ミケ日記

2006年10月


10月3日 火曜日 晴れ

 昨日までのいかにも秋雨らしくめそめそした天気とはうってかわってスッキリした日差しがみえる。こんな行楽日和を家の中ではお天道様にもうしわけがない。我輩はかねてよりの懸案であった琵琶湖博物館見学を思い立ったのである。

 北陸高速道路を米原で下りて、湖岸道路をのんびり走る。風景の中の大量の真水の輝きは生来水の嫌いな我輩でも、気分が潤う。
 近江八幡の日牟礼神社で休憩。観光案内には必ず載っている屋形船の水路を眺めたが、正直、写真というものはこぎれいに見せることができるものだと頬髭をしごいた。

 さざなみ街道という小粋な名前の道で迷ったりしながら、お昼には博物館についた。が、なんと、駐車場前の芝生には小学生の赤い帽子がぶちまけられたように広がっている。小学生の特に男の子ほど我輩の嫌いな人間のタイプはないのである。思わず天を仰いだ。
 しかし館内なら先生がきっと大人しくさせているだろうと期待したが、はずれ。館内も大声を上げながら鼠のように走り回る子供でいっぱいだ。これが学級崩壊というのだろうか。子供にしたら楽しいだろうとは思った。何でもしたい放題だ。水槽の中のビワマスも黒い目を見開いてうろうろとしていた。ふっと哀れさに胸が締め付けられた。鱒といえば動物ならわれら猫族のごとく、淡水魚のなかにあっては王者である。それが、ブラック・バスやらブルー・ギルやら外来の卑しい 魚どもにおわれ、こうして水槽の中で餓鬼どもに見られて暮らしているのである。あぁ流竄の王達よ!誇り高いアブラビレが水槽の中で磨り減って傷んでいた。

 それにしてもこの博物館、建物はとっても立派だが、コンテンツの貧しさは実に嘆かわしい。もちろん水槽もゆったりして、世界中の淡水魚が泳いでいる。しかし、これでは単に通り一遍の淡水生物の博物館にすぎない。唯一かけがえのない琵琶湖という湖へのへの思いがない。おそらく建築に当たって地元の人たちとの意見交換など大してないまま行政がつくったのだろう。琵琶湖に遊び育って琵琶湖に生きている人達の視点を欠いては、教科書的な無難で薄っぺらなものにしかならないのである。

 暗澹たる思いと空きっ腹を抱えて、我輩は琵琶湖博物館を後にした。水槽の中の太った魚たちをみても、食欲はあまり刺激されない。生簀料理なんかを食する人間達の気が知れないが、大体人間のすることは我輩の目にはばかげたことばかりである。
 三上山の秀麗な姿に一時心慰められた。山頂付近に岩座がみえる。てっぺんに何か白いものが眺められたが、神の影向ではなくアンテナかなにかであろう。あぁ、罰当たりな人間どもよ。

 五個荘(ごかしょう)町によって、古くゆかしい町並みを少しばかり歩いた。司馬遼太郎も絶賛の町並みである。船板塀をめぐらした中に数奇屋普請の建物がならぶ。それなのに、これみよがしな感じがない。さすがである。外村繁の家もあった。家々を巡って流れる堀川もけっこうきれいだった。一つ物足りないといえばその閑静な路地に優雅に尾を引く猫の姿が見られなかったことくらいであろうか。

 近江路の秋の夕昭はほろびゆくものにことのほか濃い。すっかり暮れた我が家に戻ってしみじみとカリカリを食べた。


10月4日 水曜日 曇り

 九月の後半から図書館が休刊だったので、おるかの活字禁断症状は狼男に変身しそうなレベルに高まっていた。ゼーゼーいいながら図書館に駆け込んで予約図書の申し込みなどを出すと、これからはコンピューターで打ち込むだけでよくなったらしい。しかも一人十冊まで借り出せるとか。。これまではオットセイのカードも利用して週に十冊だったが、これからは二十冊借りられるわけである。欣喜雀躍のおるかであった。

