ミケ日記

2006年3月


3月31日 金曜日 曇り

 道路の工事はどうやら計画通り終わったらしい。「そんなに出かけるものでもないけど、やっぱり不便だったよ」とおるか。これで三月も終わり。早く桜が見たいものだ。

 来月はどのくらい日記が書けるだろう。パソコンがなかなか空かない。おるかはもらったマックをワープロにしかつかえなくて「かわいそうなやつめ」「機能がいっぱい搭載されてんのにね」と蓋をなでている。そして、「もう紙とペンでは書けなくなてしまった」と嘆く。日記も感想も全てノートに書いていたのはそんなに昔のことではないのに。何年か前のノートの随分お硬い書評や論考をみると、よくこんなことワープロ無しにまとめられたなと感心するくらいだ。 


3月30日 木曜日 雪

 ハタハタと哀しいリズムで降って来る雪だ。おるかはしまいかけた冬の服に逆戻りしてストーブをつけ、冬と同じスタイルで仕事だ。

 今回の錦窯は必用なものはどうやら間に合ったが、焼き直しも多くでた。どうしたものだろう。本焼きも釉薬のちぢれが多かった。さまざまな条件が重なっているので原因を特定するのは難しいが、次回からは釉薬と焼成温度のカーブに少し手直しをすることになった。小一時間も話し合ったにしては、ごく当たり前の結論だ。


3月29日 水曜日 曇り時々雪

 「病は気からだ」と意味不明なことをいって、おるかは水色のTシャツにジーンズ水色のカーディガンという春らしつもりのいでたちになった。しばらくなにかやっていたが「冷えた!」といって炬燵にもぐりこんできた。なさけないやつである。テレビのニュースで千鳥が淵の桜を見て「いいなーあんなに桜が咲いてる」「東京がきれいに見えるめったにない季節だねぇ」とつぶやいた。まったくここでは梅がやっと咲き出したところだ「山里は万歳おそし梅の花」と芭蕉も書いたが、まったく何事も遅いこの家である。二十一世紀というのに江戸時代とあまり変わらぬ仕事をしている。電気ロクロじゃなく蹴りロクロだし。


3月28日 火曜日

 おるかは、イラストとエッセーが一段落して本業に追われている。「京都に行ったときは、俳句ももっと作ろう、いや作れる!と思ったんだけどな」とはやくも弱音。「こんなに寒いからなにもできんのだ!」と天気のせいにしている。「この頃の寒さは真冬より骨身にしみるな。」「体が多少春仕様になってしまったせいだろうか」と考えている。

 しかし本当に寒い。雪が降っている。風花というレヴェルではない本当の積る気でいる雪だ。庭のか細い草花はけなげに蕾を閉じて耐えている。


3月26日 日曜日 晴

 仕事が遅れがちらしく、家の人間たちは今日も仕事だ。我輩は散歩にでる。肉球のしたで萌え出した草の芽の感触がひんやり心地よい。モグラの穴をのぞいたり、小鳥を狙ってみたり、ゆっくり歩く。イネ科の雑草を少し噛んでみる。気持ちいいので、夜まで外で遊ぶことにした。

 おるかは図書館まで出かけた。買いたい本がありすぎてとても追いつかないから図書館はありがたいと言っている。ともかく,おるかの天国とは図書館に非常に似たところであろう。谷川健一著作集が刊行されるらしい「欲しい。これは買うべき本だろうなー。しかし一冊平均7000円だ。」「塚本邦雄全集は8000円以上、忘れた頃に刊行される中井英夫全集はいくらになるのか毎回違う。飯田龍太全集は2500円だ。飯島耕一全集は幸い五冊だけだが、みすず書房だから高いんだろうな。あーどうすんだ!」

 人間というのは嫌いなもので悩むのと好きなもののために悩むのとどっちが多いのだろう、どっちにしろご苦労なことである。


3月24日 金曜日 晴

 庭に菊咲き一輪草が咲いた。紫色の花ばかりだ。片栗も蕾を付けた。山芍薬の臙脂色の芽がでた。とうとう春が来た!

