ミケ日記   2008年6月

6月1日 日曜日 曇り

 金沢で初蛍が例年より二週間近く早く観察されたという。水無月一日である。北陸らしいグレイトーンの光の下で毛づくろいしながら我輩は片目でおるかを観察する。せかせかしている。じつにこせこせしている。午前中、荷造りの合間にホームページの更新用写真を撮り、夕方5時までに上絵を仕上げて、座布団カバーを夏用の麻に衣替えした。冬用の久留米がすりの方は洗濯。オットセイの古着を虫干し。その後7じまでかかって錦窯詰め。12時まで窯焚き。その間写真に撮った後のお茶漬けを食べただけ。人間とはエネルギー効率の良い生き物である。食物連鎖の頂点に君臨する我等猫族は寝ているだけでも肉を食わねばならぬ。


6月2日 月曜日 小雨

 新しい月の新しい週がはじまった。わがはいは月曜日が好きである。猫である我輩に、曜日など関係ないとはいうものの、なんとなくすべてがリフレッシュして感じられる。我輩の翡翠の瞳に、雨でさえあえかに輝く。

 それにひきかえ、おるかは今日は午前中銀行の書類や社会保険庁の書類で頭を抱えていた。こういうものには天才的に無能なおるかである。「まったく、寝ない、食べない、しゃべらないの三無い生活に追い討ちかけてこれだもの。世の中は私に鬱病になれと言ってるのかね」とぐちる。結局書類は先に延ばすことにしたらしく、庭に出て茗荷の芽を抜いているうちにコロリと上機嫌になった。この単純さなら鬱病の心配は皆無だろう。茗荷と健忘症には確かに深い因縁があるようである。「ズボッと抜けると快感なんだよねー」と嬉々として抜いていた。山紫陽花の蕾が上がってきた。鷺草、シラン、セッコクなど蘭科の花が盛りになった。

 午後からはまた仕事モードになって昨夜の錦窯の仕上がりをくよくよ心配して過ごしていた。


6月3日 火曜日 小雨のち薄日が差した 四月ごろの気温という肌寒い日

 朝、5時半におきて窯出し。「うー、本窯はもう一くべ足りなかったけどこっちは少し焼きすぎた。」とおるかは渋い顔である。やりなおすには時間が無いし、なおして成功するかどうかもわからないので、「いかがなものか」というのをチェックしてだめだしすることにした。が、線引きがむずかしい。本人も再チェックすると考えが変わったりするのだから情けない。ともあれどうにか出品リストを書き、ヒーヒー焦りながら、残りの上絵を仕上げて、UちゃんKちゃんの作品と一緒に焼こうとロクロ場の二人に「窯詰め間に合ったかな」と声をかけた。錦窯は続けて焚くと湿気がこなくて調子がいいのだ。ところが「木曜日に焚きまーす」とあっけらかんとお返事が。「そんなら早起きして窯出しする必要はなかったのね」と拍子抜けしたおるかは長椅子に倒れこんで寝てしまった。小一時間ほどして「最後の朴の花の香りがする」と何事もなかったようにおきだす。けっこうタフな性格のようだ。

 おとなりのばーちゃんが、菖蒲と蓬を下さった。すばらしく長くて染みも虫食いも無い。香りがまたこれまでかいだ中で最もいい菖蒲の香だ。軽いのである。イリスをおもわせる香調がある。「これだけで今日はいい日だ」とおるかは感激していた。
 山代温泉の菖蒲湯祭りもそろそろだ。


6月5日 木曜日 じめじめした雨降り

 朝のうちに山水を汲みにいったおるかは、川を見て「こういう、ささ濁りの日はよく釣れるっていってたな。ささ濁りっていいことばだな」とまたオットセイのことを話している。おっとせいは何かに興味を持つととことん耽溺するタイプだった。渓流釣りもその一つ。仕事そっちのけなので先代の菁華さんが「魚釣り今日はどこまで行ったやら」と狂歌をものしていらした。そんな風だから忽ち日本の淡水魚(鮭科)に詳しくなって、家の前の川にサクラマスが溯上したときは『淡水魚研究家』と称されて地方紙に載ったくらいである。「このあたりの川筋は全て奥の奥まで行ったものねー。懐かしいけどわたしじゃあんな道なき道を運転する勇気はないね」とおるかは独り言を言う。

