ミケ日記   2008年7月

7月1日 火曜日 小雨後ときどき光

 我輩はミケ、猫である。梅雨寒というのだろうか、七月というのにじっとすわっているとけっこう涼しい。今朝はなぜかおるかは6時半に起きだして、オットセイのネットに書いた詩や俳句をプリント・アウトしていた。俳句誌と一緒に武生のオットセイのお母さんに送るらしい。自分でも読み返しては、またしょんぼりしている。しかし電話がくると人が変わったように急にしゃきんとする。『電話の応対は明るくはきはきと!』としつけられているのだ。おかげで電話口の声を聞いた人はみんな「お元気そうですね」と安心してくださるのである。


7月3日 木曜日 晴れ

久しぶりに晴れたと思ったら、気温はどんどん上がる。加賀棒茶製茶上ギャラリーへ請求書とイラストを持っていったおるかは 「もう三十分車に乗ってたら熱中症になるところだ〜」とへろへろになって帰ってきた。茶房でいただいた美味しいお茶のおかげで生きながらえたのだろう。

 「焼きあがったケーキがちょうど届いた所だったので、もちろんだまって見過ごすわけには行かない!」とイチジクのタルトでお茶。今日は午後から工房にUちゃんTちゃんもきていたので三人で和気藹々ともくもくとたべていた。美味しいものは言葉を奪う。オットセイの写真の前にも一つお供え。ニッコニコの写真だ。

 おるかの誕生祝の鉢が届いた。見かけない花だけど庭にでも下ろそうとカードをみると「暑さも寒さも日当たりもきらいです」とある。そんな花どこへ置けばいいのだ。


7月5日土曜日 晴れ

 今日も暑い。岐阜県多治見市では36℃を記録したそうだ。焼き物の盛んな土地だから、窯を焚いてる人もいたかもしれない。死にそうだったろうな。

 ベランダの真ん中でボロボロの白猫が歩いているかっこうのまま倒れている。「きゃ、死んだのか?!」とおるかが悲鳴を上げたが、するとピクリとどこかが動いた。あんまり暑くて前後不覚に眠りこんだらしい。


7月7日 月曜日 晴れのち曇り

今日は七夕、そして「素麺の日」だそうだ。去年の今日はシカゴの古い友人がわざわざ逢いに来てくれてオットセイもずっと一緒にゆるゆる話をし、夜になって駅まで送って行ったのだった。あぁ、あのときの写真どこにあるのだろう。

今年は民俗学者にして詩人のK氏が金沢での講演の帰りに立ちよってくださった。マレビトに逢える日なのかもしれない。詩について民俗学についてお話。レアな句集をくださった。クラインブルーが美しい。

夕方になって雲が出てきた。今年も七夕の星は見えないようだ。もうどのくらいみていないだろう。玄関から顔を出してみると、また流れ者の白猫がミ〜と妙に愛らしい声で近づいてくる。ハーッ!と一喝して遣ったが我輩の顔をみもしない。おるかをみあげて「エサくれ」しか頭に無いらしい。オルカが一歩外にでるともうつま先を舐めんばかりの卑屈な態度である。ああ恒産無ければ恒心なしとは孟子の言葉だがげに真なるかな。猫は毅然としてないとイカンのだ。我輩のように。ガルルrrr。


7月9日 水曜日 曇り

 昨日今日と曇り時々雨というお天気で多少涼しくおかげでよく眠れる。今週末には窯を焚く予定だそうで、おるかはまた夜もせかせか仕事だ。暑苦しい感じである。五月蠅と書いてうるさいとよむそうだが七月鯱とかいてせからしいと読むのはどうだろう。

 それでも昼に七夕の竹の残りで遊んでくれた。竹笹の葉のシャラシャラいう音はなんともそそるものがある。我輩もつい夢中になって部屋中走り回り葉っぱに噛み付き興奮した。竹の匂いもいいしエコな玩具である。

 午後いっぱい麻座布団の上で書見。内田百閧フ「ノラや」を久しぶりに読み返す。おるかなどは人前で泣くのは恥ずかしいと思っているようだし、一人の時に泣くのも「他人様に話すことではない」とつとめて何気ないような顔をしている。しかしこの百鬼園先生は号泣に継ぐ号泣,しかもそれを事細かく書いて全て本にしてしまうのだから、やはり物書きというのはコワイものである。

