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ミケ日記 2007年2月
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3月1日 木曜日 晴れ ♪うらうらと照れる春日に雲雀上がり〜っか。 啓蟄も近いせいか、おるかの庭いじりの虫も動き始めたらしい。植木鉢を整理したり、土を盛ってみたりなにやかやと庭をうろうろしている。 3月2日 金曜日 きょうはお水送りの日だ。今年は小浜も鵜の瀬も雪が少なくて松明行列も多少楽だろう。以前、お水送りに行ったときは残雪に踏み込んで足が冷たいったらなかった。 夜、月光がが水底のように蒼く庭にあふれ、木々に瑠璃色の影をつけていた。今頃、地の底を清められた水が鵜の瀬から奈良の二月堂へと奔りだすのだろうか。東大寺の修二会も気合のこもってくる時分である。 そういえばこの間、黒く焼けた野原を夢で見たが、あの地形は若草山みたいだった。 3月3日 土曜日 晴れ 雛祭りである。おるかは猫の立ち雛だの香立てだのいろいろ並べて遊んでいた。我輩は猫じゃない小さな貝雛が好きだ。蜆くらいの貝を縮緬でくるんだ上に小さい小さい顔がついている。前足で触るとコロコロ動くのだ。 本窯も焚いた。19日からの赤坂「鏡花」の展示会までかなり押して来ている。おるかは今度嵐山光三郎氏の「神楽坂鏡花だより」の挿絵を畏れ多くも描かしていただくことになった。鏡花つながりで、神楽坂の鏡花旧居跡でも取材してこようかと計画している。 3月4日 日曜日 晴れ もう暖かくてすっかり春爛漫的陽気である。おるかはこの忙しいのに已むにやまれず土いじりを始めた。まぁ気持はわかる。そして忙しいのに泥縄で嵐山光三郎の本を読み始めた。「う、うまい」のページをひらいて「うう、美味しそう!!」ともだえている。 先日電話でで神楽坂取材の話をしていたが、おるかの母は昔、神楽坂に住んでいたそうだ。「あら、なつかしいわ尾崎紅葉の家、いまでもあるのかしら。焼けなかったのかしらねー」「石段もあのころは苦にならなかったわ」とのこと。母親の女学生だったころである。神楽坂から御茶ノ水まで路面電車で通ったそうだ。なんと七十年くらいまえ、戦前のことなのだ! 夜になって風がでてきた。その中を、おるかは火の用心の拍子木を打ちながら夜回りにでかけた。この村では持ち回りで日の用心カチカチをするのである。「今夜は月見がてら、白山神社に寄ってくるかな」「なんでもなくて夜中に散歩してたら怪しい人物みたいだし、カチカチやれば熊も逃げるし安全だから、夜回りってけっこう好きなんだ」という。 3月6日 火曜日 曇り後雨 日曜日にたのまれた手紙のフランス語訳を届けにS婦人邸に寄る。炬燵に入れてもらって少し説明。知的できれいなお嬢さんにエスプレッソを淹れていただいた。とても美味しかった。お嬢さんのお顔を見て若いってこんなにもかがやいているんだなとしみじみ思った。 S夫人に 仏蘭西へ時計見に行く忘れ霜 おるか 図書館にまわって、予約していた鈴木鷹夫の句集他借り出す。図書館の向かいのクリーニング店にブラウスを受け取りにいったが、店員さんがいない。待つほどのことでもないんで帰る。昨日までの強風はやんで、気温は下がってきたようだ。 3月7日 水曜日 雪 朝、目が覚めたら真っ白銀世界。春の雪なんて儚げな気配なんかまるでない大盤振る舞いの雪だ。この前の日曜にスノータイヤを交換した人は多かったろうとおもう。それを狙い定めたかのようなタイミングだ。この冬の出し惜しみしていた雪を一気に放出という感じだ。 S夫人からファックスがとどいたのでスペルチェック。もう一度読み返してみると多少コケットな表現かなと思ったりするが、可愛らしいS夫人にはビッタシ合っているかもしれない。 夜まで上絵付け等々仕事で人間達はへろへろ。「肩が凝った。」とおるか。肩が凝るってどういうことなんだろ。人間って不自然な恰好をずっとしてるから自業自得なんだろうと思う。 3月9日 金曜日 晴れ時々曇り 午後、おるかは急に具合が悪くなって気絶睡眠。六時ごろむっくり起き出して徳利を仕上げた。八時から真夜中までかかって錦窯を焚く。 そんなこと猫なら常識である。我ら猫族はいつだって眠って働いているのである。えっ、どんな仕事かって?そ、それは勿論、この世の憂いや苦悩を払い去る大仕事である。人知れず一隅を照らす思いで毎日、眠っているのである! 3月10日 土曜日 曇り 家の人間達はあたふたと展示会に送るものの最終チェックやリスト作り。部屋中に焼き物が広がっている。昨夜の錦窯を「アチーアチー!」といいながら出してまたもやチェック。少したりないものなど大急ぎで仕上げて今夜は朝の二時までかかる予定だ。