 午後から、床の上に紙を広げて絵やら俳句などかいている。紙のガサゴソいう音は我輩にはたまらなく魅力的だ。和紙はなおさらでる。おもいきりとびこんで前足で紙を抱え込み蹴りを入れる。快感!「ナニすんだー!」とおるかの悲鳴も心地よい。しばらくごろごろしたり引きずったりしていると腹が減ったのでカリカリをたべて寝る。軽い運動の後の午睡は何ものにも代えがたい心地よさである。

 きょうは轆轤場にお嬢さん方が来て錦窯をたいた。夜12時過ぎまでかかった。おるかも午後三時ごろから夜中過ぎまで荷造りをしていた。加賀棒茶製茶上ギャラリーへの搬入が明日なのだ。場所は近いし自分で運ぶから、デパートへ送ったりするよりずっと簡単に梱包しているとはいえ、コワレモノだから一つ一つ紙にくるみ、ふわふわパッキングの箱に入れる。そのうち短夜はしらじら明け染めてくるのだった。


6月6日 金曜日 晴れ

 加賀棒茶製茶場ギャラリーに搬入の日。今年九月で14年目にはいろうというボロ車は大荷物を積んで哀しげにゴトゴト走る。それでもこのところの雨で洗われた風景はいつにも増して美しい。製茶場も数年前に個展させてもらったときより緑が増えていた。キンシバイが咲いていた。

 会場のテーブルを運んで貰ってざっと広げた所に、Uちゃん T ちゃんもそれぞれの作品を持ってきた。錦窯を出すのは相当熱かっただろう。あれやこれやしているうちに6時を過ぎていた。美味しいお茶を頂いてそれぞれの家路についた。大勢人が来てくれるだろうか。若い二人の作品が売れてくれるといいなとおもう(もちろん曽宇窯のも売れて欲しいけど)。

 京都の動物園でアムール虎のオスが飼育係を襲ったニュースを聞いた。猫族のマナーに従って頚椎を一撃である。虎のことをよく知っている飼育係さんの、毎日している清掃作業中の出来事だった。魔が差したというのだろうか。


6月7日 土曜日 曇り

午前10時少し前におるかは会場に出かけた。プライスカードなど貼ったり色々することがあるらしい。後援の新聞社の女性記者がきてインタヴューしていった。 質問にやたら深刻に考え込むおるかである。棒茶ロールケーキを頂いてご満悦で戻ってきた。

 梅雨めいたお天気のせいか、我輩はこのところあんまり食欲が無い。それにひきかえ外猫のタマとシロあい変わらず食い気一点張りである。「シロ、なんだか太ったんじゃない?カエル太りか?」とおるかが呟くのが聞こえた。


6月8日 日曜日 曇り時々薄日

 「暑いのか寒いのかはっきりしないお天気ねー。ナニ着たらいいかわからん」とさも衣装持ちのようなことを言うオルカである。烏のように黒尽くめなので我輩にはどう違うのか見分けがつかない。『あまり痩せて見えると嫌なんだ」とシャツの下にセーターを着こむ。たしかに鎖骨が「苦行中の釈迦像」のようだ。

 会場ではきょうは「お茶三昧」というイヴェントもあって、大勢の人が入れ替わり立ち代りいらした。着倒れの加賀だからきれいな御着物の方も多かった。江戸美人草紙から抜け出したような粋な縞の着物の若い方もいた。焼物に興味を持ってくれると嬉しい。


6月9日 月曜日晴れ

 午後からU嬢とU嬢のお母様、Nさん、とギャラリーで待ち合わせ。その前に郵便局によったおるかは大遅刻。「このところ遅刻するようになっちゃった。なぜかな。遅刻恐怖症だったのに」とおるか。U嬢にディスプレイ用に描いた俳画(?)を誉めてもらって照れていた。

