ミケ日記

2005年12月


12月30日 金曜日 晴れときどき曇り

 我輩の一年で一番嫌いな日、年末大掃除の日が来た。例年は人間どもがどたばたしてる間、我輩は散歩にでるのだが、今年は雪が多くてとても肉球をびしょびしょにして歩き回る気にはなれぬのだ。掃除機の音はいつ聞いても不愉快だ。我輩のねぐらの炬燵がまず侵害される。布団を剥がれた炬燵ほどさびしいものはない。しかたなく居間にゆくとオットセイが大音響でR・ストーンズをかけながら荷造りをしている。来年の松屋に送る分だ。ストーブの前でうとうとしはじめたところでCDが変わった。なんとリック・ネルソンですよ。あまりデレ〜ンとしているので聞いてる内に間が持たなくなる。フライパンの上のオムレツのようにゴロンゴロンしてもどうにもリズムが会わない。イライラして部屋から飛び出すとおるかが階段の煤払いをしていたので行きがけの駄賃に足を噛んでやった。「なにすんだ!」と棕櫚箒をだしたので抱え込んでおもいきり猫キックをお見舞いしてやった。やっと少しばかり気が晴れたので二階に戻る。掃除の住んだ部屋はがらんとしてよそよそしい。冬の日が畳の目を咬んでいる。押入れの戸にすきまがあったので頭をぐりぐりやってもぐりこむ。懐かしい布団のにおいに吾輩の瞼は急に重くなるのである。


12月29日 木曜日 晴れ

 床に反射する光がまぶしい。雪国の晴れた日のまばゆさは特別なものがある。
おるかは昨日、来年の日記帳を買いに出かけた。そこで茶色のグラデーションを幾重にも身にまとったいかにも田舎のおばあちゃんといった風情のかなり高齢と見受けられる女性が「脳の活性化マニュアルはないか?」と店員に尋ねるのを見たそうだ。それにすっかり感心したらしく、「私も脳に刺激を与えなきゃなー」とやおら数学書を開き始めた。我輩は知っているが、おるかの数学の無能さはほとんど天才の域に達しているのだ。だから単なる足し算でもスッゴイ刺激になることだろう。ご本人は真面目な顔で「フィボナッチ数列って神秘なんだよねー」などとのたまわっている。わかってんのか?

 フィボナッチ数列は確かに美しい。数列が進むにつれてその数列の連続する項の比は限りなく黄金数に近づいてい行く。黄金数とはギリシャ人が美の基本と考えた黄金分割の黄金比の数値0.6180…である。それを図形にした対数螺旋は巻貝の曲線や植物の成長曲線と美しくも対応をみせるのだ。

 「もしも、フィボナッチ数列がオルフェウス教団のかんがえた秘数で、対数螺旋がその顕現であるとしたら」とおるか「この世の美である猫の肢体こそ生きた対数螺旋ではあるまいか!」なんちゅう理屈だ。それになんだか迷惑な気配がしてきたな、と思ったら案の定、おるかは我輩を捕まえるとあちこち計測しはじめた。耳の穴に綿棒をいれて測ろうとする。そのこそばゆさ!「おお!この形態!まさに!」とこうふんしたおるかの声がガンガンひびく。突然「な。なんだ!これは!」と大声。我輩の耳には、歴戦のツワモノの証しの切れ目が電車の切符ごとく(昔は車掌さんが切符をパチンと切ったものなのだ。)くっきりパッチンと入っておる。「す、数列が〜!?」と呆然とするおるか。知るが良い。美とは衝撃的なものなのだ、と。


12月28日 水曜日 晴れ

 今朝、といってもかなり遅いが、いかにも不機嫌な顔で起きたおるかが我輩に言った。

 「今朝の夢で白洲正子さんが家にいらっしゃったんだぞ。」
<二十歳のときに「隠れ里」を読んで以来、お書きになったものは全て読んでおります!>と申し上げたらちょっと微笑まれて<肝心のところを掴んでくれたようね>とおっしゃったんだ。」
「そのあと、迎えの車を待つ間、庭を眺めていらっしゃる白洲正子さんの”目”のまえでお前が用を足したのだ!」