「風邪気味でもやるときはやる」とおるか。ホカホカカイロやサロンパスを全身に貼ってつぎはぎの人間のようだ。あるいは欠損部分を石膏でうめた出土品か。 3月11日 日曜日 霰のち晴れ シャーッという音とともに霰が山からやってきた。大雨とは違うはげしい音だ。しばらく見ていると、小粒になってたちまち屋根瓦をうめてゆく。 かなり大きくなっていた貝母の芽やクロッカス、一輪草など、先日来の大雪にも耐えていたのに容赦なく打ち倒してゆく。あんまりな春の霰である。 3月12日 月曜日 曇りときどき雪 ぶぶぶ、寒い!暖冬になれて体がなまったせいか、なんだかこのところの寒さは妙にこたえる。それでも土佐水木の蕾が今にも咲きこぼれだしそうだ。植物はつよいなー。 昨日、図書館にいったおるかは館員さんから「『北国文華』のエッセーみました」といわれて読んでくださる方もいるのね、と感心していた。 3月13日 火曜日 曇り 寒いさむい。オットセイは税金の申告にまた出かけて今日ははすんなり戻ってきた。昨日はあんまり職員の態度が気に入らなくて気分が悪くなって途中で帰ってきてしまったのだ。いますよね感じの悪い役人って。でも大概の人は我慢してるわけだけれど。オットセイはそのへん感じやすいというかきれやすいというか。 おるかは機嫌よく蘭用や苔盆栽用園芸の鉢を作っている。自分用のものはどうしても後回しになるので、いつ窯に入れることが出来るかはわからない。 我輩は草を食べにでてまたもや顔のどでかいトラ猫と接近遭遇。 3月14日 水曜日曇り時々晴れ 家の裏の梅が散り始めた。辛夷の花がそろそろと毛皮のコートをぬぎはじめた。フリーズしていた春はすこしづつ動き始めているらしい。 人間達は一日がかりで荷造り。何しろコワレモノばかりなので一つ一つつつんでは箱に入れ、箱のないものは緩衝材で巻く。それをダンボールにまたもや詰め物をしながら案配していれる。紙や新聞紙やダンボール、我輩の大好きなものばかりでちょっと興奮した。飛び込んでみたり抱え込んで蹴ったり我輩も一日人間達に付き合ってやった。 3月16日 金曜日 晴れ 晴れて寒い。外に出ると風が怖ろしく冷たい。それでも庭の桜の蕾が赤らんでいるのに気づいた。木は強い。木は年輪を営み、ただ密かに花をたくわえる。大いなるかな、木。 外は寒いが家にばかりいるのも厭きたので、ロクロ場にいって昼寝した。 夜、何年ぶりかで梟の声を聞いた。 3月18日 日曜日 ほくりくは曇り時々晴れ 関東は晴れ 8時20分にふと目を覚ましたおるかは「ギャッ」と叫んだ。「あーん30分に家出ようと思ってたのに」。そう、きょうは東京へ行く日だったのだ。それこそ歯ブラシをくわえながら、バナナを一本鞄に放り込んで駅へと車でむかった。みごと電車に間に合ったからすごい。 電車の中では「忘れ物をしらべても空しい」とゆうゆう読書。このへん、ずぼらに年季が入ってきている。 このところの寒さで新雪をかぶった富士山がきれいだった。 3月19日 月曜日 東京晴れ、寒い 我輩はミケ。猫である。今日は赤坂鏡花でおるかがどうしているか昼寝の夢で覗いてやろうと思う。そのきになれば我輩はラマ僧のように遠くのことも分かるのである。 SAkE 鏡花の店の前は繁華な通りのそこだけ静かな別世界の雰囲気だ。凝った引き戸の横の控えめな明かりに「鏡花」と 名前が読めるだけで、あしもとの蹲に季節の花がひっそりとしかし一部の隙もなく活けてある。「こ、これは敷居が高いぞ」とこわごわ戸を開けると粋な縞の着物の佳人が!神楽坂のお店「うす沢」のオーナーというより若女将といった雰囲気の女性だ。一緒にお昼の定食をいただく。神楽坂で取材の予定だったおるかはいろいろ神楽坂の奥の細道を教えていただけそうである。なかなか幸先のよい出だしである。 お店を切り回しているF嬢はしっかりして気働きが行き届き、ワイン・カウンセラーの資格もあり、はきはきと説明する姿もかわいらしい。しかも猫好きというなかなか得難い人材である。なにくれとなく気配りしてもらって、おるかもやっと落ち着いてきた。 夜遅くなってからも年配のご婦人や若い女性の二人連れが、お酒を楽しんだり食事したりしている。「やっぱり都会だね〜」とおるかは感心していた。日本酒の奥深い世界を説明していただいて、おるかもにわかに酒通になったような気分で試飲していた。かの酒仙、暉峻康隆氏もここの「黒帯」を御愛飲されたと聞いた。 3月20日 火曜日 晴れ 今日もおるかがどうしているか覗いて見る。ホテルから「鏡花」まで歩くが、寒さも大分緩んできたようだ。 午後になって、句友や知人がまたいらしてくださる。うれしうれし。ネット句会でいつもご一緒している桑さんがお見えになって、大神神社の杉玉を見上げた。 