ミケ日記

2006年1月


1月31日 火曜日 小雨

 昨日から少し暖かく、雪が大分減った。下からひっくりかえった植木鉢だの折れた灌木だのが見え始めた。今日で1月も終わり。我輩にはどうって事ないけれど、おるかは時のたつのは早いと嘆息している。無為な時間の多い奴ほどそういうことを言う。我ら猫族は一瞬たりとも無駄にしない。無駄にせず眠る。日々是好日が猫族の座右の銘である。


1月27日 金曜日くもり、夜に入って雪

 風邪気味のおるかは、マスクをしてセーターの上に毛皮、その上にフリースジャケット下はスノーボード用のモコモコのパンツといったゲレンデ並みのスタイルで仕事をしている。といっても普段のようには、いかないらしく、遊びの、猫のお雛様作りにはげんでいる。 立ち雛を四組と干支の頭をつけた印。もちろん形だけ。ゆっくり乾かして素焼きし、染付で顔を描いて本焼き。最後に上絵で衣装を描いて三月までに完成の予定だ。

 ロクロ場でぶらぶらしていると建築家のO氏がいらした。この冬からスキーを始めたそうである。まったく、ビクトリアの滝でバンジージャンプをしたりサウジアラビアで没薬を採ったり、常に好奇心まんまんの氏であるからスキーくらいでは驚かないが、やっぱりこの記録的大雪の年に始めるというのがスゴイ。

 そのあとおるかはこれも、ほぼ趣味の唐子遊び十二ヶ月を小皿に描き始めた。取り掛かるまでは、なんかかんかとデレデレしているが、始めると夢中になって体調を忘れるらしい。夜になって立ち上がるとき、骨がボキボキ鳴ったのが我輩の耳にも不気味に響いた。


1月26日 木曜日小雪

 おるかはこの1週間風邪ぎみのようである。我輩はこのところの大雪で家に閉じ込められているので時々散歩くらいしたいのだが、その戸を明けたり閉めたりが寒いとこぼす。とんだ軟弱者である。今分かったわけではないが。

 我輩の爪が伸びすぎたといって切ろうとするが、また情けないほど気が弱くて「これで、だ、だいじょうぶかな」などと恐る恐るやるので、我輩もじれる。我輩だって必要とあらば爪切りだってゆるす。ただあんまりいじいじいじくられてるといらいらしてしまうのだ!


1月24日 火曜日曇りときどき小雪

 我が家を建ててくれた大工の棟梁が、仕事場のドアの下のコンクリを削りにきてくれた。十五年の間にその部分が浮いてきたのだ。埃が立ってひどい作業だがきびきびとこなして行かれた。テレビでは建築基準法違反だのなんだの、まるで良心なんてとっくの昔にドブに捨てましたといった犯罪がまかり通っているが、個人の大工さんは、素敵な人が多い。棟梁は緻密な頭と切れる鉋を併せ持った人だが、建売住宅に押されて仕事が少なくなったそうだ。木について、北陸の気候について知り抜いた棟梁が、出来合いの大量生産品に押されるとは情けない世の中だ。

 棟梁は良心的な仕事ぶりで、家の値段はとくに高いわけでもない。こうして何年たっても相談にのってくれる。建売住宅も色々工夫がされているのだろうが、自分の暮らし方にあった家を建てる方があとあと快適だと思う。住宅も含めてみんなと同じようなものがほしいという幼稚な世相である。


1月22日 日曜日小雪

 午前中オットセイは九谷焼美術館のミュージアム・ショップに並べるものを持っていった。静かな雪だ。おるかは先日送ったエッセーに書ききれなかったこと「青」についての思いいれなどをしみじみと書いている。イラストの色の出具合などをブラウザで見た感じと比べて次回のために 準備しているらしい。妙にしんみりしているのは、昨夜みた「めぐり合う時間たち」のせいかもしれない。ヴァージニア・ウルフを演じる二コール・キッドマンが、驚きの別人顔(つけ鼻?)。フィルムのなかのイギリスの田園風景は嫌になるほど美しかった。


1月19日木曜日 曇りときどき晴れ

 銀座松屋から荷物が戻ってきて、一日その整理に追われた。部屋中、真っ白な包み紙でいっぱいだ。再利用するのに大雑把に大中小とわける。「近江伝統揉み紙みたいだねー。手もみだもんね。」とおるか。我輩も何度か紙の山に突っ込んであそんだ。紙のかさかさ言う音は、わがはいにとってなんかたまらんものがあるのだ。


1月16日 月曜日曇り

 夜遅くオットセイが戻ってきた。予定ではもう一日千葉にいて多少観光もする気だったらしいのだが、すっかり疲れたらしい。

 「ミケったら、ずっとゲロ吐きまくりだったんだよ。いつもいる人がいないのが不安だったのかしらね?」とおるかが報告におよんでいる。フン、いらんことをいう。我輩はちょっとばかし調子がくるっただけだ。「おお、そうか!」とオットセイがヘッドシザースをかけてくる。しばらく腕を取ったり蹴りを入れたりの格闘となる。これが健康にいいのであろうか。


1月14日 土曜日 雨

 昨夜から妙に生暖かい風邪が吹いて、雪が随分融けた。増水してミルク・ティー色の川がのたうちながら岸を咬んでいる。

 図書館に予約図書を受け取りに行ったおるかは、我輩に猫缶をおみやげにしてくれた。缶を開けたときはこの世のものとも思われぬ旨そうな匂いがぱっと広がるが、食べだすとどうもぐちゃぐちゃする。我輩はいつものカリカリがけっこう好きなのだ。質実剛健が我輩のモットーである。

