ミケ日記   2007年7月

7月1日 晴れのち雨 日曜日

 文月というより七月というとなんとなく青っぽく感じる。

 今日はおるかは割りと元気らしい。たまたま裏の梅ノ木の実が採れたので紫蘇の葉を毟って梅干を漬けた。ついでにレモンとライムをホワイト・リカーにつけて果実酒も仕込んだ。

 そして窯場の壁に沿って笹を植え込む。ただ植えるのではない。まず花壇に蔓延っていた笹を執拗に引き抜いては移植するのである。抜かれても抜かれてもまた生えてくる笹の生命力も凄いがおるかの執拗さも尋常ではない。この二者、よっぽど前世の因縁かなんかが有るのだろう。見ている我輩も相当ヒマだが。


7月2日 月曜日 曇り時々雨

 沙羅の花が咲き始めてから雨の日ばかり続いている。ベランダの朝顔は貧相な蔓を嬉しそうに紐に巻きつけて軒先への長い道のりを這い上ろうとしている。植物というのはどんなところに生えてしまってもうまずたゆまず成長しようとする。偉いものだと思う反面、バカかも知れぬとも思う。我輩はミケ、猫である。

 今日は朝から電話が鳴りっぱなしだった。「こんなことバブルの時代以来だねー」とおるか。そればかりではない。いただきものもいろいろ。まずお隣のおばぁちゃんから新ジャガを段ボール箱いっぱいもらった。そして玉葱、これはガレージに吊るして保存。毎年お中元用にお皿を買ってくださる方から「麹いらず」というお豆を一袋。これがまた美味しい。お豆もいろいろな品種があるらしい。おるかは塩茹でしたお豆をナッツをつまむように食べ続けていた。

考えてみれば、この雨だって天からの贈物である。もちろん日の光だって、窓を開けるとどこからか漂ってくる花の香りだって、素敵な贈り物である。我輩も十年生きた分すこし謙虚な気持で今生きているというこの不思議な贈り物を味わおうと思う。


7月3日 火曜日 曇り時々雨

 この頃我輩がゲロを吐く回数が増えたと、家の人間は我輩の餌に年寄猫用の餌を混ぜているようだ。別に不味いわけではないがなんだかねー。
 我輩が毛玉をはけばキャーといい、多少ゲロを吐いたくらいでオロオロと対症療法的な姑息な対応をする。人間というのはあくまでも浅知恵から逃れられぬものらしい。

 昨日も書いたではないか。この生は贈り物。一年は輝かしいプレゼントの束だ。贈り物も積み重なれば多少重さでよろけもする。動きもゆっくりになる。ちょっと消化力が落ちたくらいでそうオタオタしてもらってもこまるのである。年月を味わうのに、ガツガツ食べればいいってものじゃないだろう。

 さて今日も朝から電話が鳴っている。最近はみんなモバイル・フォンだから「これからお伺いしてもいいでしょうか」という電話が終わったとたんに相手が玄関に立っているということもしばしばだ。この家の人間たちは超出無精なので二人とも携帯電話を持っていない。たまに旅行に出ると公衆電話がすっかり少なくなっていてオウジョウする。

それでも日本はヨーロッパの先進地域に比べるとまだケイタイが普及していないほうらしい。2005年で普及率は75パーセントほどだったそうだ。アメリカは60%代。フランスは87パーセントでイタリアは100パーセント。イギリスにいたっては100パーセント以上だそうだ。つまり一人の人間が複数のケイタイを持っていて用途別に使い分けているということだ。そういえばP・D・ジェイムスの2005年の作品「灯台」でも女性警部のケイトが仕事用とプライベート用を使っていたっけ。

それにしてもケイタイの番号も継続して使える様になってきたし、国民総背番号制どころかどこにいるかまでそのうち把握できるようになるのかもしれない。SF的な超管理社会も現実味を帯びてきた。まぁ、そうなったらなったで抜け道は必ずあるのだろうけれど。


7月7日 土曜日 晴れのちうす曇

 午前中 シカゴの友人Gさんから電話、「福井 ノオ茶ノ先生 ノトコロ寄って ソレカラソチラ行きマース!」というので慌てて大掃除。しかし待っても待っても来ない。ようやく夕方6時ごろお着きになった。

 新婚の奥さんと一週間ほど京都観光して明日は東京に戻るという忙しい日程の合間にわざわざ寄ってくださったのだ。積る話などしてありあわせのもので夕ご飯を食べた。

蛍を見に外へ出てみると七夕の空はうっすら曇っていた。「今夜は7・7・7ね」とG君にi言われてきがついた。七夕の由来など話すとラテン系の奥さんは「ロマンチックね!」とうれしそう。