 表装したほうがいいというUj嬢に「急須や茶碗が乗ってるからなんとなくわやわやしてマシに見えるかもしれないけど、それだけで見られる物じゃないよ!」とオロオロしている。なんだか最終日に取りに来られそうで怖い。

 茶房で出してくれる水出し加賀棒茶はまさに甘露。ケーキは社長の御妹さんの手作りで、南加賀一のお味ともっぱらの噂である。この日は季節の黒サクランボのタルトをいただいた。甘すぎずサクッとして美味。オットセイも食べたらどんなに喜んだろう。きっと「チェリー・パイ」の歌を歌ったろう。かわいそうなオットセイ。ケーキが大好きだッたのに、糖尿病の気があるというのでずっと控えたままで逝ってしまった。「なんでもできるうちにやっとかなきゃいけないね」とまた涙目になるおるかである。


6月13日 金曜日 

 13日の金曜日。前にも書いたと思うが猫である我輩にとって、だからといってなんでもない日である。昨日と明日の間の今日という一日なだけである。にんげんというのは数字に弱い。数字がくっついているだけでなんだか信じてしまうらしい。しかし、世界中でかなり多くの人間が今日は不吉だと思い込んでいるとなるとそれが結果的になにか禍禍しいものをひきよせるかもしれない。ああ、人間とはなんと面倒な生き物であることか。

 さて今夜、U嬢がお見えになって書道練習会が始まった。黒田杏子先生の句を色紙に纏める練習。楽しそうだ。

 明日は神戸に行くというのに、おるかは遅くまで手習いに励んでいた。大丈夫なのだろうか。


6月14日 土曜日 晴れ

 案の定、おるかは神戸行きの電車に乗り遅れた。しかもオットセイの写真の入ったロケットも身に付けるのを忘れた。そのほかにも色々忘れ物をしたらしいが、句会にはぎりぎり間に合ったようだ。電車の中で岩手宮城大地震のニュースを聞いて岩手県からの参加メンバーのことを心配していた。我輩もニュースで見たが、山が消えるような大地震なんてはじめてである。愕いた。能登の大地震もそうだが、今まで比較的自身とは無縁と思われていたようなところでこれほど大規模な地震がおきるとは。そろそろ地球が別の時代に入ってきているのではないかと思う。

 さて、我輩は押入れに入って我がエメラルド球の目を瞑った。我輩の脳裏には、おるかのツイッギー(古い!)並みガリガリの後姿が浮かんでくる。句会の最中にエネルギー切れを起しているが、どうやら先生の色紙をゲットしたようだ。

 今度は、おるかは一人で夕暮れの浜辺を歩いている。何人もの句友に親切なお悔やみの言葉をいただいて、かえって哀しくなってしまったようだ。しゃがみこむと、小さくて愕くほどきれいな純白の巻貝の殻をみつけた。「こんなの生まれて始めて拾ったよ!オットセイさんは目が良くて見つけるのが得意だったからオットセイさんが見つけてくれたんだね。一緒に来てくれたんだんだね!」と自分で言って自分で泣く。人間とはナンギな生き物である。言葉によって哀しみが増幅もするが、救ってくれるのもまた言葉なのだ。須磨の海岸の無数の白い貝殻が静かな波にセリセリと小さな音を立てていた。


6月15日 日曜日 薄曇

 神戸のホテルの階段の脇に打ち捨てられた古ピアノがあった。少なくとも十年は調律していない様子のグランド・ピアノだ。錆びた響きが返って哀愁をそそるらしく昨晩からおるかがこっそり弾いている。通りがかりの皆様お耳汚しですみません。今朝はすこしいい響きになった。「やっぱりアンプラグドの音は優しいねー」と海を眺めながら調子に乗って弾きまくるおるかである。句友の皆様、耳を悪くされませんでしたでしょうか。遠くより心配しております。我輩はミケ。猫であります。

