ミケ日記

2006年11月


11月3日 金曜日文化の日 晴れ

 今年は紅葉が遅いと思っていたがここ数日で急速に庭の桃の木は葉を落とし、裏の水木は深いモーヴ色になった。

 世の中は三連休だそうだ。しかし家のに人間たちは特別なことをするでもなく相変わらず十年一日のごとく茶碗やお皿を作っている。日日これ好日の悟りめいた境地のようにも見えるが、その実態はお金がないだけなのかも知れぬ。

 外猫が我輩の掌(?)にも乗るようなちっちゃい鼠をとった。玄関の前に放置してある。連中が何処かへいった後、我輩は仔細に観察してみた。ほんとに小さい、外猫の食べ残しを食べるような我輩ではないが、ちょっと旨そうだと思わずにはいられなかった。気を静めて一首

   走れ鼠も一度走れ走らねば取って喰うぞと言ったが死んでる   みけ


11月6日 月曜日 曇りのち雨

 人間たちはお昼から福井のスーパーへでかけた。来年の朝顔のための植木鉢を捜すのだそうである。なんと気のはやいことではないか!結局これというものが見当たらなくて、手ぶらで帰ってきた。性急なんだか慎重なんだか分からない連中である。

 おるかは来年は裏庭を山草の庭にしよう、奥は日当たりが悪いから白い紫陽花とバイカウツギ、大手毬などの白い花で埋めようなどと夢を見ている。


11月7日 火曜日 雨と風

 昨夜からの風で玄関の前においてあった自転車が吹き倒された。それでも中庭の巨大蜘蛛の巣はしっかり風雨に耐えている、なかなか大したものである。

 夜のニュースで北海道で竜巻が起こって死者がでたとのことだった。なんだか気候が凶暴化している。何が起こるかわからない昨今である。災害が起こるたび我輩は我が同類の猫達はもちろん他の動物達もどうなったろうかと心が痛むのである。

 もちろん我ら猫族は神秘な直感に恵まれているから多少のことは予知して避ける事が出来る。しかし竜巻をはじめ急激な温暖化による異常な現象には、いかに鋭い我らの本能でも追いつけないくらいなのだ。やんぬるかな。


11月9日 木曜日 曇り

 仕事がはかどらないのに、おるかはふらふらと書店に行ったり苗木屋さんを覗いたりしている。苗木屋さんの女の子とおしゃべりがしたいようだ。ずっといっしょに仕事場にいた女の子二人が今年になって相次いで結婚と出産とでやめてしまったので淋しいらしい。

 しかし、そろそろ安売りになる時分だとふんでいた長生蘭が、あろうことか新しい株が入って値上がりしていたのだった! ガックリ気落ちしてもどるおるかであった。

 絵付けの部屋のすぐ前の、軒から1メートルとはなれていない柿の木に、今年は物凄く良く実が付いている。家からあまりにも近いのでさすがに小鳥も他の木の実を食べつくしてからでないとこないくらいなのだ。が、夜中に、取って食べているなにものかがいた。けっこう大きいし夜行性だから猿でもないし、熊でもない。おるかはムササビじゃないかと言っていた。「希少動物を外猫がとっちゃったらどうしよう」と心配していた。

 風の吹く夜の空を木から木へと滑空する気分はどんなだろう。枝の間をすばやく動く影を見ながら我輩はしばし夢想に誘われた。


11月12日 日曜日 曇り

 夕方、Uちゃんが素焼きを焼きに来た。家でこつこつと作品を作っているらしい。絵付けの勉強の方も日中は仕事なのでなかなかできないとか。なかなか大変だ。夜になって冷え込んできたのでおるかは電気ストーブを窯場へ持って行った。そのついでに話し込んで、結局素焼きが終わる時間までおしゃべりしていた。

今夜はムササビはこなかった。


11月13日 月曜日 雨

 外猫シロが山鳥を獲った。裏庭の水芭蕉のあたりに羽毛が飛び散っている。美しい尾羽をおるかは拾ってつくづくと見ていた。

 「山鳥があったらジビエで最高のフランス料理作ってあげるって言ってくれたシェフがいたけど」とおるか「猫の上前はねるってのもねぇ…。」 それでも一時逡巡の様子であった。シロの口の端に山鳥の柔毛がしばらくくっついていた。

 大物を食べたにもかかわらず、シロはおるかを見ると餌をねだってミーミーと子猫啼きをする。不気味な奴である。そして普段と変わらない量のカリカリを食べる。そのわりに太らない。嫌なやつである。ともあれシロに成り代わって一首

