ミケ日記

2006年4月


4月28日 金曜日 晴れ

 うっとりするような穏やかな日だった。すっかり葉になった庭の桜に太ったヒヨドリが来る。それをタマとシロがあきもせず伏せの姿勢でじっと狙っている。

 道向かいの家はすっかり家らしくなった。四角い家かと思ったら。後から複雑な形の屋根を取り付けて外壁もパンパンと付けて、早いものだ。

 お隣のおじいちゃんが掘りたての筍を下さった。今年はイノシシにすっかり食べられて貴重な筍なのだ。お隣の小松市の広報紙ではイノシシがこの冬の大雪でかなり餓死したとつたえていたが、おじいちゃんに言わせると「イノシシは町村の境界何ぞ関係ない」とのこと(もっともだ)。ともかく今年このあたりの山のイノシシは筍をたべまくっている。「実害でいったら熊よりイノシシの方がズット大きい」とおじいちゃん。「それなのに熊ばかり撃ってかわいそうだ」そのとおり。去年は山のドングリが沢山実って熊さんは人里に出ないですんだ。よかった。でもそのため、今年は子供が沢山生まれて子連れ熊が多いから注意しなければならないという。おるかは裏の水芭蕉を食べた犯人が熊だったらどうしよう、と心配している。熊の好物なのだそうである。


4月26日 水曜日 曇り

 我輩はミケ。猫である。道の向こう側に、新しい家が建つ。昨日はじめて柱が何本か立った。今日は全体の形が四角く見える。風景が少し隠れてちょっと残念ではある。かわいそうなのは一匹外猫のヨモギである。いつも隠れている小屋の前を大工さんたちや、工事関係の車がいったりきたりするので、どこかへ逃げていってしまった。一日中カンカン音がするからおちおち寝てもいられないのだろう。おるかが餌を持って道で「よ〜も〜!」と空しく叫んでいる。


4月24日 月曜日 曇り 黄砂

 一日たっても、葉桜図の色は乾いて薄くなったものの安っぽい。これはこの岩彩の限界だろう。もっとよい原料の絵の具なら、きっとちがうはずだ。あぁ本物のラピスラズリを磨った青、使ってみたい。ともかく仕方ないので絵のうえにびっしり字を乗せて手紙を書いた。切手が年賀用のあまったのしかなくて、残り三十円のために郵便局までいった。黄砂のせいで風景が霞んでいる。なんとなくきれい。

 オオバナエンレイソウにお礼の肥料をやり、肥料嫌いのシラネアオイにはお礼の言葉をかけて午前中は草むしりに過ごした。水芭蕉にもう一株蕾が上がってきたが、一斉に咲いてくれる気はないのだろうか。先日咲いたほうはすでに瀕死の白鳥のように水の上に臥せっている。


4月23日 日曜日 曇りときどき晴れ

 庭弄りをしようと外に出たら寒い!また絵付けの部屋に暖房をつけて葉桜の絵など描く。色がきまらなくて片に安っぽく派手派手しくなってしまった。

 夕方日本中の桜を巡っているOさんが見えた。お土産の「姥が餅最中」をみんなで食べながら、桜の話、吉野といえばその山霊のごとき存在の前登志夫氏の近況、短歌の話など伺う。楽し。


4月22日土曜日 うす曇 黄砂降る

 朝五時に起きて、井筒俊彦の「禅的フィールド」他二編の講演記録を読む。明晰なのでとてもわかりやすい。華厳と唯識がやはり面白い。華厳経の比喩はとても美しい。井筒俊彦の本、明日からは「大乗起信論」を読もう。

 図書館にお願いしていた本が届いたというので出かける。その本の他例によって十冊借り出し、そのあと書店に回ったら、やはり注文していた古井由吉の「辻」が来ていたので買って帰る。まだ読んでいない本がいっぱいあるというのはなんと嬉しいことだろう。

 パトリシア・ハイスミスの「変身の恐怖」読了。これは訳者が吉田健一なので興味を持った。チュニジアの太陽の下、主人公の作家が来るはずの友人を待ちながら恋人の手紙が来なくて所在無く日々を過ごす前半のあたりナンということもないのだが、妙に読ませる。

