ミケ日記   2007年1月

1月1日 月曜日 晴れ

 我輩はミケ、猫である。あけましておめでとうございます。

我が家の人間たちは、毎年のことながら午後になって神社に初詣に出かけた。我輩は新年の日を浴びながら昼寝。静かな元日を満喫した。

 人間達が帰ってくると途端にテレビをつけたり食器を洗ったり大きな音がする。人間というのはうるさいものである。図体が大きいからある程度は仕方がないとは思うものの衣擦れの音からして我輩の耳には不自然に響く。薬缶を火にかけるにしてもなんやらともかく音がする。そのうえにまた音楽だ!電気ギターの大音響はいけすかない。ひげがびりびりする。それでもがまんして丸まっていると今度は耳元で「迷子の迷子の子猫ちゃん〜」などとバカな歌を歌う。アーもう腹が立ってきたのでおるかの腕を捉まえて猫キック!すると『ギャー」とまた大声を出すのである。やれやれ。


1月3日 水曜日

 桜の花が咲いている夢を見た。空中から湧き出すように降ってくる花びらを追っていると、完璧な花が一つふっと手の中に現れた。目が覚めてからもなんとなく心が潤っていた。


1月5日 金曜日 晴れ

 暖かな日である。折るかは庭に出て枯れた茎などを片付けたり越冬葉を眺めたり、春が待ち遠しくてたまらないようすである。この三月並のお天気も明日には崩れるらしい。「なぜ冬に第九を歌うの?」「カンキ(寒気)の歌だからね」うう、さぶい!

 絵付けの部屋にはいると猫雛たちが色をつけられて並んでいた。顔がなんとなく我輩に似ている。つまり細面の美形である。ふふ。
 男雛は染付の着物を着ているの顔を描くのも楽だが、女雛は色差しすると最後は持つところがなくなってとっても大変そうだ。それにすごくなで肩だ。まぁ、いかり肩の猫というのもあまりいないけどね。

 ことしは2日も郵便の配達があった。今日もまた年賀葉書がとどいた。郵便局のかたはお正月休み返上でお仕事をなさっているのだな。あぁ野辺に花咲く労働よ。


1月7日 曇り時々雨風

 朝、布団の中で虎落笛(もがりぶえ)を聞いた。本来は竹垣に当たる風の音のことらしいが、いまでは家の軒などに鳴る風の音一般を指すようになった言葉だ。聞いていると、虎という字が入るせいか猫族の我輩はなんとなくもの悲しいようななつかしいような気分になるのである。

 さて、「今日は七草の日だ」とおるかは張り切って七草粥を作った。と言っても七草の中の芹しか入っていないのである。すずなすずしろは漬物で食べた。

 絵付けの部屋に取り込んでいたセッコクに花芽がついた。発見したおるかはまるでお姫様に遊びに来てもらった羊飼いのようにまいあがっていた。うーむ、童話的に言いたかっただけだがこの表現は職業差別化な?無難な所で、妖精があそびにきてくれたように舞い上がっていたにしておこうか。
 自分で書いた文章を読み返すと気づくのは「その」だの「この」だのという指示語が多いことだ。どうもフランスの語の定冠詞不定冠詞の区別の影響かもしれないと思う。日本語としてはへんにくどくなる。注意しよう。


1月9日 火曜日 曇り

 さぶいさぶい。今回の寒波では予報ほど雪も降らず風もそれほどでもなかった。しかし冷え込んでいる。おるかなど恥も外聞もなく着込んでゲレンデにいるような恰好で暮らしている。

 きょうは大阪の十日戎の宵宮である。「お煎茶の家元初煎じに行った帰りに、十日戎に寄ったことがあったなー。破魔矢買ったけな〜」と昔を懐かしむおるか「古代紫染めの訪問着着たっけな〜若かった…」と新年早々懐旧モードである。
 先代の菁華さんがラジオで十日戎の呼び声をきいて「なんだか下世話な感じで清々しいとか神々しいとか巫女さんらしい尊いかんじがしないな〜」とぽつんと話されたことを思い出す。たしかに境内は賑やか過ぎるほど賑やかだった。
 それでもあの賑やかさが冬至をすぎて隠れていた太陽が呼び戻された、つまり一陽来復天岩戸開きの陽気さなのだろう。巫女さんたちはアメノウズメの尊の末裔というところか。だからアマテラスが「私が隠れてんのに、なんでこう楽しそうなんだ?」と思うくらいの元気さが必用なのかもしれない。


1月14日 日曜日 晴れ

 朝から北陸の冬には珍しい青空である。日向でわがはいはうとうとした。あー、よくぞ猫にうまれけり!