 その後金井美恵子の「タマや」も読む。登場人物はどうしようもないような連中ばかりだが、タマはなかなかしっかりしている。いつもどこかでよんだような気がしていたのだが、やっと思い出した。尾崎翠の「第七官界彷徨」とよく似たテイストなのだ。尾崎翠の名前もザンギリ頭のたとえとして登場する。尾崎翠が今生きていたらどんなものを書いたろう。映画監督になっていたかもしれないな。


7月11日 金曜日 曇り時々小雨

 我輩は眠い。オルカが明け方の二時過ぎまでパソコンの裏に回ったりゴソゴソしていたかと思うと今朝は六時におき出して掃除洗濯である。寝ない食べない休まないの鬱病予備軍生活だ。

おるかが仕事場に行ったのを幸い、我輩は一人心静かに愛用のクッションの上で書見。古井由吉著「白暗淵(しろわだ)」を読む。至芸ともいうべき短編小説集である。


7月13日 日曜日 晴れ

「うう、暑くなりそうだな、こんな日に窯焚くのいやだな」とぐずりながら、それでも一日でも早くという思いにせかされて、おるかは窯に火を入れた。

 外猫達もそれぞれ木陰で伸びている。ピクリとも動かないから熱中症で具合でも悪くなったんじゃないかと我輩はちょっぴり同情した。が、オルカが一歩外に踏み出したトタン「エサだ、エサ、エサ〜!」と、ドッグレースさながら三匹がもつれるようにコーナーを回って走ってくる。興奮のあまりどさくさまぎれにボロシロはタマにすりついたりしている.タマも普通なら強烈猫パンチでこたえるところなのに、目がおるかから動かない。ガツガツガツガツと歯を皿の縁に当てたりしながら暑さもなんのその凄い食欲だ。ボロボロ白猫はどうやら完全に居ついた様である。

オニヤンマがツーと渡り廊下を抜けていった。ふと気が付くと蜩が鳴いている。


7月14日 月曜日 晴れのち雨

 明け方の4時に窯を焚き終えたおるかは興奮で眠れないらしく、しばらく”峰に別るる横雲の空”をながめていた。やっと横になったかと思うとまたゾロ起きだして荷造りを始めた。我輩は寝不足だ。全く猫にとって寝不足とは沽券にかかわる事態である。

 「眠くなる前にチョット福井まで言ってくる」と、オルカが出かけたのを幸い、夏蒲団で爆睡。昼ごろオルカが戻ったのにも気づかなかった。 R・Rの平面作品の額装ができたので受け取りに行ったらしい。「ついつい絵の具も買っちゃったよー。絵の具も高いなー」「でも額ってなんでこう高いのかねー」「ま、誕生祝ってことで…」等等独り言を言いながら段ボール箱から出した作品を見ると、我輩が冬の間その上で寝ていたものであった。我輩は手すき和紙の感触がすきである。シンプルな白木の額におさまるとけっこう迫力ある大きい作品だ。「壁にかけると怖いみたいだから、グッゲンハイム美術館方式にしよっと」とオルカ。なんのことはない床に置くだけなのだ。

 花瓶の白紫陽花がしおれてきた。今年はたくさん蕾をつけた夏椿の一輪が台所で咲いて散った。哀れであった。夏椿は台所には似合わない。

 ベランダでミズトンボが蕾をつけたとおるかは狂喜乱舞している。湿地の蘭で栽培が非常に難しいものの一つなのだそうだ。オルカが丹精したわけではなく、たまたまその株が頑張ってくれたので、一入嬉しいのだろう。


7月15日火曜日 晴れ

 あまり暑くならないうちにと朝から窯出し、高台磨り等仕上げ作業。お掃除。お昼までに終わらせたのはいいが、その後がつづかず、上絵絵の具を擂りながら、居眠りしているおるかである。それでもどうにかヨロヨロ仕事していたが、7時のニュースを見ながら「ンガッ」と気絶眠してしまった。


 

