ミケ日記   2008年6月

5月1日 

 白い花の季節になった。この一年間いろいろなことがあった。それでもなにか書いている方が心が休まるかもしれない。我輩はミケ。猫である。

 オットセイがいない家の中は静だ。我輩の足爪の音だけが床にカチカチとひびく。昨夜もパソコンの部屋の電気がついていたので、「オットセイったら、いつだって、PCにかじりついてんだから!」なんて思って階段を駆け上がってみたら、誰もいない。
 あの大きな暖かい生き物がいなくなって五ヶ月以上もたつというのに習慣というのはなかなかなおらないものである。

 さて今夜は、U嬢が指導にお見えになって、書道教室である。といってもおるかと二人しかいないのだ。我輩はもちろん見学。おるかの書道用の筆はいま小筆しか使えるものが無いので、かなの練習。U嬢は漢字だ。「きれいな字を書こうとは思わない、自分の字を見つけたい」などと言っていたおるかだが、お手本の美しい書跡を見るとめったやたらに細かい所まで写そうとする。性分なのだろう。 

 U嬢はとても華奢で物静かで、若いのに落ち着いた雰囲気の女性である。音も無く筆を運んでいらっしゃるのを覗いてみると、びっくりするほど元気な大きな漢字を書いていた。雰囲気と作品のギャップにおどろく。

半紙の反古の山が出来てゆく。窓の外の緑の夜に虎鶫が鳴いていた。


5月3日 土曜日 晴れ

 緑が日一日と濃くなる。山水を汲みに出ると杉の木の間の空の青がステンドグラスのようだ。山道を少し上流へ歩いた所にあるお地蔵さんの清水という山水は夏でも枯れない。大雨が降ると少し濁るからそんなに深いところからの湧水ではないのだろうが、お茶には美味しい。ちいさなお地蔵さんのまわりはいつも誰かがきれいにお掃除をし、花を替えてある。
 長生きの水だという。この水でコーヒーを淹れてオットセイの病院までもっていったものだった。

 山道の両脇にシャガの白い花が揺れる。卯の花が咲き始めていた。


5月4日 日曜日 晴れ

このところおるかは風邪気味だ。、寒気がするらしく、セーターを三枚も着てその上にフリースジャケットまではおっている、黒ずくめなので、なんとも鬱陶しい。to krown it all 鼻血がでるので鼻の穴にティッシュをつめ、それを隠すためにマスクもしてゼーゼー言っている。道でであったら静に避けて通りたい風体だ。それでも仕事が押しているので、午後はずっと轆轤場で小皿の削りをしていた。

 お隣では友達や親戚が集って、連休の一日をバーベキューして賑やかである。外猫たちは物陰に隠れている。我輩もそうだが猫にとって小さな子供というのは何をやるか予想がつかないから怖ろしい。お隣の黒犬ラッシュ君はみんなに可愛がられて興奮している。時々笑い声がしてほんとうにたのしそうだ。微笑ましい。そういえば、おっとせいはいつもニコニコ楽しそうだったが声を上げて笑うのはあまり聞いた事が無かったなーとおもった。


5月5日 月曜日 曇りのち午後から雨

 今日は久しぶりに雨になった。小雨に煙る緑は一入香しい。まだ風邪気がぬけないらしく、おるかは午前中デレデレと漢字パズルなどしていた。先だって漢字メイト3月号をもらったのだ。漢字パズルは最初、縦の鍵も横の鍵もなくてなんにもわからないが、あるときふっと見える、その瞬間が面白いらしい。「でも言葉が新聞に載ってるような言葉なんだよねー。ぜんたいに社会科風の用語が多いんだー。もっと文学的なの無いのかねー」とぼやく。「<江戸川乱歩のスケルトン>があったけど乱歩作品の題名が全部ご親切にリストアップしてあるんだもの、これじゃ面白くないよねー」

 そんなに文句があるなら自分で作ってみたらどうかと思うが、我輩はそんな暇猫ではない。外の景色を鑑賞するのに忙しいのだ。この時節一雨ごとに変化する緑の饗宴は我輩の緑の眸にもまして輝く。


5月8日 木曜日 晴れ

 午後から轆轤場にUちゃんTちゃんが来て賑やかである。ラッシュも人が通るたびに可愛がってもらって嬉しそう。おじいちゃんも轆轤場を覗き込んでにこにこしている。三人でケーキを食べたりおるかも楽しそうである。我輩も一寸散歩にでた。忽ち外猫たちと鉢合わせ。草を食べる暇もなく 家にもどった。窓の座布団に乗って、植木鉢の中で寝ているタマとシロにステイタスの違いを見せ付けてやった。