 それで目が醒めたという。まったく夢と現実の区別がつかないのか、やれやれ。

 おるかは若い頃から白洲正子の本は読みまくっていたらしいから、なにかと影響を受けていることは我輩にも分かる。

 白洲正子の骨董の好みは徹底的にうぶ好みだ。たしかにそれは日本人の心に一種独特の強さで脈々と存在する美意識だろう。茶室の花は開き染めた莟が好まれ、能の子方の美は世阿弥も「全て幽玄」と太鼓判である。良寛さまも嫌いなものは「書家の書」といった具合に、初心なもの素なものを好む一大傾向がある。しかし勿論、偏にそればかりというものではない。白洲正子だって、言うにいえないところ、書くに書けないところがあったろう。そういうところを知ってか知らずか、めくら蛇に怖じずというのか、おるかは「白洲正子の書いたものは大好きであこがれているが、焼き物に関しては、趣味が違う。」と言う。焼き物を仕事にしているのだからとはいえ本阿弥光悦にだって「趣味が違う」といいそうなやつである。乾山だったらどうだろう。手も足もでまいにゃ。日頃から「乾山の書は最高!」とうっとりしているようだし。


12月24日 土曜日 雪

 雪のクリスマス・イヴ、といってもツリーもケーキもない。おるかは工房の二人にささやかなプレゼントをした。「去年、諸経費削減でプレゼントを止めたら、あまりにも寂しくて落ち込んでしまった」「だから自分の楽しみのためにプレゼントをする。今年はお金はあまり駆けずにアイディアで勝負だ」と言う。外猫達にも餌を大盤振る舞いしていた。我輩にはなんにもなし。オットセイはクリスマスだのヴァレンタイン・デーは馬鹿にしていてプレゼントなどしようものなら逆にお説教をくらうだけなので、これまたなんにもなし。


12月23日 金曜日 連日の雪で降雪量は五十八年ぶりの豪雪記録とか。

 この雪の中を東京からK夫妻がお見えになった。奥様はご病気なさったと聞いていたがお元気そうで安心した。長靴を履いて皆で山道を歩く。お地蔵様の清水まで歩いてかわるがわる水を飲んだ。山水は暖かかった。


12月18日 日曜日 雪

 来年1月の「加賀憧憬ー食と器展」の準備で倒れるまで仕事。日曜日だって仕事。なにしろ おるかは二日も出かけていたのだから文句は言えない。黙ってひたすら仕事。工房のUちゃんKちゃんも夜遅くまで仕事している。Uちゃんは加賀市の陶磁器協会青年部の一人として、会期中、売り子さんとしてかり出されるそうだ。


12月17日土曜日 奈良小雪の地晴れ 北陸大雪

 朝方の雪で若草山もほんのり白い。奈良町を歩いて会場に向う。白丁が三々五々歩いている。仏頂面なのは、お練も流鏑馬も雨のため中止になったせいだろうか。それでも細い路地は人でいっぱいだ。

 句会の後、またお旅所まで歩く。お旅所の青々した杉の枝で葺かれた屋根、黒木の千木や柱、いかにも古式ゆかしい趣だ。影向の松は枯れていた。鹿があちこちでピイッと啼く。人が多いので驚いたのだろうか。もっと見ていたかったが、電車の運行状況が気になるので早めにかえることにした。京都駅のホームで雪で遅れる電車を待つ間の風の冷たさといったら!