7月16日 水曜日 曇り時々晴れ

午後から茶房実生の女性達が遊びに来てくれた。淡い色の夏服の三人は妖精のようにふんわり繊細にみえる。オルカも久しく見なかったものを見た気分で舞い上がっていた。しどろもどろにおしゃべりしていたが今時の若い女の子達とは共通の話題に乏しくて結局、猫の話ばかりだった。

「いろんな才能があるんですね」なんていわれてテレまくるオルカだったが、我輩に言わせればケラ才である。ケラは虫の螻蛄のことだ。螻蛄は走ったり穴を掘ったり五つの才能があるんだそうだが結局どれも大したことが無い。だって虫なんだもんね、早く走るったって穴を掘るったって。オルカはまさに螻蛄の才能そのものである。大きめな三角頭のオケラという虫はべつに嫌いじゃないけれどね。


7月17日 木曜日 晴れ

 暑い。福井市では36℃だったそうだ。家の中の涼しい場所を知りぬいた我輩にしてもこの暑さにはもう非難所がない。

 さて今日は午後からMさんKさんがお中元のためにお見えになった。毎年お歳暮とお中元は曽宇窯の器から選んでくださるのである。奇特なことである。そればかりではない。友達の少ないオルカにとって貴重な心和むおしゃべりの機会なのである。しかし哀しいニュースもあった。アビシニアンのペコちゃんが急逝されたそうである。まだ若かった。まさに佳人(猫だけど)薄命である。飼い主さんの気持を思うと言葉もない。一時は「生き物を飼う資格が無い」とまで思いつめられたそうである。無理も無い。しかし、いったい誰が他者の生命に完全に責任を負うことができるだろう。オルカもオットセイが再入院した時、もっとああすれば良かったこうもできたのではないかなどと思い悩んでいたが、訪問看護にきてくれていた女性に「そういうことを考えるのも欲だ」といわれてはっとしたのだった。さすがに生き死にの現場に常に立ちあっている人の言葉は重い。愛するものの死は、あまりに受け入れがたいので、人は何か理由があるのだと思いたい。それが自分が至らないせいだとか自身を責めることになってでも、理由がほしいのだ。全く意味がわからないでいるよりは。

 自分を責めるのも、不条理なj出来事をどうにか理解したいという欲求のあらわれなのだろう。愛するものの死がまったく無意味ではなくて、自分が悪いことになっても何か理由がある、つまり意味があると思う方がまだしも受け入れやすいのである。たしかにこの世という有意味の世界に縛られた凡夫の発想といえるだろう。

 夜、ジョニー・ディップの「ネヴァー・ランド」を見た。なぜか丁度これも愛するものを失う少年の心の物語でもあった。みんな死ぬ。それでもネヴァー・ランドに行けばまた逢えると信じられたら、どんなにいいだろう。


7月20日 日曜日 晴れ猛暑日

 朝の太陽が台所の窓から強烈な黄金の光を流し込んでいた。階段のおどりばは、さながら黄金の小部屋である。「まるでクイック・ゴールドだね!本当にこのひと時は秀吉の黄金の茶室にも負けないよ。」タシカニ!《神は野辺の百合をもソロモンの栄華にもまして装わせ給う》と聖書にもあった。桃山の美術もこの茅屋に射す翠と金の朝の光にはおよばないだろう。光の中でナガシのゴミさえドラマチックだ。自然の美しさには、人工物はちょっと太刀打ちできない。もちろん人間にとって人間のこしらえたものはそれなりの心地よさや懐かしさがあるのだけれど。

午前中に、藍生編集長から原稿の催促のお電話。「今日書きます!」と返事しているオルカのマグ・カップの下、ランチョン・マット代わりにしている紙は、その原稿依頼書ではないだろうか。忘れないようにとテーブルに出しっぱなしのまま有効に利用されていたわけだ。

 ともかく暑い。我輩が最近気に入っている寝場所(細長くて風通しのいいトンネルのような箱)にオルカが保冷剤をタオルでくるんでいれてくれた。オルカ自身も我輩が一階に降りるたびに部屋のあっちで居眠りこっちで居眠りと場所を変えて伸びている。その合間に多少は仕事もしたらしく、夕方から錦窯を詰め、夜12時まで窯焚き。電気窯なので焚き始めの何かと手のかかるところを過ぎれば原稿を書けるとふんでいたようだが、すでに力尽きていたらしい。原稿にてもつけず爆睡。