5月9日 金曜日 うす曇時々薄日。夕方風冷たし

 午前中、おるかは農協まででかけて自動車税をふりこんだ。しかもそのうえ名義をオットセイからおるかに変更するのにまた二万円くらい掛かるとか。「変えたくて変えるわけじゃないんだからね。そのうえ窓口まで来いって、この忙しいのにそんなことで金沢までいってられませんよ!お金は払ってやるからそっちが書類用意してお願いしますと持って来いってもんだ!」とおるかはプリプリしているがごまめのはぎしりである。

ともあれ、来月6月7日から丸八製茶場ギャラリーでの個展までまたもや火事場の馬鹿力頼みだ。睡眠時間4時間の日と5時間の日を交互にして体力を持たせる予定らしい。

庭に白山チドリが咲いた。いい花だ。おるかもひたすら大事にしている。が、それをみていたシロはサササと近づくやザッザッとと大穴を掘って用を足した。 幸いすんでのところで白山チドリはなんをのがれたが、シロはいつでもおるかの何か植えつけたところを狙って用を足すと決めているらしい。そんなわけで今年植えつけた一人静はすでにかげもかたちも無い。ある朝、植え付け用の鹿沼土やピートモスが他の普通の庭土の中に無言で主の消失を告げているのを見つけておるかは絶句していた。


5月11日 日曜日 うす曇 平均気温以下の肌寒い一日

 風薫る五月。爽やかな新緑の香りに誘われて、我輩は外に出た。と、またもやシロ。我輩と戸口に間に小鳥でも狙うように座り込んで「ウ”ー…」と不気味に鳴く。しかたなく裏山伝いに川下の方から大回りしてまいてやろうと思ったが敵もさる者先回りされてしまった。牽制しあいながらかなり家から遠くまできて、小雨も振り出したので別宅にとまることにした。

 おるかはその間図書館に行って苗屋さんにまわるというこの季節のお決まりコースをまわった。「図書館では、まだオットセイのカードがつかえるのよ」と嬉しそうに二十冊借り出し。「忙しいから軽めの本ばかりにしちゃった」だそうだ。たしかに絵本とか詩画集とかが多い。室生犀星の「みつのあわれ」(小学館)が我輩にも面白かった。金魚とおじさんの妙な味の物語だが金魚の写真が秀逸。別に旨そうに取れているわけではない。滑らかで妖しげでみずみずしくて。なめなめさらさら、やっぱり旨そうかな。

 夕方になって、苗を色々植え付ける。裏庭の暗くじめじめしたあたりは紫陽花。家の前の机から眺めやすい所は百合と山芍薬の庭だ。「オットセイさんに庭の花を切らさないようにするにはもっとスペースが欲しいな」とおるか。「オットセイさんは一昨年はこの辺りに座り込んでずっと杉の芽むしりしてたよね」などと言いながら犬走りをじっと見る。家の北側の角には花バサミがコンクリの上で錆びついている。去年オットセイが倒れる前日まで其処でウグイスカズラを切っていたのだ。オットセイの置いたまま、赤錆が時間の経つのをおしえてくれている。


5月13日火曜日 晴れ

 ミャンマーのサイクロンの被害の実態がやっと報道され始めたところで今度は中国四川省で大地震があった。「規模が違うよねー。被害地域が巨大すぎる。いくら世界最大の人民解放軍でも手にあまるだろうな。パンダはどうしたかな」とおるかはただオロオロとニュースを見ている。

 被災者支援電話に何回か電話していた。貧者の一灯である。そのうちユニセフからも義援金の振込用紙がくるだろう。被災地の子供達の映像は、我輩も気の毒で見ていられない。

 徒然草の第何段だったか『、何かの見物に出かけた折、高い木のうえで居眠りをする人を見て「なんて愚か者だ、あんな高い木のうえでのんきに居眠りしているとは」と周りの人が言うので、「我々だって同じようなものだ。命はいつどうなるものかもわからないのにのんきに見物などしているのだから」とひとりごつと周りの人が「そのとおりだ」といって場所を空けてくれた』とやや自慢げに書いてあったのを思い出す。必ず死ぬものである人間の条件をうかうか忘れているのは兼好法師の時代も今も変わらない。ドロドロの惑星地球の薄皮のような地表に生息している我々猫や人間や生き物達。実に儚く命をつないでいるにすぎない。


