ミケ日記

2005年11月


 11月30日 水曜日 曇り時々小雨

 今日で十一月も終わり。もう今年もあとわずかである。おるかの今年の十代ニュースは「なんといってもアカショウビンを確認したことだろう!」と興奮した口調である。赤い鳥はたしかにめずらしい。杉木立の暗緑色を背にアカショウビンは痛いほど目立っていた。来年は来てくれるだろうか。そういえば去年の十大ニュースは「裏の柿の木に登った熊を目撃したこと」がトップだった。どうも動物ネタばっかりである。平和なことである。

   裏山のその頂きの松の根を掘りなんとなく埋めて戻りぬ  ミケ


11月29日 火曜日 雨のち一時霙

 昨夜の風で庭の楓はすっかり裸になった。道の向うの銀杏の実を道路工事の人たちが総出で拾っている。俳句誌「藍生」が届いて、主宰の言葉どおり、選が厳しくなっていた。おるかは読みながら溜息をついている。「友が皆我より偉く見える日よ花を買い来て妻と親しむ(石川啄木)って感じ」と我輩に向って言うが、天才啄木を引用するとは片腹痛いわい。「親しむツマもないもんねー。やさしく cheer up してくれるひとが欲しいなー」と甘ったれたことをぶつぶつ言うのでアホらしいから散歩に出る。肉球に沁みる冷気がたちまち気分をしゃんとさせてくれる。

   我が後は長逝ならず帰土とのみ記せ落ち葉が吹き払われて  ミケ


11月27日 日曜日

 明け方にものすごい雷。ドーンという音とともに家がゆれる。北陸の冬の雷はテロか地震かとおもうくらいの凄さだ。午前中お客様があった。我輩は二階でねていたが、ときどき話し声が聞こえた。来年早々に器のお店を開く予定のご夫婦で、それぞれ建築家とインテリア・コーディネイターでいらっしゃる。「理想的な組み合わせだなぁ」とおるかは感じ入った様子である。そして「夫婦で同じ仕事はするもんじゃないね」としみじみもらした。「描きかけの絵をほめてくれた」とひどく嬉しそうである。よっぽど誉められたことがないらしい。


11月25日 金曜日

 夜になってどうしても外出したくなったので、おるかを起す。さすがに慣れたと見えて黙って鍵をはずして戸を開ける。時雨でも来そうな空だ。外猫に出会わないよう、全速力で走って川下へ向う。

   なにゆへに憧れ出るか知らねどもわれを待つらむ夜半のさむしろ  ミケ


11月24日 木曜日 小雨

 レオノール・フィニーの画集をみせてもらった。おおお猫的!日本ではそんなに知られていないが彼女の絵は素晴らしく美しい。フィニーの小説の「夢先案内猫」もわけのわからなさが本当に夢のように描かれていた。どんなに夢を書こうとしても言葉に紡ぎだすと線的な時間軸に沿って語ってしまって、夢そのもというより夢の解釈になってしまいがちなものだが、フィニーはまさに夢そのもののように書くことができた。凄いと思う。絵も一度見たら忘れられない独特の世界だ。

   金襴の猫の仮面を猫顔のレオノール・フィニ猫間猫綱  ミケ

 

 午後から句会。三人しか集らないので袋回しをする。一句五分で九句作る。びっくりするような秀句もあって、楽しかった。

 このところ「俳句がわからない」とか言って沈んでいたおるかだが、句友と話をして少しは気が晴れたようである。題の一つに「狐」があった。

数へ日のよく泣く母と狐拳   おるか


11月23日 水曜日 時雨午後薄日

 おるかはお絵かき熱に取り付かれてパステルで「猫のいる自画像」を描いている。猫が長毛種のなのが気に食わん。逆に本人は髪の毛も眉毛もない不気味な姿だ。造物主が可愛さの限りを尽くして創造した我ら猫族でさえも、毛がないと妙なものである。あのスフィンクスとかいう無毛種の猫の宇宙人(?)のうような姿をみればわかるだろう。況や人間においておや。

 そんなわけで午前中はお絵かきで午後から仕事に入る。必然的に夜は遅くなる。その上、車谷長吉の「贋世捨人」を読みだして「なーんて暗い話だ」といっていたのに引き込まれて明方になるのに気づかないのだった。


11月22日 火曜日 曇りときどき薄日

 今年は庭の柚子に実が少ない。柿の木にも少ない。小鳥達の冬の餌が心配だ。しかし去年はあれほどの騒ぎだった熊は、今年はまったく里に出たニュースを聞かない。山奥に餌があるのならいいが。おるかは「去年あれだけ撃たれたんでほぼ絶滅したんじゃないの?」などと言う。全く去年のいまころは連日かわいそうな姿の熊がテレビに映っていた。子熊まで殺してしまうのだから人間はおそろしい。

