感もなく溶け込めるだろう。


5月24日 火曜日 雨

 雷が鳴ってかなり激しい雨だ。「卯の花腐し」なんて情緒的な季語は吹っ飛ぶ勢いである。「虎が雨」の方だろう。虎御前はその名に相応しい号泣をしたらしい。我輩は雷はきらいだ。髭がビリビリする。「雷」が夏の季語になっているのは北陸ではピンとこない。冬の「鰤起し」はもちろん春だろうが秋だろうがすごい雷がおちる。遠雷に家の柱も聞き耳を立てる。としばらくして窓枠をガタガタ鳴らす落雷だ。ほんとに家がゆれるのだから恐い。


5月23日 月曜日 曇り

 ホームページの表紙更新。句が考え付かないと、おるかはしばらく悩んでいた。

 戸外の新緑はすばらしい。柿若葉の明るさ、青楓の繊細な色。葉柄の赤と葉の緑の取り合わせに加えて、ほんのりした色合いの花が今はついている。造化の妙というのだろう、ため息が出る。紫蘭があちこちに咲いている。蘭科の植物の好きなおるかは海老根や春蘭を裏庭に集めている。そこをオットセイが掘って生ゴミを捨てる。


5月22日 日曜日 曇り

 お天気の具合をみながら図書館に行く。予約図書を受け取り、書店で二冊ほど本を注文。午後は絵を描いて過ごした。静かな一日だった。


5月21日 土曜日 晴れのち曇り

 オットセイは軒にさわっている紅葉の枝を切ったり桃の枝をきったり、急に買い物に行ったり、あいかわらずいそがしい。おるかは木を切るのはいやらしく庭を見ないようにしている。

 夜「オー!ブラザー!」を見る。コーエン兄弟の笑える映画。音楽がいい。ジョージ・クルーニィがあんなに歌が上手いとは知らなかった。脱走犯の三馬鹿ぶりが笑える。後味もよかった


5月20日 金曜日 晴れ

 夜になって句会。忙しくて昼間の句会に来ることの出来ない若い人とその年長のお友だちと三人で。それなりに親密な雰囲気で楽しそうだった。二人はあまり猫好きでもないらしい。我輩が近づくと「猫の体温を感じる」といった。


5月19日 木曜日 晴れ

 道から昨日草をむしった辺りを眺めるが、それほど変わったようにも見えない。草の力恐るべし。


5月18日 水曜日 晴れ

 午後から大草むしり大会。ベランダの下から川まで、イラクサだのギシギシだの八重葎だのが怖いくらいはびこっている。桜の木にはおりしもオレンジ色の毛虫が四、五匹這い登ってゆくところである。計画もなく植えた紫陽花や躑躅が斜面に根を張っている。それにツルニチニチソウが這い登り垂れ下がって足の踏み場もない。モノもいわずに暗くなるまで黙々と草をむしった。無理な姿勢を続けたので、すっかり疲れた。


5月17日 火曜日 雨

 伏せっている間に返却日を過ぎたのでおるかはあせって図書館にいった。そして先週のブックレビューで見た本など、10冊かりだしてホクホク顔でもどってきた。ついでに夕顔の苗も買って、こっそり鉢植えにしている。最近鉢植えが増えすぎている。

 ベランダの下に落としたフウランの苗を探しにいって、「ジャングルに分け入ったようだ」、「怖かった」と言う。ツルニチニチソウが怖ろしいほど這いもとろほっていたそうだ。蔓日日草、「ペルヴァンシュ、ペルヴァンシュ」とルソーの「告白」にある花だ。青い花はきれいだが、あまりにもタフで他の花や潅木を駆逐する勢いである。荒々しいまでの草いきれに圧倒される。


5月16日 月曜日 

 トマトのサラダを連日作って、「身体にいい食事」とやらをしているわりに、おるかは体調を崩してブラブラ仕事をしている。この所の気温の変化についてゆけないらしい。なんとも情けない青ざめた顔をしている。ネット句会の感想も書かずに寝てしまった。我ら猫族のように十全に進化していない生き物だから仕方ないのだろう。幼態成熟なんていかにも異常っぽい生き物、人間。本能がイカレてるから仲間同士で殺し合いもできるのだな。