 ところが高校野球なるものがはじまった。我輩が春のひと時をゆっくり昼寝しようとしているのに、急にワーワー打ったの取ったのと五月蝿いことこの上ない。

 オットセイは高校のとき美術部部長だったとかで、クラブ活動のなかで野球部ばかり優遇されるのに深く憤ったらしく、いまでも高校野球嫌いである。

 おるかも「頑張る」ということが辞書にない人間である。「あそこまでやたらに入れ込むのって、学生のクラブ活動ってものを逸脱してるよねー」とぼやいている。「生徒全員が応援に行くってのも解せない。行きたい人だけ行くのが道理じゃないのか」。

 我輩が思うに、いまの学校っていうのは軍国主義の時代の雰囲気をもっとも引きずっている場所ではないだろうか。高校野球の丸刈り好き、一人が何かするととチーム全員が罰を受ける全体主義、それを愛国精神ならぬ愛校精神と持ち上げる仕方。あぁ人間とはなんとせせこましい生き物であろうか。我輩は郷土愛だの母校愛だのという小さなものは持たぬ!我ら猫族にあるのは、地球を含め宇宙にひろがる自然への愛、それだけである。我輩の宇宙的昼寝の邪魔をしないでもらいたいものである。


3月17日 金曜日 加賀曇り、京都曇りのち晴

 おるかは、何年ぶりかで京都の句会にでかけた。「ひさしぶりで先生に怒られてこようと思うんだ。」という。良い心がけである。ところが強風で電車が近江今津あたりで立ち往生し、一時間五十分の遅れ。「鳥が必死で風上に頭を向けて飛んでいたよ。杉の梢にとまって口をあけてゼーゼーってしてるみたいだった。大変だなと思ったよ」とノンキな感想。

 「黒田先生のお召し物は素敵だった。紬風のいい灰色に、なんともいえない洒落た黄色の模様でね」と句会そっちのけである。「寂聴さんはすっごくお元気でとってもカワイイの」「お二人とも言葉があふれるようにお話になるんだよ」と俳句はともかくいろいろな意味で刺激を受けてきたようである。 


3月16日 木曜日 曇り

 テレビで、地震で大被害のあった山古志村の現在の様子が映っていた。 地震で壊滅的な被害を受けたあとに大雪でなんというか言葉もない状況だ。見渡す限り威圧するような大雪の中、農業を再開しようと山畑を見回っている男性の背中をカメラが捕らえていた。、たった一人、大自然と対峙している姿には”雄雄しい”という言葉が相応しく思えた。我輩は人間の♂はたいがいきらいである。特に男の子なんてものは、道で出会いたくない生き物ナンバーワンであるが、ああいう姿をみると、人間もなかなかえらいものだという気がしてきた。


3月15日 水曜日 晴

 大工さんが絵付け場に棚を付けに来てくれた。「え、住宅のほうだったら、もっと○を◇にしたのに!」と専門用語でよくわからなかったが、その道その道のこだわりがあるらしい。素人が見れば、とてもきちんとした棚なのだ。

 大工さんは椿が好きで、日本椿学会だか協会だかの会員だそうだ。百鉢の椿を管理していて中の一つは新品種で「雛祭り」と命名しているそうだ。


3月14日 火曜日 雪

 村道がまた工事中で車が通りにくくなった。九谷焼美術館のミュージアム・ショップに、展示の入れ替えに行ったおるかは、雪の中傘をさして荷物を抱いて戻ってきた。「売れ残った品物を持って帰るのは、じつにしみじみ重いものだ」と言った。


3月13日 月曜日 雪

 なんとまた雪!その雪の中を東京からお客様がお見えになった。三十年も歴史のある焼物のお店と伺った。焼き物もよくご存知だし、何が欲しいかも熟知している方々だった。お帰りになるときはもう道がマッ白くなってきていた。外猫のシロがお客様の手に猫パンチを出していた。なんと凶暴なやつであろうか。


3月7日 火曜日 快晴

 昨日とはうって変わっていいお天気になった。九谷焼美術館と山代の窯跡展示館をまわって「古九谷浪漫吉田屋展 加賀」を見て来た。美術館には出光の「青九谷」が数点きていた。菊の花図大皿はいつみてもすばらしい。眼福眼福。

 美術館二階の茶房古九谷でお茶。U嬢お薦めの加賀棒茶とお菓子も香ばしく、口福口福。U嬢は「吉田屋展 京都」にもお手伝いに行くそうだ。なかなか大変だ。忙しそうだったので、彼女の本業(?)の蔵書印を作ってもらう話は切り出せなかった。

 窯跡展示館は、古い陶芸家の家を見学しやすいようにしたもので、使い込んだ木戸の軽さも落ち着いた雰囲気だ。そこから魯山人の寓居址をこれも展示館ししたところまではブラブラ歩いても、そう遠くないが、今回はパス。魯山人寓居址では庭を眺めているとお茶を出してくれる。それも須田菁華の茶碗でだしてくれるのだから眼福というか口福というか。