 帰り道に書店で「倉橋健一さんの詩集を買って、平松洋子の「買えない味」を注文。その後向かいの苗屋さんによるのがおるかのお決まりコースである。
 苗屋さんの明るい眼をした名物おじさんはいつもとても安くしてくれる。が、ウィーク・デイにはアルバイト(?)のうら若い女性がところせましと植木鉢のならんだ店の奥にすわっている。秋の始めに竜胆を買ったとき、彼女が春のころとはなんだか別人のように大人びて垢抜けてきれいになっているんで驚いた。若い女性というのはある日突然に変容するものだ。彼女は秋咲きの花だったのか。
 店の中をうろうろするおるかを目の隅に捉えながらも女の子はナンバンギセルのようにじっとうつむいていた。


10月6日 金曜日 嵐

 庭の桃の木の葉がまだ紅葉もしていないのに吹き払われて飛んでゆく。時ならぬ嵐の一日となった。夜になってホンの一時雲の中に満月の朧な姿が見えた。セピア色の暈が神秘的だった。

東京は大雨で海上の遭難が沢山あったようだ。こんな夜にも危険なお仕事をしている方々がいらっしゃるのだ。

 アメリー・ノトンの「Les catilinares 」を読む。題名はキケロの有名な言葉からだそうだが、ラテン語の教養がないのでなんのことだかわからなかった。それにしてもこの若く博覧強記の作家は、嫌な人間(超控えめな表現)を描くと天下一品である。このペースで書いていくと、四十前にバルザックの人間喜劇なみの大人間地獄図をものしそうな勢いだ。
 サルトルの戯曲に、三人の人物が死後一つの部屋に閉じ込められて、お互いの欺瞞を暴きあうというのがあった。登場人物の一人が「そうか、地獄もセルフ・サーヴィスになったんだな!」と言った。戯曲の題名は忘れてしまったが、セルフ・サーヴィスの地獄というアイディアはなかなか洒落ているとおもったので、憶えている。アメリー・ノトンの小説はまさに”人間の人間による人間のための”地獄の種々相である。
 犯罪と言えなくても人が他者にとっていかに専制君主となりうるか。そしてその加虐と被虐の凸凹がぴったり合って、あるとき上下が逆転して哀れな被害者が懲罰者になるか。なんだかやけに暗い話のようだが、読後はそれほどでもない。これが案外作者の若さのせいかもしれない。よくできたプロットの下に、作者の才能と意欲がどぶ川に浮かんだレモンのごとく香ってくる。絡みつくような底暗さといったら車谷長吉のほうが日常生活を描くだけでもっとねばっと暗いだろう。
 ノトン嬢の作品はもちろんこれだけにつきるものではない。大変な日本通だそうだ。今後が楽しみな作家の一人かもしれない。


10月7日 日曜日 晴れ

 嵐の後独特の濡れた光がうつくしい。朝夕はめっきり寒くなった。おるかは朝方の夢で、雪の積った海岸の風に吹かれて崖から滑り落ち、風邪をこじらしてあっさり死んでしまったそうだ。よっぽど寒かったのだろう。
 「死にそうな夢は見たことあるけど、本当に死んだのは初めてだ」と言っていた。 「神社かお寺の近くの、人がでたり入ったりしてるいわば若衆宿みたいなところの片隅でお邪魔にならないよう一人ひっそり死んだのよ。」「肉体や物質への執着が無ければ、死ぬのは別になんでもないということが、実感できた気がする」とのこと。なかなかけっこうなことである。メメント・モリ、死を想え、である。