   庭に来し山鳥の尾のしだり尾のながながしきを一人かも喰う   ミケ

どうでもいいけど鴨も季節である。鴨のシギ焼きたべたい。


11月16日 木曜日 曇り時々雨

 図書館に谷川健一著作集を返却しておるかは「はじめて読んだ時の興奮をおもいだしたよ」と言った。「白鳥伝説」「青銅の神の足跡」等々名著が新たに刊行されたのだ。厖大な量だしお値段もけっこうなので図書館から借りだしたのだが、やっぱり買うべきかと悩んでいる。「全巻でなくても民俗学編だけでも買うかな」といじいじしている。「ふだんはビンボーは気楽だとおもうけど、こんなときはお金が欲しいね」と言う。だれだって、そうだろう。ほしいものがあるからお金がいるのだ。

 お決まりコースで書店にまわると古井由吉の「山躁賦」と中井英夫の「月食領映画館」が届いていた。中井英夫全集もまったく忘れた頃にやってくる。それでもどうやらこれで最後の一冊のようだ。最後と思えばいとおしい。何年かかったのだろう、開始はたしか前世紀だ。実に驚くほど悠揚せまらぬ刊行ぶりだった。

 コースの最後、苗木屋さんをのぞく。長生蘭は相変わらずそのままの値段だったが、葉芸の物ばかり三鉢購入。「1月2月は閑古鳥!」と苗木屋のおじさんは言った。「だからその間に海外行くの。ヨーロッパは寒いから暖かい方!」 なかなか優雅な生活のようだ。


11月18日 土曜日 曇り

 夜に久々のご近所句会。七時半で、このあたりの山道は真っ暗だ。そのなかを、サラダ蕪や春菊、柿、お菓子などを持参で集ってくださる。嬉しいことである。おるかはいそいそとお茶を入れたり紙を配ったりしている。我輩も居間のホットカーペットでおもいきりゴロゴロできて満足した。

 人間の堕落は言葉に捕らわれて以来始まったと我輩は思っているのだが、その言葉によって癒されたり楽しんだりもするのだから、人間とはまったく反自然な生き物である。


11月19日 日曜 小雨

 鉢植えの羊歯やフウラン、セッコクなど、最後の消毒をして家の中に運ぶ。消毒とか殺虫剤とかはきらいなのだが、家の中は自然状態とは違うので消毒しないと小蠅が発生したり、大変なことになるのだ。

 「一年でフウラン増えたなセッコクもすっかり大きくなって」とおるかは目を細めている。「もし私が死んだら誰が世話してくれるだろう」と大真面目に心配をしている。何でもこの調子なので「死ぬること風邪をひいてもいう女」という万太郎の句を我輩は思い出すのである。


11月22日 水曜日 曇り

 にんげんとは不自由なものだと思うことの一つに、夜目がきかないことがある。おるかと我輩は灯りをつけない家の中でおっかけっこをして遊ぶので、我輩は長いことその事実に気づかなかった。だが、それは家の中では何がどこにあるか記憶しているからだけのことだったのだ。

 今夜、おるかが風呂に入っている間にオットセイがピアノの椅子を空いている戸のまえに移動させた。真っ暗な部屋の中の黒い大きなピアノの椅子である。早足で歩いてきたおるかはモノの見事にぶつかって床にひっくり返って後頭部を打った。さすがにしばらく頭を抱えて倒れていたが、やがてなにごともなかったかのように立ち上がって「顔から倒れたら歯を折ったろうし、あと数センチずれてたら欅の座卓の角で頭打って死んでたかもしれないんだから運がいいな」と言った。前向きな発言である。


11月23日 木曜日 曇り

 休日なのに家の前の道路でまた工事がはじまった。ガタガタと騒音が続いて我輩の繊細なる耳はすっかり疲れてしまった。そのセイか知らぬが爪とぎ板にゲロを吐いてしまった。「吐いちゃったなかでは最高の場所だろうな」とおるかはぼやいきながら板ごと外にもって出て処理した。外猫たちはといえば、食欲にかげりはないようである。がさつな連中は楽なものだ。

 夜になっておるかはヴィスコンティの「ルードウィヒ」を見ていた。四時間に及ぶ映画である。「ヘルムート・バーガーはまさにルードウィヒそのものだわ〜」とうっとり。今回の生誕百年記念ヴィスコンティ特集では「熊座の淡き星影」もやるらしい。これは見ていないのだ。楽しみ。

 ヴィスコンティといえば貴族性を言われる。たしかに王侯貴族の生活をあんなふうに描ける人はもういないだろうと思う。コートの仕立てとか実に素晴らしかった。でも日本猫の目からみると、宮殿やそのインテリア、家具、什器、やたらにゴチャゴチャしていてそんなに趣味がいいとは思えない。あれは絵画に毒されたのだろうなインテリア全てに絵画を描いたらどうなるかという見本だろう。