5月15日 木曜日晴れ

 今日は午後から「釉薬の調合だ!」とおるかは完全武装(と言ってもオットセイの着ていた黄色の雨合羽とズボン)で窯場へでかけた。1号釉を2俵、水に溶かしてはスイノウで濾す。石灰が主原料だから濛濛と白い煙がたって顔がバカ殿状態になる。
 「バカ殿はないだろう。女王エリザベスかナルニアの魔女くらいにしてよ」と不満げである。「西欧もののファンタジーを見るとやたら戦争ばかりでいやだね。敵の化け物たちは異教徒のイメージだろね。だから異教徒は人間じゃない殲滅していいんだと考えてんだよね」「それにくらべると水木しげるの妖怪連中や日本の怪物はゴジラでさえ倫理的存在なんだ。これが大乗仏教ってものかね」などという。
 単純作業をしながらだと色々ものを考える。塊を手で揉み溶かしながら「釉薬溶かし歌とか歌いながらすると雰囲気出るかな」とまた馬鹿げたことを言う。

濾し終わった1号釉は数日静に寝かせて上澄みを除く。そうしてやっと灰釉や白石、花坂釉などと調合できるようになるのだ。

馬盥みたいに巨大な盥を水洗いして日に干す。なんだか最近おるかは力が強くなったようだ。シャワーをつかいながら上腕の力瘤を試していた。


5月16日金曜日 うす曇

朴の花が咲いた!天上的な香り、ゆったりした花容、どこをとっても素晴らしい。若木から育てて去年初めて花をつけてくれたのだ。、オットセイがそれは喜んでいた。我輩も二階の窓からしばし眺めた。突然、ヒヨドリが飛んできて傍若無人につぼみを突っつきだした。「こら〜!」とひよどりに怒鳴るおるか。「朴の花、食べられたらいいだろな。白くてふわふわで、いい匂いで」と追っ払った後でひとしきり羨ましがっていた。

ひよどりになりたし朴の花食べむ   おるか

そのまんまの句だ。さて、今日は午前十時からひさしぶりで句会。互いに選をして意見を言い合ってたのしそうだった。写真のオットセイも一緒ににこにこしていた。


5月18日 日曜日 晴れ

 「うぎゃー、もう18日だ仕事が進まない」カレンダーを見ながらおるかは悲鳴を上げている。加賀棒茶ギャラリーの展示会初日6月8日が7日からになって、この一日の違いはけっこうきびしい。「なんだかことしになってからずっとこんな具合だなー」「火事場の馬鹿力も大分使いきってきちゃいましたよ。」と泣き言を言う。言ったところで誰も変わってくれないのだ。

 午後から山のほうへホンのしばらく散歩。先週までの白い花にかわって、道の両脇にクサノオウの黄色の群生が風に揺れている。花弁にラッカーでも塗ったようなぴかぴかの光沢が、元気そうだ。実際とても生命力が強い。毒があるというけれど、毒は使いようによっては薬にもなるもの。草の王の力が人間にはつよすぎるのだろう。


5月19日月曜日 うす曇太平洋岸を台風が北上中で風強し。蘭の鉢がひっくりかえった。

 黄鶺鴒が川とこの家の屋根を往復している。巣でも作るつもりだろうか。薄黄色と灰色のシックな姿だ。別に旨そうではない。鶺鴒はとても細いから食べたら羽ばかりに違いない。時々庭に来る山鳩のほうがずっと肉付ききが良くてしかも飛翔力もなく、獲って食べてくださいと言わんばかりにみえる。閑話休題

 お昼ごろ九段の器の店「花田」さんご一行が巨大な花束を手に、見えられた。女性の副店長さんは超美人。何くれと無く御覧になって行かれた。お茶もお菓子も出し忘れたおるかは一人でお菓子をかたずけた。福文の銘菓「しののめ」もぶった切られてむしゃむしゃ食べられてはかわいそうであった。しっとりしたこなしの中の大徳寺納豆が泣いている。

巨大な花束を水切りしなおしながら「わたしだって花材さえあれば○谷崎せんせいにだってひけをとらないわよ」と急に女言葉になるおるか。「ゴージャスねーこの蘭!」「ほーら、トーンごとに分けると素的!ルドンの花みたい!」などどうやら物まねのつもりらしい。それでも三つに分け活けてもなお余りある豪華な花だ。
 普段はおるかは庭の山野草を茶花風に「野にあるやうに」投げ入れているのでかなり地味な感じばかりなのだ。たまには、花屋さんで一番高いものだけ棚買いしたような活け花も気分が変わって一興である。