10月9日 月曜日 快晴

  あまりにもいいお天気。例の「お天道様に申し訳ない」という理由で、午後から日野川の合流地点を見にでかけた。オットセイの産土の川である日野川。

このあたりの河川の上流は渓流釣りが趣味だったので、あちこち行っている。中流域はたいがい街の中を流れ、海岸に近づいてからゆったり合流してゆく。今まで見たことのない河の表情を眺められて楽しかった。
 足羽川との合流部は工事中で間近に見ることは出来なかったが、九頭竜川に流れ込むあたりは二川とも堂々たる大河二本でなかなかよいながめだった。帰り道、早くも傾きだした秋の日が黄色く優しく風景を照らし、ていた。「夕暮れの光の中では何もかもが懐かしく輝く」とおるかが行っていた。途中、「道の駅三国」で野菜を買った。地元の野菜にこだわった所が評判を呼び、いまでは金沢からも買いに来る人がいるほどだという。人気があるだけにほとんど売り切れていたが、しっしとうや水菜その他いろいろ買った。


10月10日 火曜日 晴れ

 おるかは今日は頭痛とか。お昼に、ゆで卵を沖縄風茹で豚の煮汁から作ったソースに浸けたゆで卵の煮びたし(?)と昨日買った野菜のあれこれ、少し前に沢山いただいたシイタケを旨煮と佃煮の中間くらいにしたものなどみつくろって残り物定食を一人で食べていた。モーツァルトのピアノ協奏曲21番をかけて。
  「バレンボイムは好きじゃないんだけどやすうりだったんだよ」と誰にとも無く弁解している。第一楽章のピアノの主題に「何かなつかしいものを思い出しそうになるけど思い出せないんだよね。子供のときから」という。それって生まれる前か?
 食べ終わる頃に甘美な第二楽章になった。紅茶を入れて秋の日に背中を温めながら、ぼんやり聞きほれている。我輩もしばし耳を傾けた。モーツァルトは好きである。「この第二楽章って野薔薇の香に草の香、その底に白檀とアンバーの憂愁を潜ませた香のようだな」という。わけわからん。熱でもあるのじゃないか?黒いセーターの上の顔がおもいっきり土気色だ。

 第二楽章を繰り返し聞いた。床に動く木漏れ日を眺めていると我輩もうっとりしてきた。ふと「時間は永遠の娘  歓びは哀しみの息子」と谷川俊太郎の詩が口をついた。「この地上は娘と息子でいっぱいだな」と思った。


10月12日 木曜日 晴れ

 お昼ごろ大阪からお客様。風格のあるご主人と知的な奥様。玄関脇のお茶の花を珍しそうに眺めて行かれた。このあたりにはお茶の木が山道に生えていて花もよくみかけるが、一般的にはお茶の花って案外目にすることが無いのかもしれない。、茶畑のお茶は花を抑えるようにしているのだろうか。

 さて、村上春樹のノーベル文学賞受賞はなかったようだ。「ノーベル文学賞は老大家に与えられるのかと思っていたが」とちょっと驚いたがかんがえてみると村上春樹もけっこういい年になっていたのだった。
 読みやすく、いい意味で読者サーヴィスのある、こ憎らしいくらい上手い作家だと思う。ある批評家が「村上春樹は不吉だ」と書いていたが、なかなk言いえて妙である。取り返しのつかないことが既に起きてしまったか、これから起きると決まっている状況ばかりなのだから、確かに不吉と言わずしてニャンであろう。でも、その不吉な味が現代人にはちょっと美味しいのよね。あぁ末法の世なるかな。


10月15日 日曜日 晴れ

 ミャ〜と儚げな子猫のような声がした。シロがドアの前で餌を待っている。麻生外務大臣のように口をひん曲げて啼くその口の周りにポツポツと大き目の雀斑のような点がある。おそろしくみっともない猫である。が、声だけはまたおそろしく可愛いのだ。造物主の皮肉であろうか。二階の窓から見下ろす我輩に気づくとギロリと凶暴な鼈甲飴色の三白眼をむけた。うう、ちょっとびびってしまった。

 気分を変えていつものイノヴェーターの椅子に昼寝に乗る。椅子の上に古いバスタオルが敷いてある。我輩はこれが嫌いだ。だって美的ではないじゃないか。椅子の座面がよごれたら、張り替えろっちゅうの!それにせめて白かベージュの無地のタオルにしてくれ。あの気の狂いそうな黄緑とオレンジの花模様のタオル、あれを引き毟ったのはじゃれて遊んだからじゃないことぐらい分かってもよさそうなものだ!