 駅まで送っていって電車に乗りこむまえ、線路をはさんだホームのあっちとこっちで「マルデ七夕ミタイネー!」と手を振った。

 牽牛と織女は一年に一回は逢えるけれど、Gさん夫妻とはまたいつ会えるだろう。


7月8日 日曜日 曇り

 今朝は村の集会場のお掃除。なんだかお掃除ずいている。

 ご近所の奥様方と手分けして小一時間ほどですんだ。五六人のグループで毎月一度もちまわりのお掃除当番が一年に二回ほどまわってくるのだ。次の当番のまとめ役さんの御家にカードを届けなければならないのだが、どこだかわからず村中をうろうろ聞いてまわったのでかなり運動になった。
 村の道沿いにピンクや白の立ち葵がぼんやりさいていた。立ち葵は田舎の夏によく似合う。


7月9日 月曜日 しとしと雨

 九州は大雨のようだ。被害の映像をみていると、なんだか既視感にとらわれた。去年も同じような山容の同じような山村でひどい被害があったのではなかったか。どうも実際そんなに遠い場所ではないみたいだ。九州は自然が豊かで温泉も多くていいところだと思うが毎年台風やら大雨の被害があって大変だなと思う。

 この家だって後ろは山、前は川だから、いつ何が起こるかわかったものではない。まったく自然災害でもあったら国道から細い道一本が細々と続いているこのあたりは孤立しちゃいそうな場所だ。まったく大雨災害は他人事ではない。

 さて、気分転換に三田完著「俳風三麗花」というのを読んだ。俳句会が舞台の小説なので興味を持ったのだ。気楽に読めた。

 舞台は戦前、水原秋桜子に石田波郷を一寸足したような暮愁先生の句会につどう三人の美女。淑やかな令嬢と、女子医大の学生のモダンガール、そして婀娜っぽい芸者と三人三様の恋の行くえも季節ごとの句会に絡めて展開する小説、と書くと一寸面白そうな感じがするが、軽い読み物であった。もちろん軽いのが悪いわけではない。「軽み」は俳句のお手の物のところだ。

 ただ、どうにも女性がそれぞれステレオ・タイプなのは否めない。それでも別に流血もイジメもなく安らかに読める。それに歌舞伎に行けば伝説の名人達の舞台が掛かっているし、お座敷にはちょいと高浜虚子も顔を出すというぐあいだ。
 ただ、毎回の彼女達が心の中で気持を込めて考える句会の句、が、どうも。 それなりにけっこううまいし添削の気分もわかる分かるという感じ。それどころかちょっとした句会に出したら、けっこう点数の入りそうな句ではある。が、やはりどこかいかにも俳句らしく作りあげられたものでしかない。

こういう句は作るまいと反省しながら本を閉じた。


7月11日  水曜日 くもり

いやはや、中国のダンボール入り肉まんの映像にはおどろいた。貧乏人はダンボール食って何が悪いとでも言うようなおどろくべき開き直り方である。あれには北海道のニセモノ牛肉のひき肉やのおじさんも遠く及ばないだろう。

 中国大陸にいる我が同胞達のことが思いやられる。ダンボールまで混ぜるとなると、猫肉だって利用しようと思ったりしないだろうか。あぁ、ぞっとする。


7月13日 金曜日 どしゃぶり

 ものすごい雨音で目が覚めた。空と地面が滝でつながってるような降りだ。川が茶色のミルクコーヒー色になってどんどん水量を増している。朝はちょっとやそっとでは起きない我輩ではあるが、さすがに眠っていられなかった。裏山に向った窓枠に乗る。匂いはいつもと変わらない。裏庭の小川があふれそうである。

 この雨の中、物好きにもおるかは出かけていった。小一時間ほどで戻ると、さもおもしろそうに側溝にはまった車を見かけたなんぞと話している。同情心というものがないのであろうか。

九州や沖縄は大変なようだ。テレビで見るといつも被害にあうのは普段は静かな村落のお年寄りの方々である。温暖化で凶暴化した気候によって、まず犠牲になるのは南太平洋の島々の住民とか北極圏のイヌイットのみなさんとかで、温暖化の現況になってる工業地帯には大して被害がないみたいなのが実に不条理である。


