ミケ日記

2006年9月


9月1日 金曜日 晴れ

 今日は防災の日。各地で避難の予行演習が行われていた。東京都の石原知事が小泉首相とうれしそうに見回っていた。いつ大地震が起こっても不思議でない時期なのだから、オリンピックなんかより、防災のための施設の充実を図ったらどうかと我輩は思う。人間ばかりではない。ペットや野良猫のことを考えたことがあるのだろうか。弱者(この言い方も我輩はおかしいと思うが)への想像力の欠如した御仁であるから、平気で馬鹿な提案ができるのだろう。

 今日はまた、おるかの御祖母ちゃんの命日でもある。憶えやすい日である。御祖母ちゃんの好物は極上の煎茶だったそうだ。「でも、飲んでるの見たことないの。お嫁入りのとき持ってきた大切な煎茶道具を戦災でなくしてから、お茶も昔と同じ味がしないって言ってたらしい」とおるか「かわいそうな御祖母ちゃん、もし今だったら、わたしがどんな注文でも聞いて上げられたのにね。」
 <もしも…だったら>とは悲しい言葉だ。色褪せた写真の御祖母ちゃんのとなりの伯母さん。若い頃ピアニストになりたかったその人は、ウィーンやパリの音楽会へ行って見果てぬ夢の跡ををたどったかもしれない。もし今生きていたら。その膝の上の凄いような美少女は、きっとあこがれの従姉だったろう。 二人とも、もし空襲に遭わなかったら。
 おるかは一人で紅茶を淹れていた。


9月2日 土曜日 晴れ

  月が西の山の端にかかる頃、ベランダの木の湯船にお湯を張って、今夜は露天風呂だ。「意外に蚊がいないね」といいながら,CDを外まで聞こえるように大きな音で鳴らし、飲み物をもちこんで「極楽極楽」とうれしそうである。人間とは何故かくも風呂が好きなのであろうか。風呂に入りすぎて体毛が退化したのではなかろうかと我輩は思う。「これから満月の晩は露天風呂だ!」とおるかは満足げであった。


9月3日 日曜日 晴れ

 草むしりするとあっという間に草の山。裏山とどこから区別がつくのか分からない庭だから、まぁ、無理も無い。裏庭の小さな流れを埋める溝蕎麦やイノコヅチを引っこ抜いて「あ、良かった。水芭蕉生きてた」と声を出すおるか。シーっ!大声を出して、熊に聞かれたら大変だぞ。熊は水芭蕉の葉っぱが大好物だそうだから。


9月4日 月曜日 晴れ後曇り

 午後、お客様がいらした。外国生活が長い方らしく、現在は日本文化に燃えているらしい。萌えじゃなく燃え燃え。日本文化館建ててくださいね。かげながら応援しております。


9月9日 土曜日 晴れ 暑い日

 昨日までの秋めいた肌寒さから一転、真夏もこれほどの日はそう無い極暑の一日だった。おるかは夕方から金沢の詩の朗読会に行った。東の茶屋町に入ると緑の瞳のクロネコが通り過ぎた。裏道ではアメリカンショートヘアの入った可愛い若猫が、暑いからだろうか、石畳にごろんと寝ていた。撫でてやるとかすかな声で鳴く。ガス灯に格子窓の芝居の書割のような廓の町並みはあまりに観光的でいやだったが、こうして猫達がのんびりしているとなんだかいい町のような気がしてきた。ただ、夕方六時で閉まる喫茶店がおおいので、不便。

 神社の階段の途中から、山の中腹へと回り込むような位置に、アート・サロン茶店があった。さやさやパーカッションがなって、明かりが落ちて朗読がはじまった。文字で読んだらさらっと読み飛ばしてしまいそうなフレーズも肉声で語られると touchant , emue, 。二時間はあっという間だった。十六夜の月が石畳を照らし、浅野川に砕けていた。


9月11日 月曜日 小雨

 我輩が散歩に出た間に、大工さんが、網戸の修理費を受け取りにいらっしゃった。領収書をかこうとして「えーっと今日何日だったっけ」「あっ!」そう 9.11だった。もう5年もたったのか。あれ以来アメリカは戦争に継ぐ戦争だ。小泉首相は尾を振ってそれに追従。ついでにイスラエルもテロ掃討の大儀ができたとばかりレバノンやパレスチナへ攻撃。嫌な世の中になったものだ。

 人間達がしばし頭を垂れている間に、タマとシロが開いていた窓からゲリラ的に侵入。黙っていればいいのに、ニャーニャー啼くのですぐ気づかれて追い出されてしまった。愚か者め。

 大工さんがホウズキをくれた。ホウキ草も種ができたらくださるそうだ。おるかはどこへ植えようかといまからわくわくしている。箒木、ホウキグサが大好きなのだ。ぽーっと片側から色付いていく所が可愛いのだそうだ。