 村上春樹「東京綺譚」も丁度図書館にあったので読んでみた。私は綺譚のたぐいは好きなのだが、これはつまらないと思った。なぜかわからないが、著者がどこかでブレーキをかけて、高みから見下しているような調子が、ごくわずかな腐臭のように気持を冷めさせる。


4月20日 木曜日 曇り時々雨

 午前中、「工房探訪」(?)取材の女性とカメラマンさんが来て、いろいろはなしをしたり写真を撮ったりしてゆかれた。オットセイとおるかの作り笑いの写真も撮られた。「写真って苦手!器だけじゃだめなのかねー」とおるかはぼやいていた。まぁ作り手の写真なんか本人が思うほどだれもじっくり眺めたりしないさ。

 庭の桜はちりはじめて大分葉勝ちになってきた。山から散ってくる花びらがきれい。


4月18日 火曜日 晴れ

 おるかは風邪で寝込んだ。我輩は川下のテリトリーをチェックにでかける。


4月17日月曜日 晴れ

 庭の桜も満開、桃がちらほら咲き、山の桜が散り始めた。京都の叶正寿庵のお菓子をいただいたので、工房のツルちゃんやお隣のおばぁちゃんを呼んで、みんなで外でお茶にした。眠たくなるようなうっとりうららかな春の日、鳥の声、川のせせらぎ。桜の花。ずっとこれからこうして毎年お花見できたらいいな。

 山桜は射し始める朝日に眺めるのがいい。枝垂桜は夕暮れがいい。


4月15日土曜日 晴れ

 暖かくなったのでおるかは二階の部屋を掃除して炬燵のまわりの本の壁を移動、本棚の整理などしていた。机に向って、明日から規則正しい生活をしようと計画を立てている。笑止なり。三日坊主にきまっている。


4月13日 木曜日 曇り 寒い

 鎌倉からお客様。長いお付き合いの方なので、しごとそっちのけで本の話ばかりしてしまう。話しているとすぐ時間が来てそそくさとお帰りになられた。

 先日、時間をみようとテレビをつけたら”女性型”ロボットなるものが画面を歩いていた。ユラ〜ンと立ち上がって数歩行くと腰部分に手を当てて休めのポーズになる。男性アナウンサーが「色っぽいですね」というと製作者のおじさんはニコニコ嬉しそうである。

 しかし「たとえば。どんな役にたつの?」という質問に「モデルさんとかがロボットの動きを見て(女性らしさの)参考にするとか」とおっしゃったのには口あんぐり。生きてる女性がロボットに学べとはおそれいった。まぁ、そのおじさんのかんがえている”女性らしさ”とはいかに陳腐なステレオ・タイプかということが、一目でわかりますけどね。

 しかしこれでロボット・メイド・カフェでもすればきっと儲かりますよ。かならず転んで立ち上がる。人間のメイドさんが必ず転んでいたらクビかもしれないけど、ロボットならそれが売りになりますものね。マンがのようなマスクをつけて、「ヤ〜ン」とか嬌声を仕込んで。もうオタクっぽいひとが現代版茶運び人形カフェに列をなすのがめにみえるようですわ〜ん。


4月12日 水曜日 曇り時々晴れ

 急に暖かくなったので、庭の植物が大急ぎで咲いた。裏山の桜などは一気に咲いてそして散ったみたいだ。急ぎすぎだよ桜。いくらさよならだけが人生だっていったって。

 ゴミ邸殺人事件があったらしい。注意した方が殺されたんじゃ気の毒だ。しかし、ゴミ邸ってずいぶんあちこちにあるものらしい。急に増えたようなきがするが、いままで注目されなかっただけなのだろうか。昔から石だの流木だのを集める人はいた。自然の形態のうちに自身と響きあうものがあるのだろう。ゴミを集める人もゴミと自分とになにか共感できるものがあるのだろう。テレビでもゴミ邸の主たちはそれをゴミとは言っていなかった。まだ使える、ほんとはしっかりしたもののはずなのに誰からも見捨てられ、うっちゃられている(と思われる)ゴミに無意識のうちに感情移入しているのだろうか。そうなると、捨てろといわれて捨てられるものでもない。だって自分自身なんだから。