12月16日金曜日 北陸雪 京都奈良晴れ

 この雪の中をおるかは奈良へでかけた。春日若宮おん祭りの闇の渡御を拝観(?)のためだ。京都で途中下車して何必館の「近代芸術家の書」展をみる。館内に入ると正面にジャコモ・マンズーの「教皇」が、ある。好きな作品だ。単純化されたフォルムから、お雛様やコケシの神秘性が逆に照射されて考えさせられる。書は魯山人はプロだからもちろん上手い。乾山の書画を彷彿させる平皿があった。、ともかく軸装、額装とも、美意識がこれでもかとばかり行き届いた美術館だった。

 奈良につくと、寧楽美術館の中国古陶磁を見る。東大寺の裏手の道をぶらぶらしていると冬至近い日はすぐ暮れだした。

 夜十時半ごろホテルを出て、一の鳥居のまえで句友と合流。鬱蒼とした参道を若宮神社まで歩く。一灯もないが、この夜は満月。道にくっきりと枝枝の影が落ちている。無月のときもこの夜の道は二河白道のごとく白々と浮き上がって見えるそうである。

 真夜中、突然火が見える.二本の大松明がじゃりじゃりと牽かれて神の通る道の標をつけてゆく。そして乱声が響き、笛の音香の香りとともに闇の中をなにかが通っていった。

 闇の中をその音についてゆく。お旅所間で行くと、ややあってはじめての灯がともる。ダ太鼓がなって暁祭りが始まる。この「ダ」は鰐という意味の字である。火炎のような仰々しいかざりの大太鼓だ。荒莚の上で巫女が舞い、お供えが捧げられて祭りの終わる明け方二時半ごろには小雪が舞いだした。竹竿の上で垂が風に激しく鳴っていた。


12月13日 火曜日 大雪

 朝起きると大雪である。北陸線のダイヤも乱れ、高速道路も通行止め。十二月にしては久々の降雪量なので、不意を突かれた被害が多いようだ。このところの暖冬で、みんなちょっと気が緩んでいたかもしれない。「また千両が折れちゃうよ〜。泰山木も〜、挿し木苗ももうだめだ〜」と、おるかが泣いている。


12月9日  金曜日雨

 「よく毎日カリカリばかり食べてあきないな」とおるか。フン、一日のカロリーの半分を甘いミルク・ティーで摂取してるようなやつに食事についてどうこう言われたくないわい。それに我輩には新鮮な虫だの小鳥だの四季折々のジビエがある。自分でし止めた獲物を楽しむことこそ肉食の美学というものである。

 おや、肉といえば今夜はローストビーフらしい。サラダにテーブル・チーズも何種類か並んでいる。チーズのにおいは大好きだが、猫には塩分がきになる。そしてこの、せつないほどにフルーティな香りは!

 「うれしいなー、今年もボージョレ・ヌーボーが飲める!しかも戴き物で!」と、おるか。若いワインは、底にほのかな菫の香り、土の香も薄い。我らが猫の尿臭などほとんどない。ひたすらさわやかな口当たりである。もったいらしくグラスを明かりにかざし、せわしなく廻しなどしながら「さすが、なかなかしっかりしたボディーしてますなー」などと漫画で覚えたばかりのせりふを言ってよろこんでいる。しげしげとラベルを読んで「聞いたことのないメゾンですねー」。まるで懇意のメゾンでもあるかのようなせりふだ。まったく人間とは言葉を憶えると同時に出来合いの価値観に絡め取られる。「この世は舞台」とシェークスピアが書いたとおりだ。脳内の共同幻想の舞台でどこかで聞いたようなせりふを言うのが嬉しいらしい。

 我輩がよっぽどバカにした顔をしていたのか、おるかが不意に真顔で言った。「動物というのは真面目なもんだよね。ヒモにじゃれたりしても結局は真面目だ。たしかに人間は夢の中で夢を見ているようなものかもしれないが、ここまで遊べるのは人間だけさ。おまえ達が一顧だにしない器に一生をかけたり、美なんてわけのわからないもののために死んでもいいと思ったり、究極の浪費を楽しめるのさ」。どうも酔うと絡む性質らしい。我輩はそろそろ夜歩きにでよう。