 おるかは前日のシチューをまたストーブの上にかけては食べている。こちらは単に手抜きというものである。おるかの得意料理は”素材の味を生かしたもの”と言うが、それはただ手間をかけないだけのことなのだ。一見、同じように粗食風でも、質実剛健と手抜きとは全く違うものなのである。

 夜遅くなってからおるかはエッセーのつづきを書き始めた。漫然とあれもこれも書くのであっという間に倍量をこえる。それをあっちこっち刈り込んで、まるでトピアリーのようにチマチマとまとめようとする。同じ剪定でも小堀遠州の大刈り込みのようにいかないのは、まぁ無理もなかろう。


1月13日 金曜日 薄曇

 雪も小康状態だが、日曜日はまた降ると天気予報のお姉さんが眉をひそめていた。13日の金曜日、我輩はクリスチャンではないからべつにどうということでもないが、かなり多くの人間が、縁起が悪いと思っていたら、その気がこもってしまうかもしれない。だいたい人と話すのがあれほど苦手なオットセイが今日は生き馬の目を抜く銀座で接客(?)するのであるから、相当珍しいことが既に起こっているわけである。


1月11日 水曜日 晴れ

 銀座松屋の吉田屋展の初日である。なんとなくテレビを見ていたら、そのニュースが流れ、おやおやと思っていたら、加賀市長まで画面に入った。

 明後日はその松屋で立っていなければならないオットセイであるが、ラスト・ミニッツ・パニックの様子もなくのんびりしている。無理もない。出かけると必ずといっていいほどトイレにいきたくなって電車を逃し、詰め碁を考えて、駅を乗り越すオットセイである。ちょっとやそっとでは動じないのだ。


1月9日 月曜日 晴れ

 久しぶりの青空。家の人間達は軒の雪をつついたり車庫の前の圧雪を蹴ったり、それで雪かきの気分らしい。

 昨日は、名古屋からお客様があった。洒落たカップル。ご主人は渓流釣りも趣味だそうで、焼き物と渓流釣りとは若いのに渋い御仁である。こんな雪の中を訪ねてきてくださるとは実に風流である。

 お隣の真っ黒なラッシュ君は女の子だったそうだ。衝撃の真実。歌にあるとおり元気いっぱい雪の中を跳ね回っている。時々この家のベランダのおるかの靴を咥えて走っていってしまう。外猫達は戦々恐々としている。


1月8日 日曜日 曇り

 昨夜からまた雪がかなり積った。川向こうの家の屋根も雪下ろししてある。この家の人間達は寒がりの上に怠け者なのでいっかな雪下ろしをする様子がないが、大丈夫なのだろうか。オットセイは来週銀座までいかねばならないので、早々と荷物など作っている。

 おるかは中世の歌謡をしらべている。閑吟集や梁塵秘抄をざっと読んでも捜していた歌がみつからず、ネットでもこれというサイトがなく、くさっている。「山家草虫歌」「田植草紙」「催馬楽」にもない。よっぽど俗謡らしい。「好きだな、きれいだなと思った歌さえ忘れてしまうんだから、年は取りたくないもんだ」と悲観している。「ノートなんか取るから忘れてしまうんだよ」といったのは南方熊楠である。おるかは身の程もわきまえず、その言葉を信じ実行してきたので、今となってはなすすべもない。「あぁ、読んだ本はどこへいってしまったのか!」と嘆いている。


1月6日 金曜日 曇りときどき雪

 おるかは雪の中図書館にいって10冊借り出し、その後書店で3冊注文し、俳句研究他二冊を買って戻った。「圧雪や雪と氷でジャミジャミの道を走るのは、さすがに緊張する」と言っていた。それでも活字を読まずには生きて行けないのだから人間とは妙なものだ。

 午後になって家の周りの雪を少し見回る。裏庭の木犀が雪で撓んで屋根によりかかっている。枇杷の枝はもう折れそうだ。小鳥が軒下の地面をつついているので、ちょっと狙ってみるが、すぐ逃げられてしまった。


1月5日 木曜日 雪

 午前中に銀座松屋「食と器展」の荷物を発送。おるかもオットセイもやたらに忙しそうで我輩も手を貸してやろうかと思ったくらいだったが、これでやっと一息。


1月3日 火曜日 曇り

 我輩はミケ、猫である。あけましておめでとうございます。一日二日と我輩がなにをしていたかというと、勿論、寝正月である。元日はうっとりするような初日のぬくもりの中で眠った。人間達は初詣にいって、ノンアルコール甘酒なる。奇天烈なものを飲んだという。それでも神社の杜の気配は清々しかったそうだ。

 二日は工房のUちゃんTちゃんが初錦窯を焚きにきた。夕方からはお隣へ皆、御よばれに出かけた。おるかは着物を着込んだ。母親からのお下がりというが、母親もそんなに袖を通した回数は多くなく、おるかは二回くらいしか着たことがない着物だ。使用頻度と値段を考えるに着物というものは随分高くつくものである。

 さて、今日はというと、オットセイは相変わらずパソコンに向っている。おるかは書初めをしている。我輩もそろそろ散歩にでたいが、雪が積もって根雪状態なので、迷う。山の小鳥達が雪の間の土の出ているところに下りてくるのを狙いたいのだが。


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