ミケ日記

2006年7月


7月7日 金曜日 曇り

 我輩はミケ。猫である。今日は新暦の七夕である。どんより雲って、昼間から不如帰が啼いている。芋の葉の露が間に合わないからと、おるかは朴の葉の露を集めて、手習いをしていた。村の家々の玄関先に七夕の笹が飾ってあるのが生垣越しに眺められる。最近の飾りはかなり派手なものが多い。それでも笹の葉のサラサラ感が銀河の砂とどこか響きあうようで、なかな良いものである。

 七夕の童謡を大声で歌いながら、おるかはいろいろ書き付けた習字紙でレンジ回りの拭き掃除をしていた。たちまち油まみれになる古今の詩人たちの鏤骨の詩句。合理的かもしれないが風情がない行為である。


7月9日 日曜日 曇り時々雨

 日曜日なのに、家の人間たちは早く起きてオットセイはパソコンに、おるかは机に向っている。というかオットセイのほうは夜寝なかっただけらしい。

 「最近どうも気力がないのは睡眠障害かしらん?」などとおるかはこぼしている。何かで目が覚めると眠れなくなってしまうそうだ。修行が足りんな。

 作家プルーストはあの大長編をシンプルな一文で始めている。 「長い間、私は早くから寝た」  実に良い書き出しではないか。プルーストは猫的な作家である(これは人間にはもったいないくらいの賛辞である)。先ず第一に良く寝る。これは素晴らしいことだ。ユングも「夢を見れば見るほど頭が良くなる」(伝聞)と言っているそうだ。恋人のアルベルチーヌの「眠りの上に船出する」シーンなどは実にわが意を得たりという心持がする。プルーストはコレットをインタビューでけっこう高く評価していたが、コレットも猫であった(彼女の猫振りダンスはあまり見たくない気がするが)。

 ところで、カポーティがコレットに会ったとき、付けていた香水の名前を訊ねると「これはジッキーよ。プルーストも好きだったわ」といったと書いてあったが、どうも年代が逢わないようなきがする。ナタリー・バーニーか誰かと間違ってるんじゃないだろうか。ま、猫はあまり細かいことは気にしないのだ。


7月10日 月曜日 晴れ

 蒸し暑い日になった。三十度はこえているだろう。フローベールの「ブヴァールとペキシェ」では 「三十三度の暑さだったので、ブルドン通りにはまるで人影がなかった」 とあるが、どっこい現代の日本では三十五度でもビジネスマン達は都会の道を闊歩するのである。これは進化なのだろうか。狂気であろうか。

 暑さのせいか、おそろしいことが起こった。外猫の、あの凶暴なシロが、なんと赤翡翠を獲ったのである。どうしたんだ赤翡翠?!なにをうっかりしていたんだ!ベランダに朱色の嘴だけが残っていた。その形、色艶、途轍もなく美しい。あぁ、こんなにも美しい存在が、あの馬鹿猫に食われてしまうとは!よのなかは不条理だ!

 おるかはショックのあまり寝込んでしまった。「他の鳥だったらこんなにがっくりしないのにね。命の重さに違いがあるというわけじゃないけど、あの夢のような声を聞けることが、夏の朝の幸せだったんだもの…」と幽霊のように声を震わせていた。


7月12日 水曜日 曇り

 我輩はミケ。猫である。「来年はおまえも十歳だねー。」と言われて我輩もなんだか、貫禄が付いたような気がしそうになった。イカンイカン!人間の悪影響を受けて年相応なんてことを考え出すとろくなことにはならんのだ。貫禄なんかついたら第一健康に悪い。もっとも野良猫のボスの歴戦のツワモノの風格はなかなかいいものである。風格とは、年齢と関係ないのである。


7月14日 金曜日 晴れ

 暑い!玄関前の渡り廊下で蝸牛がじっとしていた。直射日光はあたらないとはいえ、熱いコンクリートの上の蝸牛は見るだけで苦しそうだ。殻のなかも蒸しているにちがいない。

 「今日騒ぎまわる人をなんていう?パリサイ人という」とおるか。くだらん!それでも一句。

   絵日傘やかつて銀座に巴里祭(ここはパリゐとのばして読んで欲しい)  ミケ


7月15日 土曜日 雨

 小止みになったり土砂降りになったり、一日のうちに雨の表情がころころかわる。合歓の木の花も窄むのだろうか色が淡く見える。それともただ雨で色褪せたのか?雨の名前もいろいろあるが緑雨なんてのはきれいな名前だ。梅雨の晴れ間の緑は本当に美しい。しかし、きれいな名前をつけるのには、ただ稲作に雨が必要で関心が深かったという以上に、希望や祈りも込められているに違いない。