5月15日 日曜日 晴れ

 いいお天気だが、肌寒い。お昼ごろお女性二人客様。エレクトーンや樹脂粘土や、趣味でいろんなことをしているらしい。いつも思うのだが、女性の方がなにかと趣味の豊かな人が多い。大きな花器を買ってくださった。生け花もお上手なのね。

 少しあって、次は男性二人のお客様。武生の方達だったので、武生市という名前がなくなることを全員で悲憤慷慨する。一人は以前展示会をさせてもらった会場の持ち主で各地の市民活動のブレーン的存在。もう一方は現代音楽祭を十年も仕切ってきた方とのこと。現代音楽は(美術もだが)お金にならないことでしられている。そんな逆風のなかで、武生現代音楽祭は驚くほどとんがったプログラムを貫いているので感心していたのだ。男性の方も趣味という域を超えるほどの豊かな趣味を持っている人たちがいる。かんたんに男性は、女性は、などと一くくりにするのはやめようとしみじみ思った。


5月14日 土曜日 晴れ、さわやか

 このところ、涼しく爽やかな天気が続いている。我輩にはちょっと寒いくらいだ。おるかも寒がりなのでストーブをつけている。そこでいい気持ちでぬくぬくしていると工房のUちゃんが入ってきた。夢中で本を読んでいたおるかがびっくりしたので、我輩もてっきり「侵入者か!」とおもって飛びかかった。かなり痛めに足を噛んだ。「どうしたのー!ミケー!」と二人に言われ、我輩はひっこみがつかなくなってしばらく追っかけて攻撃した。もちろんほどほどにだ。おるかが後で「私を守ってくれるつもりだったんだね!」と抱きかかえようとしたが、ふん!遅いわい!猫キーック!


5月13日 金曜日 晴れ

 イラクで日本人の戦争のプロ、フランスの外人部隊に20年もいた人が負傷して誘拐された。イラクの状況の凄まじさがしのばれる。民間人が軍事行動を警護するような時代になったのだな、としばし呆然。バビロンはまだ燃えている。

 こちらは今日は窯焚き。涼しいいい天気で、温度も順調に上がる。こういうときは上がりもいいのだ。


5月12日 木曜日 晴れ

 今朝はとても寒かった。おるかはしまいこんだ冬のジャケットを口惜しそうに出してきた。外猫の寝具になるはずだった古いセーターを「これが最後だ」と言って着ている。

 松浦寿輝「そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所」と堀江敏幸「河岸忘日抄」を比べ読み。この二人似ているといえば似ている。外見はさることながら書くことについて、想起ということについて書くというスタイル、バルト、フーコーなんでもこいのフランス文学教授だし、どちらもプルーストの、書くことの始まりに向う大長編小説「失われたときを求めて」を年頭にしているごとき風情なども。


5月11日 水曜日 曇りのち雨

 今朝は冷え込んで草が朝の散歩の肉球に冷たかった。明方の大気は気持ちいい。おるかは我輩にドアを開けた後、いくじなくコタツにもぐりこんでいた。それでも一年続いたエッセーの最後を書き上げてイラストを付け、郵便局まで持っていった。我輩が朝五時に起してやったおかげと感謝してほしいものだ。

 東京湾に迷い込んでいたコククジラが網にかかって死んでいたとニュースがあった。かわいそうに。大人しく、人が近づいてもあばれもしない優しい生き物だったのに。専門化が話していたように早いうちに湾の外へ出してやるように手を打つべきだったのだ。眺めて、楽しんで、そしてむざむざ死なせてしまった。人間は身勝手だ。


5月10日 火曜日 晴れ

 カラーンと音がした。窓に乗ってみるとカラスが外猫の皿をつつきまわしている。どうもタマとシロは留守らしい。いくらタマが賢いといっても、カラスには負けるだろうと思う。が、タマの狩猟本能は特別製だから、両者の対決がいつの日か起こるとも限らない。ものすごい死闘になるだろう。一対一ならタマが勝ちそうだが、そのあとで烏軍団の敵討ちなんかあったら大変である。タマも我輩も三毛猫なので、間違えられたらエライことになる。