12月7日 水曜日 小雨 霙

中国の先生

 夜遅く「あの子を探して」という中国映画をやっていた。山深い農村の代用教員になった十三歳の女の子が、小さな教え子を探して都会に行く話。子供達のけなげさに打たれる。日本でも「二十四の瞳」なんて映画がいまだ放映されるし、テレビの学園ものも常に一定の人気があるようだ。その底には儒教的な、先生という職業への敬愛があるのかもしれない。中国も、共産国で儒教を排しているといっても、何千年の歴史がそう簡単に変わるものでもないのだろう。

 これも何年か前のこと、中国の先生が拙宅にホームステイしたことがあった。教育研修旅行でヨーロッパ、アメリカと回って日本、あとは小松飛行場から中国へ帰るという最後の二日ほどのことだ。団長さんというので緊張したが、気さくで優しい人だった。ただ「英語ができる」とあったのに、どうもよくわからない。もっともこちらも英語「できる」に○していたのだからお互い様なわけだが。先生もこまったらしく「ロシアに留学していたのでまだまだ英語は勉強中だ」と言った(らしい)。「それじゃロシア語は堪能でいらっしゃるのでしょうね!」というと「専攻が数学なので語学はそれほど必要じゃなかった」と謙遜なさった(らしい)。後は筆談にしたのでとても静かな滞在だった。お土産に鮮紅色の地に色鮮やかな縫い取りの華麗な布をくださった。「卓に掛ける」とのことでテーブルクロスかとおもったら「違う違う」と慌てた。文人の明窓浄机の文具飾りに使うべきものだったのだ。
 加賀市の図書館をにお連れしたとき、「中国では学校まで何時間も歩いて通わね番らない子供も多い」心から悲しそうに語られた。きっといい先生なのだろう。

 出立の朝墨を磨ると、「筆で書くのは何十年ぶりだろう!」と紙に向われた。さすがに見事な筆捌きである。何をお書きになったかと見ると「日中人民友好繁栄」とあった。こちらも「中日人民一衣帯水」と書くと「おお!」とにっこりされた。後はスローガンみたいなことを書きあった。時間が来て、「いいですか?」とおっしゃって私の書いたものをお持ちになった。「皆に見せる」という。その時になって「あぁ、もっといい紙に先生個人の心の言葉を記念に書いていただくんだったとおもった。先生いまごろどうしていらっしゃるだろう。VIPになっているかもしれない。それとも山村の子供達のために奔走していらっしゃるだろうか。卓掛けは、押入れの底で文房飾りの夢を見ている。


12月6日 火曜日 小雨

 皿の上にコーンビーフの姿造りがのっている。白い脂に缶の底のすじまで見て取れる。昔、墓参りのついでに諏訪の大叔母を訪ねたことがあった。夏の終わりだった。「だって、もうご飯炊いちゃったもの。」とお昼ご飯を勧めてくれた。大叔母が七十の坂をいつ越えたのかは神のみぞ知る。少女漫画ぽいヘア・スタイルに薄紫のワンピースで立ち働く仕草は、今は死語となった「むすめむすめした」という形容を彷彿とするのだった。そのテーブルの真ん中にだされたのがコーンビーフの姿造りだ。 文学少女だった大叔母は「器量好みでお金持ちにもらわれた」後も家事は一切せず、菫の花束を胸に戦中戦後を潜り抜けたのだ。ついでにいうとそのメインディッシュの付け合せはミカンの缶詰だった。別居やご子息を早く亡くされたことにも叔母の文学少女性は難攻不落であった。その日は「若い人が来るから」とせいいっぱいの御もてなしをしてくれたのだ。大叔母の家を後にして,あそこまでやればたいしたもんだと感服した。