 昔の人は自然の力に現在よりもずっと無力だったろうが、その無力の受け入れ方になかなか味があったものである。そこに美さえ生んだのだから。

 合歓の花が一房、音もなくピンクベージュの雫になって散った。


7月17日 月曜日 雨

 大雨である。我輩はうっかり日曜に散歩に出て帰れなくなってしまった。夜の間の雨は半端じゃなかった。いつもの川沿いの物置はさすがに危険を感じたので、小高い所の空家にこもって、家の者が探しに来るのを待つことにした。夕方になって雨が小止みになったところでおるかの呼び声が聞こえた。さすがにほっとしたがすぐ出て行ったら「そらみたことか」なんぞといわれそうなので、しばらく姿だけ見せてじらしてやった。「雨がまたひどくならないうちに帰ろうっていってるでしょ!」とおるか。いつになく焦って我輩を抱くと走って家に戻った。家の前の川は朝よりはだいぶ水位が下がったそうだが、濃く出したミルク・ティーのような水が轟轟と渦を巻いて、時々流木も凄い勢いで岸を打ってゆく。夜に入っても雨は止まず、折るかも時々外を眺めては不安そうであった。


7月20日 木曜日 雨時々晴れ

 オットセイは病院に行ってアレルギーの薬を貰って戻った。アレルゲンは我輩ではないかと疑っている。失礼な。しかし、勿論可能性はあるわけである。なんとなくうら淋しい気分で窓枠に乗って山を眺めた。


7月22日 土曜日 晴れ

 ここ数日の大雨で川底のの苔が流されたらしく、岩の青い色がピカピカできれいになった。しばらくの間に雑草が伸び放題で、午前中小一時間ほど草むしりをしただけで草が山のようである。

 アレルゲン撲滅作戦とやらで畳の隙間まで掃除。ハウスダストや我輩の毛などを細かくチェックした。オットセイがいつもいるパソコンの部屋は立ち入り禁止にされてしまった。フン、あんな電磁波だらけの部屋、こっちから願い下げじゃわい!おるかは「新しくアトリエでも建てて、一緒に二人だけで暮らそう、楽しいぞ」と言ってくれるが、夢のまた夢である。それに我輩がアレルゲンときまったわけでもないのに、失礼である。オットセイは我輩が入らない客室で寝てるがアレルギー症状はかわらないではないか。アレルギーと言うのも不思議なものである。おるかは子供のころから猫まみれの生活だが、アレルゲンがたまるわけでもない。

プルーストが、薔薇の香でアレルギーを起したり、何不自由ないのにつまらないものを万引きしたりする人間をみて「人類は老いた」と書いていた。老いたかどうかはさておき数が増えすぎなのはたしかである。過密状態のラットは攻撃的になる。人間だって推して知るべしである。


7月23日 日曜日 薄曇

 九州地方では大雨が続いているらしい。九州の猫たちはどうしているだろう。長野県の土石流に見舞われた地域の野良猫たちはどうしているだろう。それもこれも人間が自然破壊をしてきたせいなのだ。反省してくれ人間達よ。

 さて我輩は今朝中沢新一の「芸術人類学」の「神と幻覚」の章を読んだ。中沢氏は若い頃「ドン・ファンの教え」(メキシコの知者のドン・ファンである。念のため)を読んで強い印象受けたと書いていたから幻覚と神・超越的なる者、との関係には思うところ深いに違いない。

 ホモ・サピエンス・サピエンスの脳は、その特徴である流動的な直感知が発生するや左脳的論理を超えた「超越・トランセンデンタル」を認識するように仕組まれている。そしてそのとき脳内にはアヘン類似物質エンドルフィンが滲み出す。人間の脳はそういうふうになっているから、つまり「現世人類ははじめから「宗教的人間(ホモ・レリギオウス」として生まれたのである」ということになるらしい。