 庭の桃の木が元気が無いので、心配だ。我輩も子猫のころにはよく登って遊んだものだ。そのまわりの木瓜も枯れたので、これは本当に深刻な事態かもしれない。


5月9日 月曜日 曇り

 昨晩からオットセイが出かけたので、おるかと我輩は留守番である。我輩は普段いるものがいないとなんとなく落ち着かず、おるかについて歩いてしまった。おるかは気楽でいいらしく、好きな音楽を大きな音で鳴らしたりピアノを弾いたり機嫌がいい。我輩にも鰹節をサービスしてくれた。簡単な料理を作って食べながら、「人間ってのはつくづく自分勝手なものだな」「味付けにしろなんにしろ自分の趣味が一番自分にはおいしいんだから」など言う。

 予定の仕事が早く終わったので、魚の小皿を描きはじめ。相談しないといけないのを思い出してたちまちうんざりして「不自由だ!」と言う。たしかに自分勝手な生き物である。


5月8日 日曜日 晴れ

 ウルワシの五月。窓を開けると緑の臭いがする。お昼に金沢からお客様。大きな水産会社のエライ人のご家族なので、我輩はワクワクしたが、犬も一緒だった。利巧で大人しい子犬ではあったが、犬は犬である。泥鰌の蒲焼の臭いを二階でじっと我慢して嗅いでいた。お帰りになって、さっそく台所に行ったが、既に泥鰌は消えうせていた。我輩に一匹もくれないとは!ぐれてやる!

 夜、おるかは一人でホラー映画をみていた。キャサリン・ゼタ=ジョーンズがキレイ。顔もボディも完璧。不眠症の患者達がホーンティッド・ハウスに集められる。という設定だった。おるかは不眠症だと本がたくさん読めるだろうなと気楽なことを言っているが映画の三人も全く元気な様子だ。人によっては、とても辛いらしいのだが。

 おるかは完全徹夜は二日で、そのあとも五分位の細切れ睡眠をちょこちょことれば四日くらいまでは普通(つもり)。大概、その後はよく眠れるという。徹夜はわりと平気だと言うが、きっと酔生夢死で平生が、ちゃんと目覚めていないからではないか。醒めていないから眠る必要がないのだ。


5月7日 土曜日 雨

 朝、おるかはフランス2とアニメをザッピングしながら俳句を作っている。頭の中がどうなってるのか我輩は考えたくもない。大体日本語で聞いても難しいような社会問題をフランス語で聞いてわかるのか?とおもう。

 しかし、おるかに言わせるとフランスの政治家の発言ははっきりしていて、とくにシラク大統領など噛んで含めるようで日本の政治家の発言よりずっとわかりやすいそうである。

 たしかにいまの官房長官とやらの話し方などいやいややってるみたいで、我輩でも「スポークスマンとしての仕事をなんとこころえるっ!」とセイバイしたくなるときがある。隠蔽体質はJRばかりじゃないのだ。


5月6日 金曜日 曇りときどき小雨

 夕方庭先の木瓜とシキミが枯れていたので切る。隣の沈丁花も枯れて先だって切ったところだ。地下で病気が広がっているのではないかと、おるかは心配している。緊急避難とかいいながら白糸草を裏庭に移植していたが、土の中の病気を広げることになりはしないのだろうか。いきあたりばったりの反応である。

 人間達が雑用に追われている間に我輩はまた散歩にでた。散歩といっても気が向けばどこかの木の下で夜をすごしたりもするのだからプチ漂泊といえるかもしれない。しかしそれは、我輩には帰る家があるからこそできるのだろう。思えば芭蕉も故里の伊賀上野ではあたたかくむかえられている。帰るところがあったのである。現代の大旅人、俳人の黒田杏子先生も、家も暖かい故里もある。どこにも居場所のない人間は、かえってどこにも行けないのかもしれない。


5月5日 木曜日 晴れのち曇り

 おるかは手紙を書こうと紙を広げたまま。ぶらぶら庭に出たり、急に掃除したりしている。返事はすぐ出さなければそれだけ書きにくくなるものだ。分かっているのに二ヶ月ほっておいたのと、これは新記録、半年悶々としていたのをつくづくとながめている。まったく経験から学ぶということの無い生き物である。