7月22日 火曜日 猛暑日

 午後、オルカは加賀棒茶製茶場まで蕎麦猪口を届けにでかけた。勝手口のドアを開けると例の白猫がミャ〜と甘えた声で擦り寄って、着替えたばかりのエミスフェールのシガレットパンツはたちまちべっとりモヘア状態。「黒服の天敵だね!」とぼやきながらも、ひたすらスリスリされてなんとなく飼う気になっているようである。甘い!大アマのミコトである。

 ほんのしばらく駐車していただけで車内はアッチッチになる。「夏手袋は必需品ですよ」と、おるか。そうでなくとも手袋好きなのだ「夏には涼しい水ヘビの手袋欲しいなー」と、もう何年言っていることか。

 午後じゅうかかって荷造り。注文(といっても寥寥たるものだが)はこれでほとんど終わった。ほっとするようなさびしいような。


7月24日 木曜日 晴れ猛暑日

今日も暑い。久しぶりで午後から句会。いつも句会をする部屋のクーラーが故障してしまったので扇風機だけで汗をしぼることになった。おるかはベランダに打ち水をしたり風鈴を吊るしたり、涼の演出を試みたが文字通り焼け石に水。Tさんご持参の銀泥に寺山修司の歌の書いてある団扇をみんな欲しがった。今回の句会はすべて筆書きという趣向で、短冊も清記もすべて墨書。我輩が床に寝そべってしばしフローリングの冷やかさを楽しむ間、人間達はああでもないこうでもないと批評しあってますます熱くなっていた。

 郵パックが荷物を取りに来た。玄関の我輩の猫草をひっくり返しそうで心配だ。小さな荷物や中くらいのや〆て7500円!「送料500円で計算してると赤字だね」としょんぼりするオルカ。なにもかも値上がりしている。


7月25日 金曜日 晴れ、今日もまた猛暑日

オルカは午前中に武生市(現在は越前市なんていい加減な名前になってしまったが)のオットセイの実家に出かけた。小学一年のときの全てひらがなの絵日記をみた。字が大人になってからより丁寧だ。しかも「おかあさんが○○とおっしゃいました」等々尊敬語をつかっているのにおどろいた。

お昼は「谷川」でオットセイの大好きだった「おろし蕎麦」をたべる。さみどりの大根おろしが言いようもなくきれいだ。三種類の辛み大根に普通の大根を30パーセント混ぜているという凝った大根おろしはおいしく御蕎麦もいきがいい。去年の夏、病院にここの御蕎麦を持ってきてもらったオットセイに「きょうは気分がよさそうね」というと「だって谷川の蕎麦を食べたからね」とうれしそうに答えたのだった。ああ、お蕎麦の香りが目にしみる。

オットセイの句集を出そうと思う。


7月30日 水曜日 晴れ

 郵便受けがゴトン!と音を立てた。暑中お見舞いや荷物の届いたお知らせ等々、折り重なってはいっていいる。「お手紙頂くのって嬉しいものだな。もっと欲しいな」とオルカ。まず自分で書かなけりゃもらえるわけがないのは分かりきった事だと思うのだがね。

 左手首の関節がまた痛くなったとかで、おるかは比較的軽作業の小皿の絵付けをしている。「虎の子絵がわり皿」という、名前どおり虎の子が耳を掻いたりものを狙ったりしている図柄だ。我輩はモデル料を請求したくなったが、顔をみると我輩とは似ても似つかぬ不細工猫、いや、虎だった。

 ピアノの部屋で松浦理恵子著「犬身」を読む。動物への愛はそれなりに親しみを感じたが、なんと言っても犬の愛だから。ものすごく飼い主べったりでうんざりしてくる。これだから犬はいやだ。我ら猫族はもちろん飼い主になついている。餌も嬉しく貰うし、撫でてくれれば気持が良い。人間の感情の動きだってちゃんとわかっている。しかしだからといって己を忘れてべたべたするのは気味が悪い。猫は独立自尊でなくてはならぬ。「天上天下唯我独尊」とおっしゃった釈尊は猫科だったのかもしれぬ。


 






inserted by FC2 system