なかなか美しい仮説である。我輩の右脳は「全くこの考えは好みだぜ!」と踊りまわるが左脳は(我輩にも左脳はある。日記を書く猫なんだから)あちこちで「これを自明のことのように書かれてもねぇ」と首を傾げるのである。
 例えば、氏の独特のレトリックで、真っ暗な洞窟でのイニシエーションの儀式(これだってイニシエーションだろうと中沢氏が推測しているにすぎないのだ。説得力あると思うけれど)の最中に人々は右脳的無意識が活性化しエンドルフィンが出て「このとき人々はあきらかに「集団的自閉症」の状態にある。」と氏は書くわけですよね。「あきらかに」は普通なら「あたかも」くらいのところじゃない?この勢いに乗せられると「おお!そうだったのか!」とか思ってしまいそうになるけど、ちょっとあやうい書き方かもしれない。その辺を氏と同様に自明のこととして感じるためには、氏と同様の修行体験を持たないと無理なんでしょうね。縁なき衆生は救いがたしってやつでしょうか。

言っておくけど、我輩はこの「芸術人類学」はとても楽しく読めて基本的に共感できるつもりである。ここまでの章はとても楽しく読んだ。「神と幻覚」の章はちょっと結論を急ぎすぎのように感じた。毎朝一章づつ読んでいるが,次章の「マトリックスの論理学」は長いので次の日曜にしよう。その次は、と。「山伏の発生」おおおワクワクする題名だニャ。

 


7月24日 月曜日 曇り

 雨が時々降るが、川の水位も上がらず普通の梅雨らしい一日であった。おるかは毎週のことだが、新しいホームページの表紙のための俳句をうんうん言って作っていた。そのわりにつまらぬ句である。「時間がないから、ま、いっか」などという。先生が「自分を甘やかすな」とおっしゃったことの意味が全く分かっていないようである。

 さて「山伏の発生」をよんだ。こちらは比較的普通に纏まってその分あたりまえであった。まともだと今度は面白くないのだから読者と言うのは勝手なものである。

 以前装飾美術についてレポートを書いたことがある。何がしかの新しい意見を言うことが学恩に報いることだと信じていたので、毎回それなりに調べて書いたのだがあまり評価が芳しくなかった。あるとき時間がなくて先生の書いたものをまとめただけような、手抜きレポートを書いたらそれはハナマルであった。そんなものかと思った。面白ければ面白いほどいいという猫頭は学問にはむいていないのだろう。


7月26日 水曜日 薄日

 山の端にプルシアン・ブルーの空が覗いている。全く夏色だ。木々の陰も急にコントラストを強めて、いかにもあたしはとっくに夏ですよ、といいたげである。朝には蜩が太陽礼拝の大合唱をする。

 玄関の前に黒蝶の翅だけがあった。外猫の仕業であろう。彼らは美しいものを喰うのがことのほか好みなのであろうか。シロは薄汚れた白に黒サバトラの毛が間抜けた紋様に散っているみっともない猫である。ルサンチマンがあるのであろうか。そのせいで我輩にも突っかかってくるのかも知れぬ。何しろ我輩は美猫であるからのぅ。


7月30日 日曜日 晴れ

 北陸もやっと梅雨が明けたそうである。おるかはきょうは朝から出かけて夜遅く戻った。聞くところによると桑名の句会に参加してきたそうである。ハマグリは時期が違ってしまったが土用蜆の季節なんだそうだ。美味そうである。魚介類の有名なお料理屋さんも数多くあるところらしい。我輩も行ってみたいもんである。木曽川、長良川、揖斐川と大河が三本も並ぶなか、両側に豊かな水と葦の茂る堤防の道を走ると不思議な世界に行くようだった。しかもその先には広々とした蓮根畑があって折りしも蓮の花が咲きだしていた。まるで二河白道を渡って浄土にでたようだったとはおるかの報告である。木の香も清々しい新築のアトリエのような御家での句会では吟味された美味が次々饗せられて「いや、美味しかったの何の」と嬉しそうであるが、肝心の俳句のほうはさっぱり覚えていないようだ。やはり精神活動は痩せたソクラテス(古ッ!)でないとだめなのだろうか。といっても写真でみたソクラテス像はけっこう幅広な顔だけどね。


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