ミケ日記

2005年6月


6月30日 木曜日 雨

 各地で大雨の被害がでている。外猫達もいつもの植木鉢からベランダの奥のダンボールへと雨を避けている。北陸の梅雨は、はじまったばかりだ。これからどんなにじっとり蒸し暑い日々が続くかと思えば我輩もはやく夏毛に変わりたいものだ。六月は割りに涼しかったのでまだ夏毛に生え変わっていないのだ。我輩のブラッシングをしながら「これでクッション一つできるんじゃないか?!」と抜け毛の山をみておるかはこぼしていた。

今日で六月も終わり。青水無月にもさようなら。今年も半分過ぎたのである。


6月29日 水曜日 雨

 近くの警察署に運転免許の更新手続きに出かけたおるかは、「警察署に来る人達が、ほとんど裏口から出入りしてるのって何故だろう」と不思議そうだ。裏口というより通用門という感じなのだろうが。だいたい、おるかは大広間の襖はど真ん中を開ける。村の集会場でも正面の襖をわざわざ開ける。他の人たちは皆、端のほうから入っていた。電車の席は空いていれば真ん中に座る。お寺の本堂みたいなだだっ広い部屋で寝るときはわざわざ中央に布団を敷く。

 さて、この町の自動車事故の説明などをしてくれた係りの男性は五十代くらいで髪が真っ白な、いかにも実直そうな人物だった。窓口の女性達もみなこざっぱりしてにこやかだ。こんな人たちが、ニュースなどで聞くように組織的に不正をしたりするのだろうか。人間とはわからないものだ、とおるかもいっていた。


6月27日 月曜日 雨

 久しぶりの雨らしい雨だ。しかし、喜雨が一転各地で洪水になっているらしい。最近の気候は全く異常だ。人間の産業活動のせいで、そうでなくとも迫害されている山や川の生き物達がひどい目に合うとは実に理不尽である。

 ベランダの下の川に面した土地に植えてある沙羅の花が咲きだした。雨を待ちに待って、満を持しての開花である。儚げな風情のわりに、いい根性の花である。美しい。しかし香りはない。香りのない花はどこか淋しいものだ。


6月25日 土曜日 晴れのち曇り

 今日は午後から句会。いつものメンバーが集って五句出句五句選。合評のあと席題四つで四句選。皆、いろいろ言い合ってたのしそうである。

 人間は、我々猫族と比べると身体能力は低い。そのぶん口の周りの筋肉をつかってうさをはらすようである。話すことは呼吸をどのくらい圧迫するのだろうか。我輩もためしにあくびをするときに声を出してみたが、思いがけず大きい声になって、全員が我輩を見た。


6月21日 火曜日 晴れ

 おるかは車の運転のための眼鏡をあつらえた。両眼で0.7がなくなったそうだ。「これで自信を持って遠出ができる」なんぞといっているが、それじゃ今まではなんだったんだ。空恐ろしいことである。


6月20日月曜日 晴れ

 午前中、おるかはめずらしくあっさり俳句を作ってホームページの表紙の更新を済ました。今週の表紙は庭の枇杷の実である。果物を食ったことがないから分からんが、木の上で熟したものをもいでたべるのは「楽園の味」なんだそうである。楽園も手軽になったものである。

 さて、ネットでちょっと他の猫日記をチェックしてみた。最近は色々な猫が日記をつけているらしい。しかし家の人間を我輩のように呼び捨てにしているものはそう多くない。ほとんど「主人」だの「何とかチャン」だのである。思うに気持の問題であろう。我輩はその気になればこの家をでて、下流の家々に鞍替えもできるし、または野鼠や虫などを捕って完全な独立だって出来ると思う。よってここに居てやるのは、おるかやオットセイにとっては僥倖いがいのなんでもないはずなのである。もう少し、その辺の事情を理解して、猫缶の回数を増やして欲しいものである。