5月20日 火曜日 早朝に小雨後晴れて美しい。

 一号釉の上澄みがようやく澄んで来たので濃度を調節し、灰釉なども調整し、混ぜ合わせて我が家の染付け釉薬が完成。材料もそれぞれ残り少なくなってきた。今度、粘土を買うときには、わすれず白石釉も注文しなければ。染付け用の呉須もいままで買っていたのが材料やさんでもなくなってしまったので、新しく調合してゆかなければならない。が、なかなかゆっくり実験している暇がない。ともかく、今は目の前にある仕事で手一杯だ。六月七日が過ぎたら、今度こそ数軒の材料やさんにあたってみなければならない。ああ、体が三つほしい。

 お相撲で、白鳳が負け、ディープ・ヨーロッパの哀愁琴欧州が全勝でトップになった。椿事なのかどうかわからないが、ともあれ、お相撲はラジオで聞いたほうが面白い。ものすごい事をしているように想像できるから。


5月21日水曜日 晴れ

 爽やかな五月晴れ。朴の花が天上に開いている。ベランダに立つと高貴な香りが降ってくる。オットセイもきっと見ていることだろう。
 山水を汲みに出かけたおるかはついでに川沿いを散歩して、また、オットセイが釣りをしていたことなど思い出しては泣き泣き帰ってきた。「妙なもんだよね。思い出すから二度と行きたくないと思ってたところにフラフラと行っちゃうんだ。病院の屋上とかにも行きたいような気がする。行ったらまた泣いちゃうとわかってるのにね。Mなのかね」と我輩の耳元でぐちる。.Mだかなんだか知らないがそれが執着というものよ。お釈迦様も「執着を捨てよ」、とおっしゃってるではないか。死者への執着も生の執着の一変奏なのかもしれない。

 ドカンと音がして昼寝の夢から覚めた。なんのことはない郵便がとどいただけだった。新顔の郵便配達さんは投げ込む音が大きい。郵便やさんもけっこう入れ替わる。つんくを小柄にしたような茶髪の子は「愛嬌がいい」とオットセイが気に入っていた。オットセイが男性を気に入るのはものすごく珍しいのだ。それと年配の物静かな人。他にもう一人どこかで見た顔だと思って思い出せない人がいたが、やっとわかった。若い頃の画家バルチュスに似ているのである。バルタザール・クロソウスキー・ド・ローラ・バルチュス伯爵その人である。


5月22日木曜日 晴れ

穏やかで爽やかでなんとも言えず美しい日だった。ひょっとすると今年一番美しい日だったのかもしれない。その夕暮れのセピア色の光の中で朴の花が崩れかけている。

 「いい気候になったらなったで眠い」と、おるかは仕事机に座ったままカクッと筆を取り落としそうになっている。このところ睡眠時間が少ないのがこたえているのだろう。夜、母親の電話を聞きながら居眠りしてあやうくキーボードに涎をたらすところだった。「これじゃ今夜の仕事は無理だな。早く寝よう。一晩くらいよなべしなくったって罰当たらないよね」といいながら、仕事をかたずけだしたもののなんやらかんなやらで結局、夜中の12時になっていた。「お月様おやすみなさい」と言って眠る。すこしはんなりした梅雨の月みたいな今宵の月だ。


5月24日 土曜日 雨

 久しぶりの雨だ。 釉がけ二日目。急須の口や蓋の細かな作業がつづく。我輩は一人ほって置かれるので一寸不満だ。と、やおらドタバタ戻ってきたと思ったら轆轤場の蛍光灯が切れたので慌てて買いにでた。小雨の国道8号線。天気が悪いと気分もなんとなく沈んでくる。ましてオットセイと何千回、ヒョッとすると何万回も走った道だ。「この車自体13年目だもんねー。いいこだよね。去年の燃えるように暑い大学病院の駐車場や、霜の降りる市民病院の駐車場でも、一度でエンジンかかってくれたもん、心強かった。唯一の友人だねー、ありがとねー」と最近のおるかは車の中なのを幸い声に出して独り言を言う。癖が付いてどこでもぶつぶつ言うようにならないように注意しろよ

 時間が無いのでお昼はパンと紅茶。夜はレトルトパックのカレーという寒い食事で真夜中12時まで仕事。これがワーキング・プア生活というのだろう。我輩はいつものカリカリにかつぶしトッピングをたべた。我輩はミケ、猫である。


5月26日 月曜日曇り時々日差し

 朝から本窯焚き。「うまく行って下さい神様仏様」と空を見ては祈り山を見ては祈り朴の花にも祈るおるかである。八百万の神様におねがいしているのだろうか。古式ゆかしいことである。