11月24日 金曜日 晴れ

 おるかは半年振りで京都寂庵の句会にでかけた。電車が強風のため遅れ、焦りまくったがぎりぎり駆け込みで出句締め切りに間に合ったとか。

 「句会では庵主の寂聴師が大きな賞を受賞なさったり、句会が二十周年になったりで、それらを言祝ぐ挨拶句が多かった。主宰の黒田先生の句もそういう来し方への思いの深い句だったが、自分のような、ほとんど句会に参加もしていに者が選ぶのもおこがましい気がしたので、目立たない感じの句ばかり拾ってきた。」とはおるかの弁である。

 「いつもは先生の句や、二重丸にお選びになる句は分かるんだけど」とぼそぼそ言う。「今回は先生の句には印をつけたものの他はまったく違っていた。ますます俳句ってわからない」

 おるか自身の投句はまったく歯牙にもかけられず、予期していたとはいえすっかり気落ちして嵯峨野の竹林を一人あるいてきたそうである。日暮れの鐘が鳴っていたそうである。


11月25日 土曜日

 寒い。我輩の耳の先が冷たいとおるかは息を吹きかけてくれる。気持はありがたいがこそばゆくて正直迷惑である。おるかは昨日の句会のショックから立ち直れない様子でムッツリしている。それだけでなく昨晩、オットセイが駅まで迎えに来るのを忘れたので、芋蔓式にこれまでの数々のおいてけぼりをくった記憶をよびおこして「自分ってカワイソ」気分に浸っているようである。人間ってやつはまったく難儀なものである。


11月27日 月曜日 曇り時々雨

 ひさしぶりにUちゃんが窯焚きに来た。お隣のおじいちゃんがよろこんでお野菜をあげていた。やさしいおじいちゃんだ。おじいちゃんが橋を渡ってくると猫は駆け寄り犬は喜びの声を上げる。道で死んでいた狸を埋めてやったりもなさるから夢でもきっとさまざまの動物達がお礼に現れるに違いない。

 おじいちゃんの畑のある裏山でカモシカをみた。雨の中二匹もくもくと何か食べていた。おじいちゃんによると子カモシカもいるという。そして柿を食べに来る生き物は、ハクビシンだと教えてくれた。おるかはてっきりムササビとおもっていたのだ。


11月28日 火曜日 曇り

 おるかは口も利かずひたすら仕事をしている。依然として機嫌悪い、体調悪い、お天気も悪いの鬱陶しい様子である。夜にヴィスコンテイの「ヴェニスに死す」を見ていた。

 中井英夫が「あのマーラーは胃にもたれる」と評していたが、たしかに暗く重苦しく目いっぱい気分の沈みそうな音楽である。アッシェンバッハはマーラーがモデルだそうだが、たしかにアッシェンバッハ夫人役の女優さんは写真で見た恋多きウィーン1の美女マーラー夫人アルマとよく似ていた。(アルマのほうがもっと勝気そうだけれど)。

 それにしてもタッジオ君の美貌は何度見ても感心しますね。さすがヴィスコンティがヨーロッパ中を捜し回っただけのことはある。「なんという道を選んでしまったのか」と嘆く甲斐があるってもんですよ。アッシェンバッハは幻想の中でヴェニスに疫病が流行っているとタッジオの家族に知らせようとするが実際にはそれができない。自分のただならぬ思いが露見するのを怖れもしたのだろうしまた別れることになるのも恐れたのだろう。まったく「なんという道」でしょう。少年の生命の危険を座視することにしたその時点で自身の死ぬことを覚悟したのだろう。
 それ以後、アシェンバッハは謹厳な人物から恋に死ぬ男へと衣装も代えたわけだ。瘴気漂うヴェニスの路地裏の噴水に凭れながら哂う、その笑いは自身の愚かしさへの嘲笑、自己憐憫、そして至福の笑みと畢生の演技。
 ホテルに活けてある花がみな大きな紫陽花の、花ならぬ花なのもよく合っていた。

 映画の冒頭で若作りの老人を嫌悪したアッシェンバッハが美少年に恋して先の老人同様化粧までするあたり哀れである。それでいて声をかけることすらできない。老いとは残酷なものだ。

老いが恋忘れんとすれば時雨かな   蕪村

 この句だって忘れられないでいるのでしょうね。蕪村は実際には 年をとってから若い娘を身請けしたりしてたのしそうだけれど。
 おるかは暗くもの悲しい映画を見て、かえって気持が晴れたらしい。

 ところでタッジオ少年のお母様役シルバーナ・マンガーノ超きれい。彼女が何故消毒薬臭いヴェニスの町を子供達を長々散歩させて滞在しつづけたのか。きっと恋人と密会していたのだろう。美女には年齢はないのだ。


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