6月18日 土曜日 晴れ

 今日も赤翡翠が夢のような声で鳴いている。
「ミケって俳句までつくるのか。我輩なんて偉そうな文語文にしたり、気持ち悪く砕けた口語で書いたり、まったくおまえってやつは、なんでもありだな」とおるか。

 「なんでもあり」とは下世話な表現だ。多様性と言って欲しい。自然は多様性を好む。その点、クローン技術なんてものは、単一の、それもたかだか人間にとって都合の良い性質のものだけを生み出そうと言うのだから、最も反自然な発想である。

 もちろん幽玄なる統一理論というか、真理は、あるのかもしれぬ。が、人間の浅知恵では往往にして、それが人間にとって分かりやすい理論にしか過ぎぬことが多いのである。純粋という言葉が排他的であることの言い訳に使われるのがしばしばであるように。


6月17日 金曜日 曇りのち晴れ

 ここのところ雨らしいあめが降らない。沖縄では大雨だというのに北陸は空梅雨だ。「畑の野菜だめになった」と、お隣のばぁちゃんが話していた。よるには「蛍の句会」をしようと近くに住んでる人が二人来る。「蛍いないねー」とおるかは心配していた。

 しかし暗くなって八時を過ぎるころ橋に出てみると真っ暗な中に青蛍がそこ、ここと人魂のような尾を引いて儚げに飛ぶ。光が消えると数が少ないだけに、大切なものを失った、夢のような無常観がひとしお濃い。
 遅くまで、蛍の句を作りあっていた。

   指させば後山に消ゆる蛍かな  おるか

我輩も若くして逝ったクロネコクーちゃんを悼んで一句

   クーちゃんの片目の色の青蛍  ミケ


6月15日 水曜日 晴れ

 浜松から戻ってからというもの、おるかはぼーっとしている。もともとぼんやりしているのが普段に輪をかけているのだから、しょうがない。我輩が襖をバリバリしてやってもトンと反応がない。それでも俳句は忘れないと見えて,ネット句会に珍しく午前中に投句していた。ネット句会のメンバーも徐々に増えて、お会いしたことのない方も多い。ネットの世界は不思議だ。


6月12日 日曜日 晴れ

 浜名湖の朝焼けを展望風呂から眺める、ゴージャスな大会二日目のはじまりだ。見ると脚に蚊にくわれた跡が北斗七星の形についていた。穴大師のご利益の印?

 バスにのって龍潭寺へ。皐月の残んの花が石組みに尚美しい。心字池の睡蓮も杜若も白。整って美しい庭だ。しかし眺めるだけの庭より、回遊式庭園のほうが好きだ。飛び石をたどると、プルーストの「不ぞろいな舗石にヴェネチアが浮かぶ」ように、身体の記憶が刺激される。

 二日目の会場は奥三河、方広寺半僧坊である。ちょうど「明治の三舟と白隠展」も見ることが出来た。白隠は若いころはけっこう上手な絵を描いていた。あるときそれを捨てて、あのギョロ目ド迫力のスタイルをとった。

 突然、回廊の向うから読経の声と鉦の音が響いてきた。なんの祈願か頭をたれている家族の姿が暗い内院に見えた。

   大南風振鈴ややに亢ぶりて  おるか

 以上がおるかの話してくれたことだ。句会はまったくボーズだったそうだ。我輩には何のお土産も無し。鰻パイV・S・O・P なんて我輩は食べないの!