 朝食後、おるかは須磨寺へ吟行に出かけた。参道の若木の桜の青葉が美しい。平敦盛と熊谷直実の像にはおどろいた。あの波のなんともわざとらしい青色はどうにかならんもんだろうか。おるかはお地蔵様の湯飲みのアオミドロが気になったらしく洗い始めたが、これがけっこう年季の入ったアオミドロでなかなか落ちない。意地になってたっぷり二十分は洗っていたが、これが水子地蔵さまであった。誰か見たらよほどわけありのように見えたことであろう。

 鉦の音を先立てて、夏衣の僧侶が大師堂へ歩んで行く。鮮やかな朱色の袈裟にこの寺の紋章の桜が非時の花を咲かせていた。読経の声は長く長く続く。シビの向こうの枝に定家葛が咲いていた。それほど広い境内ではないが掃除が行き届いて、緑の深い、いいお寺だった。若木の桜の話といい、青葉の笛といい、若く美しく儚い雰囲気が敦盛のイメージとぴったり合っているのだった。

 午後から句会。今度は頭痛にもならずせっせと選句したが、先生の選には入れずボーズであった。おるかはすっかり落ち込んでいた。ポール・ボキューズのパンを買って加賀へと帰る。電車の中で富岡多恵子の「釈ショウ空ノート」を読了のもよう。たしかに面白い本である。今年こそご命日に墓参りしようと心に決意するおるか。これで何度目かの決意である。

 「駅の改札を出るときが一番嫌なんだ」と、おるか。「迎えに来てくれたオットセイさんが、一寸照れたような顔で中途半端なところに立ってる姿がね、目に浮かんじゃってね」としょんぼりしている。


6月18日 水曜日 晴れ

 金沢から詩人のMさんがギャラリーにいらっしゃると電話があった。御夫君は高名な音楽研究家で、オットセイの尊敬しまくりだった人である。ギャラリーで落ち合うことにして、いそいそ出かける支度をしているとまた電話。なんとギャラリーがお休み!水曜日おやすみだったんですか!お知らせの葉書に書いてなかったし、ひょっとして先週の水曜日もお休みだったの?!申し訳ないことをしてしまった。M夫妻は家によって下さったのでオットセイは長年のあこがれの先生にお線香を立てていただくことが出来た。どんなに喜んでいるだろう。可愛がっていたミニサイズのアコースティック・ギターを御そばにおいていただけることになった。本当に良かったね、オットセイ。この半年で一番うれしいことかもしれない。


6月21日土曜日 うす曇

 大阪からT夫妻がお見えになった。山代温泉にいらっしゃるついでに時々お寄り下さる。三月の銀座松屋の展示会の芳名帖にもお名前があった。少年ぽさの残るご主人と明るく優しい奥様のとても感じのよいご夫婦。素晴らしくきれいな純白の蘭の鉢植えを下さった。ギャラリーへご一緒してお茶とお菓子をいただく。お話していてほのぼの楽しかった。素敵なご夫婦だ。オットセイもきっとかっこいい老人になると思って楽しみにしていたのにな。

戻ってみると作りかけの向付がすっかり乾いていた。倍速で削り、仕上げる。


6月24日 火曜日 小雨のち曇り

 このところ雨が多くてなかなか散歩に出られない。しかし多少は外の空気も吸いたいもの。ちょいと顔を出して玄関の脇に、オルカが寄せ植えにしてくれたイネ科の雑草を食べて体調を整えた。ナニ!?あれは風知草で観葉植物として植えてあるって?し、しかしスズメノテッポウやメヒシバや代表的雑草もいっぱいまざっていたではないか。それは種が飛んできただけだと!知るか!

