ミケ日記

2006年6月


6月9日 金曜日 曇り

 我輩はミケ。猫である。今月から日付の早い方から上に書いていくことにした。

 さて、四年にいちどのサッカー、ワールド・カップが始まった。何を隠そう、我輩も球を転がすのは好きである。我輩の場合は前足をつかうが、これも足である。ついついテレビを見て過ごしてしまいそうである。

 運動神経には自身のある我輩であるが、サッカーの試合には全く感心する。これほどのスピードで珠を蹴ることのできる生き物は宇宙にもいないのではないか?それにしても炎天下、あれだけのペースで走り回るのは犬だって無理ではなかろうか。我ら猫族は寒いのはもちろん嫌いだが、暑さにも割りに弱いのだ。アフリカのライオンたちが昼寝をする姿は正直格好よくはない。人間というのは弱いんだか強いんだか分からない動物である。

 おるかは旅行に出かけた。信州に俳句の会に参加するついでに東京に寄ってくるそうだ。


6月12日 月曜日

 W杯サッカー、日本対オーストラリア選の日である。日本中がそのことを考えているのか朝から空気にただならない気配がする。スポーツ観戦のそんなに好きではないおるかも東京で母親と一緒にテレビ観戦をしたそうである。結果は残念なものであった。ミス・ジャッジがあったらしいが限界ぎりぎりで戦っている選手には、ちょっとした精神的動揺がリズムを狂わせたりするかもしれない。勝てると思ったのににゃー。


6月13日 火曜日

 夜遅くおるかが戻ってきた。きょうは美術館を回って。東京駅の丸善で本を買ってきたそうだ。サラ・ウォーターズの新刊「the Night Watch」、Amelie Nothommb 「Antechrista」「Stupeur et tremblements」、Agota kristof 「l'analphabete」、それにボードレールの「悪の花」と「パリの憂鬱」。「悪の花」はこれで四冊目だ。よくもまぁ同じ本を繰り返し読んでいるものだ。おかげで辞書を引かなくても読めるのだそうだ。それくらいなら丸暗記しちゃえばよさそうなものだ。おるかは読めない漢字があると、「確か、あの本のあのへんにルビが打ってあった」などと憶えている。どうせ憶えるならその漢字の読みを憶えていればいいではないかと思うが,人間の記憶というのは奇妙なものである。

 英語の本もフランス語の本もこのちかくでは、手にとって選ぶことがなかなかできないので、今日は思いっきりあの本この本とページを繰って楽しんだそうである。買った本を眺めながら丸善の喫茶コーナーでのんだ紅茶は至福の味だったそうである。


6月18日 日曜日

 貴重な梅雨の晴れ間である。我輩はその時間を大切に昼寝をした。おるかは貧乏性というのか、洗濯したり草むしりをしたりどたばたしてすっかりばてていた。

 夜、日本対クロアチア戦である。おるかはとても見ていられない、とパソコンに向って写真の処理などしながらそれでもちらちらとテレビを見ていた。軟弱なやつである。引き分けだったが、中田のミドル・シュートがものすごくかっこよかった。


6月20日 火曜日 晴れ。

 北陸は入梅が宣言されたと同時に晴れの日が続き始めた。今日も真夏のようなお天気だ。

 朝、おるかが目を覚ましたとき枕元に居ると、くだらん夢の話を聞かされる。今朝は運悪く行き合わせてしまった。我輩を布団に引きずり込みながら「夢で四十歳代のジェーン・バーキンにあった」という。「美しき諍い女」のころのジェーンだろうか。「水の怪物が彼女を攫いに来るというので守らなきゃ、と戸締りしてると、どこからか着物姿の小母ちゃんがはいってきて「あたしは餅屋なの餅屋。…でもほんとはモデル」とかなんとかわけのわからないことを喋りまくるのよ」と言う。あー、まったくなんて馬鹿げた夢なんだ。ケッと言って布団を飛び出すと「愛想のないやつだな」とぶつくさいいながら起き出して「年取ってもかっこいい人はかっこいいよね。シャーロット・ランプリングもいいし、あの画家の、アー、えっとレニ・リーフェンシュタールじゃなくって、あー名前わすれた、でもあやかりたいもんですなー」など妙に興奮してせかせか話す。年取ってもかっこいいためには、人生経験による落ち着きとかが必用なんじゃのないかねー。