9月12日 火曜日

  ガコン!と郵便受けの音。我輩はこの音が嫌いだ。以前はそれに続いて郵便物が床に落っこちるドサドサっという音がしたものだが、最近は郵便受けの下に棚が置かれたので、郵便物は家の中にダイブしなくてすむようになった。

 蒲鉾屋さんのカタログが届いた。全国の料理店むけに、本当にありとあらゆる練り製品が冷凍発送されるのだ。湯葉の製品もある。アナゴの湯引きもある。スモークサーモンのマリネやパテなど洋風なもの、大変に凝った物もある。ムカゴのしん蒸の磯部巻などちょっと食べてみたくなった。

 それにしても今日は随分涼しい。おるかはセーターをだしてきた。「考えてみると今年ももう残り少ないのだな」と早手回しに淋しがっていた。


9月14日 木曜日 晴れ

 爽やかな日であった。遠くの山の松枯れが午後の光を浴びて淋しく白い。お隣の黒犬ラッシュくんが木製の囲いを破って脱走。あさからバシッバシッと音がするのでなんだろうと思っていたが,ラッシュ君が囲いを噛んでいる音だったのだ。すごい顎だ。ガブリとやられたらと思うとぞっとする。外猫たちは避難したらしく、おるかが呼んでもでてこなかった。ラッシュ君はおるかが顔を出すと窓のしたで立ち上がって得意げにサンダルを見せていた。


9月15日金曜日 曇り

 のんびりと草を毟ったり、花を摘んだりしながら、おるかは一日素焼きを払っていた。オットセイが顔を出してあまりにもチンタラしていると文句を言っていたが、かくいうオットセイは仕事よりパソコンに向ってばかりいるのである。「

 夕方、M夫人が木彫展のお知らせ葉書を持参していらっしゃった。多彩な趣味のどれもが玄人はだしというスーパー・レディだ。ついでに緑の瞳のソマリ猫 ペコちゃんの写真を見せてもらった。ムムム、かわいい。おるかは「悶絶」と言っていたが確かに卒倒しそうな愛らしさである。「雑種も、こなれた魅力があるけど、純粋な血統はなんというか、水際立った美貌を産むものだな」とおるかはかみ締めるように呟いていた。


9月17日 日曜日

 台風が近づいている。九州あたりは大変な被害が出ているらしい。「とづぜんに裏山が崩れたりしたらどんなに怖いだろう」とおるかも人事ではないらしい。大風に備えて夕方から鉢植えを移動したり、飛んでいきそうなものを家に入れたりしはじめた。が、すぐ「疲れた」と紅茶になる。お茶を飲みながら大相撲の秋場所をラジオで聞く。「お相撲は見るより聞くほうがいい」とはおるかの言である。ジャン・コクトオは相撲を見物して,「薄目で見ると(組み合った二人の力士は)一頭のももいろの牡牛がいるとしかみえない」と旅日記に書いていた。さすがに、すてきな比喩だ。ピンクの牡牛が小さなアリーナを駆け回ると思って眺めると確かに楽しい。

 土俵の上の綱とりの白鳳は眠そうな顔にみえる。緊張のあまり眠くなるタイプなのだろうか。我ら猫族もストレスは眠ってやり過ごすのをモットーとしているので共感できる。”ディープ・ヨーロッパの哀愁”琴欧州はまた負けてしまった。


9月23日 土曜日 曇り

 太陽がようやく山の端から離れた六時ごろ太鼓の音に目を覚まされた。また今年もやって来たのだ。村の祭りが。そして、獅子舞が。我輩は別に獅子が怖いわけではない。しかし、太鼓の響きは苦手である。腹の皮が震えてこまる。笛のヒョウという音もぞくっとする。そこでなるべく家の奥へかくれる。おるかやオットセイのような蕪雑な神経の連中は面白そうに眺めていた。ことしは笛の吹き手にお隣の末のぼっちゃんがいたそうだ。「獅子を調伏する役の舞手はか弱そうだったね」「全体に若返って、あれならいかにも青年団って感じだ」など好き勝手な感想を言い合っている。

 お昼少し前に、O氏が飄然と現れた。金沢から京都方面に向われる途中らしい。オットセイとは焼き物の勉強を始めた頃からの古い友人で、須田菁華氏のところの登り窯を焚いたこと、古い友人達の消息など昔の話で楽しそうだった。いろいろな事情があってO氏は今は焼き物をしていないが、「もし続けていたら」という気持があるのだろう。二十代の頃、一緒に学んだ友人たちの中で焼き物を続けているのは多くはない。誰しも「もしあの時、違う決断をしていたら」と思うことの一つや二つあるものだが、髪に白いものが目立つようになったO氏の後姿は少し淋しそうだった。