 それにしても、うららかな秋の昼の昼寝ほど気持ちよいものはない。ベランダの暑いくらいに温まった木の椅子で、髭を風になぶらせながら眠るのもいいが、人気のない部屋のいつものわがクッションも、この季節しみじみといとおしい。また。思いがけず秋の日の落ちている床に広げられた新聞紙のあじは!!

ああ、思っているだけで翡翠のわが瞳に瞬膜がとろりと落ちてくるのである。


10月20日 金曜日 晴れ

 図書館から予約図書が届きましたとお知らせがあった。前田英樹著「在るものの魅惑」だ。

パラパラと読んでみたが、ひさびさにワクワクの本だ。金沢図書館から回ってきたが、貸し出されるのは初めてだそうだ。かわいそうに淋しかったろうな本よ。

 94年〜98年まで主に「現代思想」に載った文章がまとめられている。映画や本、そして記号について、執拗なくらいに、言語的文節の始まりの場所を腑分けじゃなかった見分けようとしている。プロの仕事である。最近はそれらの問題をどっかのカフェかバーで駄弁っている程度の本がいろいろ出版されている。そしてどうもそっちの方がよく売れているみたいである。悪いことではないけれど、たまには「言語の存在論的基礎について」とか「文法の中の日本語」についてすっきり考えてみるのもいいものだ。


10月24日 火曜日 曇り時々雨

 朝から人間達は武生へ。オットセイの両親が市民ギャラリーでそれぞれ彫刻と洋服の exhibition をするそうなのだ。なかなかお元気なことである。

 「いや〜凄いたくさんの量の展示だった!」「凝った仕立てのお洋服がいっぱいだった。気に入ったのがあれば下さるっていうんだけど、サイズがあわないしね!」とおるか。着物は多少融通がきくが、洋服はサイズが合わないとどうしようもない。それだから、ぴったり合った仕立てのいいシャツは気持もすっきりするものだ。

 久しぶりで武生「谷川」の蕎麦を食べて「蕎麦がいきてたね〜」と感嘆していた。ご主人の自己評価ではそれでも80%の蕎麦力(!?)だとか。随分と厳しい評価だと思う。蕎麦の実を冷凍保存してその日使う分をその日挽くが、さすがに今の時期は蕎麦の実の生命力が落ちてくるらしい。新蕎麦は12月からだそうだ。「絶対これは食べにいかなきゃ!」と興奮していた。


10月26日  木曜日 晴れ

 お天気がいいので午後から九谷焼美術館へ「古九谷展」を見に出かけた。一昨年の出光美術館の「古九谷展」よりは小規模。皆、知っている作品ばかりだったが、いいものは何度見てもいい。

 美術館のカフェで久しぶりにU嬢にあった。相変わらず楚楚として御きれい。U嬢のきびしいファッション・チェックにどうにか耐えてコーヒーを飲む。ここは日本茶中国茶よりコーヒーが安い。ちらほら紅葉の始まった公園を眺めながらきれいなお花や苔盆栽のかざられた喫茶店でのひと時は楽しかった。ただ、ずっと携帯でしゃべり続けているご老人がいたのだけが、玉に瑕。いつもはとても静かな大好きなカフェなのだが。

 カフェで見かけたほのぼのピンク色の大文字草を株分けしてくれるようにお願いして、いつもの苗屋さんによるとそっくりのものが売られていた。 O lala!