 お昼ごろ山代温泉の窯跡展示館に行く。登り窯の跡を覆う建物がいい。入り口からのアプローチも、せまい場所をせせこましくならずさっぱりとまとめてある。工房と住居は古いものをキレイに保存してあって、住み馴らした家の風情がしみじみいい。新緑が黒光りする床板に映えるこの季節は多分この家の一番美しいときかもしれない。冬はきっと寒いだろう。徒然草にも「家は夏の涼しさを第一に立てるべきだ」というようなことが書いてあったが、そんな日本古来の住居観を彷彿とさせる佇まいであった。裏庭に金蘭が咲いていた。


5月4日 水曜日 晴れ

 我輩の散歩コースはいろいろある。玄関から出て、橋を渡って市道を歩いたり、勝手口から出て山沿いを行くのなど、気ままに楽しんでおる。

 勝手口からでるとすぐ空き地で、いまはシャガの白い花がいっぱいに咲いている。そこから川のほうへ軽く寄って見たり、崩れかけた土蔵によって見たりしながら、文字通り道草を食う。少し行くと植え込みが有って、お隣の家だ。大きくてよく吼える犬がいるが、繋がれているのでわざと毛づくろいしながら「シャァァ!」と怖い顔してみせたりして遊んでやる。そこを過ぎ杉林をぬけると川沿いに小屋が傾いて建っていて、農機具がおかれたりダンボールがあったり、急な雨のときは恰好の休憩所である。それからは村の家々が敷地を接しており、それぞれ物置や車庫やいろいろあって、我輩の別荘にはことかかないのである。

 最近よく利用している納屋は去年の熊騒動で、夜歩くとセンサーで明かりがつくのでびっくりした。が、もう分かった。昼間入ってしまえばいいのだ。こっそり二階に上がり藁や玉葱が干されている日当たりのいい窓辺でゆっくり眠れる。そしてオットセイが自転車で「ニャーニャー」と呼びながら迎えに来るのを待つのである。


5月3日 火曜日 晴れ

 今朝はおるかがうなされていた。起してやると「俳句の仲間で大きなお寺の座禅会に行った夢を見た」という。「禅堂に入る時緊張した気配が無いな」と感じたそうだ。「座布団などが雑然とした雰囲気でならべられ、奥の部屋では布団にもぐって居眠りしているものもいた。するとお坊さん達が大勢やってきて私だけ特訓されて、「その身体で良く生きてこれましたね」と言われたのでやけになって柔軟体操などした」

 なるほどうなされそうな夢である。ついでにドアを開けてもらって、我輩は暁の散歩にでた。朝の四時半だと言うのに月はやっと山の端に顔を出したところのようだ。我輩の爪のように細い透き通った下弦の月だ。


5月2日 月曜日 晴れ

 夢の中で、白木造りのがっしりした家の縁側に座っってだれかをまっていた。神社のようなおおきな丸柱に分厚い床板の、やたらに大作りな新築の家だった。子供のころの記憶かと考えてみるが、あんな家に住んだ覚えは無い。幼児期の記憶では周りの人は巨人だし、しもた屋も摩天楼のように感じているものだが、それにしても、すべて白木の建物に住む経験は、ないと思う。

 お昼は筍ご飯だ。筍はどうでもいいが、我輩は海苔がすきである。筍ご飯の上で少ししんなりした海苔の風味はたまらない。


5月1日 日曜日 晴れのち雨

 我輩はミケ。猫である。五月は我輩にも気持ちいい季節だ。どこでもひなたぼっこができる。草むしりをしていたおるかは今年初めての蛇に遭遇した。

   穴惑刃の如く若かりき  飯島晴子

 この句通りのスマートな蛇だったとか。「若かりき」と言い切ったのがさすがだ。「若かりし」ではぬるい。

 雨がふりだしたので、草むしりをやめておるかは下手の横好きの絵を描きだした。「もうすこしいい紙がほしい」とぼやいている。ひかえめである。なにしろ今使っているのは一番安い半紙なのだから。これでは上達しないねー。魯山人が言っていた。上達の秘訣は「いい紙、いい墨、いい硯」と。一理ある。

 窓の外の匂うばかりの新緑を静かに雨がぬらしている。白山吹の白が滲んで明るい。


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