 春の遊山気分で楽しい日だった。


3月3日  金曜日 曇り

 あーかーりーをつけましょ雪洞に〜♪といっても外は小雪がちらつくお天気。桃の花どころか梅もまだまだ固い蕾のままである。そして、案の定、おるかの猫雛人形は間に合わなかった。まぁまだ試作品だそうであるが。

 テレビでどこかの地方でお雛様を川に流していた。下流で集めて燃えるゴミにするのだろうか。小さな子供たちが手を合わせたりする姿がかわいい。子供というのはスバラシイものだと思うが少子化問題という言葉を聞くと不思議な気がする。世界の人口爆発は焦眉の急である。温暖化で気候がますます悪化すれば当然食料は少なくなるし、環境難民が増える。中国が食料輸入する日だって以外に速く来そうである。そんな中、食料自給率が40パーセント以下のこの国でどういう展望で人口を増やせというのだろうか。もし、人口を制限しなくてはならないとなったら、これは人権が絡んで大問題になる。一人っ子政策なんて中国だからできるのである。国民が無意識の叡智かなんかで自然に人口を増やさずにいるというのは地球規模で見れば良いことなのだ。

 それなのに政治家はなにゆえに少子化が問題だと言い続けるのだろう。大体永久に増え続けることを前提とした保険制度なんて、限りある国土で不可能なことではないか。


3月2日 曇りときどき薄日、午後雪

 福井県今立町まで紙を買いに行く。紙は寒漉きがいいそうだが、三月とはいっても寒さが続いているからまぁいいだろう。武生市(いまは越前市だそうだが、歴史的な名前を我輩は尊重する)から旧道ヲ山の方へむかうと遠くの峰峰に残雪がいまだにたっぷりとあるのが見える。今立町もかなり山が迫っているがその奥の池田町水海の田楽舞は古式ゆかしいものである。見に行きたかったが今年は大雪なのであきらめたのだった。

 今立町につくと雨が遠慮かちに降り始めた。まずはお蕎麦でもと思ったが目当ての店はお休み、ショック。福井県のこのあたりはは蕎麦の美味しい所だ。青黒いような田舎蕎麦に大根おろしを添えたおろし蕎麦は何杯でも食べられる。「森六」「堪助」など名店もある。池田町にもちょっと名の知れた蕎麦屋がある。が、今日のところはしかたなくお腹を宥めつつお店をまわって、画仙紙や竹紙、練習用に機械漉きの和紙など量だけはかなりたくさん買った。手漉き和紙は神々しいような白さだ。今立は越前和紙の漉き屋さんも多く、見学もできる。日本各地の伝統的な手漉き和紙は後継者不足とか存続が危ない所ばかりらしいが、今立は若い人も多く「紙展」など元気のいい公募展もあって活気がある。武生まで戻って「谷川」の蕎麦を食べようかと思ったが、雲行きがあやしくなったので、さっさと帰ることにした。県境を越える頃には、雪は傍若無人の降りとなった。


3月1日 水曜日 曇り

 我輩はミケ。猫であるもう三月だ。寒いとは言っても、夕方の時間がうっとりするほど長くなってきた。時の止まったような蜂蜜色の春の夕暮れが我輩は大好きだ。ふと見ると、おるかもぼんやり外を眺めている。「黄昏の光の中ではどんなものも懐かしくみえるな。」と感に堪えたような面持ちである。つきなみな意見だが、同感できる。

 「明日は若狭ではお水送りだな。残雪を分けて、行に打ち込む方々がいらっしゃる。ありがたいことではないか!」などと言う。以前お水送りの寺、神宮寺の、美僧であらせられる御住職にお布施も渡さず一日お話伺ってお茶までご馳走になって帰ったのは誰だっけ?明神のよしみ(?)で随分深い御話を伺ったのに葉書一枚でお礼したつもりなのだからにゃ〜。

 神宮寺の更に上流にある白比丘尼の墓も寂しい所だった。人魚を食べて不老不死を得たという白比丘尼の採物は椿である。いかにも不可思議な生命力の象徴らしい。お水送りの鵜の瀬もその周りだけはほんのちょっとだけ椿の原生林が残っている。その鵜の瀬の水が地下を潜って奈良東大寺の若狭井に通じ、年々お水取りの秘儀が行われる。若狭から奈良へ通う水の道。その先には玉置神社がある。南方熊楠は、豊かな山からの水が磯の魚にも必用なことを説いた。それに共感した植林する漁師さんたちの信仰篤いのが玉置神社である。清らかな水につながれた道は今も息づいている。その水こそ変若水だろう。


inserted by FC2 system