 午後は明日句友をお迎えする献立を考えたり掃除をしたりして過ごす。「一日動き回っても痩せないものだね。」とおるか。ただ走り回ったからといってご馳走にはならぬ。


9月24日 日曜日 晴れ

  加賀温泉駅に名古屋発の特急シラサギが着く。三重県からの句友が手を振って下りてきた。まず芭蕉の泊まった全昌寺へまわる。芭蕉と曽良の句碑のとなりに深田久弥の句碑ができていた。五百羅漢の収蔵庫の回りの白萩が見ごろだった。若い住職(?)が美貌だったと句友の皆様が口をそろえて言うので、おるかは「見逃した」「北陸美男地図を書き換えねばならぬか?!」などとひとりごちていた。ついこの間まではめったに訪れる人もいないような寂寥の趣きの寺だったがきょうは観光客が途切れない。なかにはこれから、屋形船に乗る話をしている一行もあった。日曜日はそんなこともできるようになったらしい。

 家にもどって昼食の後句会。句会でも「白萩」と「美僧」の句が目を引いた。今日の青空よりも印象的な美僧とはすごいのではないだろうか。久しぶりに句会らしい句会ができたとおるかは嬉しそうだった。

 帰る前に、それぞれ小鉢や水遊びの小丼やら、なかには大皿まで買って下さる方もいた。「気に入ってお買い上げくださるのは本当に嬉しいけど、ここにきたらなにか買わなきゃならないっていうふうに思われたら、気軽に遊びに来てくださいって言えなくなっちゃうな」とおるかは変に気を廻して心配していた。


9月25日 月曜日 晴れ

 澄んだ大気がほんのり頬を染めて微笑む朝が来た。オットセイの咳で目を覚まされたおるかはそれでも「きょうは俳句がどんどん作れそうな日だ!」と午前中は機嫌が良かった。が、仕事の手順でまた揉めて、午後からはすっかり暗くなっていた。気分の変わりやすさ秋の空どころではない。
 「まったく角を矯めて牛を殺すのが専門の牛殺し男」とぼやく。

 オットセイのほうは「何でこんなことが憶えていられないのか」といらだつ。おるかにしたらそんな細かいことになぜこだわらなければならないかわからないのだ。それより創造的な気分で仕事するほうが大事だなどと思っているらしい。創造的な気分なんて大雑把なつかみ所のないことではある。

 それにしても性格がこれほど違う二人がよく長続きしていると驚く人がいるが、それは、我輩のおかげなのである。ゴロゴロ。

 オットセイは気が細かいので、パソコンの中で何をどこにしまったか老嬢の裁縫箱のなかのごとく事細かに分類している。ネット・カフェで挨拶やら軽いおしゃべりやらをしていると気持が慰むらしい。「レース編みしながらご近所の人間観察して日を過ごす、ミス・マープルもどき」とおるかは揶揄している。


9月29日 金曜日 晴れ

 ことしは赤トンボが遅い。毎年ある朝、突然に空が赤とんぼの群れでいっぱいになっている日が来るのだが。年々赤トンボが少なくなるようで我輩はさびしい。ベランダの手すりにとまった赤トンボを端からオヤツにするのは我輩の季節感なのである。

 オットセイは病院に行って喘息と診断された。薬をいっぱい貰って帰ってきた。さすがに最近の薬は効果がはっきりしているらしい。咳が出そうになるとスースー吸入式の薬を吸い込んであっという間に爽やか気分のようだ。こんなことなら、何でもっと早めに病院へ行ってくれなかったんだ。我輩はいったん寝るとちょっとやそっとでは目をさまさない自信があるのだが、明け方寝入りばなを大きな咳で何べんも叩き起こされるのには閉口していたのだ。睡眠障害が起きる所であった。猫の睡眠障害ほど悲しいものはない。まぁ、これでようやくぐっすり眠れるだろう。秋宵一刻価千金。


9月30日 土曜日 晴れ

 天高く、絶好の行楽日和である。おるかは奈良の句会に行けなかったので、「変わりに奈良想望百句を作ろう」と息巻いている。つい昨日まで、「才能がない、もうだめだ」とか言っていたのがコロリとうって変わって今日はオプティミストである。わけの分からんやつである。「奈良ではみなさん素晴らしい句をお作りなことだろう。私も少しでも近づけるよう努力しよう」と妙に殊勝である

 お隣のおじいちゃんは、向いの川っぷちを彼岸花で埋めるという壮大な計画に着手したらしい。鍬をふるって急な崖に球根を植えつけている。来年が楽しみだ。

 お天気に誘われて、外へ出たら外猫シロと遭遇してしまった。にらみ合いから隙を見つけて家に駆け込むと、おるかが「スカンク、シッポ」と笑った。腹が立ったので足に噛み付いてやった。


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