6月22日 木曜日 雨

 雨がしょぼしょぼふって暗い一日になりそうだ。庭ではビオウヤナギが大きな黄色の花を次々に開いている。雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けない丈夫な花である。しかるにおるかは先日「夏至だから」と半袖で出かけて見事に風邪を引いてもどってきた。情けない。嘆かわしい。我輩は年中毛皮一枚で暮らして風邪など引いたこともない。少しは見習ってもらいたいものである。えっ?さっきもゲロ吐いたろって!?あれは毛玉よ。け・だ・ま・。家の中にに猫草くらいよういしてくれんのかねー。外へ出れば嫌になるほど雑草があることはあるが、ソトネコノ目を盗むようなことは我輩の誇りが許さんのよ。

 玄関脇の竹の植え込みでは外猫の玉がいつでも竹に虎のポーズを決めている。勝手口のほうは凶暴な外猫シロのテリトリーだ。我輩もけっこう苦労はしているのだ。


6月24日 土曜日 曇り

 ほぼ半年ぶりくらいで、句会。若いUさんがお仕事を休めないので夜の7時からのあつまりになった。たった四人だがひさしぶりにかおをあわせるのはうれしいもんである。我輩は二階で聞き耳を立てていたのだが、賑やかなことであった。

ついでながらビオウヤナギとおもっていたのはキンシバイの間違いだった。句友に教えてもらった。

 句会が終わって外に出ると蛍が飛んでいた。おるかが懐中電灯を点滅させるとムワ〜と真っ暗な山から蛍が、群れというほどの数ではないが、飛んでくる。みな歓声をあげて「ほらほら!」「あそこ!」などと言いながら橋の上でしばし見蕩れた。

 それにしても懐中電灯や車のライトに誘われる蛍って、何を考えているのだろう。まさか圧倒的にサイズの違う光をメスだと思うわけはないだろう。ひょっとして巨大な輝きを彼らの神だとでもおもうのだろうか。奇跡の光臨に望もうと寄って来るのだろうか。謎である。


6月26日 月曜日 小雨

 小雨の中おるかは植木鉢の移動をしていた。我輩はちょっと山道を慫慂し、ついでに用を足した。なにごとにも気分転換は必要である。

 おるかの投句している俳誌「藍生」が届いた。ひさしぶりで先生の講評をいただいたとかで嬉しそうだったが「この人はいま難しい時期にいる」とあったそうだ。「確かにそうなんだけど、どう難しいのかわからないんだよねー」としょんぼりするおるか。「自分を甘やかさないことだ」と結んであったので「私って自分に厳しいつもりだったんだけど甘えてるのかなー?」としきりに考え込んでいた。


6月30日 金曜日 曇り時々雨

 午前中大聖寺の町からすてきな女性お二人がいらっしゃった。我輩もおむかえにでて匂いを嗅いでみた。美味しいお菓子の匂いがした。福文の和菓子「木の間の滝」となんといったか忘れてしまったが、梅雨晴れ間の空の燕のようなデザインの生菓子を持ってきてくださったのだ。「こんな良いお菓子は久しぶり」「やっぱり福文はおいしい」等々絶賛しながら皆で食べる。幸せな午前だった。

 そのあとオットセイとおるかの間にはささいなことから暗雲がたちこめたのであるが、我輩には関係ない。おるかのノートの上でゆっくり昼寝をした。

 おもえばこれで今年も半分すぎた。光陰矢のごとし。あとどれくらい昼寝できるのであろうか。この世の光にあたたまるのもまったくつかの間の夢である。うろぢよりむろぢへむかう一休みである。


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