ミケ日記   2007年9月

 

9月1日 土曜日 うす曇

「山の姿ってほんとに県ごとに違うもんだな」とおるか。オットセイの入院している病院のある永平寺方面へ向ってゆくと、九頭竜川に削りだされた山容はいかめしく「まさしく道元の山だ」と、言う。

「石川県にはいると少し優しくなるんだ」とも言うが本当だろうか。まぁたしかに滋賀県の山なみなどは白洲正子も書いていたが「日月山水図」そっくりだし、岡山あたりへゆくと浦上玉堂の山水も想像だけで描いたわけじゃないのね、という気がする。

 早いものでもう9月。八月は嵐のように過ぎたのだった。雲っていかにも北陸らしいお天気だ。木々はまだ青々しているがどことなく、そしてはっきり秋の木になっている。田んぼには早稲が匂う。「早稲の香や分け入る右は荒磯海」と芭蕉の句にもあるが、早稲の香りというのはけっこう濃く立ちこめている。

 今日のオットセイは元気で、明日友達が来るというので興奮気味だった。久しぶりで髭もそり、ながいこと車椅子に座っていた。

 夜仕事をしているおるかにお隣のおじいちゃんが「こんつめたらあかんよ」と声をかけてくださった。簡単に「頑張って!」などという人の多いなか、おじいちゃんの優しさがしみじみと心にしみた。


9月2日 日曜日 晴れ

 朝、いつものようにお弁当を詰めてさて出かけようとしたところに電話でお客様がいらっしゃるとのこと。断るわけにも行かずに待っているとちょうど、オットセイの碁敵のN氏ご夫妻がおみえになった。病院へ御見舞に行かれた帰りに立ち寄ってくださったのだ。お会いできて良かった。お客様は素敵なじょせいだった。さらっと御覧になっておかえりになった。

午後、Tさんが東京から飛行機で飛んできてくださった。あい変わらずげんきでいきいきしている。オットセイ号泣。

オットセイはとてもいい友人知人に恵まれている。あらためてそう思った。


9月4日 火曜日 

 今日で放射線治療のワン・クールが終わった。殺風景な廊下をまた一緒に歌を歌って戻る。オットセイもほっとしたよう。Kさんから頂いた葡萄を手に乗せたまま眺めつつ食べる。見事な葡萄だ。「葡萄の芯ってきれい」とオットセイ。「恐竜の骨のようだ」。不思議な美しさだね。

夕方戻って窯を詰め、夜、素焼きを焚く。ものすごく眠かった。


9月5日 水曜日 

 病院に向う国道が工事で大渋滞。対向車線は始めてみるほどの車列の長さだ。帰り道が思いやられた。

 今日はオットセイは元気。おるかの持っていったものを「美味しい」と、しばし目をつぶっだ。お調子付いたおるかは一階まで車椅子を押して、売店でちょっとした買い物をしたり、外の空気を吸ったり、オットセイを連れまわした。終始ごきげんで「ニンニンン」などと指を振ってオットセイは鼻歌を歌っていた。最後に喫茶店(病院内)に入ってオットセイは、コールド・コーヒーを注文した。そのあといろいろあったが、おるかは、一緒に多少洒落た音楽の流れている喫茶店に、オットセイとどうしても入りたかったらしい。

 帰り道は夜になって、工事もすでに終わっていたので、スムーズだった。


9月7日  金曜日 雨 時々激しく降る

 関東に大型台風上陸。ニュースはほとんど台風レポートだ。多摩川河川敷のホームレスの人達が救助されたりする映像がテレビに映っていた。気の毒に、どんなに怖かったろう。災害は弱者にもろにかぶさってくる。

 午前中、歌人の N夫妻が御見舞に来てくださったらしい。お会いできなかったが、オットセイが畏友として信頼している方々だ。初めてお会いしたときは「僕らは現代の相聞の歌人なの」と負けそうなのろけを言って下さったっけ。あぁ往時茫々。
 この方の山から移植した朴の花が今年初めての花をみせてくれたのだった。