 それからというものたまにコーンビーフの缶詰を買うと姿造りにして大叔母をしのぶのである。本ばかり読んで世間に疎い本の虫一族の伝統食にふさわしい一品ではあるまいか。

   コキコキとコーンビーフの缶を切る家の墓山まく道のごと  ミケ


12月4日 日曜日 小雨夜になって雷、風

 小雨の合間におるかは山水を汲みに出た。「お地蔵様の清水」まで熊避けに大声で詩を暗唱しながらゆく。向うの山が濃い臙脂色だ。川沿いの欅の梢が下からでは感じられない風に靡いて、その上の雲がすっぱり切れている。「この上で弥勒が考え事していそうな空だな」と、おるかは突拍子もないことをボソッと言った。

 九谷焼美術館へ品物を納めに行ったオットセイがお客様を案内してきた。ちょうど曽宇窯の向付を買ってくださったところだったそうだ。とても綺麗な女性と優しそうな御夫君。

 仕事場が暖かいので我輩も今日はおるかの仕事机の脇で一日ゴロゴロ過ごした。染付の魚が皿の上にいっぱいだ。

   短日の鉛筆削りが嫌そうに色鉛筆を削りだしけり  ミケ


12月3日 土曜日 小雨 ときどき霰

 急に霰が降ったり、日が差したり,あいかわらず気まぐれな北陸の冬空だ。川の向こうの銀杏を大きな松明のように輝かしている時雨の合間の光。きらきら濡れて、朔太郎の「猫町」はここだったのかという気がする。

 外猫のタマとシロが車庫から顔をだす。車庫の奥のダンボール箱におるかの古いセーターが入れてあって、彼らはそこで夜を過ごしているらしい。タマは時々シロをいじめる。やや平べったいやつの頭の中に、ぼんやりと「子別れ」という言葉があって、ふいにスイッチが入るらしい。シロは変なやつで妙に攻撃的だが、それも無理もないのかも知れぬ。今日のところは二匹なかよく霰を眺めている。

   ころころに肥えてふくふく冬毛着てうら淋しいぞ外猫仕様  ミケ


12月2日 金曜日 小雨

 昨日とはうって変わった灰色の日。冷たい雨の中を、銀座松屋の生活文化研究所の山田女史がお越しになった、来年の展覧会のうちあわせ。こちらの不備のせいもあってあれこれと取り合わせるのに時間がかかってしまった。結局かなりの量になった。これから作るものも増えて今月は忙しくなりそうだ。工房のUちゃんKちゃんもそれぞれ出品するので、そろって大忙し。

 ところでおとなりの真っ黒子犬のラッシュ君、ちょっとの間にずいぶん太っていた。運動不足気味?おるかを見ると飛びついて人懐っこいのはいいが、ラッシュ君いつもウンコを踏んでいるのだ。

 我輩は雨の日はのんびりと身づくろいしながら炬燵で過ごす。炬燵は、何べんも言うが人類最高の発明の一つであろう。

   寒雷に爪を舐めれば一昨日の鼠の匂い昨日(きそ)の土味  ミケ


12月1日 木曜日 晴れ

 今日は青空が格別美しい。時雨を孕んだ雲の切れ間から潤んだ光が枝影を家の壁に揺らめかしている。

 京都、何必館の館長さんがお見えになった。丁寧に工房など御覧になって行かれた。物静かな雰囲気の人物でいらっしゃった。お帰りの後、いただいた美しい本を開いたら、魯山人の屏風を前にさきほどお話を伺ったその人が端然と座っている写真があった。その前に据えられた手焙りの色、火箸の形、心憎いばかりゆきとどいた趣味の鋭さ深さ。「これだけ趣味に徹してみたいもんだね〜」とおるかはため息をついていた。

 その本に載った書作品は、魯山人はもちろん良寛や古典をふまえて上手下手の枠のないところへごつんと出たという感じ。要するに洗練されている。洗練とは、その表現の、書なら書の世界全体の中での、位置と意味の座標が客観的に見えていることである。

 しかし、よく物が見えるというのも、きっと辛いことだろう。落ち着きのないうわっつらばかりのこの世の中では。


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