藍生編集長もお見えになって鏡花のお軸に感心していた。書家の月清さんは篠田桃紅さんの書展で「(自身の)書は遊びなの」といわれたと話してくれた。。遊びってなんだろう。 夕方から身内の人たちが見に来てくれた。夜になっておるかは伊勢丹で初めて個展したときからのお客様の声楽家の女性とおるかはしばらく話しこんでいたが、8時に一緒に店を出た。鏡花のスタッフに丁寧に見送っていただく。ありがとうございました。いつかまたゆっくりお酒を楽しみにうかがいますね。 3月21日 水曜日 晴れ 大江戸線で神楽坂へ向う。今日は一日取材だ。迷うかもしれないと少し早めに出たらすんなり到着してしまった。「うす沢」の美人オーナーが地下鉄出口まで小走りに迎えに来てくれた。レトロな色合いの絞りの羽織、手にした籠のなかにこれまた美形の猫が一匹。そのまま夢二の絵のようである。 坂道の写真をとりながら、うどんすきのお店に向う。神楽坂界隈は今最高にトレンディーらしくどんな細道も人が歩いている。着物姿のオーナーは昼間見るにはいろっぽすぎるような風情でみんな振り返る。路地に長い行列を作っている人たちの視線の集中砲火の中、予約のあるオーナーとおるかはサラサラと店の中へ。大混雑の店の中でも野原のなかの牡丹のように目立つオーナー。彼女は物寂びた古い家がすきでおるかにレアな古屋を熱心に地図でしめしてくれた。「住んでみたいわ〜」と目を輝かせる。オーナーのご主人と初めてお会いした。焼き物通でいらっしゃる。心強いブレーンがついていらっしゃったのだ。仲良くうどんすきを取り分けるご夫婦の姿はいまどきなかなか見られないものを見たようなきがした。春の日の明るい石段を遠ざかるお二人の後姿を写真に撮った。 鏡花旧居跡も北原白秋旧居跡もなんの標も無い。茶道体験教室の先生におそらくこの井戸のあたりというお話を伺った。 しかし、肝心なところでデジカメのメモリーがなくなってしまって、あとは仕方なくスケッチをした。古い家の窓を描いてみようかと思ったり、やはり坂道がいいかと思ったり悩む。細い抜け道坂道がある町っていい。しかもその片隅に猫がいると一入いい。 3月22日 木曜日 晴れ 東京は暖かになった。銀座の福光屋のショップによって福光屋のお酒の仕込み水を買い、ついでにお酒も買う。丁度裏手にあたるビルのギャラリーが開くまで行列のできるチョコレート・ショップで一服。 銀座五丁目のギャラリー「日々」はとても好もしい素敵なギャラリーだった。あんなお店に置いてもらえたら、とため息のでそうなおみせだったが、福光屋さんが背中合わせにある以上お受けするのは無理だろうと思う。 オアゾでフランス語の美術史の本を探すがなかった。マルセル・パニョルなど電車の中で読める本二冊、伊藤俊治「唐草抄」、そして嵐山光三郎の「悪党芭蕉」など買う。嵐山光三郎の本はイラストを描くことになってから泥縄読みしているが、なかなか面白い。 夜、加賀にもどる。やはり東京より大分寒い。 3月24日 土曜日 曇りのち雨 千葉からオットセイの姪御さんがお見えになった。我輩はちょっと人見知り気分だ。いつも昼寝する絵付け室でおるかと姪御嬢が二人ねっしんに絵付けしているので、なんだか落ち着かない。 夜、「世界フィギュア・女子」を見る。逆転に継ぐ逆転でドラマのよう。 3月25日 日曜日 曇り おるかが日曜の朝7時半におきだして朝食準備をしているので、これは天変地異のまえぶれかと嫌な予感がしたが、案の定、能登地方でで大地震。加賀市も震度5を記録した。おるかは丁度お味噌汁を火にかけていたが「長いね、」と一言。悠然とまどから外を眺めている。腹が据わっているのか腰が抜けているのかわからない。 朝食の跡、のんびり手習いなどしていたが、お見舞いのメールが届き始めてやっとテレビをつけた。はじめて被害の映像をみて「うわ、す、凄い」と絶句。遅いんだよ。 3月26日 月曜日 晴れ 久しぶりの晴天。暖かな陽気に誘われて庭弄りを始める。 午後、おるかは福井へ向う姪御さんを、お見送りに一緒に加賀温泉駅まで行って、お土産コーナーを案内した。「羽二重餅」をお買いなので「それって福井県の名物じゃない?」と聞くと「好きだから」とのこと。つきなみなお土産品より、知っているものを買うという堅実な判断かもしれない。 3月31日 土曜日 雨、強風 午後からひどい風だ。能登の地震の被災地も大雨らしい。心配。 今朝、我輩が散歩にでたらタマ・シロ連合軍と渡り廊下付近で遭遇。連中はこのところなぜだかワイルドさを増している。おるかが気がついてドアを開けてくれたので、家に駆け込んだ。そのあと吐いてしまった。何を隠そう我輩は実は神経質なのである。 |
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