6月11日 土曜日 曇り

 朝早く、おるかはあたふたと俳句結社藍生の全国大会にでかけた。台風もどうにか去ったようだ。会場の浜名湖館山寺温泉はウナギの名所だそうである。我輩もウナギは嫌いではない。取れたてはさぞ美味かろう。

   鰻飯大湖に煙雨たまはりて  おるか

 常套的であるが、まぁ、挨拶の句ということで大目に見よう。句会までの小一時間に館山寺に詣で、人っ子一人いない遊歩道から圭岩の渚におりて波に触れ、穴大師に回向し、大梵鐘一突き百円を突いて大満足だったそうである。

   羊水の囁き湖に降る緑雨  おるか


 夕食のとき、遠州大念仏行列を見ることが出来た。双盤が陰々と響き、摺り鉦がにぎやかにさびしい。笠に顔を隠して登場するのは死者達なのだろうか。舞も観客に背を向けては、はらはらと前かがみになって暗かったとのこと。


6月10日 金曜日 晴れ

 外は晴れて乾いて眩しい。大山蓮華が一つだけ咲いた。。ふっくらした花容、香りも高雅。

 塚本邦雄が亡くなった。昨日のことであったらしい。天才もやはり死ぬのであった。

   吾が庭の大山蓮華初花を塚本邦雄逝きし日開く  ミケ


6月9日 木曜日 晴れ

 台風4号が近づいているせいか蒸し暑い。おるかは今日も赤翡翠の声に聞きほれている。毎年この時節に不思議な声で鳴く鳥がいるとは知っていたが、赤翡翠であることを確認したのはつい先日だ。赤い鳥は緑の中では痛々しいまでに目立つ。

 俳句投句、図書館に返却、ついでに切符を買いに駅まで。車の中は真夏のような暑さ。


6月8日 水曜日 曇りのち晴れ

 昼から晴れて蒸し暑くなった。人間達はベランダで焼きおにぎりなぞ食べている。おるかは、まだなんとなく調子が悪いらしくすぐ横になっている。牛になるぞ。顔を舐めたら日焼け止めの味がした。嫌な味だが、これで、もう夏だなぁと感じる。

 そんなに紫外線が気になるなら、我輩のように顔に毛を生やしたらどうかと思う。手だって毛皮になれば、おるかがしょっちゅうとっかえひっかえしてる手袋も不用というものだ。おるかは紫外線を吸血鬼が日光を恐れるがごとく恐れる。それでも化粧をすると今度はかゆくなるそうでウォーター・プルーフなんて化粧品のコマーシャルをみると「肌呼吸が出来なくならないのかしらねー」と両生類のようなことをいう。だから毛皮にしろっていうの、毛皮に。

   ミッキーのお面はずしたその顔の化粧の濃さも水無月の夜  ミケ


6月7日 火曜日 晴れ

 おるかは昨日から風邪らしい。「せっかく菖蒲湯に長々浸かったのに」と不満そうである。それでも以前と比べたら大分元気になったようだから菖蒲湯だってきっと効いているのだろう。

 この頃朝起きると外灯の下に羽虫がおびただしく落ちている。「月を求める蛾の願い」と、英語のイデオムにあったが、月ならまだしも、せっかく自然豊かな山の中に生まれながらちゃちな人間の外灯に飛びついて生を終えるとは哀れというもおろかな虫達である。

   金ぶんの窓に頭を打つ音つづくいかなる闇を越えてこのざま  ミケ


6月6日 月曜日 晴れ

 お隣がお風呂周りをリフォームするらしく、工事の車が家の前の橋を補強している。なんとなく落ち着かない。外猫達はいうまでもなく戦々恐々としている。

 蜥蜴をとった。おるかは我輩の肖像画を描いて、画賛がわりにJ・プレヴェールの詩「蜥蜴」をつけた。ここに引用しておこう。

蜥蜴

恋の蜥蜴
また逃げてしまった そして
わたしの指の間にその尻尾を残していった
結構なことだったなぁ かねがね わたし
その尾を取っておきたかったのだ わたしのために