 正午近く、草を齧りにでたら、またもやシロに遭遇。隙を見て玄関に飛び込むと、なんと身の程知らずにもシロまで家の中に駆け込んできた。シロという名ににあわずそこだけ黒いシッポが怖ろしく太い。「オワ〜!」と開けた口の犬歯の片一方が無い。正直に言おう、我輩はビビった。窯場にいたオルカが騒ぎを聞きつけて戻ってきたのでほっとした。「うわ。家の中で大立ち回りなんかしてくれるはよー!(このところあまり人と話さないのでおるかの日本語はへんなのだ)」とシロを足で外へ押しやっってくれた。興奮しているときのシロはにんげんにだって容赦はしない。根っから凶暴なやつなのだ。外見なんぞ不細工猫でうりだせるくらいだ。

 なのにオルカときたら「よしよし」などと撫でてやっては猫パンチの返礼をくらっている。シロのパンチのきついことくらい、いい加減でおぼえたらどうだ。経験から学ぶことを知らないやつだ。やたらに本は読むが読書でも何にも身につかない。それが証拠に若いときから正法眼蔵を読んでてるそうなのに、オットセイがいなくなってすっかり取り乱している。経験からも読書からも学べない哀れな奴である。

  学問はしりからぬける蛍かな   蕪村

 真夜中にホトトギスがないていた。


5月27日 火曜日 晴れ

 高く晴れわたってしかも涼しい。今頃の北陸とは思えないさわやかなお天気だ。朴の花はあらかた散ってしまったが広々した緑の葉に明け方の通り雨の雫が金剛のスパンコールのように、ロンロンと輝いている。「掃除機を掃除したらさー、お前の毛と私の髪の毛でつまってたよー。クッション作れそうだったー」、ああ!こんな時になんと無粋なことを話しかけるオルカであろうか。

 我輩は無言で窓の外の麗しい風景を顎で示した。「へん!そういうのはね短歌的抒情っていうの。奴隷の旋律とまでいわれたことを猫は知らないだろうね」「俳句は今まで詩的とは思いも付かなかったような所に詩の発生の現場を捉えるものなのよ。<たかきに悟りて俗に遊ぶ>っていうでしょ。<茅屋に名馬をつなぐ>心栄えってやつですな。禅味禅味」
聞いているだけで耳が痒くなった我輩は後ろ足で思い切り耳を掻いた掻いた。つい力が入って、毛が飛び散り、おるかも一瞬度肝を抜かれた様子であった。

 窯場はまだまだ熱い。しかし、小さい窯なので明日くらいには開けられるだろう。『1160度くらいのときにさ、窯の中でポンッって音がしたんだよねー。ああ、どうしよう、何か怖ろしいことが起こってるんじゃないかしら」とおるかは例によって今更心配しても仕方の無いことで一日くよくよしていた。


5月28日 水曜日 曇りのち小雨

 おそるおそる窯を開けた。どうやら最悪の事態は免れたようだった。どこかにボロ(窯の天上のレンガ屑が落ちるなどして焼きついたもの)や釉薬の縮れはあるかもしれないが、ざっとみたところ心配していたようなことは無いようだ。「でも、最高の上がりでもない。そっくり焼きなおしたいくらいだけど時間もないし」と最近オルカは声に出して独り言を言う。しかし焼きなおした所で成功すると云うものでもない。「これでいい!」とはなかなか行かないものだ。一個一個、高台のアルミナを掃除して、絵付け場に運ぶ。「猫の手も借りたいというのが、いかにむなしい願いかと言うことが身にしみてわかるよ」などといらんムダ口をきく。

雨が近づいているらしい。ベランダの鷺草がうれしそうだ。


5月31日 土曜日 小雨

 我輩はミケ、猫である。昨日の午後散歩に出た。鳥の声に誘われて虫を追ったりするうちについ時間の経つのを忘れ、また川下の別宅に泊まる事になった。目を覚ますと雨。濡れて帰るのは嫌だからもうしばらくこのトタン屋根の下で雨だれの音を聞いていよう。鳥の声に誘われて森に入り、戻ってみたら何百年もたっていたという修道士の話があるが、森の細道はところどころで他界への道と交差している。夕暮れ時は特に、彼の世が近く感じられる。 

 昨日おるかのボロ車が走ってゆくのを見かけた。用事が三つたまらないと出かけないおるかである。人間の生活とは気ぜわしないものである。もともと歩くのが早いオルカだが、最近は忙しいからと家の中でも走っている。見ている方まで気分が落ち着かない。例の修道士は静かなときの流れの中で心を澄ましていたから不思議の鳥の声が耳に届いたのだろう。

 ゆっくり毛づくろいしているうちに雨もこやみになってきた。イネ科の雑草をたっぷり食べたのでお腹もごろごろいっている。家に戻っておもいきり毛玉をはきだすとするか。






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