 さて、家の人間たちはこのところ光ファイバーがつながって光フレッツになったのでホームページの移動に急がしそうである。そうでなくてもパソコンをいじり始めると終わらないオットセイはもう三日ほどPCの前を動かない。
 うまくいったかどうかパソコンに詳しい方々の教えを仰いでいるがなにかと予期せぬ事態に立ち到ってしまうようである。ごくろうなことである。

 庭に出てみるとロウバイが今を盛りと咲いている。清冽で良い香である。徒長枝を切っても切ってもびよーんと毎年親指(人間の大人の)位の太さの枝が2mほども伸びる。どうやって荒れた土の中からあれほどのものを引き出せるのであろうか、他所ごとながら気になる。(変換で最初に”木になる”とでた。ちょっと可笑しかった。)


1月15日  月曜日 晴れ

 このいいお天気も今日くらいまでだそうだ。外猫たちが日向ぼこをしているのを見る。舐めあったり咬みあったりあわれにもおろかしくみえる。

 今日は今年最初のネット句会だというのに「句が出来ない〜」といつもながらのおるかの泥縄ぶりは年が改まっても一向に改まらないようである。「参加することに意義がある」などと投句していたが本当にそれでいいのか?兼題は「鏡餅」「雑煮」「数の子」と正月気分の三つである。「やっぱり季語の現場で作らなきゃだめだねー」とどこかで聞いた言葉でまとめるのが思考停止状態の証拠でもあろう。


1月16日 火曜日 曇り

 図書館に本を返却。お正月休み用に20冊かりていたので返却カウンターに持ち上げられないような重さであった。

 ヴィデオも返却。遅ればせに「V・フォー・ベンデッタ」をみた。「変な近未来映画だったけどナタリー・ポートマンちゃんが華奢で綺麗で上品で知的だったからいいの」とおるかのミーハーな感想。最近ヴィデオは吹き替え版ばかりのようだ。字幕はDVDでないとないらしい。好きな俳優の声が吹き替えなんてこまるじゃないかと思うが、今二つあるDVDの方式がどちらかに統一されるまで機器を買いたくない。それまでは我慢しよう。でもシャーロット・ランプリングの「スウィミング・プール」見たいなー。

 夜になってネット句会の選句と集計があった。おるかの句は誰もとってくれなかったらしい。さすがに鑑賞眼のある連じゅうである。


1月17日 水曜日 雨

 最近我輩は朝パソコンが開いているとリベラシオンを見る。こないだまでは F2 のタンタン・コムを見ていたのだが。なぜだか無くなってしまったのだ。
 やはり国内のニュースで見てるだけとは違う視点があっておもしろい。
 たとえば防衛省が庁になったとき、名称が変わったくらいのものだとタカを括っていたのだが、リベラシオンでは「基幹部分に大変化」と取り上げられていた。そうかもしれない。
 阿部首相はネオ・コンとは思っていたが「美しい国」も ”beau pay ”と”付きで書かれていると、いかにも国粋主義者が偏狭な愛国心を奮い立たせようとするときによく使う言葉っぽい感じがする。政治的コンテクストのなかでは「美しい」も「正義」同様排他的なニュアンスを帯びやすい言葉なのだ。


1月19日 金曜日  小雨

 今日は三月の展示会について話し合う予定だったが、先方の方が風邪で延期になった。風邪が流行っているのだろうか。ゆっくり直してください。こちらに出来る準備はまだまだいくらでもあるのだから。

 櫻の大皿を描いて、おるかは「左手首がまたピアニストの手になった」と湿布を貼った。”ピアニストの手”とは手を激しく使うとなる親指側の手首の腱の症状で、ピアニストに多いのでそうよばれる。おるかも下手の横好きでピアノを弾くが、ピアニストの手だけにはなったというわけである。


1月20日 晴れ朝の霜強し

 風景が霜に覆われていた。屋根瓦の全てが、木犀の梢の葉の一枚一枚までが、白い。こんな強烈な霜は始めてみた。

 庭を踏むと我輩の肉球にヒリッとくる地の冷たさ。まるで揮発するアルコールの上を歩いているようだ。ふと見ると庭の隅の野菜屑を捨ててある穴にミカンの皮が山になっていた。貝塚ならぬミカン塚である。一冬に人間とはこんなにミカンを食べるものかと呆れた。いつもの年は雪が隠していたのだ。暖冬は思わぬあからさまさでものを見せ付ける。