 ゴミ邸が必要としているのはセラピストで、強制執行のブルドーザーではないのかもしれない。


4月11日 火曜日 雨 大風

 なんなノーっ!と叫びたい大風。水仙はみんなべったりと地面に這っている。植木鉢が転がっている。明け方の夢の中でなにかカランカラン言っていたのは、バーベキューのときの火消し壺がわりにしているアルミ鍋の蓋だった。外猫の爪とぎ板は倒れたコンクリの上が濡れていたので貼り付いて飛んでゆかなかったらしい、ヨカッた。

 植えつけたばかりの山草が心配で、見に出たおるかは、「小砂眼入す」と落語の登場人物(なんという名前の落語だったか、言葉遣いがやたら丁寧で「あいや、わが君」と亭主に呼びかける新婚の奥さん)のせりふでぼやいていた。

 夜になって風が不気味なほど生暖かくなった。すかーんとふきっさらしの空には月がひとりぽっち。


4月8日 土曜日 薄曇 黄砂が降っているらしくあたりがうっすらぼんやり

 日が雲から出ると、おるかはそのたびに庭に出て草の芽チェック。晴雨計の人形のようなやつだ。

 午後からロクロの前で猫だの菊滋童だのの、ちいさな人形をつくって遊んでいる。ペンダント・トップになるそうだ。小さな照る照る坊主もつくった。「お花見のときは、この照る照る坊主ペンダント・トップを下げてゆくのだ。用意周到だろう?」という。やっぱり、こいつ馬鹿だったのだ。


4月7日 金曜日 晴れ

 この季節晴れたら庭弄りしないではいられない。鉢植えの土を取替え、カラタネオガタマと大山蓮華は一回り大きい鉢に移し替える。シランの芽やエビネの芽がニョキッと出て昨日気がつかなかったのが不思議だ。春蘭の華をスケッチ。深山桜汲出し茶碗、描き終わる。

 偽メール問題でてんやわんやの民主党の代表選挙で小沢氏が選ばれた。道化がバカをやって舞台をひっくり返したら怪物がでてきたといった感じだ。


4月5日 水曜日 雨

 雨の中、虎鶫が鳴いていた。不思議な声だ。鵺の声。怪物がこういう細い声で啼くという発想はちょっといい。龍笛の音に茫洋とした寂しさがあるように、怪獣の哀愁というのもシブイ。

 図書館へ行く。久しぶりですぐ駐車できた。図書館脇の駐車場までのせまい道は迷惑駐車の車が、いつも何台か停まっている。ああいう車はボコボコにしていいという条例があるといいのに。

 井筒俊彦著「コスモスとアンチコスモス」をまた借りた。すごい本だとおもうけれど当の昔に絶版。西欧と東洋そしてアラブ世界を縦横に論じる、こういう本は今読まれてしかるべき本だと思うのだが。井筒俊彦は英語フランス語等等は簡単なので難しいといわれるアラビア語をはじめ、すぐイラン王立哲学アカデミーの教授になって、並み居るコーラン研究家達と議論を戦わせることができた。この本は華厳哲学を主軸に語られているがユダヤ教神秘主義にも考察が及んでいる。もちろんすべて原典に当たることができたのだろう。こういう人もいるものだ。エッケ・オモ。


4月3日 月曜日 雲

 定期健診で歯医者さんに行ったおるかは歯のお掃除だけしてもらって放免となった。喜んで花を買い、加賀温泉駅から古九谷の杜公園のあたりなどドライブして帰ってきた。公園の桜の蕾も大分色が濃くなってきたそうだ。


4月1日 土曜日 うす曇

 午前中箱屋さんが箱を届けてくださった。おばさんは猫好きらしい。オットセイは大工さんの所に支払いに行ってついでに木切れを沢山もらってきた。車の中も木のいい匂いがする。

 おるかは「今日から仏門に入る!」だの「あんなところにオオサンショウウオが!」と流木を指さしたりバカをやっている。ふだんからバカをやっているものが四月バカをやってもあまり効果ないものである。

 午後、Uちゃんが来て工房を片付けていった。家をでて自立し、しばらくはアルバイトしながら絵の勉強に専念するという。なかなか大変だ。こう景気が悪いと若い人が焼き物だけで食べていくのは相当に難しい。おるかはしばらくだまりこくって、やたらに雑草をむしっていた。


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