10月28日 土曜日 晴れ

 昨夜、テレビでデス・ノート前編をみた。原作は大場つぐみのコミックである。そのノートに名前を書かれたものは死ぬというデス・ノート。映画も人気らしい。

 デス・ノートに名前を書きたい人物といったら、かの将軍様などかなり上位だろうと思った。それにしても中川政庁会長が懲りずにアメリカでも日本の核武装をほのめかしている。あのアブナイおじさんは核が抑止力になるような相手じゃなかろうと思う。

核兵器の使用は、そのまま人道に対する罪だと思う。細菌兵器や毒ガスもお隣がもっていたら自分も持つというのだろうか。使ってはならない使えない武器なのだ。抑止力という考え方も矛盾だ。

 第一、もし自前で核兵器を作るとなれば実験が必要だ。地震の多い、どこでも活断層が走ってる狭い日本のどこに実験場が作れるというのだろうか。反対運動を押し切るにしてもまぁ二三十年以上はかかる。そのころにはあのメタボリック・シンドロームの将軍様はとっくにこの世にはいないだろう。莫大な税金を浪費した無用の長物が途中で廃棄されることになるだろう。

 お手軽にアメリカの中古ミサイルを買うとなれば、軍事費に困っているアメリカは喜んで揉み手するかもしれない。しかしそれだって、ただ買えば済むわけじゃなく、特別な格納施設、メンテナンスがいるだろう。莫大な税金が必用だし、反対運動もあるだろう。

 どっちにしろ現実的ではない。そして持つべきではない。それなのに近隣諸国の反感を不必要に煽る発言を繰り返すのはなぜだろう。まったくの馬鹿であの地位につけるとも思えないが、なにか裏があるのだろうか。わからない。

 

話は変わるがテレビで見る阿部首相って年の割りにお肌に張りがないですね。お祖父さんの昭和の妖怪岸信介も異様なまで重力に従順な顔をしていたが、そのうちそっくりになるのだろうか家系なのかしらね。


10月29日 日曜日 曇り時々小雨

 人間たちは展示会の片付けにまた、武生へでかけた。我輩は一人静かに昼寝三昧である。いつものように暮れ方の日が絵付け場の机に延びる頃、階下に降りると誰もいない家の中は少し寒かった。カリカリを食べた。トイレの砂を少し深く掘ってみた。なんとなく「咳をしてもひとり」の放哉の気分である。

 人間達が戻って来た音がしたので、我輩は何食わぬ顔で二階のお布団にもどった。孤高の猫族なかでもことに超然とした我輩のイメージは守らねばならぬ。
 どたどたと二階に上がってきたおるかは「ん〜いいこにしてた〜?」「?あんまり猫臭くないね?」などとしゃべる。おっと気取られたかと一瞬ひやり。我輩も含めて猫は深く眠ると猫臭くなるのだそうである。

 「「小人閑居すると不善を為す』っていうけどわるさしてないだろうな」とちょっと不審気なおるか。ふん人間といっしょにしないでほしいね。

「あー、肉体労働きつかったー!」とおるかは早く寝てしまった。大分疲れたのであろう。我輩も今夜は散歩に出かけず大人しくしてやった。我輩だって多少は気を使っているのである。


10月31日 火曜日 晴れ

 晴れて静かな日である。勝手口から出た我輩が裏山の柿の木の紅葉をながめていると背後から殺気!シロである。はっとする間もなくダッと走ってくる!「まずいっっ!」と思ったが咄嗟に脇に避けるとシロはそのまま柿木へ突進していった。と、やおらグギャギャギャ〜とものすごい叫び声!

 勝手口から見ていたらしいおるかが「、なんだろうね,シロの勢いだと熊でも獲ったんじゃないか?」「シロにはおまえは目に入ってなかったようね。桁違いの猫だねー」と感心したように言った。く・くやしい…。

 我輩も気になったので二階の窓から柿の木を眺めた。が、はらはらと落ち葉が散っているばかりである。ただ、烏が飛んできて啼きもせずじっとそっちを見ていた。静かだがやはりなんとなく殺気が漂っている気配である。シロって、怖ろしい…。


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