 まったく、おるかが雑草の寄せ植えなんてめずらしく気の聞いたことをしてくれたと思った我輩がバカだった。

 今日は加賀棒茶製茶場ギャラリーでの展示会も最終日だ。ごごになって搬出にでかけた。もちろん甘党のオルカがすぐ仕事にかかるはずはなくふわふわロールケーキとお茶でしばらくまったりしていた。四時ごろにはTちゃんUちゃんも会場に来てくれて三人でお片付け。思ったより早く終わってギャラリーや茶房の女性達ににこやかに送り出してもらった。ギャラリーも茶房もオーナーの趣味で吟味されとても洗練されている。その中でも傑作は働いている女性達だろう。知的で清楚な美人ぞろいだ。目のパッチリした一人が車に乗り込もうとしたオルカを追いかけてきた。「お忘れ物です」。戻ってみると、これをよく忘れたなと思うような大きな箱があった。どこまでもアバウトなおるかである。


6月25日 水曜日くもり

 「今日は休日!今週末は何かと忙しそうだし}とおるか。ひさしぶりで拭き掃除や大物洗濯をしていた。掃除のすんだのを見はからって我輩が梅鉢のマークをほどこして歩いてやった。画龍点晴である。

午後になって福井市美術館のガンダーラ美術展に出かけた。オットセイにそっくりの仏像があった。「前世はガンダーラのあたりにいたのかねー」「手の甲や足の甲までそっくりだね」としばし佇むおるかであった。有名なパルメット文様があふれていた。釈尊の棺というのも始めてみたような気がするが、模様がけっこうカワイイ。仏像展を見に行って文様ばかり気になるのは罰当たりだろうか。

帰りに画材屋さんによって、イスラエルのアーティスト、レビバ・レゲブさんの作品の額を注文した。バーゲンだったのだが特注になるのでやっぱり二つで五万円くらいになる。「ま、いつまでも紙にくるんどくわけにも行かないもんね」と諦め顔のおるか。SALE!の赤い札についふらふらと絵の具やスケッチブックも買う。「画材も高いもんよねー」とため息。それでも普段は手の出ない高級水彩絵の具を早くためそうと帰り道の信号の黄色に全て突入する。他人迷惑なやつである。


6月26日 木曜日 曇り時々小雨

 午前中、保険についての電話。三十分もかかった。そのあと「あるき」といって村の中の書類配りの仕事。おるかは区費意外は口座振込みなのでそれだけだが、なかには年金やら国保やら上下水道費やらけっこう大切な書類もある。「個人情報の保護なんてどこ吹く風って感じねー!平和なのね!」と感心するべきかあきれるか微妙である。一軒一軒回って小一時間ほどかかった。どこのお庭も紫陽花やムラサキツユクサや季節の花がいっぱいさいていた。ホタルブクロももう咲いていた。ホタルブクロに本当に蛍を入れてみたらほんのり灯って実際とてもきれいだったっけ。蛍も花を近づけたら自分で上って入って行ったのが可愛かった。

 ごごから九州の三越の人が見えて写真などとって行かれた。お話しに意外に時間がかかって仕事はほとんど出来なかった。


6月27日 金曜日 曇り

 今朝は久しぶりで句会。午前10時から。暑い日になると予報が出ていたのでおるかは冷たいお茶やお菓子を用意していたのだが、じっとしているとだんだん冷えてくるような涼しさだった。我輩が少しはなれて観察していると「あら!置物みたい!」などといわれる。投句、選句、意見を交わしたり、楽しそうだった。次回からは句を筆で書こうということになった。

 「毎月一回定期的にすると決めたことでもあるし名前つけようかな」と遅ればせに考えるおるかである。


6月28日 土曜日 小雨

 裏庭の榊の枝がびしびしに切ってあった。誰が何のためにしたのかわからない。なんとなく不安。

 昨日から見かけない白猫が家の周りを徘徊している。白い毛並みのボロボロなのはトラや黒白よりもうらぶれた感じがするものだが、それにしてもともかくやつれきった風情の猫である。お隣のおじーちゃんは「捨てられたんや」と断言する。かなり大きい猫だ。子猫ならかわいいから拾ってくれる人もいるだろうがこんなみっともなくては貰い手もあるまい。憐れである。外猫のタマとシロは迷惑そうであるが、以前出没していた大きなトラ猫よりは大人しいと見えて、それほど大喧嘩はしないようである。さっきも庭の椅子の上で寝ていた。ここに居つくつもりのようだ。


 






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