 それでも今年の紅葉はきれいだ。この間は時雨の晴れ間に二重の虹が見えた。奥泉光の「モダールな事象」読了。この作家の「我輩は猫である殺人事件」は登場するキャラクターがほぼ猫なので我輩のお気に入りの作品の一つだ。「モダール…」では大学の国文科教授が徹底的にコケにされているが、よっぽど印象的なことでもあったのかシラン。しかし最後の教授の転身はアンチクライマックスではあってもどこか爽やかですらある。面白かった。540ページほどを一気読み。

 ついで森博嗣「迷宮百年の睡魔」も読了。こっちはやたらに行間に空白があるのですぐ読める。これが今の気分なのか。ひょっとして少し前にチラッと見たアニメの原作なのか?既視感に捕らわれた。
 語り手「ぼく」の生きることにも死ぬことにも恬淡とした気配。優しげでで傷つきやすそうでそのじつ異常にナルシスティックな設定。たとえばマトリックスのように自分が実は救世主であったとかこの小説の場合は閉ざされた世界の破壊の天使であったとかいうような。

 これらは子供の世界認識であると言えるだろう。弱弱しく見える存在が、家族という閉ざされた世界の救世主だったり破壊の天使だったり、周囲の人間の関心を、暖かいものにしろ冷たいにしろ、常に引き寄せる。 大人になるにつれて、そんな自分に対する幻想は吹っ切れてゆくのだが、それが、そう簡単にできることでもないのは確かだ。この「ぼく」には深いトラウマ的体験があるというエクスキューズがあるが、成長とは無縁の存在だ。成熟というのも成長し年老いてゆく肉体があってこそ実感できるのだろう。ネタバレになるが、この小説の近未来の世界では脳が保存されてクローン技術かなにかで新たな身体を同時に複数持つこともありうるらしい。これでは円熟とも老成とも無縁のアダルト・チルドレンのパラダイスになるのも無理はない。全体の雰囲気は村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の脳内の「世界の終わり」と名づけられた世界とよく似ている。カフカの「城」も魁の一つかもしれない。我輩はどこかで、話者が正気づくと脳に電極かなんか差し込まれてみていた無意識世界であった、となるのかと思っていた。アダルト・チルドレンの心的風景として、管理された孤島、全能の女王・グレートマザー、身体性の欠如等々のキィ・ワードがすべて見て取れるからだ。


11月21日月曜日 晴れ夜に入って雷

 我輩はミケ。猫である。このミケ日記を随分長いこと書かなかった。理由はおるかがむくれてネット落ちしていたからである。おるかのブログをオットセイが消したとか、犬も食わないというあれやこれやがあったのである。今ではおるかは自分のノートパソコンに日記や小説を書いてそれなりに楽しんでいるようである。が、ネットにはつながっていないのでマックG4はたんなるワープロなみという宝の持ち腐れ状態がつづいている。

 我輩がここに書くことにしたのは先日たまたまある会合に出席した折、この日記を読んでくれていた人達に会うことがあって、長いこと日記が更新されなくて具合でも悪いのじゃないかと心配していたと言ってくれたからだ。なんと優しいもったいない言葉であろう。そんなに読んで下さる人がいるとは知らなかったし、心配までしてくれるとは思いもかけないことであった。群れる事のない猫族である我輩でも、嬉しくてちょっとウルウルしてしまった。

 ついでながらおるかの小説は「古九谷殺人事件(仮題)」とかいう代物で、「古九谷は伊万里だ」と主張する者達が次々殺されてゆくという、昨今の美術骨董界の状況では必然的に超大量殺人にならざるをえない内容である。「古九谷は素地は本焼きまで伊万里で上絵付けだけが加賀で焼かれた」という折衷的意見の某美術館館長から、小さな骨董屋の主人から「古九谷は伊万…」まで言ったが最後次の日には伊万里焼の破片とともに死体となって発見されるのだからオソロシイ。結末なぞはなから考慮していない単なる鬱憤晴らしである。

 しばらく書かないうちに我輩の環境にもいささか変化があった。その際たるものはお隣が犬を飼い始めた事である。真っ黒なレトリバーで三ヶ月の子犬といってもかなり大きい。おるかも工房のUちゃんKちゃんも「くぁーいいー!」「お利巧ー!」とメロメロである。外猫たちも遠巻きにながめているが、犬クンはだからといってべつに吼えるでもなくおっとりしている。さすがに血統書つきのお坊ちゃま犬君である。


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