         J・プレヴェール「物語そして物語たち」


6月5日 日曜日 晴れ

 朝起きたら地面が湿っていた。夜のあいだに少しは雨が振ったのだろうか。梅花ウツギが咲いた。柔らかな白い花。バラ科の花とは形はにているがどこかちがうやすけさがある。

 草むしりをしていたおるかが閉め出されて泣き泣き玄関の呼び鈴を鳴らしたかとおもったら、次は車庫の掃除をしていたオットセイが閉め出されていた。

 我輩がおるかの椅子の上で寝ていると「椅子ならほかにもあるじゃないか」と言いながら端のほうに腰掛けて、だんだんにずりずりと押し出そうとする。椅子なら他にもあるじゃないかと我輩が言いたいワイ。仕方なく机の上に移動してノートの上で丸くなると今度はそれも気に入らないとみえて文句を言う。まったくなんと文句の多い了見の狭い人間であろう。締め切りの迫った俳句を作るのも忘れて、イアン・マッキュアン「黒い犬」を読んでいる。「イギリス小説の伝統を感じる。昨今のアメリカの、大学で小説創作科卒業しました的な通り一遍なものとは一味違うね」という。イギリスはB級映画も結構面白いしね。


6月4日 土曜日 晴れ

 久しぶりの静かな土曜日だ。工房のKちゃんは一週間ほど東京。三越のグループ展で売り場に行かなくてはならないのだ。毎日遅くまで仕事していたし、売れるといいと思う。聞くところによるとkちゃんのような新人にはデパートの対応が、おるか達に対するのとはかなり違って、ひどく高飛車だそうである。以前見かけたバイヤーの女性は知的で素敵な人だと思ったが、資本主義社会のなかで適応して生き抜くには、感じがいいだけではダメなのであろう。その点、個人のお店のオーナーは焼き物が好きでお店を始めた人が多くて、商売相手というより友人のような気持ちでいられると我輩を撫でながらおるかは言う。人間とはつまらないものだ。我ら猫族は好きなら喉を鳴らし、嫌いなら去る。「心ならずも」だの「ふたごころ」だのという辛気臭いものは関係ないのである。


6月3日 金曜日 曇り

 降るか降るかと待っていると降らないものは雨である。日本中降っているらしいのに北陸のこの地にはもう随分長いこと降っていない。植物もぐったりしているようだ。

 いつも閉じている奥の襖に隙間があったのでグイグイ身体をねじ込んで部屋に入る。我輩の知らないうちに琉球畳の上に衣替えしたばかりの麻座布団がならべられ、テーブルには詩箋花いれに海芋が白い翼をひろげている。萎れかけたのは瀕死の白鳥の風情である。我輩を締め出してこんなところでまったりしていたのかと思うとむかっ腹がたつ。麻座布団でゴロンゴロンして抜け毛をたっぷりつけ、見参のしるしに襖で爪を研いでやった。


6月2日 木曜日 曇り

 雨が降るかとおもったらなかなか降らない。おるかは山道の雑草を摘んで濁し手の花瓶に活けた。「山野草を生けるのはじしんがあるのだ」という「花は野にあるように、というが、野にある状態が一番美しいなら活ける必要はないのだ」と偉そうに御託を並べながら雑草と庭の花をとりまぜにしていく。ルドンの花の絵のようになった。

 午後から旅行雑誌の取材。絵付けをしている所の写真を撮られて「何回やっても馴れない」「しゃしんは魂が盗られるから嫌いだ」と原始人の感想をもらしていた。


6月1日 水曜日曇り

 朝、ほととぎすが激しく啼いていた。そして何の鳥の声か分からないがフィヨ〜〜と脱力系の声。鳥達の声が光と共に降って来る中で眠るのは気持ちいい。

 ベランダの薔薇がことしは生クリームの泡のような花をあふれさせている。大山蓮華も沙羅も蕾をつけた。おるかは今年こそ開く瞬間を目撃するのだとしょっちゅう見回っている。暇人である。注文の少ない時期を利用して遊ぶというので何をするのかと思ったら、好きな大皿や陶枕など自分のために作っている。代わり映えのしないヤツである


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