7月15日 日曜日 雨

 各地で大被害を惹き起こしている台風4号は、どうやら太平洋の方へ抜けてゆくようである。幸にもこの山里では目立つような被害はなかった。

我輩は家の周りを一回りチェックしてみた。フシグロセンノウはすっかり倒れながらもオレンジ色の花をつけていた。根性がある。鉢植えのミズトンボもみるからに繊弱な花茎を五十センチほども伸ばして蕾をつけている。風の中でよく耐えたものだ。鉢植えの桃の葉っぱをすっかりたべた太った芋虫も裸になった枝にかじりついていた。こちらもよく雨にも風にも耐えたものだ。

 すっかり感心して散歩を終わろうとすると、外猫のタマとシロがどこからともなく現れた。連中もどこかで風雨を避けていたのだろう。疲れたような様子もなくギャーと啼く。タマはグリグリに太っている。丸顔に雀色の瞳がちょっとキュートだが、変に物の分かったような収まりかえった態度が気に食わん。シロは貧相かつ凶暴。二匹一緒にこられたときは我輩といえども退却せざるをえないのである。

 家に戻るとオットセイが湯あたりしたと寝込んでいた。ここのところオットセイは風呂にはいっては寝るという全くのオットセイ生活をしている。なにか悩んでいるようにも見えないが、人間というのはわからない。


7月18日 水曜日 小雨

 新潟長野地方での地震からもう二日目だ。被害にあった方々の映像を見るたび気の毒でならない。おるかは「これから何が起こるかわからないからミケ用のキャリーでも買っとくかな」などという。新潟はつい三年前に地震があって、これで後五十年くらいは大丈夫なのかと思っていたら、何事もそう簡単にはいかないらしい。

 おどろいたのは柏崎原発が「想定外」の想定より2.5倍のゆれだったとか。2.5倍って大きいですよ。あの地域で地震が起きることはわかっていたろうに想定が低すぎる。どうもはじめから原発作りたくて安易な予想価を出したとしか思えない。

人間のすることは、おろかなことばかりだ。一旦起こったら地球規模の災害になりかねない原子力発電所はまだまだ人間にははやすぎる危険なオモチャである。

さて、きょうはおるかの誕生日である。誰も何もしないし、本人も忘れていたいようである。それでも庭の白桔梗を一輪切って仕事机にかざった。


7月 20日 金曜日 曇り時々雨

 頂いた石鹸の包装紙に「あれ、ラテン語?イタリア語?」 サンタ・マリア・ノヴェッラの石鹸でした。噂に聞くフィレンツェの老舗、昔と全く変わらない製法で石鹸やらポプリやらつくってるところです。フィレンツェに行かなきゃ買えないのだとばかり思っていたら日本に支店ができていたんですねー。「あああ、このお店までもか!」という気もしないでもない。おるかはさっそくそれで「いやー、冥土の土産ですねー。」などと言いながら「至福のバス・タイム」とやらを楽しんだ。「うれしいですサンタ・マリア」とまるでオツベルと象だ。

 ネットでしらべたら、京都にもサンタ・マリア・ノヴェッラのお店があるらしい。京都にはいつも用事で行くばかりで買い物を楽しむ時間がない。一度ゆっくり観光とショッピングなどしてみたいものだ。


7月21日 土曜日 京都は曇り

 連句の会に参加させてもらうので京都まで。駅で連中の皆様と落ち合って会場の俳人I氏の御家へ向う。上賀茂神社の緑を望むペント・ハウスである。

 歌仙を巻きながら奥様の手料理を頂く。連句がこんなに美味しいものとは知りませんでした。京都の夏の味、鱧の切り落としがもう美味しいの何の。巧者ぞろいの歌仙は夕方7時ごろにめでたく満尾となって、その後は広い屋上のヴェランダで鍋パーティー。お酒も美味しく、一日で1キロ太ってもどったのだった。

今日、始めて見た物

 鱧の笛  真珠色の不思議になまめかしい細い指のようなもの。鱧の浮き袋なんだそうである。もちろん食べることが出来る。

 キツネノハナガサ  象牙色したはかなげなキノコ。見たところ ヒトヨタケの仲間のようだ。I氏のベランダの鉢植えの中に生息していた。

 河鹿片口の河鹿の泳ぎ  じつはこれ曽宇窯製なのだが、実際にお酒をいれてシッポがゆらゆらと揺らぐのを見たのは始めてのことだった。大きめな片口をわざわざ一緒にお酒を飲もうと持ってきてくださったO先生ありがとうございました。なんてお優しいんでしょう。 感激! 

帰りの電車は土曜の夜の自由席でも座っることが出来たが、冷房ですっかり気分が悪くなってしまった。最終電車の冷房は骨身にしみる。


 

 






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