9月12日 水曜日 晴れ

 オットセイが加賀市民病院に転院.静かな部屋でオットセイ大喜び。

 大学病院は規模も大きく忙しくて、どうしても対応がギスギスしがちになるのもむりはないのだろう。しかし院長先生の回診を車椅子で待つオットセイがベルトのようなもので椅子に固定されていたのを見て、おるかは怒り心頭に発した。

 オットセイは先生や看護士さんのいうことを一所懸命守ろうとする生真面目な患者である。「立つな」といわれたらかなりなことがあっても立たないオットセイである。それなのになんでそんなことが必用なのだろう。おるかが駆け寄ってベルトを外していると担当の看護士さんが「あら、そんなもの、しなくてもよかったのにね」と言った。これにもムッと来た。「見てなかったんかーい!」と言いたいのは堪えたが、プレゼントするつもりだった恐竜の飛び出す絵本はあげずに持って帰った。

 加賀市民病院は、家に近いこともあり、なじみでもあり、オットセイもすっかり落ち着いたようだ。おるかはさっそく部屋の窓際に、秋海棠や水引など庭で切った秋の花を活けた。オットセイの描いた小品の額やイワヒバの鉢も置いた。そして血糖値をはかり終わったのを見はからって、こっそり葡萄とチョコレートを食べて、加賀に戻ってきたことを祝った。


9月19日 水曜日 晴れ

秋暑し。きょうは午後、おるかの兄が京都に仕事がてらオットセイの御見舞に着てくれた。16にちにはオットセイの両親と茨城県にすんでいる甥子さんがいっしょに見えられた。御見舞いの方に会うたびに号泣のオットセイである。

 主治医の先生からおはなしがあって、もうこれ以上外科的な処置はしないという方針がきまった。今病状は安定しているので、外出したり一時退院したりできることになった。

駅まで兄を送っていって、電車を待つ間、オルカとその兄はよく似た顔を並べながらボツボツと話をした。寂れた駅舎に祝110周年の赤い堤燈が飾られて、夕風に揺れていた。


9月21日 金曜日 晴れ

残暑きびしい日だが、オットセイ外出.。車の中で「何もかも新鮮だ!」とオットセイ。家の玄関でソトネコたちにあってよろこぶ。

我輩も久しぶりでオットセイのお腹に乗った。すっかり痩せてぺしゃんこになっていた。ふとしたことから去年の今頃、琵琶湖博物館のビワマスや水の森の「秋の蓮」を見たことなどを話すと、ソファに仰向けに倒れてオットセイは泣いた。「去年だったんだね!何年も入院していたような気がするけど!」そして「僕の人生ムダじゃなかったよね」という。後はおるかと二人声もなく泣いていた。

我輩はミケ、猫である。我輩の目の前には、永遠の現在があるばかりだ。それは充実し、輝いている。だから我輩に涙は無縁である。

記憶を持ち、過ぎ行く時間の中に生きている人間の世界は、涙なくしては居られない。


9月26日 水曜日 十六夜

 オットセイの退院に向けて、介護保険を申請したおるかは介護用品のレンタルの相談をはじめた。係りの女性にお話を伺っていると、オットセイがやおら起き上がって、「そんなベッドはいやだ。家を建ててくれた棟梁にお願いして作ってもらうつもりだ。竹製かヒノキにしたい」など言う。この期に及んで趣味をひっこめないのがさすがオットセイである。しかし棟梁は忙しい方出し、家具職人でもない。お願いしたら嫌とは言わない気風の人物なので帰ってなんだか申し訳ない。すべて当座必要だからということで、オットセイもしぶしぶ妥協し、あれやこれやしめて二万円ほどの介護用品をレンタルすることになった。

 「入院中は保険で入院費保障があったけどね」とおるか「退院したら毎食お寿司特上ってわけにはいきませんぜ」。このところオットセイは食事のたびにおるかを寿司屋まで走らせているのである。我輩にはカリカリしか与えないというのにおるかも随分えこひいきである。

暗くなって病院から戻ったおるかは灯りもつけず床にのびたまま山のはに上ってくる十六夜の月を眺めていた。我輩も座布団三枚重ねの上に陣取ってしばし月見を楽しんだ。いい月だった。床の籐茣蓙が肉球にひんやりとあたる。あはれ今年の秋も去ぬめり。


 






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