 たまたま開いた本で、鹿島茂、丸谷才一、三浦雅士、の三氏が「日本美100」を選んでいた。一位が源氏物語、二位が平家物語、奥の細道、歌舞伎仮名手本忠臣蔵、5位には新古今集と鳥獣戯画というもの。9位に富士山。頭から本の海に飛び込んでいるような三氏だから文学作品が多いのは当然だろうがそれにしても美術関係が少なくないか、と思った。まず漆工芸が皆無。木工金工もなし。20位に歌麿の春画が入って蕪村の夜色楼台図も玉堂の東雲シセツ図も無い。(文人画っぽいのは嫌いみたい)。まぁ、人の好みに目くじらを立てることもないとは思うが、「日本文化への浸透度」を考慮云々とおっしゃるのでつい。浸透度でいったら、イサム・ノグチの明かりシリーズなんか凄いと思うけど、国籍条項にひっかっかったのかしら。川島雄三の幕末太陽伝と高橋是清自伝も入っていたけど、おじさん方って幕末明治の人物が好きなんだねー。


1月21日 日曜日 晴れ時々小雨

 朝八時、おるかは村の地区会館の掃除に出かけた。一ヶ月に一度交代でお掃除当番が回っているのだ。
 午後からロウバイを切って大壺に活ける。玄関には遅い山茶花。二階の部屋に椿。部屋ごとに違う緑のにおいで、我輩はなんだか興奮。壺の水を舐めて気を静めた。


1月23日 火曜日 曇り

 三月の展示会の打ち合わせ。DM(ダイレクト・メール)用の写真のための器を選んだり、文章を考えたり、係りのT嬢と検討。会期は3月19日から一週間と決まった。おるかは初日にギャラリーに行くことにしたらしい。「レセプションしますか?」と聞かれて考えていた。OKすれば金沢のお酒色々テイスティングできるらしいので、ちょっと気持が動いたようだった。


1月25日 木曜日 曇り時々時雨

 「妙に寒い」とおるかはいつものフリースジャケットの上にダウンジャケットも着込んで、肩にホカホカカイロを当ててストーブにかじりついている。「風邪の初期症状かもしれない」と葛根湯を呑む。
 それでも、外猫の餌の時間にはそれぞれにカリカリをやっては撫で回し、烏が来ると言っては見張りして、立っている。愛は強し!?


1月28日 日曜日 曇り

 九谷焼美術館に寄ったおるかは喫茶店で今月のお薦め、台湾の阿里山茶を飲んだ。窓の前の公園は冬木の芽がなんだか明るみ、靄が漂ってまるで春の気配。ひと時仙界に遊ぶ心持ちだったそうである。やさしく二煎目のお湯を持ってきてくれるU嬢はあたかも仙女。書家でもある彼女に金沢の筆屋さんについて聞いた。かな用の小筆を今度みつくろってもらうことにした。いつも静で居心地のいい喫茶店だ。


1月30日 火曜日 快晴

 きょうは俳句のお友達が遊びに来てくださる日だ。空は雲ひとつない快晴。「これじゃ<北国日和定めなし>の芭蕉翁の言葉に反しちゃうねー」とおるか。お昼ごろ駅まで迎えに行って、芭蕉、曽良の句碑のある実相院に寄った。呼び鈴を押すと品のいいご老人が出て「もうすぐ改修工事になりますから羅漢堂に土足のままでお上がりになってもいいですよ」と声をかけて下さった。このお寺も最近奥の細道行脚の方が多いらしく、年々綺麗になってゆく。もの寂びた風情の昔が懐かしいような気もするがご時世だろう。

 俳句のお友達二人は家の周りを吟行なさったり、句会したりお元気である。、おるかはすっかり舞い上がっていた。外猫たちもせいいっぱいかわいい子ぶっていた。我輩?我輩は寝ていた。
夕方、駅まで送って行くとお土産に「げんげ」(魚)を買ったり駅から真正面に眺められる夕日の白山の薔薇色を鑑賞なさったりしながらも「やっぱりちょっとは雪が見たかった」とおっしゃった。無理もない。

 この雪のない冬は記録的なのだそうだ。目先は楽でいいようだが、温暖化はこわい。


1月31日 水曜日 曇り時々小雨、雲の切れ間から黄金の光

 辛夷の冬芽を濡らした驟雨が斜めに差し込む陽にきらきら輝く。「これですよ、これが北陸のお天気ですよ」とおるか。エッセーやらイラストやら引き受けたものがたまっている。三月の展示会だってもう、うかうかしてはいられない。
 「さぁ、気を引き締めて仕事だ」といったところで外で植木鉢のひっくり返る音。お久しぶりでリトリバーのラッシュ君登場である。「おじいちゃんと一緒に山に行ったはずなのに、まさかおじいちゃんになにかあったんじゃ?!」とおるかは心配してラッシュ君に聴いても答えてくれるはずもなく、手袋を咥えて大騒ぎだ。
 そうこうしているうちにおじいちゃんは無事に戻ってきた。よかった。外猫のチビタマが桃の木のてっぺんまで逃げ上って、下りられなくなったらしく哀れっぽい声で鳴きまくっていた。

 薄暗くなった家に入ると、昨日いただいたアマリリスの蕾がまた一つ開いていた。







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